
発売日:2018年6月29日
ジャンル:Hip Hop / R&B / Pop Rap
概要
Scorpion はDrakeが2018年に発表した5作目のスタジオ・アルバムである。前作 Views、プレイリスト形式の More Life を経て制作され、全25曲、約90分という大規模な二枚組として登場した。前半の「A Side」はラップを、後半の「B Side」はR&Bや歌を中心にする構成で、Drakeがキャリアを通じて並行させてきた二つのスタイルを形式そのものによって分けている。
制作には長年のパートナーであるNoah “40” Shebibをはじめ、Boi-1da、Tay Keith、No I.D.、DJ Premierらが参加した。低音と広い空間を生かす従来のトロント的なサウンドに加え、トラップ、ソウル・サンプリング、ニューオーリンズ・バウンス、静かなコンテンポラリーR&Bまでを取り込んでいる。「God’s Plan」「Nice for What」「In My Feelings」という巨大なヒットも生まれ、ストリーミング時代のポップ作品として圧倒的な存在感を示した。
同時に、本作には2018年当時のDrakeを取り巻いていた対立や私生活への注目が強く入り込んでいる。成功への警戒、友人や恋人への不信、ラップ界での競争に加え、自分に息子がいることを認める内容も重要な軸となった。成功者としての自信と、他者を信用できない孤立が繰り返し入れ替わるため、長大な作品ながら心理的なトーンにはかなり一貫性がある。
全曲レビュー
1. 「Survival」
短いイントロ的な曲ながら、Drakeは祝勝ムードではなく警戒心からアルバムを始める。重い低音と暗いサンプルの上で、自身の成功や周囲との対立を素早く整理し、現在の立場が安泰ではないことを強調する。題名の「Survival」が示す通り、頂点に立つことより、そこに残り続けるための防御姿勢がA Side全体の入口になる。
2. 「Nonstop」
Tay Keithによる硬いトラップ・ビートをほとんど変化させず反復し、その単調さをDrakeのフロウで動かしていく。低い声で短いフレーズを区切るラップは力を誇示しているが、熱く叫ぶのではなく余裕を演出するタイプだ。成功が止まらないという内容と、機械のように一定のビートがよく一致しており、最小限の材料で巨大な曲を作っている。
3. 「Elevate」
上昇し続けるキャリアを扱いながら、成功の喜びより責任や疲労を強く感じさせる。Drakeは自分だけでなく周囲の人間まで支える立場を語り、地位が高くなるほど負担も増えるという構図を作る。トラックは声の周囲に広い空間を残し、派手な装飾を避けることで言葉を前へ出す。「Nonstop」の誇示を少し内向きに言い換えた曲である。
4. 「Emotionless」
Mariah Carey「Emotions」のライブ音源を加工したサンプルが高く響き、その下でDrakeが落ち着いたラップを続ける。華やかな声のループと冷静な語りの対比が特徴で、SNS時代の人間関係や他人から見える自分と実生活の差へ視線を向ける。ここでは息子の存在を隠していたという批判にも応答し、「子供を世界から隠したのではなく、世界から子供を守った」という趣旨で自身の立場を説明している。
5. 「God’s Plan」
柔らかなシンセと控えめなトラップ・ビートによって、ラップ曲でありながら非常に開放的な空間を作る。Drakeは成功を自分一人の能力だけで説明せず、運命や神の計画という考えへ結びつける一方、周囲から向けられる敵意にも触れる。歌とラップの境界を曖昧にしたフロウと簡潔なフックによって、内輪のヒップホップ的な誇示を広いポップ・ソングへ変換した代表曲だ。
6. 「I’m Upset」
低く不穏なビートに合わせ、怒りを爆発させるのではなく、むしろ疲れた声で不満を並べる。その抑制された態度によって、題名ほど感情的な曲には聞こえず、成功後も金銭や人間関係の問題から逃れられない倦怠感が残る。劇的なサビを用意しない構成も含め、Drakeが持つ「大物なのに常に不機嫌」という人物像を極端な形で押し出している。
