アルバムレビュー:Louden Up Now by !!! (Chk Chk Chk)

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

発売日:2004年6月7日

ジャンル:ダンス・パンク/ディスコ・パンク/ポスト・パンク・リヴァイヴァル/ファンク・ロック/インディー・ダンス

概要

!!!(Chk Chk Chk)の2作目のスタジオ・アルバム『Louden Up Now』は、2000年代前半のダンス・パンク/ディスコ・パンク・シーンを代表する作品のひとつであり、ポスト・パンクの鋭さ、ディスコの身体性、ファンクの反復、インディー・ロックの反骨性を一体化した重要作である。バンド名の「!!!」は、発音を固定しない記号的な名前であり、一般的には「Chk Chk Chk」と読まれる。この名からも分かるように、彼らは最初から言葉やロック・バンドの慣習を少しずらし、リズム、身体、反復、集団的な熱量を中心に置く存在だった。

2000年代初頭のニューヨーク、ロンドン、サクラメント、ブルックリン周辺では、ポスト・パンクやニュー・ウェイヴの再評価が進み、ロック・バンドが再びダンス・ミュージックと接続する流れが生まれていた。The Rapture、LCD Soundsystem、Radio 4、Liars、Out Hud、そして!!!は、その流れを象徴するアーティストたちである。彼らに共通していたのは、ロックのギターやバンド編成を保ちながら、クラブ・ミュージックの反復、ディスコのベースライン、ファンクのパーカッション、ダブの空間処理を取り込んだ点だった。

『Louden Up Now』は、その時代の空気を非常によく捉えている。アルバム・タイトルは「もっと音を大きくしろ」「声を上げろ」という意味に読める。これは単に音量を上げるということだけではなく、政治的・社会的な沈黙を破ること、身体を動かして抵抗すること、既存のロックの形式をより騒がしく、より混雑したものへ変えることを示している。特に2000年代初頭のアメリカは、9.11以後の政治状況、イラク戦争、監視社会への不安、保守的な空気が強まっていた時期であり、!!!の音楽にはそうした時代への苛立ちも刻まれている。

本作のサウンドは、一言で言えば「踊れる怒り」である。ギターはロック的なリフを主役にするというより、リズムの一部として刻まれる。ベースは曲の中心を担い、反復するファンク・グルーヴによって聴き手の身体を動かす。ドラムとパーカッションは非常に重要で、ロックのビートというより、ディスコ、アフロビート、ファンク、クラブ・ミュージックに近い循環を作る。そこにNic Offerのヴォーカルが乗る。彼の歌唱は、伝統的な意味でのメロディアスな歌というより、叫び、語り、煽り、皮肉、身体的な掛け声として機能している。

!!!の音楽を理解するうえで重要なのは、彼らが「ダンス・ミュージックを演奏するロック・バンド」であると同時に、「ロックの政治性をクラブの身体性へ移したバンド」でもあるという点である。1970年代末から80年代初頭のGang of Four、A Certain Ratio、The Pop Group、ESG、Liquid Liquid、Talking Headsなどは、ポスト・パンクとファンク/ディスコの接点を作った。!!!は、その系譜を2000年代のインディー・シーンに再接続した。だが、彼らの音は単なる復古ではなく、より長尺で、よりクラブ的で、より集団的なジャム感を持っている。

本作には、シングルとして注目された「Me and Giuliani Down by the School Yard (A True Story)」をはじめ、「Pardon My Freedom」「Hello? Is This Thing On?」「Dear Can」「Intensify」など、長いグルーヴを軸にした楽曲が並ぶ。曲はしばしば伝統的なヴァース/コーラス形式よりも、リズムの積み重ねによって展開する。これはロック・アルバムとしては冗長に感じられる可能性もあるが、クラブ・ミュージックやファンクの文脈では、同じグルーヴをどれだけ持続し、どのように変化させるかが重要になる。本作の魅力も、まさにその持続にある。

