※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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The Beatlesを語るとき、「革新的」という言葉はあまりにも頻繁に使われる。テープの逆回転、ループ、変則的な編成、インド音楽、オーケストレーション、サウンド・コラージュ。特に1965年の『Rubber Soul』から1967年の『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』に至る時期には、ポップ・グループの録音とは思えないほど大胆な試みが次々に現れた。それでも彼らの音楽は、一部の実験音楽のように聴き手へ専門知識を要求するものにはならなかった。むしろ実験性が増すほど、巨大な大衆音楽として成立していったようにも見える。なぜそんなことが可能だったのか。今回はAlex、Sophie、Marcus、Naomiの4人が、作曲、リズム、録音、歌声、アルバム構成という異なる角度から、その奇妙な両立を考える。
実験の前に、まず「歌」が完成していた
僕はThe Beatlesの実験性を考えるとき、最初から「スタジオを楽器にしたバンド」というところへ行くと少し順序を間違えると思うんです。『Revolver』で何をやっても成立するのは、その前に『A Hard Day’s Night』や『Help!』で、2分半から3分程度の曲をものすごく強く作る技術を身につけていたからでしょう。メロディ、コード進行、ヴァースとブリッジの配置、コーラスへの入り方が身体化されている。その基礎を捨てずに、上に奇妙なものを載せていった。だから聴き手は「変な音だ」と思っても、曲そのものを見失わない。
ただ、「上に載せた」という表現だと、『Revolver』以降については少し控えめすぎる気がします。「Tomorrow Never Knows」なんて、テープ・ループや加工されたヴォーカルを取り除いたら同じ曲とは言いにくい。あそこでは録音技術が装飾ではなく、作曲そのものに入っています。でもAlexの言う基礎は残っていて、面白いのはハーモニーが複雑だから実験的なのではないことです。むしろ一つの和音を中心にしたモーダルな感覚が強く、ドローンと反復が曲を支えている。構造を単純化したぶん、音色を極端にできたとも考えられます。
そこが大事だと思う。「Tomorrow Never Knows」を実験音楽としてだけ説明すると、リズムの強さを見落とすんですよ。リンゴのドラムは反復性が高く、ループ的な感覚があるけれど、身体的な重さを失っていない。テープの音が周囲を飛び回っても、中央には非常に明確なパルスがある。ヒップホップ以降の耳で聴くと分かりやすくて、情報量の多いサンプルや音響を受け止めるには、むしろ強固な反復が必要な場合がある。The Beatlesは1966年の時点で、結果的にそれに近いバランスを作っていた。
それに、「歌」という言葉をメロディだけに限定しない方がいいでしょうね。The Beatlesは声が非常に識別しやすい。どれほどアレンジが変わっても、John、Paul、Georgeの声が入った瞬間に、人間の身体が音の中心に戻ってくる。「Eleanor Rigby」はロック・バンドらしいギター、ベース、ドラムを使わず弦楽八重奏を前面に出すけれど、聴き手には前衛作品というより強烈なポップ・ソングとして届く。Paulのヴォーカルと物語が入口として明確だからです。
そう考えると、『Revolver』の凄さは「難しいことを分かりやすくした」というより、曲ごとに何を複雑にして何を単純にするかを選んでいることかもしれない。「Eleanor Rigby」なら編成は異例だけれど曲は短く、人物と場面がはっきりしている。「Tomorrow Never Knows」なら音響は異様だけれど反復は強い。「I’m Only Sleeping」なら逆回転ギターが出てくるけれど、Johnのメロディ自体には親密さがある。全部を同時に難しくしないんですよ。
