
発売日:1995年2月6日
ジャンル:ダブ、トリップホップ、ダウンテンポ、エクスペリメンタル、リミックス・アルバム
概要
No Protectionは、マッシヴ・アタックが1994年作 Protection を素材として、ダブの名匠マッド・プロフェッサーとともに徹底的な再構築を施したリミックス・アルバムである。だが、この作品を単なる「リミックス盤」と呼ぶだけでは明らかに足りない。ここで起きているのは、既存曲の装飾的な差し替えでも、クラブ向けの機能的な再編集でもなく、マッシヴ・アタックの音楽が内包していたダブ的可能性を、マッド・プロフェッサーが極限まで引き出し、別種の作品として再誕させる行為そのものだからである。結果としてNo Protectionは、原作 Protection の“裏面”という以上に、マッシヴ・アタックというグループの構造を解剖し、その骨組みと亡霊を可視化したアルバムになっている。
マッシヴ・アタックの音楽は、デビュー作 Blue Lines の時点からすでに、ヒップホップ、ソウル、レゲエ、ダブ、クラブ・カルチャー、ブリストルの都市感覚を独自に融合したものだった。特に彼らのサウンドにおいて、低音の扱い、空間の残し方、リズムの引き算、ヴォーカルの距離感などは、ダブの美学と深く結びついていた。しかし、初期作品ではそのダブ性はあくまで複合要素の一つとして機能しており、ソウルフルな歌やヒップホップ的な構成感覚と共存していた。No Protectionは、そのうちの“ダブ”だけを抽出するのではなく、むしろダブという方法論によって、マッシヴ・アタックの作品の内部に元から存在していた空隙、不安、重量、残響を最大化してみせたアルバムである。
ここでマッド・プロフェッサーの役割は決定的に重要だ。リー・“スクラッチ”・ペリーやキング・タビー以降の系譜に連なる彼のダブは、単にミキシングの妙技として優れているだけではない。音を消すこと、遅らせること、飛ばすこと、残響に沈めることによって、楽曲の“見えない部分”を前景化する感覚に優れている。ダブとはしばしば、元曲を壊す技術ではなく、元曲の中に隠れていた別の時間を露出させる技術である。No Protectionにおいて、マッド・プロフェッサーはまさにその仕事をしている。Protectionにあった歌の親密さや滑らかな都会性は、ここでしばしば引き裂かれ、細い声の断片や深いベース、遅れてくるスネア、空白そのものへと置き換えられる。その結果、元曲の感情は消えるのではなく、むしろ別の角度から強く響くようになる。
アルバム・タイトルのNo Protectionも見事である。原作がProtectionであったのに対し、ここではその保護が失われる。守られていたはずの歌は剥き出しになり、ビートは裸にされ、空間は広がり、残響の中に置き去りにされる。これは言葉遊びであると同時に、作品の本質を端的に表している。マッシヴ・アタックの音楽にあった柔らかさ、都会的なクールネス、情緒のコントロールが、ダブによって一度取り払われることで、楽曲はむしろ不安定になり、深夜の霧の中へ解き放たれる。つまりこのタイトルは、原作を否定するのではなく、その“保護膜”を剥がしたあとに何が残るかを問うているのである。
1995年というタイミングも重要である。マッシヴ・アタックはすでにBlue LinesとProtectionで、UKクラブ以後の新しいリスニング・ミュージックを定義する存在となっていた。一方で、ブリストル・サウンドやトリップホップという呼称が定着し始める時期でもあり、彼らの音楽はジャンル化される危険も抱えていた。そうした中でNo Protectionは、マッシヴ・アタックを単なる“お洒落なダウンテンポ”として消費する耳に対する強烈なカウンターとして機能した。この作品は、彼らの音楽が本来もっと低音に根ざし、もっとレゲエやサウンドシステム文化に近く、もっと実験的で不穏なものであったことを再確認させたのである。
音楽史的に見ても、本作は非常に重要な位置を占める。ダブ・アルバムやリミックス作品は数多くあるが、オリジナル作の雰囲気を単に延長するのではなく、それを根底から言い換えてしまう例はそう多くない。No Protectionは、リミックスが独立した芸術行為になりうること、しかも原作への敬意と破壊衝動が両立しうることを示した。その意味で本作は、ダブの伝統と1990年代のエレクトロニック/クラブ・カルチャーが交わる地点にある記念碑的作品でもある。
全曲レビュー
1. Radiation Ruling the Nation
冒頭からこのアルバムの意図は明快である。原作 Protection の滑らかな空気感を知っている耳にとって、この曲の低音と空間の広がりは、まるで同じ建物の地下室へ突然連れて行かれるような感覚をもたらす。タイトルの“Radiation Ruling the Nation”は、電波、汚染、支配、不可視の浸透といったイメージを喚起し、非常にダブ的である。見えないものが世界を満たし、音そのものが気圧のように空間を支配する。まさにこのアルバム全体の導入にふさわしい。