『Louden Up Now』は、歌詞の面でも政治性とユーモアが混ざり合っている。!!!は、硬直したプロテスト・ソングを作るのではなく、皮肉、猥雑さ、パーティー感、身体的な言葉を使いながら、権力や戦争や社会の空気に対する違和感を表現する。踊ることはここで、現実逃避であると同時に、管理された身体を取り戻す行為でもある。音量を上げること、リズムを反復すること、集団で動くことが、政治的な意味を帯びている。

日本のリスナーにとって『Louden Up Now』は、2000年代インディー・ロックの中でも、ギター・ロックとクラブ・ミュージックの接点を知るうえで非常に重要な作品である。メロディ中心のロックとは異なり、本作はまずリズムで聴くアルバムである。歌詞の細部を理解する前に、ベースとドラムとパーカッションが作る反復に身体を預けることで、!!!の本質が見えてくる。そこに政治的な怒り、皮肉、ポスト・パンク的な緊張が重なった時、本作は単なるパーティー・アルバムではなく、2000年代前半の不穏な時代を踊りながら突破しようとする作品として響く。

全曲レビュー

1. When the Going Gets Tough, the Tough Get Karazzee

アルバム冒頭の「When the Going Gets Tough, the Tough Get Karazzee」は、『Louden Up Now』の扉を開くにふさわしい、混沌としたダンス・パンク・トラックである。タイトルは有名な慣用句「When the going gets tough, the tough get going」をもじっており、本来なら「状況が厳しくなると、強い者は動き出す」という意味になる。しかし!!!はそれを「Karazzee」、つまり「crazy」を崩したような言葉へ変形している。困難な状況に対し、合理的に動くのではなく、狂騒的に踊り、騒ぎ、身体を使って反応する。その姿勢がタイトルからすでに示されている。

サウンドは、跳ねるベースライン、鋭いギター、分厚いパーカッション、散らかったヴォーカルが一体となり、聴き手をすぐにダンス・フロア的な空間へ引き込む。ギターはロック的な主役ではなく、リズムを刻む打楽器のように機能する。ドラムとパーカッションは、直線的なロック・ビートではなく、よりファンク的で粘りがある。曲は整ったポップ・ソングというより、集団が徐々に熱を上げるジャムに近い。

歌詞は、明確な物語というより、状況への反応、煽り、断片的なフレーズによって構成されている。Nic Offerの声は、歌というよりも、集団を動かすための号令に近い。彼は美しいメロディを歌い上げるのではなく、言葉をリズムへ変え、声を身体的な刺激として使う。この点で、!!!のヴォーカルはパンク的でありながら、ファンクやディスコのMC的な役割にも近い。

この曲は、アルバム全体の基本方針を示している。困難な時代に対し、冷静な分析だけでなく、騒ぎ、踊り、音量を上げることで反応する。『Louden Up Now』というタイトルの精神が、冒頭から全開になっている楽曲である。

2. Pardon My Freedom

「Pardon My Freedom」は、本作の政治的な苛立ちと、ダンス・パンクの攻撃性が強く結びついた楽曲である。タイトルは「私の自由をお許しください」という皮肉な表現であり、自由を求めること自体が謝罪を必要とするような社会状況への批判として読める。2000年代初頭のアメリカにおける愛国主義、監視、戦争の空気を考えると、このタイトルは非常に鋭い。

サウンドは、性急で硬いリズム、ファンキーなベース、鋭く刻まれるギターによって構成されている。曲は非常にエネルギッシュで、パンク的な短絡性とディスコ的な反復が同居している。叫びに近いヴォーカルは、リズムに食い込みながら、権力や社会の抑圧に対する怒りを身体的な形で表現する。

歌詞では、自由という言葉が皮肉を帯びる。自由を掲げる国家や社会が、実際には人々の行動や発言を管理し、異議申し立てを抑え込む。その矛盾に対して、!!!は重々しいプロテスト・フォークの形式ではなく、ダンス・パンクの騒がしさで応答する。これは非常に重要である。彼らにとって政治的な怒りは、静かな演説ではなく、グルーヴの中で爆発するものなのだ。

