
発売日:1984年10月2日
ジャンル:オルタナティヴ・ロック、カレッジ・ロック、パンク・ロック、インディー・ロック、パワーポップ
概要
The Replacementsの『Let It Be』は、1984年に発表された3作目のスタジオ・アルバムであり、1980年代アメリカン・インディー/オルタナティヴ・ロックの歴史において決定的な作品である。ミネソタ州ミネアポリス出身のThe Replacementsは、Paul Westerberg、Bob Stinson、Tommy Stinson、Chris Marsを中心に結成されたバンドで、初期は荒々しいパンク・バンドとして活動していた。しかし本作では、単なる酔いどれパンクの衝動を超え、メロディ、ユーモア、自己嫌悪、青春の孤独、反抗、そして深い人間味を併せ持つソングライティングへ大きく飛躍している。
アルバム・タイトル『Let It Be』は、The Beatlesの有名作と同名である。これは敬意であると同時に、The Replacementsらしい悪ふざけでもある。世界的なロック神話に対して、地方都市の無頼な若者たちが同じタイトルを平然と掲げる。その態度には、ロック史への愛情と反抗、真剣さと冗談が同時に存在している。The Replacementsの魅力はまさにこの二面性にある。彼らは本気で美しい曲を書ける一方で、その美しさを台無しにするような雑さや照れ隠しを持ち込む。『Let It Be』は、その矛盾が最も魅力的な形で結晶したアルバムである。
1984年のアメリカでは、メインストリームではMTV時代の華やかなポップやハードロックが勢いを持ち、地下ではR.E.M.、Hüsker Dü、Minutemen、Sonic Youth、The Meat Puppetsなどが、後のオルタナティヴ・ロックへつながる新しい表現を築いていた。The Replacementsはその中でも特に、パンクの荒さとクラシックなロックンロールのメロディを結びつけた存在だった。政治的スローガンや実験的な構造よりも、彼らが描いたのは、うまく生きられない若者、孤独な夜、退屈な町、言葉にできない傷、そして不器用な優しさである。
『Let It Be』が重要なのは、パンク以後のロックが、怒りだけでなく脆さや叙情を表現できることを示した点にある。初期パンクの直接性を保ちながら、Paul Westerbergのソングライティングはここで大きく成熟している。「I Will Dare」や「Unsatisfied」には、後のインディー・ロック、パワーポップ、オルタナティヴ・カントリーにまでつながるメロディの力がある。一方で「Tommy Gets His Tonsils Out」や「Gary’s Got a Boner」には、バンドの馬鹿馬鹿しさ、下品さ、破壊衝動が残っている。この高低差が、アルバムを単なる名曲集ではなく、若さそのものの記録にしている。
The Replacementsは、技術的に完璧なバンドではない。むしろ、演奏はしばしば粗く、音は整いすぎず、曲によってはわざと雑に見える。しかし、その粗さは欠点ではなく、感情の真実味を生んでいる。Paul Westerbergの声には、酔い、照れ、怒り、孤独、優しさが混ざっている。Bob Stinsonのギターは制御不能なノイズとロックンロールの熱を持ち、Tommy StinsonのベースとChris Marsのドラムは、曲を荒々しく前へ進める。バンド全体が、崩れそうで崩れない場所で鳴っている。
日本のリスナーにとって『Let It Be』は、Nirvana以降のオルタナティヴ・ロック、90年代インディー・ロック、エモ、パワーポップ、オルタナ・カントリーを理解するうえで非常に重要な作品である。洗練された音作りではなく、曲の奥にある不器用な感情に耳を向けるアルバムである。青春を美しく飾るのではなく、恥ずかしさ、馬鹿馬鹿しさ、孤独、衝動、逃げ場のなさをそのまま鳴らす。『Let It Be』は、壊れかけた若者たちが、自分たちのどうしようもなさをロックンロールに変えた、アメリカン・インディーの金字塔である。
全曲レビュー
1. I Will Dare
オープニング曲「I Will Dare」は、『Let It Be』の魅力を最も分かりやすく示す名曲である。軽快なギター、跳ねるリズム、Paul Westerbergの少しぶっきらぼうなヴォーカルが、アルバムの幕開けを明るく、しかしどこか危うく彩る。タイトルの「I Will Dare」は、「あえてやってみる」「踏み出してみる」という意味を持ち、恋愛や人生に対する不器用な勇気を感じさせる。
