1. 歌詞の概要
「The Wheel」は、PJ Harveyが2016年に発表したアルバム『The Hope Six Demolition Project』の先行シングルとしてリリースされた楽曲であり、彼女の政治的・社会的な視点が一層鮮明に現れた作品である。
この曲の核心にあるのは、「失われた子どもたち」――戦争、政治的暴力、都市再開発のなかで見えなくなってしまった命と記憶である。
歌詞中で繰り返される「Who’s missing now?(今、誰がいない?)」という問いかけは、単なる悲嘆ではなく、責任や無関心に対する痛烈な批判として響く。
「28,000 children disappeared」――この象徴的な数字を繰り返すことで、Harveyはリスナーに“不可視な被害”の存在を突きつける。数字が持つ無機質さと、それに反して失われた命の重さの対比が、曲全体に深い緊張感を与えている。
2. 歌詞のバックグラウンド
『The Hope Six Demolition Project』は、Harveyが実際にコソボ、アフガニスタン、ワシントンD.C.などを旅し、その経験や観察をもとに制作されたアルバムである。
「The Wheel」はその中でも、特にコソボ紛争後の街プリズレンで彼女が目撃した記憶に基づいていると言われており、戦争が奪っていった“子どもたちの不在”が中心的モチーフとして据えられている。
また、本アルバムのレコーディングはロンドンのサマセット・ハウスで“公開録音”という形で行われ、Harveyは「音楽制作も政治的表現でありうる」というメッセージを実験的に提示した。
サウンドはマーチングバンドのような重厚で反復的な構成を持ち、歌詞の中で語られる“輪(wheel)”――時間、歴史、暴力の連鎖――を音楽的にも象徴している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
出典:genius.com
A revolving wheel
回り続ける車輪28,000 children disappeared
28,000人の子どもたちが消えたWhere is my son?
私の息子はどこに?Where is my daughter?
私の娘はどこ?The wheel, the wheel
この車輪、この輪Who’s missing now?
今、いないのは誰?
このリフレインは、単なる詩的な問いではない。
それは、戦争や国家的暴力のなかで「誰が置き去りにされたか」を忘れないための記録であり、追悼であり、叫びである。
4. 歌詞の考察
「The Wheel」は、“歴史は繰り返す”という言葉の冷酷な真実を、音楽という形で具現化した楽曲である。
「車輪(wheel)」という象徴は、ただ時が回るということではなく、“暴力のループ”や“無関心の連鎖”をも意味している。
Harveyが執拗に繰り返す数字と問いかけは、リスナーを“加害的な傍観者”にさえ変えてしまう強度を持っている。
また、ここで彼女が用いているのは情緒的な嘆きではない。
むしろ冷静に、しかし容赦なく、「あなたはこの状況を見過ごしていないか」と問う。
「Where is my son?」「Where is my daughter?」というパーソナルな言葉が挿入されることで、それは単なる“他人事”ではなくなる。
リスナーは、自分の身近にいたはずの誰か、気づけば消えていた声なき存在について、思いを馳せざるを得ない。
PJ Harveyはこの曲で、音楽がいかにして政治的・記録的でありうるかを示すと同時に、私たちの感性そのものに「責任」という火種を投げかけている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Let England Shake by PJ Harvey
同アルバムの冒頭曲で、国土と戦争、記憶の揺らぎを詩的に描く。 - The Words That Maketh Murder by PJ Harvey
外交の無力と戦争の不条理を鋭く風刺した同作収録曲。音の明るさと歌詞の暗さの対比が鮮烈。 - Hollow Point by Chris Wood
ロンドン地下鉄での警察による射殺事件をテーマにした現代フォーク。記憶と記録の倫理を問う。 - The Partisan by Leonard Cohen
レジスタンスをテーマにしたフォークソング。歴史と個人の境界を曖昧にする構造が共通する。 - Warszawa by David Bowie
ポーランドの都市をテーマにしたインストゥルメンタルで、戦争後の静けさが音に宿る。
6. “見えない犠牲”への歌 ― 歴史の輪を止めるために
「The Wheel」は、PJ Harveyというアーティストが、自分の言葉と音を使って“歴史の声にならない部分”を語る試みである。
歌詞で明確に描かれる“子どもたちの不在”は、決して抽象的ではなく、Harveyが現地を歩き、自らの目で見て、心で感じたことに基づいている。
その実感の重みがあるからこそ、この曲は政治的でありながら説教臭くならず、逆にリスナーの心のどこかをそっと突き刺してくる。
「The Wheel」は、ただ過去を振り返るための歌ではない。
それは、「今、何が失われつつあるのか」「誰が輪の外に押し出されているのか」を、私たち自身に問うための音楽なのだ。
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