「Pardon My Freedom」は、本作の中でも特にパンク色が強い曲である。だが、単なる怒りの曲ではなく、踊れる構造を持っている点が!!!らしい。自由を求める声は、スローガンとしてだけでなく、身体の動きとして表れる。この曲は、その思想を鋭く示している。

3. Dear Can

「Dear Can」は、タイトルからしてやや謎めいた楽曲である。「親愛なるCan」と読めば、ドイツのクラウトロック・バンドCanへの手紙のようにも受け取れる。Canは反復するリズム、即興的な構成、ファンクやミニマル・ミュージックとの接近によって、ポスト・パンクやダンス・ロックに大きな影響を与えた存在である。!!!の音楽にも、Can的な反復とジャム感は明確に感じられる。

サウンドは、長く続くグルーヴを中心に展開する。曲は短いロック・ソングのように即座に結論へ向かわず、同じリズムを持続しながら少しずつ変化していく。ベースとドラムは曲の骨格を作り、ギターや電子的な音、声の断片がその上で動く。この構造は、まさにクラウトロックやポスト・パンクの影響を感じさせる。

歌詞は明確なメッセージというより、音響の一部として機能している。!!!の楽曲では、ヴォーカルは意味を伝えるだけでなく、リズムの一部であり、空間を煽る要素でもある。「Dear Can」では、その性格が特に強い。声は曲の中心に立つというより、グルーヴの中に溶け込み、反復の一部になる。

この曲は、『Louden Up Now』の実験的な側面を示している。シングル的な即効性よりも、反復が生むトランス感が重視される。!!!が単なるダンス・ロック・バンドではなく、ポスト・パンクやクラウトロックの歴史を意識的に受け継ぐバンドであることを示す重要曲である。

4. King’s Weed

「King’s Weed」は、短めながらアルバムの流れに独特の緊張をもたらす楽曲である。タイトルの「Weed」は大麻を連想させる言葉であり、「King’s Weed」という表現には、権力、快楽、逃避、あるいは支配された享楽のイメージが重なる。!!!の歌詞には、政治的な皮肉と身体的な快楽がしばしば混ざり合うが、この曲にもその感覚がある。

サウンドは、ファンク的なリズムを基盤にしながら、どこか不穏な響きを持つ。ベースラインは身体を動かすが、曲全体には明るい開放感だけでなく、薄暗いクラブのような緊張がある。ギターや電子音は装飾的というより、リズムのざらつきを強調する役割を果たしている。

歌詞のテーマは明確に一つへ固定されないが、快楽と権力の関係が背後に感じられる。薬物的なイメージは、単なるパーティーの象徴ではなく、現実からの逃避や、社会的な閉塞の中で身体を解放しようとする試みとしても読める。!!!は享楽を否定しないが、それを無邪気なものとしても描かない。快楽には常に政治や支配の影がある。

「King’s Weed」は、アルバムの中ではやや間奏的な役割も持つが、!!!の音楽にある猥雑さと不穏さをよく示している。踊れるが、完全には安心できない。その感覚が本作の重要な魅力である。

5. Hello? Is This Thing On?

「Hello? Is This Thing On?」は、タイトルからしてライヴやマイク・チェックを思わせる楽曲である。「もしもし? これ入ってる?」という言葉は、ステージ上でマイクが機能しているか確認するフレーズであると同時に、社会へ向けた問いにも聞こえる。声は届いているのか。自分たちの怒りや違和感は、誰かに聞こえているのか。この問いが曲全体の背景にある。

サウンドは、!!!らしい長いグルーヴを軸にしている。ベースとドラムが反復を作り、ギターと電子音がその周囲で動く。曲は、ライヴ・バンドとしての!!!の強さを感じさせる。スタジオ録音でありながら、演奏は非常に身体的で、メンバー同士が同じ空間で熱を上げているように聞こえる。