そう。実験的な作品が難解になる典型的な理由の一つは、音色、形式、リズム、ハーモニー、演奏法のすべてで同時に足場を外すことです。The Beatlesはかなり大胆なことをしていても、どこか一つに手すりを残す。その手すりがメロディの場合もあれば、ビートの場合も、歌詞の情景の場合もある。この設計感覚は、彼らの大衆性を考えるうえでかなり核心に近いと思います。
「Tomorrow Never Knows」は本当に難しい曲なのか
さっきから出ている「Tomorrow Never Knows」をもう少し掘りたい。歴史を知っている僕たちは、テープ・ループ、Leslieを通したヴォーカル、インド音楽的なドローンといった制作技法を知っているから「前衛的な曲」として聴く。でも何も知らない人に聴かせたら、意外に直感的だと思うんです。ドラムが始まった瞬間にグルーヴが提示され、その上で同じ場所をぐるぐる回る。展開を追いかけるというより、音の中へ入っていく曲でしょう。
まさにそうで、あれは「複雑」と「異質」を区別するのに最適な例です。音は異質だけれど、構造は必ずしも複雑ではない。1966年4月に『Revolver』のセッションが始まったとき、最初に録音されたのがこの曲だったというのも象徴的です。複数のテープ・ループをリアルタイムで出し入れし、ヴォーカルの質感も変える。通常のバンド演奏を忠実に記録するという発想からは大きく離れているのに、出来上がった音楽には強烈な中心があります。
僕が面白いと思うのは、ギター・バンドなのにギターが曲のアイデンティティを独占していないことですね。普通なら1966年のロック・バンドが新しいサウンドを作ると言えば、新しいギター・トーンやフィードバックへ行きそうでしょう。でもここではテープ、ドローン、ドラム、声が同じくらい重要になる。逆回転のギターも「ギター・ソロを聴かせる」ためではなく、何の楽器か一瞬分からない音として機能している。ロックの編成を守るより、レコードとして必要な音を選んでいる。
それでも曲が冷たい技術展示にならないのは、Johnの歌い方が非常に重要だと思います。歌詞の内容は日常的なラヴ・ソングから遠く離れているけれど、ヴォーカルには呪文のような反復性がある。意味を逐語的に理解しなくても、声の響きによって曲へ入れるんです。これはサイケデリック文化全体にも関係するけれど、The Beatlesの場合、知的な説明を読まなくてもまず音として成立している。そこが専門家だけの音楽にならなかった理由でしょう。
そしてポップとして考えるなら、3分弱で終わることも無視できない。もし同じ素材を15分展開したら、聴取体験はかなり違ったはずです。The Beatlesは新しい音を発見すると、それを延々と説明しない。「ほら、こんなこともできる」と提示したところで曲が終わる。その短さによって、前衛的なアイデアがフックになるんですよ。これは彼らのキャリア全体にかなり一貫している。
「音響的な発明をフックとして使う」というのはいい表現ですね。普通、フックというと歌のメロディを考えるけれど、「Tomorrow Never Knows」では奇妙なテープ音そのものが記憶に残る。後の電子音楽なら、そのテクスチャーを曲全体の主題としてもっと長く展開するでしょう。The Beatlesはそれをポップの時間感覚へ圧縮した。実験を小さくしたのではなく、濃縮したんです。
『Revolver』は実験作なのに、なぜアルバム全体が重くならないのか
『Revolver』を一曲単位ではなくアルバムとして見ると、もう一つ理由が見えてきます。「Taxman」のあとに「Eleanor Rigby」が来て、その次が「I’m Only Sleeping」。さらに「Love You To」「Here, There and Everywhere」「Yellow Submarine」と続く。統一されたサウンドを延々と深めるアルバムではなく、次の曲で前の曲の空気を壊していくんです。だから実験性が閉塞感にならない。
僕はそこが『Sgt. Pepper』以上に『Revolver』を好きな理由でもあります。アルバムとして一つの世界を作るより、「この曲ならこの方法」という判断が露骨なんですよ。「And Your Bird Can Sing」ではツイン・ギターの線が前へ出るし、「For No One」ではずっと抑制されている。「Got to Get You into My Life」はブラスが推進力になる。同じバンドが全部を同じ音に染めないから、実験がスタイルではなく問題解決として聞こえる。
