
1. 歌詞の概要
「Pandora’s Box」は、Procol Harum(プロコル・ハルム)が1975年にリリースしたアルバム『Procol’s Ninth』に収録された楽曲であり、同年にシングルとしてもリリースされた。
神話を下敷きにしながらも、現代的な不安と欲望のメタファーとして再構築されたこの曲は、神秘性、ポップ感、風刺性が入り混じったユニークな世界観を持っている。
“パンドラの箱”とは、ギリシャ神話に登場する女神パンドラが開けたことで、人間界に災厄が広がったとされる箱のこと。本楽曲ではこの神話を現代の寓話として読み替え、**「欲望や好奇心が開いてしまった箱のなかに、果たして何が残るのか」**という普遍的なテーマに接近していく。
歌詞に登場するのは、謎めいた“パンドラの箱”と、それに取り憑かれるように惹かれていく語り手。明るくキャッチーなメロディとは裏腹に、その歌詞は終わりなき探索と期待、そして根底にある諦念に満ちている。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Pandora’s Box」は、バンドの中心人物である**Gary Brooker(ゲイリー・ブルッカー)**が作曲し、**Keith Reid(キース・リード)**が詩を書いた。
1975年のアルバム『Procol’s Ninth』は、Procol Harumにとって9枚目のスタジオ・アルバムであり、そのタイトルもそれを示している。プロデュースには**Jerry Leiber & Mike Stoller(リーバー&ストーラー)**というロックンロール黄金時代の大物コンビが起用され、よりポップでコンパクトなサウンド志向が見られる作品となっていた。
「Pandora’s Box」はアルバム中でも特にヒット性を持ったナンバーで、イギリスではトップ20圏内にランクインする小ヒットを記録。その洒脱なリズム、エレクトリック・ピアノの軽やかさ、そして繰り返される印象的なフックは、Procol Harumの持つクラシカルな側面とは一線を画しつつも、彼らの詩的知性をしっかりと継承していた。
3. 歌詞の抜粋と和訳
While horsemen ride across the green
And Snow White still remains unseen
Pegasus, the winged horse, relays
The faithless shall be numbered days
騎士たちが緑の野を駆け
白雪姫はいまだ姿を見せず
翼ある馬ペガサスが告げる
「裏切る者の時は数えられしものなり」と
The dragon’s head is at the door
He eats the children, nothing more
He eats the children like a snack
And eats the others, backward-back
ドラゴンの頭が戸口に現れ
子どもたちをむさぼる それだけ
まるでスナックのように
そして他の者たちも 逆から喰らう
Pandora’s box is open wide
Hope languishes inside
パンドラの箱は 大きく開かれて
その中で希望は 力なく横たわっている
引用元:Genius 歌詞ページ
この詩は、現実の不安と神話的イメージが入り混じった、寓意に満ちた幻想世界を描いている。
ドラゴン、ペガサス、スノーホワイトといった象徴的なキャラクターたちは、希望や罪、信頼といった人間の根源的なテーマを浮き彫りにしていく。
4. 歌詞の考察
「Pandora’s Box」は、Procol Harumが最も得意とする神話と現代の融合、比喩とアイロニーの戯れを凝縮した一曲である。
この楽曲においてパンドラの箱とは、単なるギリシャ神話上のモチーフではなく、人間が本能的に持つ“知りたい”“手に入れたい”という欲望の象徴である。
しかし、その箱を開けることで待っているのは、希望ではなく“後戻りできない現実”であり、語り手はその事実を理解しながらも、なお引き寄せられてしまう。
歌詞の中盤で語られる“ドラゴンが子どもを喰らう”という描写は極めて不気味であり、純粋なものや未来への希望が、現代社会の混沌によって食い尽くされていく様子として解釈できる。
また、最後に残されている“Hope languishes inside”というフレーズは、神話においてパンドラの箱の底に残ったとされる“希望”が、ここでは**“弱々しく、何もできずに眠っている”**という残酷な描写へと変貌している。
つまりこの曲は、「希望さえも力を持たない世界」への悲観的認識を、あえて軽やかな曲調にのせて描き出すブラック・ユーモア的な作品なのである。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Life Is a Minestrone by 10cc
日常と哲学、ナンセンスと風刺を混ぜ込んだ独特のユーモア感覚。 - The Future by Leonard Cohen
破滅的な未来と希望の儚さを冷静に語る、黙示録的バラード。 - Mother Goose by Jethro Tull
幻想と現実の交差をユーモアと皮肉で描く、英国ロックの傑作。 - Subterranean Homesick Blues by Bob Dylan
混沌とした時代の言葉の洪水で現実を描く、詩的コラージュ。 - Heaven Is 10 Zillion Light Years Away by Stevie Wonder
希望と信仰が薄れゆく社会における問いかけを、美しい旋律で包み込む。
6. 開けてしまった箱の中に、今も残るのは何か?
「Pandora’s Box」は、Procol Harumが1970年代半ばに提示した成熟した知性と諧謔、そして終末的ユーモアを併せ持った秀作である。
その詩は、あらゆる象徴を引き連れながら
“希望”という最後のともしびさえ、諦めと共に語っていく。
箱は、もう開けられてしまった。
何もなかったのかもしれないし、
あるいは“見る力”を失ってしまった私たちが
そこにある光を見落としているだけかもしれない。
希望が眠っているとしても、それを揺り起こすのは誰か?
その問いを、ポップなメロディに乗せて投げかける。
そんなこの曲は、やはりProcol Harumというバンドの本質――
“美しさのなかの不穏”と、“詩の中の真実”――を体現していると言えるだろう。
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