アルバムレビュー:The Hope Six Demolition Project by PJ Harvey

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発売日: 2016年4月15日
ジャンル: アートロック、ポストパンク、ドキュメンタリー・ロック


その目で見たものを、そのまま歌う——PJ Harveyが現地の“声”を写し取った音の報道

2016年にリリースされたThe Hope Six Demolition Projectは、PJ Harveyが報道者=観察者としての立場から“世界を記録した”アルバムである。
彼女は本作に向けて、ジャーナリストのSeamus Murphy(シェイマス・マーフィー)と共にコソボ、アフガニスタン、ワシントンD.C.などを訪問。
現地で見たこと、聞いたこと、匂い、違和感、空気の重さ——そうした“体感された現実”がそのまま詩と音になっている

アルバムタイトルの「Hope Six」は、アメリカ・ワシントンD.C.で行われた公営住宅の再開発計画(HOPE VI)に由来する。
貧困地域を“再生”するという名目で住人を排除するこの政策に、Harveyは政治的・倫理的な問いを突きつける。

ここで彼女は怒りや批判を直接的に叫ぶのではなく、“その場にいた目撃者”として、言葉とリズムを通じて現実を“転写”する
その冷たさと静けさが、かえって強烈なメッセージとして響くのだ。


全曲レビュー:

1. The Community of Hope

軽快なロックに乗せて歌われるのは、ワシントンD.C.南東部の現実。
「ここには希望の共同体なんてない」と語る歌詞は皮肉と現場の声に満ちている。
地元の政治家から批判を受けたことでも話題に。

2. The Ministry of Defence

アフガニスタン・カブールの廃墟を歩きながら見たものを列挙していく。
「塵、煙草の吸い殻、女児の髪飾り、死体の記憶」——断片の連続が詩として機能する。
軍歌のような重いビートが、聴き手を“現場”に引きずり込む。

3. A Line in the Sand

戦場で引かれる“境界線”を描いたナンバー。
政治の言葉と兵士の声、曖昧な正義と確信のない戦いが交錯する。
不安定なテンポが、リアルな揺らぎを演出する。

4. Chain of Keys

コソボの老人女性をモデルにした曲。
彼女が握りしめる“鍵の束”は、帰れない故郷と記憶を象徴する。
民謡のような旋律が、土地に根差した感情を丁寧にすくい取る。

5. River Anacostia

ワシントンD.C.を流れるアナコスティア川を舞台に、死と再生、都市と自然の対話を描く。
ゴスペル風のコーラスが祈りのように響くスロウ・ナンバー。

6. Near the Memorials to Vietnam and Lincoln

観光地化した“記憶”と、そこに浮かぶ現代の影を描写。
ベンチで眠るホームレスや、無関心な観光客の姿が、“記念碑”の意味を問い直す。

7. The Orange Monkey

アフガニスタンの旅路を通じて描かれた、寓話的なナンバー。
オレンジの猿という象徴的存在が、不在と再生の境界を曖昧にする。

8. Medicinals

先住民族の知識と、それを忘却してきた白人文化への批評が込められた一曲。
植物と土地の関係を通して、人間の忘却と回復がテーマとなる。

9. The Ministry of Social Affairs

再び政府機関の名前を冠しつつ、実際にはホームレスや薬物依存者、社会の周縁を描写。
女性の声がリフレインのように刻まれ、冷たい街の断片が浮かび上がる。

10. The Wheel

アルバムの核となるトラック。
「28人の子供が消えた」というフレーズが繰り返され、戦争とその影を象徴的に歌う。
終盤にかけて加速していくリズムが、抗えぬ時間の流れと喪失の暴力を象徴する。

11. Dollar, Dollar

アルバムの幕引きを担う、囁くような祈り。
物乞いの少年の声がテーマであり、ハーヴィーはその存在を“詩”ではなく“そのままの現実”として描く。
一つの旋律にさえならないような、言葉の残響が続く。


総評:

The Hope Six Demolition Projectは、PJ Harveyがアーティストから“記録者=フィールドワーカー”へと変貌した瞬間を示す作品である。

このアルバムには、感情的な高ぶりや個人的な吐露はない。
その代わりにあるのは、目撃し、聴き、考え、記述するという“詩のジャーナリズム”である。

Harveyはこの作品で“世界を救う”ことを目的としない。
むしろ、誰も見ようとしない場所を照らすだけで、それが十分だと言わんばかりだ。
その冷静さが、かえって世界の痛みを鋭く響かせてくる。


おすすめアルバム:

  • Laurie Anderson / Homeland
     政治と詩が交差する、ポストモダンな音の報道。
  • Nick Cave & the Bad Seeds / Skeleton Tree
     個人的喪失と普遍的痛みを淡々と描く、語りの傑作。
  • Gillian Welch / The Harrow & the Harvest
     現代社会の影をアメリカーナの視点で掘り下げたフォーク作品。
  • Anohni / Hopelessness
     政治的メッセージをポップとエレクトロニカで包んだ、破壊と救済のアルバム。
  • PJ Harvey / Let England Shake
     本作の姉妹作として、“国家”と“戦争”を扱った詩と戦場の交差点。

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