しかも「Yellow Submarine」が入っているのはかなり大きいと思う。今では子どもでも歌える曲というイメージが強いけれど、アルバムの配置として見ると、かなり大胆です。「Love You To」でインド音楽へ大きく踏み込んだあとに「Here, There and Everywhere」の繊細なポップがあり、そのあと全員で歌えるような「Yellow Submarine」が来る。前衛性を格付けに使っていないんですよ。「難しい曲の方が上」という価値観がない。
それは制作面にも感じます。スタジオで高度な処理をしているからといって、その痕跡を必ず聴き手に意識させる必要がない。「I’m Only Sleeping」の逆回転ギターは技術を知らなくても、眠りと覚醒の中間のような感覚として聞こえる。つまり技法がコンセプトと結びついているんです。逆回転だから凄いのではなく、逆回転が曲の感情を説明している。この順序が逆になると、途端に実験のための実験になってしまう。
そうなんですよ。ギターを逆回転させること自体なら、後から誰でも真似できる。でも「I’m Only Sleeping」で重要なのは、音が吸い込まれたり戻ったりする感じが、Johnの気だるいヴォーカルと合っていることです。エフェクトが曲の外側から「1966年の最新技術です」と主張してこない。だから技術が古くなっても曲が古びにくい。
そしてアルバム全体が「実験すること」をテーマにしていないのも大きいでしょうね。孤独な人物の歌もあれば、恋愛も、税金への苛立ちも、眠っていたいという歌もある。聴き手は前衛芸術の展覧会へ入場するような態度を求められない。日常的な感情と奇妙な音が同じレコードの中に共存している。その雑多さ自体がポップ的なんです。
メロディが実験を「翻訳」していた
The Beatlesの大衆性について話すなら、結局Paulのメロディ感覚は避けられないと思います。ただ、Paulだけがメロディ担当だったという単純な話ではない。Johnも「Strawberry Fields Forever」のように非常に強い旋律を書くし、Georgeも後期には独自のものを作る。ただPaulは、かなり変わったハーモニーやアレンジを使っても、聴き手が一回で持ち帰れる輪郭を作る能力が異常に高い。「Penny Lane」はその典型でしょう。
「Penny Lane」は音を細かく聴くと、かなり情報量が多いんですよね。ピアノを基礎にしながらさまざまな音色が積み重なり、ピッコロ・トランペットまで出てくる。でも聴取体験としては混乱しない。それぞれの音が同時に自己主張するのではなく、曲の特定の瞬間を着色するように配置されているからです。オーケストレーションが巨大な壁になるのではなく、場面転換の照明に近い。
しかも歌詞が街の具体的な光景を次々に見せるので、その音色の変化を受け止める物語的な枠がある。「Penny Lane」はある意味で非常に映画的です。人物が現れ、場所が変わり、日常の細部が少し非現実的に見えてくる。だからアレンジの変化も「今度は何をやり始めたんだ」とは感じにくく、景色が切り替わったように聞こえる。実験を物語の中に隠しているとも言える。
そこで僕は「翻訳」という言葉が重要だと思う。彼らは前衛的な手法をそのまま大衆へ持ってきたわけではなく、自分たちのソングライティングの文法へ翻訳している。インド音楽でもテープ音楽でもクラシックでも同じで、元の文化や技法を丸ごと再現するのではない。そこには当然、単純化も変形もある。でもポップという形式は、そもそも異なるものを短い時間の中で接続する文化でもあるでしょう。
だからThe Beatlesを「何を最初にやったか」だけで評価すると、本質から少し離れるんですよね。個々の技法には先例があるものが多い。彼らの強みは、それまで別々の場所に存在していたアイデアを、数分の曲として普通に聴ける形へ変換する能力だった。発明家というより、ものすごく優秀な編集者でもあったと思います。
しかも編集した結果、元の要素が薄まるとは限らない。「Tomorrow Never Knows」はポップへ翻訳されたから穏当になったわけではなく、今聴いてもかなり奇妙です。奇妙さを保存したまま入口だけを広くする。それができるのは、メロディ、声、反復、曲の長さといった別の要素が、聴き手を支えているからでしょう。
