
発売日:2009年5月12日
ジャンル:Alternative Rock / Pop Rock
概要
Paper Empireは、Better Than Ezraが2009年に発表した7作目のスタジオ・アルバムである。1990年代に「Good」で広く知られるようになった彼らは、オルタナティヴ・ロックを出発点としながら、2000年代にはKevin Griffinのメロディ作りを軸に、より洗練されたポップ・ロックへと活動領域を広げていた。本作は前作Before the Robotsから約4年ぶりのアルバムで、Griffin、Tom Drummond、Michael Jeromeという編成で制作されている。
音楽的には、初期作品のざらついたギター・ロックへ戻るのではなく、ピアノ、キーボード、ストリングス、コーラスなどを使って曲ごとの色を変えている。中心にあるのは簡潔なコードと覚えやすいヴォーカル・メロディで、そこへギターの歪みや電子的な装飾を必要な分だけ加える作りだ。タイトル曲などには経済的な不安定さや崩れていく価値への視線もあり、恋愛や別れを扱う曲と並べることで、個人の生活と外部の世界が同時に揺れている感覚を作っている。
全曲レビュー
1. 「Je ne m’en Souviens pas」
フランス語で「覚えていない」を意味する題名を持つオープニング曲。電子的なリズムと反復するフレーズを使い、通常のギター・ロックを予想すると少し意外な入口になっている。Kevin Griffinの声は感情を大きく爆発させず、記憶がぼやけていくような曲の感触に合わせて抑えられている。生演奏だけに頼らない本作のプロダクションを最初に提示し、過去のBetter Than Ezraとは少し違う場所からアルバムを始める役割を担う。
2. 「Absolutely Still」
ピアノとギターを土台にした明快なポップ・ロックで、前曲の電子的な感触から一転してGriffinのメロディ作りを前面に出す。ヴァースでは比較的音を抑え、サビでコーラスと楽器を広げるため、旋律が自然に大きく聞こえる。歌詞は関係が動かなくなった状態を見つめながら、それでも残っている感情を確かめるように進む。派手な技巧ではなく、言葉を乗せやすい旋律とサビへの滑らかな移行にBetter Than Ezraらしい強みがある。
3. 「Just One Day」
軽快なリズムと明るいギターを使い、アルバム序盤に速度を与える曲である。ドラムは強く叩き込むより一定のテンポを保ち、ヴォーカルの後ろでギターが細かなアクセントを加えるため、ロックでありながら重さは控えめだ。歌詞では限られた時間を意識することで、普段なら後回しにしてしまう感情や行動が浮かび上がる。大きな思想へ広げず日常的な言葉に留めることで、ポップなメロディとの距離を縮めている。
4. 「The Loveless」
明るさの残る演奏に対して、題名には愛情が欠けた状態を思わせる冷たさがある。ギターは全面を埋め尽くさず、ベースとドラムが作る安定したリズムの周囲で短いフレーズを鳴らす。Griffinの歌唱も悲劇的に誇張せず、関係の中に生まれた距離を少し引いた場所から眺めるように聞こえる。前曲までの親しみやすいポップ感を保ちながら、歌詞ではその明るさと簡単には一致しない感情を置いている。
5. 「The Only Exception」
アコースティックな響きと柔らかなヴォーカルを中心に、アルバムの密度をいったん下げる。ここではバンドの演奏を強く押し出すより、メロディと言葉が聞こえる空間を残すことが優先されている。親密な関係を扱う歌詞にも大げさな物語を持ち込まず、特定の相手に向かって語りかける距離感を保つ。中盤に向けてギター主体のポップ・ロックから少し離れることで、本作のアレンジの幅を示している。
6. 「Turn Up the Bright Lights」
タイトルに似合う開放的なサビが中心で、ヴァースから徐々に楽器の密度を上げていく構成が効果的だ。ギターとリズム隊が前へ進む力を作り、コーラスが加わると視界が広がるように音場も大きくなる。歌詞では光のイメージが、停滞した状況から外へ向かおうとする気分と重ねられている。前半の内向きな曲に比べると感情の出口がはっきりしており、アルバム中央に明るいピークを作る。
7. 「All In」
リズムを明確に押し出した曲で、タイトルの「すべてを賭ける」という感覚に合わせてヴォーカルにも前向きな勢いがある。ギターは長いソロを取るより、コードと短いフレーズでサビを補強し、曲の焦点を歌へ戻している。Better Than Ezraがこの時期に得意としていた、ロック・バンドの編成を維持しながらラジオ向けのポップな輪郭を作る方法がよく表れている。アルバム後半へ入る地点でテンポを保つ役割も大きい。
8. 「Black Light」
題名が示すような暗い色合いを持ち、明快なポップ・ソングが続いた流れを少し変える。低い位置のリズムとギターを中心にしているため、サウンドには夜のような閉塞感があり、ヴォーカルもその上で強く飛び出しすぎない。明るい場所では見えないものを浮かび上がらせるブラックライトのイメージは、表面の下に隠れた感情を探る歌詞とも結びついて聞こえる。後半に陰影を加えることで、作品が同じ温度のポップ・ロックだけになるのを防いでいる。
9. 「I Just Knew」
恋愛における確信を中心に据え、Griffinの素直なメロディ感覚がよく出た一曲。ヴォーカルは細かな言葉を詰め込まず、サビでタイトルのフレーズへ自然に着地するよう組み立てられている。伴奏もその流れを邪魔せず、ギターとリズム隊が必要なところだけ音圧を上げる。複雑な比喩や構成よりも、感情を短いフレーズへ凝縮するタイプの曲であり、本作のポップな側面を後半でもう一度前面に出している。
