Since K Got Over Me by The Clientele(2005)楽曲解説

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1. 歌詞の概要

「Since K Got Over Me」は、**The Clientele(ザ・クライアンテル)**が2005年にリリースしたアルバム『Strange Geometry』に収録された楽曲であり、バンドの中でもとりわけリリカルでありながら、内省的で残酷な一曲である。

タイトルにある“K”は、語り手がかつて想いを寄せた人物を指している。歌詞全体を通して語られるのは、その“K”に振られた(あるいは忘れ去られた)後の静かな日々と、そこに差し込む記憶の断片と孤独、そして何も変わらない日常の中で滲み出る喪失感である。

この曲の主人公は、過去の恋が終わったことを理解しながらも、それが自身の中に与えた影響の大きさを痛感している。だがそれは感情を爆発させるような悲しみではなく、いつもの街並みに、彼女のいない空白が染み込んでしまったことへの淡い寂しさとして描かれている。心にじわじわと広がる空虚——それを淡いメロディと透明な語り口で描いたのが、この「Since K Got Over Me」なのである。

2. 歌詞のバックグラウンド

The Clienteleは1990年代末から活動を開始したロンドン出身のバンドで、文学的で内省的なリリック、柔らかで霧がかかったようなギターサウンド、ささやくようなヴォーカルによって、ドリームポップ〜ネオアコースティック〜チャンバー・ポップの中間に位置する独自のスタイルを確立してきた。

2005年のアルバム『Strange Geometry』では、それまでのローファイな音作りから一歩進み、より洗練されたアレンジと繊細なストリングス・セクションを導入。本作に収録された「Since K Got Over Me」は、The Clienteleの音楽が持つロマンチックなメランコリーを象徴する楽曲であり、彼らの叙情性と音響感覚が成熟したことを印象づける。

Kというイニシャルだけで語られる“彼女”の存在もまた象徴的で、具体性のない名前が逆に、**誰にでも心当たりがある「過ぎ去ったけれど完全には終わっていない感情」**として、聴く者の記憶と共鳴するように設計されている。

3. 歌詞の抜粋と和訳

September sky / And the air is still”
九月の空 風もなく静かで

“I see the crowds / And I look for you”
人混みの中で 無意識に君の姿を探してしまう

“But I know you’re gone / Since K got over me”
でもわかってるんだ 君はもういない
Kが僕を忘れてから

“And the leaves fall down / And they hit the ground”
木の葉が落ちて 地面に触れたその音だけが響く

“And you don’t come around / Since K got over me”
君はもう この場所には現れない
Kが僕を乗り越えてからは

引用元:Genius

4. 歌詞の考察

この曲の最大の特徴は、痛みをあまりにも穏やかに語ってしまうことにある。喪失や別れの歌であれば、本来はもっと感情的な高まりがあってもいいはずだ。だがこの曲は、何も起こらない日常の中に漂う哀しみこそが、本当のリアルであるということを知っている。

「Since K got over me(Kが僕を忘れてから)」という一節の繰り返しは、諦めにも似た呟きであると同時に、自分自身がまだ“完全には彼女を忘れていない”という皮肉な対比でもある。彼女の中での終わりが、自分の中の終わりにはなっていない。この非対称な感情の切断こそが、胸に残るのだ。

また、歌詞中に描かれる風景——静かな九月の空、落ち葉の音、変わらない街並み——は、すべてが変化のなさの中にある“空白”を象徴している。日常は続いているが、そのどこかにぽっかりと空いた穴がある。その穴の形こそが“K”の不在なのだ。

The Clienteleは、こうした**“空気の中の感情”を音楽で描写することに長けたバンド**であり、その力はこの曲で頂点に達している。聴いていると、まるで自分がかつて失った誰かを、知らぬ間に思い出していることに気づく。感情は語られるのではなく、滲み出るものだという哲学が、この一曲には凝縮されている。

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • Just Like Heaven(The Clienteleカバー)
     The Cureの名曲をより曖昧で美しくカバー。オリジナルとは異なる哀愁が漂う。

  • He War by Cat Power
     失われた愛と沈黙の美学を感じさせる、淡々とした情熱の歌。
  • Don’t Let Our Youth Go to Waste by Galaxie 500
     終わってしまった日々を回想する切なさが、ミニマルな音像に広がる名曲。

  • Waltz #1 by Elliott Smith
     甘さと痛みが混在する、静かで深い愛の喪失を描いた詩的バラード。
  • And I Love Her by The Beatles(またはThe Clientele風アレンジ)
     “過去形になった愛”というテーマの普遍性を、美しい旋律で包んだ永遠の小品。

6. 忘れられた側の静けさ——記憶の余白に咲くメランコリー

「Since K Got Over Me」は、忘れられることの痛みを、怒りや涙ではなく“沈黙”という形で描いた特異なラブソングである。

彼女が自分を乗り越えた——それを知ってしまったときの静かな絶望。
だが、それを責めるでも恨むでもなく、ただ淡く受け入れてしまう感情のあり方。
それこそが、この楽曲が描く世界のリアルさであり、そして何も起こらないことこそが心に残るという、The Clientele特有の音楽哲学である。

「Since K Got Over Me」は、失恋のあとに訪れる日常の淡さと、その淡さの中に潜む深い喪失を、美しく封じ込めた結晶のような一曲である。
それは、忘れられた側の静けさであり、もう二度と交わらない時間の向こう側に立ち尽くす者のための祈りなのだ。

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