1. 歌詞の概要
「Slide（スライド）」は、L7が1994年にリリースしたアルバム『Hungry for Stink』に収録されたトラックであり、バンドの攻撃性と繊細さが入り混じった、非常に内省的な作品である。L7の音楽といえば、怒りや皮肉、フェミニズム的なメッセージが前面に出ることが多いが、この「Slide」は、その勢いの裏側に潜む“痛み”や“喪失感”がにじむ数少ない楽曲のひとつである。
「Slide」という言葉には、“滑り落ちる”“すり抜ける”“傾いていく”など多義的なニュアンスが含まれており、ここでは特に、精神的なコントロールを失っていく感覚や、感情のバランスを崩していく様子が象徴されている。語り手は明らかに何かを失いかけており、心のどこかで「もう戻れない」ということに気づいている。
L7の重く歪んだギターと粘性のあるテンポが、その“スライドしていく感情”のプロセスを見事に音像化しており、Donita Sparksのボーカルもいつになく抑制されつつも切実さを湛えている。これは叫ぶ曲ではない。沈黙に沈んでいくような、重力のような一曲である。
2. 歌詞のバックグラウンド
『Hungry for Stink』は、L7にとってもっとも“剥き出しの内面”が表出されたアルバムである。前作『Bricks Are Heavy』で得た商業的成功のあと、バンドはよりヘヴィに、より暗く、自分たちの精神状態や周囲への不信感に正面から向き合った。アルバムタイトルの“Stink（悪臭）”も象徴するように、この作品には“綺麗事を拒絶する”強い意思が通底している。
「Slide」は、そんなアルバムのなかでも特に静かに重い存在感を放つ曲であり、L7の作品においては珍しく、激情を爆発させるのではなく、それが内向きに沈殿していくさまが描かれている。Donita Sparksはこの時期、精神的にもかなり不安定で、ツアー疲れや個人的なストレス、業界との軋轢などが重なっていたと言われており、この曲にはそうした疲弊と諦念がそのまま溶け込んでいるようにも思える。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I’ve been lost
And I’ve been sliding
私はずっと迷ってた
そして、少しずつ滑り落ちていってるI’ve been hanging on
Just barely surviving
なんとか持ちこたえてきたけど
生き延びるのが精一杯だったI feel the pull
And I can’t fight it
引きずられる感覚がある
でも、それに抗えないI’m on the edge
And I’m sliding
今、崖っぷちにいて
そのまま滑り落ちそうなんだ
※ 歌詞引用元：Genius – L7 “Slide”
ここで語られるのは、“もう戻れない”と自覚している心の状態だ。焦燥も怒りも通り過ぎ、ただ“滑り落ちていく感覚”だけがある。その冷静さが、逆にとてつもなく怖い。自分がコントロールできない方向へ引きずられていくとき、人はどんな顔をするのか。その沈黙の表情を、Donita Sparksは歌声とともに提示している。
4. 歌詞の考察
「Slide」は、L7というバンドの持つ“暴れるような怒り”とは正反対の表現方法によって、逆にその怒りの“根源”に迫った楽曲である。ここには叫びも爆音もない。ただ、感情が内部で静かに崩れていく音だけが響いている。
語り手は、自分の崖っぷちの状態を冷静に見つめながらも、その崩壊を止めようとはしない。むしろ、「それでもいい」と受け入れているようにも感じられる。そのあきらめにも似た静けさが、この曲に不気味な静謐さを与えている。
このような“内向きの傷”は、L7のカタログの中では異例だが、だからこそ際立つ。暴力や怒声の後ろにある、誰も見ようとしない“抜け殻のような瞬間”――それをL7はあえてここで差し出している。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Down by the Water by PJ Harvey
女性の罪と贖罪を静かに描いた、重く神秘的な名曲。 - Overcome by Tricky
内面の崩壊と呟きのような語りで不安を再構成したトリップホップの名作。 - Clean by Depeche Mode
内なる依存との決別を静かに語る、終末的なエレクトロバラード。 - Creep by Radiohead
自分の価値に対する疑念をぶつける、孤独と共鳴のロック。 - Sullen Girl by Fiona Apple
傷ついた過去と沈黙のなかで立ち尽くす女性の内面世界を描いた傑作。
6. 静かに崩れゆく、怒りの余韻
「Slide」は、L7というバンドの中に確かにあった“傷ついた静けさ”の痕跡である。爆音や挑発では語れないような深い喪失感、それをあえて音楽にすることで、L7はこの曲を“静かな叫び”として私たちの耳に残した。
「もう怒る力も残っていない」――そんなとき、人はどう歌うのか。
「Slide」はその答えのひとつであり、それは決して弱さではなく、「今も、ここにいる」ことの証明なのだ。
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