10. 「Wounded」
ここでは傷ついた状態を劇的な悲しみとして描くのではなく、関係の中に残った痛みを静かに確認するようなトーンが中心になる。演奏もヴォーカルを押し流すほど大きくせず、旋律の余韻を残す。Griffinの少しかすれた声は、感情を完全に整理できていない歌詞と相性がよく、強く歌う部分でも過度に芝居がからない。終盤で再び内省的な方向へ曲順を動かす一曲である。
11. 「Fit」
リズムとヴォーカルの結びつきが強く、比較的コンパクトなポップ・ロックとしてまとまっている。題名の「fit」は、誰かや何かに適合することを思わせるが、歌詞からは単純に居場所を見つけたという安心だけでなく、自分を周囲へ合わせることへの違和感も読み取れる。アレンジはそうした迷いを必要以上に暗くせず、軽い推進力を保つ。アルバム終盤で重いバラードを続けず、再びバンドのリズムを前へ出す配置が効いている。
12. 「Hell No!」
題名通り拒絶を直接表現する言葉を使い、演奏にもそれまでより荒いエネルギーが戻ってくる。ヴォーカルのアクセントとギターの切れ目が噛み合い、滑らかなポップ・ソングが多い本作の中では、バンドがその場で鳴らしている感触が比較的強い。怒りを複雑な比喩へ置き換えるのではなく、短い言葉にまとめることでサビの即効性を高めている。終盤にロック・バンドとしての勢いをもう一度提示する曲だ。
13. 「Hey Love」
アルバムを締めくくるのは、強烈なギター・ナンバーではなく、親密な呼びかけを軸にした曲である。Griffinのヴォーカルを中心に据え、伴奏はメロディの起伏に合わせて広がるため、派手な展開を使わなくても終曲らしい余韻が生まれる。ここまで繰り返し扱われてきた関係の揺れや距離を、最終的な解決としてまとめるのではなく、相手への呼びかけを残して終える。作品全体の柔らかなポップ志向を確認するようなクロージングである。
総評
Paper Empireで目立つのは、Better Than Ezraが1990年代型のオルタナティヴ・ロックをそのまま再現しようとしていないことだ。歪んだギターは残っているものの、それだけを曲の中心にはせず、ピアノやキーボード、電子的な処理、コーラスを組み合わせて音の表面を整えている。結果として初期作品ほど荒々しくはないが、Kevin Griffinの作曲、とりわけヴァースからサビへ自然にメロディを持ち上げる能力がよく見える。
曲の多くは大きな構造上の実験をせず、数分のポップソングとして簡潔にまとめられている。その代わり、電子音を使った曲、ギターを押し出す曲、アコースティックな曲と質感を切り替え、13曲の流れに変化を作っている。Michael Jeromeのドラムも派手なフィルを連発せず、曲ごとのテンポや重さを調整する役割に徹しているため、アレンジが込み入った場面でもヴォーカル・メロディが埋もれない。
歌詞では恋愛や人間関係が大きな割合を占める一方、アルバム・タイトルが示すように、安定しているように見えたものが簡単に崩れる感覚も背景にある。個人的な関係と社会的な不安を一つの物語へ強引にまとめてはいないが、「確かなものだと思っていた価値が揺らぐ」という感覚は両者をゆるくつないでいる。この視点が、単純に明るいだけではない陰影をポップな楽曲へ与えている。
初期Better Than Ezraのギター・ロックを期待すると、本作の整ったプロダクションはやや穏やかに感じられるだろう。また、メロディを優先する姿勢が一貫しているため、中盤以降には似た温度の曲が続く部分もある。それでも、流行へ全面的に合わせるのではなく、自分たちの強みだった簡潔な作曲を2000年代末のポップ・ロックへ適応させている点に本作の個性がある。デビュー期の勢いとは別の方法で、長く活動してきたバンドの成熟を示したアルバムである。
おすすめアルバム
Before the Robots by Better Than Ezra
2005年の前作。ギター・ロックと洗練されたポップの中間に位置し、「Juicy」などリズムを強調した曲も収録する。Paper Empireへ続く2000年代の方向性を確認しやすい。
Deluxe by Better Than Ezra
バンドを広く知らしめた1990年代の代表作。ギターのざらつきと若いバンドらしい勢いが強く、整った音作りのPaper Empireと比較すると、作曲の核を残しながら変化した部分が見えてくる。
Recovering the Satellites by Counting Crows
1996年発表。親しみやすいメロディを保ちながら、人間関係の不安や疲労を陰影のあるロックへ変えている。Better Than Ezraより重いが、1990年代以降のアメリカン・ロックという共通の流れから聴ける。
Everything You Want by Vertical Horizon
ギターを中心としたバンド・サウンドを、明快なサビと滑らかなプロダクションへまとめた1999年作。Paper Empireのポップ寄りの曲に見られる、ロックとラジオ向けの旋律を両立する感覚に近い。
Some Mad Hope by Matt Nathanson
アコースティックな作曲を基礎にしながら、バンド演奏と磨かれたポップ・プロダクションへ広げた2007年作。大げさな構成より歌とメロディを優先する点で、Paper Empireの穏やかな側面とよくつながる。

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