
1. 歌詞の概要
There She Goesは、イギリス・リヴァプール出身のバンドThe La’sが1988年に発表した楽曲である。
その後、1990年に唯一のスタジオアルバムThe La’sへ収録され、同年に再リリースされたことで大きく知られるようになった。1988年の初回リリース時にはUKチャートで59位、1990年の再発ではUKシングルチャート13位を記録した曲として知られている。
この曲は、とても短い。
そして、とても単純である。
だが、その単純さが、ほとんど奇跡のように響く。
歌詞は大きな物語を語らない。長い説明もない。明確な登場人物の背景もない。基本的には、彼女がまた行く、彼女が自分の頭の中を走り抜ける、という感覚が何度も反復されるだけである。
それなのに、曲を聴くと強い情景が浮かぶ。
朝の光。
細い路地。
リヴァプールの曇り空。
一瞬だけ見えた誰かの後ろ姿。
恋かもしれない。
幻かもしれない。
もう手に入らないものかもしれない。
There She Goesというフレーズは、直訳すれば、ほら彼女が行く、また彼女が行く、という意味になる。
ここで重要なのは、語り手が彼女をつかまえていないことだ。
彼女はそこにいる。
でも、こちらには来ない。
通り過ぎる。
頭の中を駆け抜ける。
また消える。
この距離が、曲全体の切なさを作っている。
恋愛の歌として聴けば、これは片思いの歌である。相手の存在が頭から離れない。会えるわけではない。自分のものになるわけでもない。それでも彼女は何度も心の中に現れる。美しく、軽く、そして少し残酷に。
一方で、この曲には薬物、とりわけヘロインを歌っているのではないかという解釈が長くつきまとってきた。歌詞にある脳や血管、痛みを癒すといったイメージが、そのように読まれたためである。
ただし、Lee Maversはこの解釈を否定しているとされる。また、元メンバー周辺からもヘロイン説を否定する証言がある。もちろん、曲は一度世に出ると聴き手の解釈を完全には制御できない。だからThere She Goesは、恋の歌としても、依存の歌としても、もっと広く何かに取り憑かれた心の歌としても響く。
その曖昧さが、この曲を長く残している。
There She Goesは、誰かの歌である。
同時に、何かの歌でもある。
手に入らないもの、忘れられないもの、頭の中を何度も通り過ぎるもの。その正体をはっきり言わないまま、The La’sは完璧に近いギター・ポップへ変えてしまった。
2. 歌詞のバックグラウンド
The La’sは、1980年代半ばのリヴァプールで結成されたバンドである。
中心人物はLee Mavers。彼は、非常に強い作曲能力と、同時に録音物に対する強烈なこだわりを持った人物として知られる。The La’sはライブバンドとして高い評価を受けながら、スタジオ録音では長く苦戦した。
唯一のオリジナルアルバムThe La’sは、1990年10月1日にリリースされた。
しかし、このアルバムはバンドにとって満足のいく作品ではなかったとも言われている。Lee Maversはプロダクションや音の質感に不満を抱いていたとされ、The La’sは結局、その後に正式なセカンドアルバムを出すことなく、伝説的な未完のバンドとして語られるようになる。
There She Goesは、そんなThe La’sの中でも、最も広く知られた曲である。
1988年の初回シングルは、Bob Andrewsのプロデュースによる録音だった。後にSteve Lillywhiteが関わった1990年版がアルバムへ収録され、再発シングルとして成功する。1988年版と1990年版は、同じ曲でありながら微妙に質感が違う。
1988年版には、より素朴で生々しいきらめきがある。
1990年版には、少し整えられたポップソングとしての輪郭がある。
この二つの時点があることも、There She Goesという曲の神話性を強めている。
1988年に生まれ、1990年に再び世に出た曲。
時代的には、マッドチェスターやアシッドハウス、インディーダンスの流れが英国音楽を動かしていた頃である。The Stone RosesやHappy Mondaysが時代の空気を塗り替え、ギターとダンスミュージックが接近していた時期だ。
だが、There She Goesはその流れとは少し違う場所に立っている。