ヴォーカルは、曲名の通り、マイクを通じて何かを確認し続けるような役割を持つ。声はメロディを中心にするのではなく、呼びかけ、問い、煽りとして機能する。これは、ポスト・パンクにおけるヴォーカルの使い方に近い。歌は感情を美しく伝えるものではなく、空間を揺さぶるための道具である。

歌詞的には、コミュニケーションの不確かさが重要である。大きな音を出しても、それが届いているかどうかは分からない。社会に向けて叫んでも、権力やメディアはそれを無視するかもしれない。だからこそ、何度も確認する必要がある。「このマイクは入っているのか」と。この曲は、『Louden Up Now』のタイトルとも深くつながっている。音量を上げる前に、まず声が届いているかを問う楽曲である。

6. Shit Scheisse Merde, Pt. 1

「Shit Scheisse Merde, Pt. 1」は、タイトルからして非常に挑発的である。英語、ドイツ語、フランス語で「糞」を意味する言葉を並べることで、意味の洗練よりも、身体的な汚さ、罵倒、排泄的なユーモアを前面に出している。!!!の音楽には、知的なポスト・パンクの参照と同時に、こうした下品さや猥雑さが重要な要素として存在する。

この曲は、アルバムの中で短い断片として機能する。大きな展開を持つ曲というより、空気を変えるノイズ、罵倒、パンク的なジェスチャーに近い。タイトルに「Pt. 1」とあることで、未完の連続性や、単なる冗談以上の構造的な遊びも感じられる。

サウンドは、ローファイで荒々しく、整ったダンス・トラックではない。これは、アルバム全体のグルーヴの中に、あえて汚れや断裂を入れる役割を持つ。!!!は、洗練されたディスコ・パンクだけを作るバンドではない。彼らの音楽には、パーティーの床にこぼれた酒や汗や罵声のようなものも含まれている。

この曲は、アルバムの中では小品だが、!!!の姿勢をよく示している。ダンス・ミュージックを作りながら、クラブ的な洗練だけには収まらない。ポスト・パンクの知性を持ちながら、下品な笑いも忘れない。そのバランスが、!!!の音楽を単なるスタイリッシュなダンス・ロックにしない理由である。

7. Shit Scheisse Merde, Pt. 2

「Shit Scheisse Merde, Pt. 2」は、前曲の続編として機能する短いトラックであり、アルバムの流れに不規則な断片性を加えている。タイトルの反復は、意味を伝えるというより、音としての罵倒、身体的な違和感、言語の粗さを強調する。英語、ドイツ語、フランス語を並べることで、国際的な罵声のような感覚も生まれる。

この曲の役割は、通常の意味での完成された楽曲というより、アルバムの内部に亀裂を入れることにある。『Louden Up Now』は長いダンス・グルーヴを持続するアルバムだが、その中にこうした短い断片が挿入されることで、聴き手は単調な快楽だけに沈み込むことを妨げられる。これは、ポスト・パンク的なアルバム構成として非常に興味深い。

音楽的には、荒さとノイズ感が前面に出る。!!!はここで、ダンス・フロアの快楽をあえて汚す。だが、その汚れこそが彼らの美学である。整いすぎたクラブ・サウンドではなく、バンドの汗、冗談、怒鳴り声、混乱を含んだ音楽。そうした猥雑な質感が、本作に生命力を与えている。

「Shit Scheisse Merde, Pt. 2」は、単体で代表曲として語られるタイプの曲ではない。しかし、アルバム全体の態度を補強する重要な断片である。!!!は踊らせるだけでなく、聴き手を少し不快にし、笑わせ、混乱させる。その姿勢がここに表れている。