「Strawberry Fields Forever」──複雑な制作過程を聴かせない技術
「Strawberry Fields Forever」は、この話の極端な例でしょう。Johnが異なる二つのテイクの前半と後半をつなげたいと望み、キーやテンポの異なる録音を速度調整によって接続したことは有名です。でも普通に聴いていて、「ここから技術的に困難な編集が始まります」とは感じない。むしろ後半へ進むにつれて世界が少しずつ歪んでいくように聞こえる。制作上の問題解決が、そのまま曲の心理的な変化になっています。
あの曲は歌詞と音像の関係も絶妙ですよね。Liverpoolの幼少期の記憶に結びついた場所から出発しているのに、単純なノスタルジーにはならない。記憶そのものが不確かで、現実と夢の境界が曖昧になっていくような感覚がある。だから録音の人工性がむしろ内容に合っているんです。自然な演奏を録音した方が「誠実」で、編集した音は「人工的」という二分法が、この曲では意味を失っている。
それでもフックは非常に強い。タイトルの言葉が繰り返されるたびに曲の中心へ戻れるし、Johnの声も加工されながら人間味を失っていない。僕はここにThe Beatlesの大衆性のかなり大きな秘密があると思うんです。聴き手が曲の構造を分析できなくても、「帰ってくる場所」が分かる。優れたグルーヴにも同じことがあって、周囲で複雑なことが起きても、身体が帰る地点があれば迷子にならない。
ただ僕は、「Strawberry Fields Forever」はかなり難解な側まで行っていると思いますよ。「Penny Lane」と並べると特にそう感じる。同じLiverpoolの記憶を扱いながら、Paulは街を外から眺めるように具体的な人物や景色を描き、Johnは記憶の内部へ沈んでいく。だからこの2曲がダブルA面だったこと自体、The Beatlesの実験性と大衆性を考えるうえで象徴的です。一方がもう一方を薄めるのではなく、二種類のポップが並んでいる。
その対比は本当に面白い。しかも「分かりやすいPaul、難しいJohn」と固定すると実態を取り逃がします。「Penny Lane」の音楽的な設計は相当に洗練されているし、「Strawberry Fields Forever」には子どもでも覚えられるタイトル・フレーズがある。二人とも複雑さと単純さを持っていて、その配合が違うだけなんです。
そしてGeorge Martinやエンジニアを含めた制作チームが、その配合を録音物として成立させた。The Beatlesの革新性を4人だけの天才物語にすると、ここも見えなくなります。アイデアを「録音可能な方法」に変換する人がいて、その制約の中で工夫する。むしろ当時の限られたトラック数やテープ編集の不自由さが、無限に音を足すのではなく、何を残すか決める編集意識につながった面もあるでしょう。
『Sgt. Pepper』は「コンセプト」より曲が強かった
『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』については、後世の評価が少しアルバムの「コンセプト」に引っ張られすぎた気もします。架空のバンドとして登場するという枠組みはもちろん面白い。でもアルバム全編が一つの物語を厳密に語っているわけではない。「Lucy in the Sky with Diamonds」「She’s Leaving Home」「Within You Without You」「When I’m Sixty-Four」は、それぞれかなり別の世界でしょう。統一性があるように見せながら、実際には多様性を許している。
そこは重要ですね。本当に厳密なコンセプト・アルバムなら、聴き手は設定やストーリーを追わないと作品を理解できない場合がある。でも『Sgt. Pepper』は個々の曲だけでも成立する。つまりアルバムという大きな実験をしながら、シングル文化で鍛えた「一曲ごとの強度」を手放していないんです。アルバム志向とポップ志向が対立していない。