この曲にはダンスビートの陶酔はない。
アシッドハウスのサイケデリアもない。
むしろ、The Beatles、The Byrds、60年代のジャングルポップ、フォークロック的な明るさを思わせる。
ギターは軽く、旋律は澄んでいて、曲は驚くほど短い。
その意味で、There She Goesは1990年代ブリットポップの先駆けとして語られることが多い。OasisやBlurが大きく時代を動かす前に、リヴァプールからこんなにもシンプルで完璧なギター・ポップが鳴っていたことは重要である。
ただし、The La’sはブリットポップそのもののバンドではない。
彼らはそれ以前にいて、それ以後に影を落とした存在だ。
完成したキャリアを築いたバンドではなく、たった一枚のアルバムと少数の楽曲で、後続に強烈な余韻を残したバンド。There She Goesは、その象徴である。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の著作権に配慮し、ここでは短い一節のみを抜粋する。
There she goes again
和訳すると、次のような意味になる。
ほら、彼女がまた行く
この一節だけで、曲のほとんどが立ち上がる。
彼女は近くにいるようで、遠い。
見えているのに、手は届かない。
現れるのに、通り過ぎる。
しかも、それは一度ではない。
againという言葉が大切である。
また、なのだ。
一度きりの出来事ではない。
何度も起こる。
忘れたと思っても戻ってくる。
頭の中で、心の中で、記憶の中で、何度も再生される。
この反復が、恋の感覚にも、依存の感覚にもつながる。
誰かを好きになると、その人の姿は何度も頭の中に現れる。すれ違った一瞬、目が合った気がした瞬間、声の響き、髪の揺れ。そうした断片が、何度も勝手に戻ってくる。
一方で、何かに依存するときも同じだ。欲望は一度では終わらない。頭を走り、身体を走り、また戻ってくる。
There She Goesが強いのは、そのどちらにも届くところである。
この短いフレーズは、対象をはっきり説明しない。
だからこそ、聴き手は自分にとっての彼女を思い浮かべる。
それは実在の女性かもしれない。
初恋の記憶かもしれない。
手に入らなかった青春かもしれない。
あるいは、名前をつけられない衝動かもしれない。
もうひとつ印象的な短い一節として、次の言葉がある。
Racing through my brain
和訳すると、次のようになる。
僕の頭の中を駆け抜けていく
この言葉によって、彼女は外の世界から内側へ入ってくる。
道を歩く人ではなく、頭の中を走る存在になる。
つまり、彼女は現実の人物であると同時に、思考や欲望の中のイメージでもある。
このあたりが、There She Goesの中毒性を作っている。
曲そのものも、頭の中を駆け抜ける。
短く、明るく、反復的で、聴き終わったあともあのギターのフレーズが残る。歌詞が歌っている状態を、曲の構造自体が再現しているのだ。
歌詞引用元および権利情報は、記事末尾の参考情報に記載する。
4. 歌詞の考察
There She Goesの歌詞を考えるとき、まず注目すべきなのは、その極端な簡潔さである。
一般的なポップソングには、ヴァースがあり、サビがあり、物語が展開していく。出会いがあり、葛藤があり、結論がある。だがThere She Goesは、そのような物語性をほとんど持たない。
基本的には、ひとつの感覚が繰り返される。
彼女がまた行く。
彼女が頭の中を走る。
彼女が身体を通り抜ける。
その感覚が、少しずつ角度を変えながら反復される。
ここに、この曲の本質がある。
恋や欲望は、必ずしも物語として進むわけではない。むしろ、多くの場合、同じ場面が頭の中で繰り返される。あの人のことを考えないようにしても、また考えてしまう。忘れようとしても、同じフレーズが戻ってくる。
There She Goesは、その反復の歌なのだ。
だから歌詞が少ないことは欠点ではない。
むしろ、完璧である。
余計な説明をしないからこそ、感情の純度が高い。語り手が誰なのか、彼女が誰なのか、二人に何があったのか。そのすべてを省略することで、曲はほとんど一つの感覚だけになる。
そして、その感覚が普遍的なのだ。
この曲には、長くヘロイン説がつきまとってきた。
理由はわかる。