8. Me and Giuliani Down by the School Yard (A True Story)

「Me and Giuliani Down by the School Yard (A True Story)」は、『Louden Up Now』を代表する楽曲であり、2000年代ダンス・パンクの重要曲のひとつである。長尺のグルーヴ、政治的な皮肉、ディスコ・パンクの快楽が見事に結びついている。タイトルはPaul Simonの「Me and Julio Down by the Schoolyard」を明らかに参照しており、そこにニューヨーク市長だったRudy Giulianiの名前を置き換えることで、ポップ史への遊びと政治的風刺を同時に行っている。

Giulianiはニューヨークの治安政策、ナイトライフ規制、クラブ文化への締めつけとも関連して語られる人物である。この曲は、彼の名前をダンス・パンクの文脈に置くことで、都市の身体性、クラブの自由、公共空間の管理をめぐる問題を浮かび上がらせる。踊ることが規制される都市で、ダンス・トラックを鳴らすこと自体が政治的な身振りになる。

サウンドは非常に長く、徐々に熱を帯びる。ベースラインは粘り強く、ドラムとパーカッションはディスコ的な持続を作る。ギターは鋭く刻まれ、シンセや電子的な処理が曲の空間を広げる。Nic Offerのヴォーカルは、語り、叫び、煽りの間を行き来しながら、曲を単なるインストゥルメンタル・グルーヴに留めない。

この曲の最大の魅力は、長さそのものにある。短く編集されたポップ・ソングではなく、ダンス・フロアで時間をかけて身体を変化させるための曲である。同じリズムが続くことで、聴き手は徐々に曲の内部へ入り込む。そこに政治的な皮肉が重なることで、踊る行為が単なる娯楽ではなく、都市の管理や権力への抵抗として響く。

「Me and Giuliani Down by the School Yard」は、!!!の代表曲であるだけでなく、2000年代初頭のインディー・ダンス・シーンの精神を象徴する楽曲である。ポスト・パンク、ディスコ、政治風刺、クラブ文化、ロック・バンドの熱量が一つに結びついた名曲である。

9. Theme from Space Island

「Theme from Space Island」は、タイトル通り架空の映画やテレビ番組のテーマ曲のような響きを持つ楽曲である。「Space Island」という言葉には、宇宙的な逃避、孤立した場所、レトロ・フューチャー的なユーモアがある。!!!のアルバムの中で、この曲は少し遊び心のある音響的な場面として機能する。

サウンドは、スペーシーな質感とファンキーなリズムが混ざっている。曲は、ダンス・パンクの勢いだけではなく、サイケデリックでコミカルな空間を作る。電子音やエフェクトは、真剣な宇宙旅行というより、安っぽいSF映画のセットのような楽しさを持っている。

この曲の役割は、アルバム全体に余白と奇妙なユーモアを与えることにある。『Louden Up Now』は政治的な怒りや都市的な緊張を含む作品だが、同時にバンドは遊びを忘れない。踊ること、ふざけること、架空の島を作ることもまた、閉塞した現実への反応である。

「Theme from Space Island」は、アルバムの中では小休止のように聞こえるが、!!!の多面的な美学を示している。彼らは単に攻撃的なダンス・パンクを鳴らすだけではなく、レトロなSF感、ダブ的な空間、ファンクの反復を使って、奇妙な逃避空間を作ることもできる。この軽さが、アルバムを一面的な政治的怒りに閉じ込めない。

10. Shit Scheisse Merde, Pt. 1 – Instrumental

「Shit Scheisse Merde, Pt. 1 – Instrumental」は、先に登場した断片的なトラックをインストゥルメンタルとして再配置した楽曲である。ヴォーカルの罵倒的な要素が後退することで、リズムや音の粗さがより前に出る。!!!の音楽において、声は重要な要素だが、声がなくてもグルーヴと音響だけで十分にバンドの個性が伝わることを示している。

この曲は、アルバム構成上、反復と変奏の役割を持つ。同じ素材が別の形で戻ってくることにより、アルバム内に奇妙な連続性が生まれる。ダンス・ミュージックでは、リミックス、ダブ・ヴァージョン、インストゥルメンタルが重要な文化として存在する。!!!はその感覚をロック・アルバムの中に持ち込んでいる。