僕はむしろ『Sgt. Pepper』で少し危ういところまで行ったと思うんです。音を作り込み、曲ごとに衣装を着せていく方法が強くなりすぎると、バンドの演奏そのものは後ろへ下がる。その意味では『Revolver』の方が僕にはバランスがいい。ただ、それでも「Getting Better」や「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band」にはロック・バンドとしての押し出しがあるから、アルバム全体が精巧なミニチュアのようにはならない。
私は逆に、その「作り物であること」を前面に出したところが『Sgt. Pepper』の面白さだと思います。録音をライブ演奏の再現から解放して、存在しない演奏空間を作っている。「Being for the Benefit of Mr. Kite!」なんて特に、現実のバンドがステージ上でそのまま鳴らしている風景を想像する必要がない。レコードの中にだけ存在する空間です。でも各曲の尺やヴォーカルの明快さがポップのスケールに留めている。
そしてジャケットや衣装を含め、難しい理論を知らなくても「何かが変わった」と一目で理解できる提示の仕方だった。ここは音楽だけでは説明できません。実験性を文化的なイベントとして見せる力があったんです。前衛芸術では、作品へ入るために文脈を学ばなければならないことがあるけれど、『Sgt. Pepper』は逆に、視覚からでもメロディからでもキャラクターからでも入れる。入口が多い。
だから大衆性を「簡単なもの」と考えない方がいいんですよ。大衆性とは、異なる背景を持つ人が別々の入口から同じ作品へアクセスできることでもある。子どもは音色やメロディで入れるし、ミュージシャンはコードや録音を分析できる。1967年の文化史から読むこともできる。その階層性があるから、表面は開かれているのに、何十年も掘れる作品になった。
それでもThe Beatlesには「難解すぎる」瞬間があった
ここまで話すとThe Beatlesが完璧にバランスを管理していたように聞こえるけれど、「Revolution 9」は明らかに例外でしょう。『The Beatles』、いわゆるホワイト・アルバムに8分を超えるサウンド・コラージュを入れた。声、効果音、テープ、断片的な音楽が衝突していて、通常のポップ・ソングの手すりはほとんどない。あれまで「大衆的だから成立する」と説明すると無理があると思います。
同意します。「Revolution 9」は、むしろ彼らが普段どれほど手すりを残していたかを逆に示す作品です。明確なビートも通常の歌唱も、ヴァースとコーラスもない。ミュジーク・コンクレートや前衛音楽との接点が非常に直接的で、聴き手は「曲を聴く」という態度自体を変える必要がある。だからアルバムの中でも突出して異物に聞こえるんです。
僕は正直、単体で頻繁に聴きたい作品ではないです。でもホワイト・アルバムに存在することには意味があると思う。あのアルバム自体、「Back in the U.S.S.R.」から「Blackbird」「Helter Skelter」「Good Night」まで、統一を拒否するような作品でしょう。その極端な振幅の一端として「Revolution 9」がある。The Beatlesがいつも実験を親切にポップへ翻訳していたわけではないと分かるのも重要です。
しかも、それを巨大な人気グループのアルバムに入れたこと自体が文化的には面白い。普段なら前衛芸術へ接触しない聴き手の家に、サウンド・コラージュが届いてしまうわけですから。ただし「だから大衆的な作品だ」と言う必要はないでしょう。The Beatlesには、聴き手を置いていく瞬間もあった。そのリスクを取れたことと、普段は入口を残したことの両方を見るべきです。
そう考えると、「革新的なのに難解にならなかった」という問いの答えは、「難解になることを避け続けたから」ではないんですよね。必要なら難解なものも出した。ただ、それを唯一の進歩だとは考えなかった。「Revolution 9」を作ったバンドが同じアルバムで「Ob-La-Di, Ob-La-Da」も「Birthday」もやる。前衛へ進むことを一本道の進化として扱わないところが、むしろThe Beatlesらしい。
4人の違いが「難解さ」を分散させた