頭の中を走る。
血管を脈打つ。
痛みを癒す。
抑えられない感覚が残る。
そうした表現は、薬物の比喩として読める。
しかし、それだけに限定すると、この曲の広さを狭めてしまう。
Lee Maversがヘロイン説を否定していること、また曲の初回リリースが1988年であることを考えると、安易に薬物ソングと断定するのは危うい。曲の中にある身体的な表現は、恋愛の高揚にも十分に当てはまる。
恋もまた、身体を通る。
頭を支配する。
血の流れを速くする。
痛みを癒すようで、むしろ痛みを増やす。
自分では止められない。
つまり、There She Goesは、対象が人であれ薬物であれ、何かに取り憑かれる感覚の歌なのだ。
そこにこの曲の中毒性がある。
歌詞の中の彼女は、具体的な女性としても、抽象的な衝動としても読める。だから、多くの人が自分の記憶を重ねることができる。
サウンド面では、曲の明るさが非常に重要である。
もし同じ歌詞が重く暗い音楽に乗っていたら、薬物的な解釈や依存の苦しさが前に出ただろう。だがThe La’sの演奏は、軽い。ギターは透明で、メロディは甘く、曲全体には朝の光のような明るさがある。
この明るさが、歌詞の曖昧さをより美しくしている。
彼女が通り過ぎることは、痛みである。
でも、その痛みは美しい。
手に入らないからこそ、きらめく。
消えてしまうからこそ、何度も見たくなる。
There She Goesのギターイントロは、非常に象徴的だ。
あのフレーズが鳴った瞬間、すでに曲の世界は始まっている。歌詞が入る前から、何かが走り出している。軽やかで、少し切なく、止まらない。
まさに、頭の中を駆け抜ける感覚である。
The La’sは、この曲で驚くほど無駄のないポップソングを作った。
しかし、この無駄のなさは計算だけではない。むしろ、何かが一瞬だけ完璧に結晶したような感じがある。Lee Maversのソングライティングが持つ古典的なメロディ感、リヴァプール的なポップの血筋、60年代への憧れ、それらがたった2分半ほどに凝縮されている。
There She Goesは、古い曲のようにも聞こえる。
同時に、1988年のインディーソングとしても聞こえる。
そして、1990年代以降のブリットポップやギター・ポップの未来を予感させる曲にも聞こえる。
この時間感覚の不思議さが、曲をより特別にしている。
過去から来たようで、未来へ向かっていた。
The BeatlesやThe Byrdsの残響を持ちながら、OasisやThe Coral、Castなどへつながる道を開いている。実際、The La’sのベーシストだったJohn Powerは後にCastを結成し、90年代英国ギターポップの重要な存在となる。
There She Goesは、その意味でも橋のような曲である。
60年代と90年代をつなぐ橋。
リヴァプールのポップ伝統とインディーロックをつなぐ橋。
恋の歌と依存の歌をつなぐ橋。
明るさと痛みをつなぐ橋。
それを、あまりにも軽やかにやってしまっている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Timeless Melody by The La’s
The La’sのもうひとつの代表曲であり、There She Goesの魅力をさらに深く知るために欠かせない曲である。タイトル通り、時代を超えたメロディへの信仰が歌われており、Lee Maversの作曲美学がよく表れている。There She Goesの完璧な簡潔さが好きなら、この曲の少し広がりのあるポップ感覚も響くだろう。
- Way Out by The La’s
1987年にリリースされたThe La’s初期のシングルで、バンドの荒削りなガレージ感と60年代志向がよく出ている。There She Goesほど洗練された魔法はないが、The La’sがどのような音楽的背景から出てきたのかを感じられる。リヴァプール的なビート感とインディーの若さが混ざった一曲である。
- Alright by Cast
The La’sのベーシストJohn Powerが結成したCastの代表曲である。90年代ブリットポップの明るいギターサウンドと、The La’sから続くメロディ重視の感覚がある。There She Goesが開いた道の先にある曲として聴くと、流れが見えやすい。より楽天的で、フェス向きの開放感が強い。
