発売日: 1997年3月24日
ジャンル: ポップ・ロック、ソフィスティ・ポップ、アダルト・コンテンポラリー
概要
『Skyscraping』は、ABCが1997年に発表した7作目のスタジオ・アルバムであり、マーティン・フライ単独体制となった“新生ABC”の第一作である。
1980年代のグラマラスでポップな時代を経て、90年代に入り沈黙を続けていたABCが、実に6年ぶりに発表した本作は、かつての栄光の再現ではなく、深く個人的な再出発を告げる静かな決意表明となっている。
本作は、共同ソングライター／プロデューサーとしてグレン・グレゴリー（Heaven 17）とキース・ロウリー（ex-Durutti Column）が参加。
彼らの参加によって、本作は80年代UKニュー・ウェイヴの知的で洗練された音作りを継承しながらも、90年代後半の空気感に適応した、落ち着いたソフィスティ・ポップに仕上がっている。
アルバム・タイトルの「Skyscraping（超高層）」は、物理的な高さというよりも“理想の追求”や“遠くを見つめる姿勢”のメタファーとして機能している。
これは、メンバーの離脱、病気、音楽業界の変化などを経たマーティン・フライ自身の人生観とも重なる主題であり、全体を通じて誠実で真摯なトーンが貫かれている。
セールス的には大きな成功を収めるには至らなかったが、批評家の間では「ABCの最も誠実で成熟したアルバム」として評価され、根強いファン層からも支持を得ている。
それは、自己再構築の物語としての美しさを湛えた作品なのである。
全曲レビュー
1. Stranger Things
静かに始まるイントロから、やがて壮大なポップ・バラードへと展開する一曲。
「奇妙なものたち」とは、過去の愛、喪失、人生そのものを象徴しているかのようであり、アルバムの幕開けとして完璧である。
2. Ask a Thousand Times
スムーズなシンセとギターが絡むミディアム・ナンバー。
「千回問いかけても、答えは見つからない」——そんな繰り返しの中にこそ、人生のリアリティがあることを歌っている。
3. Skyscraping
タイトル・トラックであり、本作の精神的中心。
大きな夢と、そこに至るまでの孤独や葛藤をテーマにしたポジティブなアンセムで、マーティン・フライの高らかなボーカルが印象的。
4. Who Can I Turn To?
信頼を失った世界の中で、誰に頼れるのかを問う内省的なバラード。
メランコリックなストリングスと淡いピアノが、フライの傷つきやすい歌声を支えている。
5. Rolling Sevens
“セブンの目”が象徴する運命や偶然性をテーマにした、軽快で洒落たポップ・チューン。
ギャンブルと恋愛を掛け合わせた比喩がABCらしい遊び心を感じさせる。
6. Only The Best Will Do
理想と現実のギャップに揺れる感情を描いた曲。
「最高のもの以外はいらない」と繰り返すそのフレーズには、潔さと同時に諦めきれない願望が滲む。
7. Love Is Its Own Reward
前作『Abracadabra』にも収録されていた楽曲の再録版。
より洗練されたアレンジで再提示されており、本作の中でも特に静かな情熱を宿した一曲となっている。
8. Light Years
距離と時間、記憶の中にいる誰かへの思いを描く叙情的なナンバー。
スローなテンポの中に、宇宙的な広がりと個人的な孤独が共存している。
9. Seven Day Weekend
ウィットに富んだタイトルとは裏腹に、現実逃避の危うさや、空虚な快楽に対する警鐘が込められた曲。
華やかなサウンドの中にも内面の空洞が響くようだ。
10. Heaven Knows
“天だけが知っている”というフレーズに込められた運命への諦観と希望。
宗教的な響きを持ちながらも、あくまで個人的な祈りとして響く。
11. Faraway
アルバムのラストを飾るにふさわしい、柔らかく余韻のあるバラード。
遠く離れたものへの思慕が静かに綴られ、アルバム全体を包み込むような優しさが印象的である。
総評
『Skyscraping』は、ABCが自己の過去と真正面から向き合い、それを乗り越えることで新たな地平を切り開こうとしたアルバムである。
きらびやかで虚構的な初期作品と比べると、サウンドも歌詞も遥かに内省的で、地に足のついた印象を受ける。
それは、マーティン・フライが“演じること”よりも“語ること”に重点を置いたからだろう。
共同制作者として迎えたグレン・グレゴリーとキース・ロウリーの存在も、過剰な演出ではなく繊細な音作りへと貢献しており、本作は「成熟したUKポップ」の優れた一例となっている。
“Skyscraping＝天を仰ぐ”という行為は、理想や夢を追い求めると同時に、自らの立ち位置を見つめ直す行為でもある。
そのバランスを見事に音楽化したこのアルバムは、ABCにとって第二の出発点であり、ひとつの完成形とも言えるだろう。
おすすめアルバム（5枚）
- Heaven 17 – Bigger Than America (1996)
グレン・グレゴリーとの共作を通じた音の延長線上にあり、知的ポップの再定義を目指した作品。 - Tears for Fears – Elemental (1993)
中心メンバーの離脱後に制作された内省的アルバムという点で、構造的共通点が多い。 - China Crisis – Warped by Success (1994)
80sニュー・ウェイヴ出身バンドの90年代的成熟作として親和性が高い。 - David Sylvian – Secrets of the Beehive (1987)
詩的なリリックと静謐なサウンドが、本作の美学と重なる部分がある。 -
Prefab Sprout – Andromeda Heights (1997)
同年発表、同様に“夢と現実の間”を描いた洗練されたポップスの名作。
歌詞の深読みと文化的背景
『Skyscraping』の歌詞群には、過去との対話、記憶の再解釈、そして未来へのほのかな希望といったテーマが一貫して存在する。
「Stranger Things」や「Light Years」に見られるように、個人の体験が抽象化され、普遍的な感情へと昇華されている点が特徴的だ。
また、90年代の音楽業界において、MTV的な映像ポップの終焉や、グランジ／ブリットポップへの潮流が強まる中、ABCがこのような“物語的ポップ”を作ったこと自体が、ある種の文化的レジスタンスとも解釈できる。
それは「速さ」と「刺激」を求める時代における、「余韻」と「熟考」の音楽だったのだ。
『Skyscraping』は、ABCという名前に新たな意味を与えた、ポップ・ミュージックにおける静かな再起の記録である。
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