マッド・プロフェッサーの処理は、リズムを前へ押し出すというより、低音を中心に空間をゆっくり歪ませていく。声は完全なメッセージとしてではなく、漂う断片として扱われ、元曲にあった輪郭は意図的にぼやかされている。その結果、聴き手は“曲”を追うのではなく、“場”の中へ入っていくことになる。No Protectionがリミックス集ではなく音響作品であることを最初の一曲で決定づける、非常に強い導入である。
2. Bumper Ball Dub
この曲では、マッシヴ・アタック作品に潜んでいたグルーヴの弾力が、ダブの手法によって別のかたちで可視化される。タイトルの“Bumper Ball”という語感には遊戯性もあるが、実際の音は決して軽くない。むしろ、跳ね返るようなリズムの感触と、深く沈む低音が同時に存在し、身体と空間の両方に作用する。
マッド・プロフェッサーはここで、ビートの芯を残しつつ、そこに付随していたメロディや装飾を大胆に削っている。そのため、元曲で自然に通り過ぎていた細部が、逆に不気味な存在感を持ち始める。ダブとは、足し算ではなく引き算によって曲を異化する技法だが、本曲はその好例である。音を減らすことで、むしろリズムの物理性が前面に出てくる。
3. Trinity Dub
この曲には、タイトルどおり三重性、あるいは複数の層が共存する感覚がある。ダブはしばしば、原曲の一つの軸を抜き出して再構成するが、マッド・プロフェッサーはここで複数の層を緩やかに交差させ、空間そのものを三次元的に膨らませていく。声、ベース、残響、打撃音が、それぞれ別の時間で響いているように聞こえる点が印象的だ。
マッシヴ・アタックの原作にあった都会的な均衡は、ここではかなり崩されている。だが、その崩れ方は無秩序ではなく、むしろ別の秩序を作っている。マッド・プロフェッサーは、楽曲を解体するのではなく、元曲の内部にあった“もう一つの骨格”を見せているのだということが、この曲からよくわかる。アルバム中盤の入り口としても非常に効果的である。
4. Cool Monsoon
この曲は、No Protectionの中でも比較的わかりやすく“気候”を感じさせるトラックである。タイトルの“Monsoon”が示すように、ここでは音が降り、溜まり、湿度を伴って空間に広がる。だがそれは熱帯的な華やかさではなく、あくまで夜の湿気を帯びた、冷たいモンスーンである。“Cool”という形容が重要で、感情の熱が完全に失われているわけではないが、それは意識的に温度を下げられている。
ビートは遅く、重く、しかし鈍くはない。ベースが空間の底を形成し、その上に断片的な音が落ちてくる構造は、まるで雨粒と地面の関係のようだ。マッド・プロフェッサーはここで、元曲の構造を前景化するより、アルバム全体の気候条件を整える役割を果たしている。No Protectionが“曲集”ではなく“天候”としても聴ける作品であることを感じさせる一曲だ。
5. Eternal Feedback (Sly)
アルバム中でもっともマッド・プロフェッサーのミックス感覚が露骨に快感へ転化している一曲の一つである。タイトルの“Eternal Feedback”が示すように、ここでは反復と残響が自己増殖する。ダブにおいてフィードバックは単なるエフェクトではなく、音が音自身を引き延ばし、時間を折り曲げるための装置だ。本曲ではその作用が非常に気持ちよく、しかも不穏に機能している。
“Sly”という注記も興味深い。 sly には狡猾さや忍び寄る感じがあるが、まさにこの曲の音響は、正面から迫るのではなく、じわじわと周囲から満ちてくる。ビートはあるのに中心が定まらず、声はいるのに主体がつかめない。この“捉えどころのなさ”こそダブの醍醐味であり、マッシヴ・アタックの曖昧な都会性と非常に相性が良い。
6. Moving Dub
この曲では、動いているのに停滞しているような、ダブ特有の時間感覚が特に鮮明である。タイトルの“Moving”は移動を示すが、ここでの移動は直線的な前進ではない。むしろ、同じ場所を少しずつズラしながら進むような感覚であり、それがマッシヴ・アタックの原作にあった“街の中の浮遊感”と深くつながっている。
音の配置は比較的ミニマルだが、その分だけ一つ一つの残響や抜き差しが意味を持つ。マッド・プロフェッサーの仕事の巧さは、音を増やして派手にするのではなく、どのタイミングで何を消すか、どこに空白を作るかにある。本曲はその職人的な精度がよくわかるトラックで、アルバムの流れに静かな推進力を与えている。
7. I Spy
タイトルが示す“見つめること”“監視すること”は、マッシヴ・アタックの音楽にしばしば漂う都市的な視線の感覚とよく合っている。原作にあった親密さや人間関係の温度は、ここではより冷たい観察へ変換されている印象がある。誰かを覗き見ているのか、誰かに見られているのか、その主客が曖昧なまま進むところが不気味だ。
サウンド面では、音数を減らしながらも、細かなノイズや断片的フレーズが空間の端に配置され、常に気配が絶えない。マッド・プロフェッサーはここで、曲の中心を明示せず、むしろ聴き手の注意を周縁へ向かわせる。ダブが“中心の音楽”ではなく“周辺の音楽”でもあることを、この曲はよく示している。
8. Backward Sucking