サウンドは、ラフでミニマルで、グルーヴの骨格がむき出しになっている。ヴォーカルによる意味が消えることで、聴き手はベース、ドラム、ギターの噛み合わせに集中する。これは、!!!がどれほどリズム・セクションを重視しているかを改めて感じさせる。

このトラックは、単なる余り物ではなく、アルバムのダブ的な感覚を示す存在である。声を抜き、構造を変え、同じ素材を別の角度から聴かせる。そこに、!!!のクラブ・ミュージックへの理解が表れている。

11. Intensify

アルバム終盤に置かれた「Intensify」は、タイトル通り、強度を高めることをテーマにした楽曲である。『Louden Up Now』全体が音量、熱量、身体性を増幅するアルバムであることを考えると、このタイトルは非常に象徴的である。曲は、リズムの反復によって徐々にテンションを高め、聴き手を終盤の高揚へ導く。

サウンドは、ファンク的なベースとタイトなドラム、鋭いギター、電子的な装飾が重なり合う。曲は非常にダンサブルだが、単純に明るいわけではない。むしろ、強度が上がるほど、どこか不穏さも増す。!!!の音楽では、踊ることと不安になることが同時に起こる。これは非常に重要な特徴である。

歌詞では、激化、増幅、圧力の上昇が示唆される。政治的な状況、身体的な欲望、パーティーの熱、社会的な怒りがすべて「intensify」していく。2000年代前半のアメリカ社会における緊張感を、!!!は抽象的なグルーヴの中で表現しているように聞こえる。

「Intensify」は、アルバム終盤のエネルギーを支える重要曲である。長いグルーヴの中で少しずつ熱を上げる!!!の得意な方法が、タイトル通り明確に示されている。踊りながら圧力を感じる、という本作の感覚をよく表した楽曲である。

12. Feel Good Hit of the Fall

「Feel Good Hit of the Fall」は、タイトルからしてQueens of the Stone Ageの「Feel Good Hit of the Summer」を思わせるような皮肉な響きを持つ楽曲である。「気分が良くなる秋のヒット」という言葉は、ドラッグ、ポップ・ソング、季節感、商業的なヒットへの皮肉を含んでいるように聞こえる。!!!らしいユーモアと批評性があるタイトルである。

サウンドは、アルバム終盤らしく、グルーヴを維持しながらもやや緩んだ感触がある。ここでは、過剰に緊張した政治的怒りというより、パーティーが続いた後の少し疲れた快楽が漂う。だが、その疲れも含めて!!!の音楽である。踊り続けることは楽しいが、同時に消耗も伴う。

歌詞のテーマは、快楽が商品化されること、あるいは気分の良さが消費されることへの皮肉として読める。ポップ・ミュージックはしばしば、聴き手を気分よくさせる商品として機能する。!!!はその仕組みを理解しながら、自分たちもまた踊れる音楽を作る。この矛盾を、彼らは皮肉と身体性で引き受けている。

「Feel Good Hit of the Fall」は、アルバムの終盤にふさわしく、快楽と疲労、ヒット性と皮肉が混ざった楽曲である。『Louden Up Now』が単なる享楽のアルバムではなく、享楽そのものを疑いながらも手放さない作品であることを示している。

13. By the Time I Get to Venus

「By the Time I Get to Venus」は、アルバムを締めくくる楽曲であり、タイトルからして宇宙的な逃避とロマンティックな誇張を感じさせる。Glen Campbellの「By the Time I Get to Phoenix」を連想させるタイトルのもじりでもあり、地名がPhoenixからVenusへ置き換わることで、現実の移動が宇宙的な距離へ拡大されている。!!!らしい引用と変形の感覚が表れている。