7. 「8 Out of 10」
ソウル系のサンプルを軸にしたビートの上で、Drakeがラッパーとしての評価や競争へ正面から向き合う。タイトルには他人から付けられる点数を茶化すような響きがあり、外部の評価を気にしない態度と、実際には強く意識している様子が同居する。攻撃的な内容でも声を荒らげず、言葉の間を大きく取ることで余裕を示すのがDrakeらしい。
8. 「Mob Ties」
陰のあるトラップ・プロダクションに、メロディを強く付けたフロウを乗せる。危険な人脈を持つという威嚇を中心にした曲だが、Drakeの歌い方にはラップとR&Bの中間的な滑らかさがあり、内容の物騒さと耳当たりの良さが奇妙に共存する。A Sideの中でも特に現代的なトラップへ接近しながら、自分の声の特徴を失っていない。
9. 「Can’t Take a Joke」
細かく動くハイハットと重い低音を使い、緊張を途切れさせず進む。Drakeは自分の発言や行動を周囲が過剰に受け取ることへの苛立ちを語り、有名人として常に監視される状態を攻撃的なユーモアへ変える。短い曲の中でフロウを細かく切り替えるため、比較的均一な音色が続くA Sideに速度の変化を加えている。
10. 「Sandra’s Rose」
DJ Premierのプロダクションによる、ソウルフルなサンプルを中心とした一曲。タイトルのSandraはDrakeの母を指し、自分を「Sandraのバラ」と捉えながら家族、成功、競争を結びつけていく。トラップ的な音響から離れ、サンプルとラップを正面から組み合わせたことで、Drakeの言葉そのものが聞こえやすい。ヒップホップの伝統的な作法と現在のスターとしての自己像が交差する曲だ。
11. 「Talk Up」
Jay-Zを迎え、No I.D.による荒く反復するビートの上で二人がラップする。装飾を抑えたトラックは声の存在感を強調し、Drakeも歌へ逃げずに短いラインを積み重ねる。Jay-Zの登場によって世代の異なる巨大スターが並ぶ構図になるが、豪華さを音で過剰に演出しないところが特徴だ。A Side終盤でヒップホップ・アルバムとしての輪郭を改めて強くする。
12. 「Is There More」
A Sideの最後で、成功の先に本当に何かがあるのかを問い始める。ここまで富や地位を繰り返し語ってきた人物が、それだけでは満たされない可能性へ目を向けるため、タイトルの疑問が前半全体への自己批評にも聞こえる。ビートは暗く抑えられ、勝利を祝う終わり方を避ける。そのまま恋愛と孤独を中心にしたB Sideへ進むための橋になっている。
13. 「Peak」
B Sideは一気に音量を下げ、深夜のR&Bへ移る。Drakeはラップより歌を中心にし、関係が頂点を越えて変化していく感覚を静かに追う。女性の会話音声を含む断片的な構成も、整った物語より記憶や会話の一部を覗いているような距離を作る。A Sideの公的なスター像から、私的な人間関係へ視点を切り替える曲だ。
14. 「Summer Games」
冷たいシンセと電子的なビートを使い、1980年代的なシンセポップにも近い色を出す。夏の恋愛を扱いながら、開放的な思い出よりSNSを介した駆け引きや感情の不一致が中心で、明るい季節感とのずれが大きい。Drakeの細い歌声を電子音の中へ溶かすことで、親密な題材なのにどこか人工的で距離のある雰囲気を作っている。
15. 「Jaded」
関係が壊れていく中で、相手が自分から離れて別の場所へ進むことへの未練を描く。40らしい広い余白を持つR&Bプロダクションの中で、Drakeは声を張らず、フレーズの終わりを曖昧に崩していく。相手を責める言葉と自分の傷つきを同時に出すため、語り手が完全な被害者とは聞こえない。その不安定さがB Sideの恋愛描写を支えている。
16. 「Nice for What」