アルバムの中でも特に異様なタイトルを持つ一曲であり、音響的にもかなり歪んだ魅力を放つ。ここではマッド・プロフェッサーの遊び心と暴力性が同時に現れている。音は前に進むだけでなく、後ろへ吸い込まれるような感覚を持ち、残響や逆回転的な処理が、時間そのものを不安定にしている。
この曲が面白いのは、ダブの“深い低音と気持ちよい反復”というイメージだけでは捉えきれない、かなり実験的な側面を前に出している点である。快楽と不穏さが紙一重で共存し、原作にあった滑らかさはほとんど消えている。だがその過激さが、No Protectionをただのラウンジ的再解釈から遠ざけている。この作品の攻撃性を担う重要な一曲だ。
9. Karmacoma (Bumper Ball Dub)
原作 Protection においても屈指の名曲である“Karmacoma”が、ここでは完全に別の生き物に変えられている。元曲の持つ夢遊病的なグルーヴと中毒性は残りつつ、マッド・プロフェッサーはそれをさらに深い霧の中へ沈め、輪郭をわざと曖昧にする。結果としてこの曲は、“Karmacoma”のメロディを知っている耳ほど、不気味に感じる作りになっている。
“Bumper Ball Dub”という処理がここでも活きていて、リズムは跳ねるのに、空間は底なしに深い。元曲にあった言葉やフックの魅力が削られることで、逆にトラックの異様なグルーヴだけがむき出しになる。マッシヴ・アタックの楽曲が、歌を外してもなお成立するどころか、別の説得力を獲得することを示す好例である。
10. Heat Miser
ラストを飾るこの曲は、アルバム全体を静かに、しかし不穏に締めくくる。“Heat Miser”という語の持つ、熱をため込み、手放さないようなイメージは、No Protection全体の性格とも通じている。感情は完全に消えてはいないが、直接語られず、地下でくすぶり続ける。その熱の残り方が、このアルバムの最後にふさわしい。
サウンドは比較的ミニマルで、余白の使い方が見事だ。終曲だからといって総決算的な盛り上がりを用意せず、むしろ音を減らしながら深く沈んでいく。この終わり方によって、No Protectionは原作への回答や補足ではなく、一つの独立した夜の旅だったことが明確になる。聴き終えたあとに残るのは解決ではなく、低音の記憶と湿度であり、それが実にこの作品らしい。
総評
No Protectionは、マッシヴ・アタックのリミックス盤という以上に、ダブという手法がいかに作品の本質を暴き出しうるかを示したアルバムである。原作 Protection の都会的で滑らかな表面を剥がし、その内部にあった低音、空白、残響、不安、気配をむき出しにする。その仕事をここまで徹底して、しかも音楽として成立させてしまうのがマッド・プロフェッサーの凄さであり、同時にマッシヴ・アタックの楽曲そのものの強さでもある。
音楽的には、これは非常にディープなダブ作品でありながら、単なるジャンル作品には収まらない。ヒップホップ以後のビート感覚、ブリストルの都市的な曇り、ソウルの情緒、レゲエの低音文化が、すべてダブのミキシングによって再配置されている。その結果、原作よりもさらに抽象的で、さらに深夜的で、さらに身体的なアルバムになっている。リスニング作品として聴いても優れているし、低音の物理性を体で受け取る作品としても強い。
また、本作は“リミックスとは何か”を考えるうえでも非常に重要である。原曲を尊重しながら、原曲の意味を変えてしまう。元の感情を壊すことで、むしろ別の感情を強く立ち上げる。No Protectionは、そのような創造的再解釈の理想形の一つだと言える。マッシヴ・アタックの主要作としてはやや脇に置かれがちだが、実際には彼らのダブ的本質を最もむき出しにした重要作であり、1990年代英国音楽の深層を知るうえでも欠かせない一枚である。
おすすめアルバム
1. Massive Attack – Protection
本作の原型となるアルバム。滑らかで都会的な表情を持つ原作を聴くことで、No Protection が何を剥ぎ取り、何を残したかがより鮮明になる。
2. Massive Attack – Blue Lines
マッシヴ・アタックの出発点にして、ダブ、ヒップホップ、ソウル、ブリストル感覚の統合が最初に結実した名盤。No Protection の深部を理解するうえで原点となる。
3. Mad Professor – Dub Me Crazy Pt. 5: Who Knows the Secret of the Master Tape?
マッド・プロフェッサー自身のダブ・ワークを知るうえで有効な作品。彼がいかに音を削り、空間を操るか、その美学の純粋な形が味わえる。
4. Lee “Scratch” Perry & The Upsetters – Super Ape
ダブの霊性と音響解体の源流の一つ。No Protection の深い残響感覚をより広い歴史の中で位置づけることができる。
5. Tricky – Maxinquaye
マッシヴ・アタック周辺から生まれた、より個人的でねじれたブリストル・サウンドの名盤。No Protection が持つ都市的ダブの暗部と深く響き合う。



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