サウンドは、アルバムの最後にふさわしく、長いグルーヴとサイケデリックな広がりを持つ。曲は明確な終止へ急がず、反復の中で徐々に遠ざかるように進む。ここには、ダンス・フロアの熱が宇宙へ拡散していくような感覚がある。

歌詞では、距離、移動、逃避、到達できない場所への憧れが感じられる。Venusは金星であり、愛の女神の名でもある。つまり、宇宙的な場所であると同時に、欲望や愛の象徴でもある。そこへたどり着く頃には、何かが変わっているかもしれない。しかし、その到達は現実的ではなく、むしろ果てしない逃避のイメージとして響く。

この曲でアルバムが終わることにより、『Louden Up Now』は都市の政治的緊張から始まり、最終的には宇宙的な逃避へ向かう。だが、それは完全な解放ではない。踊り続けた先にあるのは、別の惑星のように遠い場所であり、そこへ本当にたどり着けるかは分からない。!!!らしい、快楽と不安が入り混じった終幕である。

総評

『Louden Up Now』は、2000年代前半のダンス・パンク・シーンを代表するアルバムであり、ロックとダンス・ミュージックが再び強く接続された時代の熱気を刻んだ作品である。!!!は本作で、ポスト・パンクの鋭い批評性、ディスコの反復、ファンクの身体性、クラウトロックの持続、パンクの粗さ、クラブ・ミュージックの長尺感を組み合わせ、非常に独自のグルーヴを作り上げている。

本作の最大の魅力は、リズムの持続にある。多くのロック・アルバムがメロディ、歌詞、ギター・リフを中心に構成されるのに対し、『Louden Up Now』ではベース、ドラム、パーカッションの反復が主役である。ギターも、コードやソロで曲を支配するのではなく、リズムの一部として刻まれる。これは、ポスト・パンク以降のダンス・ロックの重要な発想である。ロック・バンドでありながら、曲の中心は「演奏されるグルーヴ」にある。

!!!の音楽は、踊れる。しかし、それは単に楽しいだけではない。本作のグルーヴには、政治的な苛立ち、都市的な緊張、権力への皮肉、身体を管理されることへの反発が含まれている。「Pardon My Freedom」や「Me and Giuliani Down by the School Yard」では、自由、規制、都市、権力といったテーマが明確に表れる。だが、!!!はそれを重々しいプロテスト・ソングにはしない。彼らは怒りを踊れる形へ変える。これが本作の最も重要な点である。

また、本作は2000年代初頭のインディー・シーンにおけるクラブ文化の重要性を示している。The RaptureやLCD Soundsystemと同じく、!!!はロック・バンドがクラブ・ミュージックから何を学べるかを実践した。曲を短く完結させるのではなく、同じグルーヴを持続させ、少しずつ変化させる。ヴォーカルはメロディだけでなく、煽りや掛け声として使う。リズムの細部によって空間を作る。こうした方法論は、ロックを再び身体的な音楽へ戻す役割を果たした。

『Louden Up Now』は、非常に猥雑なアルバムでもある。タイトルや歌詞には罵倒、下品なユーモア、政治的な皮肉が多く含まれる。「Shit Scheisse Merde」のような断片は、洗練されたダンス・ロック作品にはない汚れを持ち込む。これにより、本作は単なるスタイリッシュなポスト・パンク・リヴァイヴァルにはならない。汗、酒、罵声、冗談、雑音が混ざった生々しいパーティーの記録として響く。

一方で、本作には聴き手を選ぶ部分もある。メロディアスなロックや、明確なサビを求めるリスナーにとっては、長い反復やラフなヴォーカルが冗長に感じられるかもしれない。Nic Offerの声も、伝統的な歌唱力を楽しむタイプではない。しかし、!!!の音楽においては、その粗さが重要である。声は美しく歌うためではなく、グルーヴを煽り、場を揺らすためにある。ロック・ヴォーカルというより、パーティーの扇動者に近い。