Lauryn Hill「Ex-Factor」を大胆に切り刻んだサンプルとニューオーリンズ・バウンス由来の高速なリズムを組み合わせる。Drakeは女性に対し、他人の期待に合わせて「nice」でいる必要はないと語り、軽快なビートとともに自己決定を祝う。サンプルのソウルフルな声、細かく跳ねるドラム、短いラップが絶えず交差するため、アルバム中でも特に情報量が多く、それでいて即効性の高いポップになっている。
17. 「Finesse」
「Nice for What」の爆発的な動きから再び静かなR&Bへ戻る。Drakeは惹かれている相手との関係を慎重に測りながら、自分の感情をどこまで表へ出すべきか迷う。低いビートと柔らかな鍵盤が声の周囲に空間を作り、言葉が独白のように近く聞こえる。B Sideではこうした小さな曲が巨大なシングルの間に入り、Drakeの二つのポップ感覚を対照させている。
18. 「Ratchet Happy Birthday」
誕生日を題材にしながら、通常の祝福ソングとはかなり異なる奇妙な曲である。加工されたボーカルと不安定な響きの鍵盤を使い、祝いの場にある楽しさと居心地の悪さを同時に作る。メロディは意図的に崩したような箇所もあり、完成度の高いポップを期待すると掴みにくい。その風変わりさ自体が、長いアルバムの中で耳をリセットする役割を持つ。
19. 「That’s How You Feel」
Nicki Minajのライブ音源をサンプルとして挟みながら、Drakeは関係の認識が二人の間で一致しない状況を歌う。相手の態度を理解しようとする言葉には諦めも混ざり、タイトルも「そう感じているなら」という距離の取り方になっている。音数の少ないトラックと断片的な声の挿入によって、直接対話しているのに相手へ届かないような感覚が生まれる。
20. 「Blue Tint」
Futureが参加し、暗いトラップとメロディックなラップをB Sideへ持ち込む。恋愛中心の後半にA Sideの攻撃的な空気が一時的に戻り、DrakeとFutureが互いのフレーズを補いながら進む。青みがかった冷たい色を連想させるタイトル通り、トラックにも夜間のような暗さがある。二枚に分けたスタイルが完全に隔離されているわけではないことを示す曲でもある。
21. 「In My Feelings」
ニューオーリンズ・バウンスのリズムを取り込み、短いボーカル・サンプルとDrakeの歌を細かく切り替える。特定の女性たちへ自分を愛しているか問いかける極めて単純なフックが、反復によって強烈に残る。恋愛の不安を扱っているにもかかわらず、ビートは身体を動かす方向へ働くため、弱さがそのまま祝祭的なポップへ変換される。「Nice for What」と並んでB Sideのリズム面を決定づける曲だ。
22. 「Don’t Matter to Me」
Michael Jacksonの過去のボーカル音源を使用した異色の共演で、Drake自身も細く加工された歌声を使う。壊れた関係を扱う歌詞に対し、トラックは冷たく静かで、感情を爆発させるより距離を置く。Jacksonの声が現れることで曲に非現実的な感覚が加わり、通常のデュエットとは違う時間の隔たりも生じる。B Sideの夜間的な音響を極端にしたような一曲である。
23. 「After Dark」
Ty Dolla $ignを迎え、Static Majorのボーカルも使用した、1990年代から2000年代のR&Bを意識させる曲である。滑らかなベースと柔らかなビートの上で声を重ね、タイトル通り深夜の親密な空気を作る。Drakeはここでラッパーとして前へ出るより、R&Bの流れの中に自分の声を置く。アルバム終盤で彼の歌唱面のルーツを比較的素直な形で聞かせる。
24. 「Final Fantasy」
官能的な前半から途中でビートと雰囲気を切り替える二部構成で、長いB Sideの終盤に変化を加える。Drakeは現実の関係と理想化された欲望の境界を行き来し、タイトルの「Fantasy」がその距離を示す。サウンドも一つのムードを最後まで保たず、途中の転換によって同じ人物の欲望が別の角度から見える。短いポップ曲とは違う、ミックステープ的な構成感覚が表れている。
25. 「March 14」