- Live Forever by Oasis
The La’sの影響を受けた90年代英国ギターロックの代表例として聴きたい曲である。There She Goesほど繊細ではなく、もっと大きく、アンセム的だが、メロディに対する信頼、60年代ロックへの愛、英国的なロマンティシズムという点でつながっている。小さなきらめきが巨大な合唱へ拡大したような曲だ。
- There She Goes by Sixpence None the Richer
The La’sの楽曲を1999年にカバーしたバージョンで、より柔らかく、アメリカン・ポップ寄りの響きになっている。原曲のジャングリーな魅力とは違い、透明で甘いラジオポップとして再解釈されている。曲そのもののメロディの強さを確認するには非常によいカバーである。
6. たった一瞬のきらめきが永遠になったギター・ポップの奇跡
There She Goesは、The La’sというバンドの運命を象徴する曲である。
彼らは多くのアルバムを残したわけではない。
長く安定したキャリアを築いたわけでもない。
むしろ、未完成、こだわり、録音への不満、神話化された沈黙といった言葉で語られることが多いバンドである。
だが、その中にThere She Goesがある。
この一曲があるだけで、The La’sは消えない。
それほどまでに、この曲は強い。
強いと言っても、音が重いわけではない。
叫びがあるわけでもない。
構成が複雑なわけでもない。
むしろ、軽い。
短い。
単純である。
でも、その単純さが究極に近い。
There She Goesは、ポップソングに必要なものだけでできている。
忘れられないギター。
一度聴いたら口ずさめるメロディ。
曖昧で余白のある歌詞。
過剰に説明しない感情。
そして、聴き終わったあとも頭の中で鳴り続ける反復。
まさに歌詞通り、頭の中を駆け抜ける曲である。
この曲の彼女は、結局誰なのか。
それはわからない。
初恋の相手かもしれない。
幻の女性かもしれない。
薬物の比喩かもしれない。
青春そのものかもしれない。
音楽そのものかもしれない。
だが、わからないからこそいい。
彼女が何者かを説明してしまったら、曲の魔法は薄れてしまう。There She Goesは、彼女が通り過ぎる瞬間だけを捉えている。その前も後も見せない。だから、聴き手はその一瞬を何度も追いかける。
ポップソングの多くは、何かを完結させる。
物語を語り、感情に結論を与え、サビで解放する。
しかしThere She Goesは、完結しない。
彼女はまた行く。
また頭を駆け抜ける。
また戻ってくる。
また消える。
この終わらなさが、曲の永遠性になっている。
1988年に初めて出た曲が、1990年に再び広く届き、その後も映画、テレビ、ラジオ、カバー、インディー・アンセムとして何度も聴かれ続けてきた理由はそこにある。
この曲は、時代の説明を必要としない。
もちろん、リヴァプール、80年代末、90年代英国ギターポップ前夜という文脈はある。だが、それを知らなくても、あのイントロが鳴れば何かが伝わる。
誰かが通り過ぎる。
それを見ている自分がいる。
それだけで、もう十分なのだ。
The La’sのThere She Goesは、ギター・ポップの理想形のひとつである。
甘く、短く、少し痛く、永遠に未解決。
そして、何度聴いても、また彼女が行く。
参考情報
- There She Goes – The La’s|Wikipedia
- The La’s – The La’s album|Wikipedia
- The La’s “There She Goes”: Story Behind The Song|uDiscover Music
- The Drug and Lovestruck Meanings Behind There She Goes|American Songwriter
- The La’s – There She Goes|YouTube
- The La’s – Callin’ All|Pitchfork
- The La’s – BBC in Session|Pitchfork

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