本作の時代的意義も大きい。2000年代前半、インディー・ロックはガレージ・ロック・リヴァイヴァルやポスト・パンク・リヴァイヴァルを通じて、再びギター・バンドの活気を取り戻していた。その中で!!!は、単に過去のポスト・パンクを再現するのではなく、よりクラブ的で、長尺で、パーカッシヴな方向へ進んだ。彼らの音楽は、Gang of FourやLiquid Liquidの影響を受けつつ、2000年代の政治状況とインディー・ダンス・シーンの中で新しい意味を持った。

後の音楽シーンへの影響という点でも、『Louden Up Now』は重要である。2000年代以降、ロック・バンドがダンス・ミュージックやクラブ・カルチャーと接続することは珍しくなくなった。インディー・ダンス、エレクトロ・ロック、ディスコ・パンク、さらにはフェス向けのダンス・ロックまで、多くの流れが生まれた。その中で!!!は、より生々しく、政治的で、ファンクに根ざした方法を示したバンドだった。本作は、その代表的な記録である。

日本のリスナーにとって『Louden Up Now』は、2000年代洋楽インディーの「踊れるロック」を理解するうえで欠かせないアルバムである。The StrokesやInterpolのようなギター・ロックとは異なり、!!!はリフやメロディよりもグルーヴを中心に置く。そのため、聴き方も少し異なる。曲の展開を追うというより、ベースとドラムの反復に身体を預けることが重要である。そのうえで歌詞やタイトルに含まれる政治的な皮肉を読むと、本作の奥行きが見えてくる。

総じて『Louden Up Now』は、音量を上げ、身体を動かし、権力を笑い、都市の閉塞を踊りながら突破しようとするアルバムである。ロックの怒りをディスコの反復へ、政治的な違和感をファンクのグルーヴへ、パンクの粗さをクラブの熱へ変換した作品である。洗練されすぎていないこと、長く反復すること、下品であること、政治的でありながら踊れること。そのすべてが『Louden Up Now』の魅力であり、2000年代ダンス・パンクの重要作として今なお強い存在感を放っている。

おすすめアルバム

1. The Rapture『Echoes』

2003年発表。2000年代ダンス・パンクを代表する名盤であり、ポスト・パンク、ディスコ、ハウス的なリズムをロック・バンドの形式へ落とし込んだ作品である。「House of Jealous Lovers」をはじめ、ギター・ロックとクラブ・ミュージックの接点を理解するうえで重要であり、『Louden Up Now』と同時代の空気を強く共有している。

2. LCD Soundsystem『LCD Soundsystem』

2005年発表。James MurphyによるLCD Soundsystemのデビュー・アルバムで、ディスコ、パンク、エレクトロ、ポスト・パンク、クラブ文化への批評的な視点が混ざり合っている。!!!よりもやや知的でメタ的なユーモアが強いが、ロックとダンスの接続という点で非常に関連性が高い。

3. Gang of Four『Entertainment!』

1979年発表。ポスト・パンクとファンクの融合、鋭いギター、政治的な歌詞によって、ダンス・パンクの重要な源流となった作品である。!!!のギターの刻み方、リズムの使い方、政治性と身体性の結びつきを理解するうえで欠かせないアルバムである。

4. Liquid Liquid『Liquid Liquid』

1983年発表のEPを中心とする作品群。ニューヨークのノー・ウェイヴ以後のダンス・ミュージック、パーカッション、ベース、ミニマルな反復が特徴である。!!!のグルーヴ志向や、ロック・バンド的な編成を使いながらクラブ的な身体性を作る方法の重要な先行例として聴ける。

5. Out Hud『S.T.R.E.E.T. D.A.D.』

2002年発表。!!!とメンバーを共有するOut Hudの作品で、よりインストゥルメンタルでエレクトロニック、ダブやディスコの要素が強い。『Louden Up Now』のリズムやダンス・ミュージック的な側面を別角度から理解するうえで非常に関連性が高いアルバムである。

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