最後にDrakeは父親になったことへ正面から向き合う。息子Adonisの存在、自分の両親の関係、自身が想像していた家庭像との違いを語り、それまでの防御的な態度を大きく弱める。豪華な成功談ではなく、父親として何をすべきかまだ完全には分からない人物として語る点が重要だ。A Sideの「Emotionless」で外部へ向けて説明した事柄を、最後には自分自身の問題として引き受け、長大なアルバムを私的な告白で閉じる。
総評
Scorpion は、Drakeの二面性を最も分かりやすい形式へした作品である。ラッパーとして競争や成功を語るA Sideと、歌手として恋愛や孤独を扱うB Sideは明確に分けられている。しかし実際に聴くと両者の心理はよく似ており、どちらにも他者への不信と、自分がどう見られているかへの強い意識がある。公的な競争と私的な恋愛が、結局は同じ警戒心へ戻ってくるのである。
サウンド面では、派手な変化より声のための空間を作るプロダクションが基本だ。その一方、「Nice for What」のニューオーリンズ・バウンス、「Sandra’s Rose」のサンプル中心のヒップホップ、「Summer Games」のシンセポップなど、必要なところでは明確に色を変える。Drake自身もラップ、旋律的なフロウ、R&B的な歌唱をほとんど境界なく行き来し、2010年代に彼が広めたラップと歌の連続性を大規模な形で提示している。
最大の弱点も、その規模にある。25曲という長さでは、似たテンポや似た感情の曲が続く場面を避けられず、より短く編集すればアルバムとしての集中力は高まったはずだ。一方、この過剰さはストリーミング時代の作品としての性格とも切り離せない。巨大なヒット、深夜向けのR&B、コアなラップ曲を一つのパッケージに入れ、聴き手が好きな部分を選べる構造は、従来のコンパクトなアルバムとは別の発想で作られている。
その意味で Scorpion は、Drakeの最高傑作を一つに決める際に最も簡単な候補ではないが、2018年時点の彼がどれほど広いポップ領域を占めていたかを記録した作品ではある。「God’s Plan」「Nice for What」「In My Feelings」がまったく異なるビートで成立しながら、すべてDrakeの曲として認識できることがその強さを端的に示す。同時に「March 14」まで聴けば、巨大な成功の裏で彼が繰り返してきた不信や自己防衛が、父親になるという現実によって別の段階へ移ったことも見えてくる。過剰な長さまで含め、ストリーミング時代に巨大化したDrakeという存在をそのままアルバムにしたような作品である。
おすすめアルバム
Views by Drake
2016年作で、トロントの冷たいR&B、ラップ、ダンスホールを一枚へまとめた Scorpion の直接的な前段。長尺の構成や孤独な成功者という視点も共通するが、こちらは都市と季節のイメージがより強い。
Take Care by Drake
ラップと歌を同じ人物の表現として自然に往復するDrakeの方法が確立した2011年作。Scorpion より統一された暗い音響を持ち、後の作品で巨大化していく彼のR&B/ヒップホップ融合の核を確認できる。
808s & Heartbreak by Kanye West
オートチューンを使った歌とヒップホップの制作を結びつけ、孤独や失恋を中心に据えた2008年作。Drakeとは作曲法が異なるが、ラッパーが弱さを旋律的に表現する流れを考えるうえで重要な比較対象になる。
ANTI by Rihanna
R&B、ポップ、ダンスホールなどを横断しながら、ヒット曲の形式だけに統一しなかった2016年作。巨大なポップスターがジャンル間を自由に移動するという点で、Scorpion のB Sideと特に響き合う。
Ctrl by SZA
現代R&Bの柔らかな音の中で、恋愛における嫉妬、不安、自己矛盾を隠さず描いた2017年作。Scorpion より視点は親密で集中しているが、語り手を理想化せず不格好な感情まで歌にする姿勢に共通点がある。

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