発売日: 1996年8月13日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、カレッジ・ロック、アートロック
概要
『Limbo』は、Throwing Musesが1996年に発表した7作目のスタジオ・アルバムであり、一度バンドとしての活動に幕を下ろす直前の、緊張と静けさが同居した終章的作品である。
前作『University』(1995)で見せたストレートでポップ志向のサウンドから、さらに一歩内面へと踏み込み、本作では再び構造の複雑さや感情の不安定さが強調されるようになっている。
バンドとしての活動は本作を最後にしばらく停止され、以降はクリスティン・ハーシュのソロ活動が本格化することになる。
“Limbo(辺獄)”というタイトルには、天国でも地獄でもない場所、明確な帰属を拒む不確かで曖昧な時間と空間の感覚が込められており、Throwing Musesという存在そのものが“カテゴライズ不能”であることの象徴とも言える。
全曲レビュー
1. Buzz
鋭く立ち上がるギターとハーシュの怒りを含んだボーカルがアルバムの幕を開ける。
音数は少なくとも、緊張感と毒気が詰まったThrowing Musesらしい出発点。
2. Ruthie’s Knocking
複雑な構成と不穏なメロディが印象的なミッドテンポ・ナンバー。
ドアを叩く“ルーシー”とは誰か? 記憶、亡霊、過去の自分? 問いを投げかける1曲。
3. Freeloader
シンプルなリフとパワフルなドラムが光るアップテンポ曲。
「寄生者」というタイトルが示すように、人間関係における一方的な依存をテーマにしている。
4. The Field
アコースティック寄りのアレンジが新鮮な、内省的な楽曲。
草原のように静かで、だがどこか恐ろしさを孕んだ空間を音像化している。
5. Limbo
タイトル曲にふさわしく、曖昧で浮遊するような構成。
明確なサビや展開を避け、ずっと“中間”に居続けるような感覚を与える。
6. Tar Kissers
感情の激しさを剥き出しにした攻撃的トラック。
「タールにキスする者たち」という比喩が、毒と快楽、破壊と親密さの表裏を描く。
7. Mr. Bones
わずかにポップなメロディラインが顔を出すが、不協和と奇妙なユーモアが混ざる一曲。
死や存在の軽さをメタファーとして扱っている可能性もある。
8. Night Driving
夜の運転=孤独と集中の時間を描くスロウナンバー。
淡々とした語りが深い没入感を生む。
9. Cowboy
Throwing Musesらしい捻りのあるミディアム・ロック。
アメリカーナ的なモチーフを持ちながら、その裏に暴力性や支配の構造が見え隠れする。
10. Snakeface
リフレインと歪んだギターが交錯する、濁流のような楽曲。
“蛇の顔”という象徴が、裏切りや偽りの皮膚感覚を呼び起こす。
11. Pretty or Not
バンド後期らしい、淡々としていながら刺さる内向的トラック。
“きれいかどうか”という単純な基準への抵抗と皮肉を込めた歌詞が光る。
12. Ellen West
『The Real Ramona』にも登場した楽曲の再演。
カナダの詩人エレン・ウェストをモデルにしたこの楽曲は、摂食障害と芸術の関係をテーマにしており、Throwing Musesの文学性と痛覚を凝縮した名曲である。
総評
『Limbo』は、Throwing Musesというバンドが最も静かに、しかし最も強く“自分たちであること”を鳴らした作品である。
ターニャ・ドネリーの不在により、ハーシュの個人的ビジョンがより明確に反映された作品となったが、そこには決して自己陶酔的な閉鎖性はなく、むしろリスナーの“感情の奥底に潜り込む”開かれた内面性がある。
この作品は、クリスティン・ハーシュが自身の精神や生活を音楽に変換する技術を最も高いレベルで用いた結果であり、
かつ、Throwing Musesという“誰にも似ていない”バンドが、バンドとしての形を失いながら最後に鳴らした、断崖の上の詩でもある。
おすすめアルバム
- Kristin Hersh / Strange Angels
本作と並行して制作されたソロ作。静けさと祈りのような音が共鳴する。 - Throwing Muses / University
構造的にもっとも近い前作。『Limbo』を“夜”とすれば『University』は“夕方”のような印象。 - PJ Harvey / Is This Desire?
自己と欲望、破壊と静けさが同居する“女性の音楽”という文脈で呼応する。 - Cat Power / Moon Pix
繊細な心理描写とリズムの間の使い方において、静的なThrowing Musesに最も近い現代的作品。 - Low / Secret Name
構成のミニマリズムと感情の奥行きが、本作の影と重なる。
歌詞の深読みと文化的背景
『Limbo』という言葉は、宗教的にも心理的にも“どこにも属さない中間状態”を指す。
このアルバムの楽曲群もまさにその象徴であり、“名付けられない感情”“処理されない記憶”と向き合うためのプロセスのようなものとして機能している。
1990年代中盤、オルタナティヴ・ロックが次第に商業主義に呑まれていく中で、Throwing Musesはこの作品を通じて、
どこにも迎合しない“未解決のままのリアリティ”を最後まで差し出す勇気を選んだのだった。
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