ここまで制作技術の話が多かったけれど、もっと単純に、4人いることも大きいと思います。Johnが内省的で奇妙な方向へ行ったとき、Paulが別のタイプの曲を持ってくる。Georgeはインド音楽への関心を深め、Ringoの歌う曲はアルバムに別の温度を入れる。一人の作家が一つの美学を突き詰める作品とは、根本的に違うんです。
ただ、John=実験、Paul=大衆という図式にはしたくないですね。Paul自身がテープ・ループや電子音楽に強い関心を持っていたし、「Eleanor Rigby」のように従来のロック編成から離れた曲もある。一方Johnには「All You Need Is Love」のように極端に共有しやすいフレーズを作る能力がある。違いは実験する人としない人ではなく、何をポップだと感じるかの違いだったと思います。
その複数性が、結果的に自己修正機能になっていたのかもしれない。誰か一人の趣味がアルバム全体を覆い尽くさないから、極端なアイデアの隣に別の感覚が置かれる。さらにGeorge Martinという別世代の音楽家がいて、エンジニアリング側にも専門家がいる。スタジオは一人の天才が命令する場所というより、異なる言語を持つ人たちが翻訳し合う場所になっていた。
僕はRingoの役割もそこに入れたい。The Beatlesの複雑な時期の曲でも、ドラムが必要以上に演奏の難度を誇示しないんです。曲の奇妙なアクセントを受け止めながら、聴き手には身体的な流れを残す。「A Day in the Life」のフィルはかなり特徴的だけれど、技巧の展示ではなく曲の巨大な空間をつなぐ役割になっている。実験的な作曲を、演奏側がさらに複雑にしすぎない。
それはギターにも言えると思う。George Harrisonは派手な速弾きで新しさを証明するタイプではないし、必要なら数音だけで仕事をする。後期になるほどThe Beatlesは音数を増やしているように見えるけれど、一つ一つのパートは意外に整理されていることが多い。「Something」なんて後期の洗練された曲だけれど、各楽器が曲を押し潰さない。革新性と演奏の複雑さは別なんですよ。
最高傑作を選ぶなら──実験と大衆性が最も均衡した作品
今回のテーマだけで最高傑作を選ぶなら、私は『Revolver』です。「Tomorrow Never Knows」だけでなく、「I’m Only Sleeping」「Love You To」「Eleanor Rigby」と、従来のバンド像を複数の方向から崩しているのに、「Here, There and Everywhere」や「For No One」のような非常に精密なソングライティングもある。しかも実験がまだ一つの壮大なコンセプトに統合されていない。その未整理な多様性が、逆にアルバムを開かれたものにしています。
私は『Sgt. Pepper』を選びます。純粋に曲だけなら『Revolver』を好む瞬間もあるけれど、実験を「一部の音楽好きが気づく録音技術」から大衆文化の出来事へ拡張した点は大きい。音、ジャケット、衣装、架空のバンドという設定まで含めて、ポップ・グループが自分たちの世界そのものを設計できると示した。それなのに「With a Little Help from My Friends」のような、誰でも口ずさめる曲が中心近くにある。この落差こそ今回のテーマでしょう。
僕も『Revolver』ですね。理由は少し違って、まだ4人がバンドとして鳴っている感触と、スタジオでしか作れない音の境界にいるからです。前半のThe Beatlesへ戻る道も見えるし、『Sgt. Pepper』以降へ進む道も見える。その交差点だから、「革新的」という言葉が録音技術だけに偏らない。曲、演奏、音色、アレンジの全部が少しずつ更新されている。
僕は『The Beatles』を挙げたい。完成度や統一感なら『Revolver』の方が上かもしれないけれど、彼らが大衆性を失わずにどこまで振幅を広げられたかを見るならホワイト・アルバムです。「Blackbird」のような裸に近い曲から「Helter Skelter」、さらに「Revolution 9」まで同じ作品に入る。両立というより共存ですね。全部を一つの美学へ整えなくてもThe Beatlesとして成立してしまう。その段階まで来たことが凄い。
初心者向け、1曲だけ、そして過小評価された一曲
