発売日: 2021年9月3日
ジャンル: インディー・ポップ、オルタナティブ・ポップ、エモ・ポップ
概要
『The Yearbook』は、Baby Queen(本名:Bella Latham)が2021年にリリースした初のミックステープ作品であり、彼女の芸術的アイデンティティと“Z世代の傷”を凝縮した決定的なステートメントである。
サウスアフリカからロンドンに移住し、音楽シーンに飛び込んだ彼女は、2020年に発表したデビューEP『Medicine』で注目を集め、本作で本格的にその存在感を確立した。
『The Yearbook』というタイトルが示すように、本作は青春時代のアルバム(卒業年鑑)という形式を借りながら、失恋、アイデンティティの混乱、精神的浮き沈み、自己嫌悪、愛への渇望といった、成長期のエモーションを赤裸々に、そして時に自嘲的に描き出している。
プロデュースはKing Ed(キング・エド)が中心を担い、90年代~2000年代のエモ・ロックやオルタナティブの質感を吸収したギター・サウンドと、現代的なエレクトロ・ポップの融合が特徴的である。
音楽的にはドリーム・ポップとパンクの中間のような感触を持ちつつ、言葉は明確に自己と向き合う強度を持つ。
『The Yearbook』は、傷だらけの青春を振り返ることで現在の自分を肯定しようとする、“記録”であり“祈り”のようなアルバムなのだ。
全曲レビュー
1. Baby Kingdom
幻想的なイントロとともにアルバムは始まる。
“Baby Kingdom”というタイトルは、自分自身の作り上げた心の王国=防衛機構のようなものであり、現実逃避と自己肯定の矛盾を象徴する。
2. You Shaped Hole
鋭いギターとドラムが突き刺さるエモ・ポップ。
「あなたの形の穴が私に開いている」という比喩は、恋愛の喪失感とその不可逆性を痛烈に表現する。
3. Dover Beach
軽快なリズムの裏に、海辺の孤独と逃避願望が忍ばせてある。
明るいサウンドと内省的リリックの対比が、Baby Queenの音楽性の肝でもある。
4. American Dream
アメリカ的理想(=SNS的成功)への皮肉が込められたナンバー。
“夢”がもはや個人にとって重荷でしかないという、時代の空気を捉えた楽曲。
5. Narcissist
自己愛と自己嫌悪の間で揺れる葛藤を描いた、ダークでポップな一曲。
「私はナルシストか、それとも壊れているのか?」という問いは、Baby Queenの核にある。
6. These Drugs
薬物をテーマにしながら、実際には“感情の麻痺”や“現実との乖離”を描いたトラック。
リフレインの強さが中毒的で、感情の麻痺と依存のスパイラルを音楽的に表現している。
7. Fake Believe
現実と虚構のあいだの境界を問い直す曲。
SNS時代における“フェイクな信仰”をテーマに、自己の輪郭を曖昧にする危うさを描写する。
8. I’m a Mess
自己崩壊的な感情をそのまま吐き出したようなパンキッシュな楽曲。
「私はめちゃくちゃだ」という叫びには、痛みと共にどこかのびやかさも感じられる。
9. I’m Not a Loser
自己否定とそれに対する反抗のアンセム。
タイトルの通り「私は負け犬なんかじゃない」と繰り返す姿勢が、自己肯定の闘争として響く。
10. Anxiety Anthem
不安障害をテーマにした楽曲でありながら、開き直ったようなテンションが心地よい。
“不安”という状態を歌にするという点で、まさに現代ポップの前線に位置する一曲。
11. Raw Thoughts
最終トラックであり、本作の感情的ピーク。
「抑えきれない衝動と考え」をさらけ出すことで、アルバム全体のテーマ——“語ることで癒される”——が凝縮される。
総評
『The Yearbook』は、Baby Queenが自らの過去を整理しながら、現在地を再確認する“内面の地図帳”である。
リリックにはシニカルな自虐と、本音を語る勇気が共存しており、その語り口はZ世代のリアリティを伴って説得力を持つ。
また、音楽的には90年代的なギター・ポップの情感と、現代エレクトロ・ポップの洗練が融合し、ジャンルを横断する柔軟性と完成度を見せている。
この作品が“ミックステープ”という形式で発表されたのも、むしろ意味がある。
アルバムとしての構成よりも、“時系列の感情ログ”として聴くことによって、Baby Queenの魅力がよりダイレクトに伝わってくるのだ。
彼女は、痛みを装飾せずにポップ・ソングへと転写する稀有な作家であり、『The Yearbook』はその最初の証明となった。
この作品は、かつて孤独だったすべての10代、20代に捧げられている。
おすすめアルバム(5枚)
- Wolf Alice – Blue Weekend (2021)
オルタナティブ・ロックと叙情性のバランスが、Baby Queenの感性と通じる。 - Olivia Rodrigo – SOUR (2021)
Z世代の怒りと感傷をポップに昇華した代表作。 - Clairo – Immunity (2019)
内面世界と自己表現の緻密さが、本作の繊細さと共振。 - Phoebe Bridgers – Punisher (2020)
痛みと知性を武器にしたリリックの強度が共通点。 -
Bea Miller – elated! (2020)
ティーンの葛藤や自己探索をダークに描いたポップ・ミニアルバム。
歌詞の深読みと文化的背景
『The Yearbook』は、ポップ・ミュージックが自己分析の手段となりうるという事実を端的に示している。
“年鑑”という形をとって過去を回想する構成は、自己と社会、現実と幻想の間にある断絶や連続を浮かび上がらせる。
「You Shaped Hole」や「Narcissist」における表現は、恋愛を通じた自己認識のズレをテーマにしつつ、同時に“他者依存”の危うさを露呈している。
また、「These Drugs」や「Anxiety Anthem」では、メンタルヘルスに対する正直な視点と、それを語るためのユーモアが融合している。
つまり『The Yearbook』は、心の混乱を“名付ける”ことで、苦しみをコントロール可能な言葉へと翻訳しようとする試みなのだ。
Baby Queenは、語ることによって“自分”を取り戻そうとする全世代のリスナーにとって、等身大のナビゲーターである。
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