初めてアルバム単位で聴く人には、やはり『Revolver』を勧めたいですね。初期の勢いだけでも後期の壮大さだけでもなく、The Beatlesが「優れたソングライター集団」から「録音という媒体そのものを使うグループ」へ変わっていく瞬間が一枚で分かる。それでいて曲が短く、次々に景色が変わるので重くない。歴史的意義を勉強してから聴く必要もありません。
1曲だけなら僕は「A Day in the Life」です。Johnの夢のようなパートとPaulの日常的なパートが同居し、オーケストラの巨大な上昇がその二つを接続する。構造だけ説明すると相当に変なのに、聴けば一本の曲として理解できるんですよ。しかも最後のピアノ・コードまで含めて、音響的な出来事とソングライティングが分離できない。今回話してきた「奇妙さを消さずに入口を作る」という能力が凝縮されています。
私は1曲なら「Strawberry Fields Forever」ですね。「Tomorrow Never Knows」の方が録音技法として急進的だけれど、「Strawberry Fields Forever」は技術が感情へ変換される瞬間がより鮮明です。テープ速度や編集について何も知らなくても、曲の途中から時間感覚がおかしくなっていくように感じる。その後で制作方法を知ると、聞こえていた感覚に技術的な理由があったと分かる。知識が作品への入場券ではなく、二回目の扉になるんです。
過小評価という意味では「Rain」を挙げたい。1966年の「Paperback Writer」のB面ですが、『Revolver』期のThe Beatlesが何を発見していたかが非常によく出ている。リズム・セクションは重く、ギターは曲を埋め尽くさず、ヴォーカルや逆回転処理によって音の時間感覚まで変わる。それでも中心にあるのはすごく強いロック・ソングです。「実験したから曲が面白い」のではなく、曲が強いから実験をかなり遠くまで押し出せる。
その「Rain」は今回の結論にかなり近いかもしれない。新技術を聴き手に理解させようとしていないんですよ。説明されなくてもグルーヴが気持ちいいし、声が残る。後から「実はこう録音されていた」と知ればさらに面白い。優れたポップでは、技術的な複雑さは聴き手の負担ではなく、聴き直す理由になるんです。
そしてそれはThe Beatlesの革新性を「1960年代だから新しかった」で終わらせない理由でもあります。技法そのものはもう新しくない。テープ逆回転もループもピッチ操作も、現在ならラップトップ一台で簡単にできます。それでも曲が残るのは、技法が目的ではなく、曲の時間、感情、人物、身体感覚を変えるために使われていたからでしょう。技術は古くなるけれど、その使い方の判断は古くなりにくい。
対談を終えて
The Beatlesが「革新的」だったにもかかわらず難解になりすぎなかった理由は、実験を控えめにしたからではない。「Tomorrow Never Knows」から「Strawberry Fields Forever」、そして「Revolution 9」まで、彼らは実際にはかなり遠くまで踏み込んでいる。重要なのは、音色を複雑にするときには反復を残し、編成を変えるときにはメロディを強くし、録音を人工化するときには声や物語を中心に置くというように、聴き手の足場をすべて同時には壊さなかったことだ。
さらにJohn、Paul、George、Ringo、George Martin、そしてエンジニアたちの異なる感覚が、一つの方法論への純化を防いだ。The Beatlesにとって実験とは、難しい音楽へ「進歩」することではなく、一曲ごとに別の可能性を試すことだった。そのため「Yellow Submarine」と「Tomorrow Never Knows」が同じアルバムに存在でき、「Penny Lane」と「Strawberry Fields Forever」が一枚のシングルの両面になり得た。彼らの大衆性とは実験性の反対側にあったのではない。奇妙なアイデアをメロディ、声、リズム、短さ、そして編集によって「歌として記憶できる形」に変換する能力そのものが、The Beatlesにとって最も根本的な革新だった。

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