音楽的には、The Replacementsがパンクからメロディアスなギター・ロックへ進化したことを象徴する曲である。激しい速度や怒鳴るような歌ではなく、ここでは曲そのものの良さが前面に出ている。ギターの響きは明るく、どこかフォークロックやパワーポップにも通じる。R.E.M.やThe Byrdsの影響を思わせる部分もあるが、The Replacementsの場合、そこにもっと荒く、酔ったような人間味が加わる。
歌詞では、相手に近づきたい気持ちと、自分の不安定さを自覚する感覚が混ざっている。恋愛を堂々と語るのではなく、うまくいくか分からないが、それでも一歩踏み出してみる。若さの中にあるためらいと衝動が、この曲には自然に刻まれている。Westerbergの歌唱は、甘くなりすぎず、どこか照れくさそうである。その照れこそが、曲の誠実さを支えている。
「I Will Dare」は、The Replacementsがただのパンク・バンドではなく、優れたソングライティングを持つバンドであることを示した曲である。アルバム冒頭に置かれることで、『Let It Be』は荒々しさだけではなく、メロディと感情を持った作品として始まる。衝動と優しさが同時に鳴る、彼らの代表曲のひとつである。
2. Favorite Thing
「Favorite Thing」は、前曲のメロディアスな流れを引き継ぎながら、より勢いのあるロックンロールとして機能する楽曲である。タイトルは「お気に入りのもの」という意味だが、歌詞の語り口は単純な賛美ではなく、欲望、執着、若者らしい落ち着きのなさを含んでいる。The Replacementsらしい、甘さと乱暴さが同居した曲である。
サウンドはパンク的な疾走感を保ちながら、メロディは明快である。ギターは荒く鳴り、リズムは前へ急ぐ。演奏は整いすぎていないが、その粗さが曲の熱を生む。The Replacementsの演奏は、完璧なグルーヴを目指すものではなく、その瞬間に感情がこぼれ出るような勢いを大切にしている。
歌詞では、自分にとって大切なもの、惹かれてしまうものへの衝動が描かれる。恋愛対象とも読めるし、音楽や逃避の対象とも読める。重要なのは、語り手がその対象に対して理性的に向き合っているわけではない点である。好きなものは好きで、そこに理由は必要ない。その単純さと危うさが曲の核心である。
「Favorite Thing」は、アルバム序盤にエネルギーを与える楽曲である。「I Will Dare」で示されたメロディの魅力に、初期パンクの荒さが加わることで、The Replacementsの両面が見える。彼らは繊細になりすぎると照れてしまうようなバンドであり、その照れをロックの勢いで隠す。この曲には、その性格がよく表れている。
3. We’re Comin’ Out
「We’re Comin’ Out」は、短く、荒々しく、パンクの衝動が強く残った楽曲である。タイトルは「俺たちは出ていく」「表に出る」という意味を持ち、閉じ込められた場所から飛び出そうとするエネルギーを感じさせる。『Let It Be』の中でも、初期The Replacementsの乱暴な側面が前面に出た曲である。
サウンドは速く、音は粗い。ギターは激しくかき鳴らされ、ドラムは前のめりに進む。ヴォーカルもほとんど叫びに近く、洗練とは無縁である。しかし、この曲の価値はまさにその雑さにある。The Replacementsは、すべてを美しく整えたバンドではない。衝動が先にあり、整合性は後からついてくる。
歌詞の内容は、社会や日常の抑圧から飛び出すような感覚として読める。若者が小さな町や家庭、学校、仕事、期待から逃げ出したいと思う時、その感情は必ずしもきれいな言葉にならない。ただ叫び、走り、外へ出る。それがこの曲の感覚である。
「We’re Comin’ Out」は、アルバムの中で重要な荒さを担っている。もし『Let It Be』が美しいメロディの曲だけで構成されていたら、The Replacementsらしさは薄れていただろう。この曲のような乱暴な短距離走があるからこそ、後に続く繊細な曲の痛みもより強く響く。
4. Tommy Gets His Tonsils Out
「Tommy Gets His Tonsils Out」は、タイトルからしてふざけた楽曲である。ベーシストのTommy Stinsonの扁桃腺摘出を題材にしたようなタイトルは、深刻なロック・アルバムの中に突然馬鹿馬鹿しい日常の出来事を持ち込む。The Replacementsらしい悪ふざけが全開の曲である。
サウンドはラフで、ほとんどガレージ・パンクに近い。演奏は勢い重視で、細かな完成度よりもバンドがその場で騒いでいるような感覚が前面に出る。The Replacementsにとって、ロックは高尚な芸術だけではなく、友人同士の冗談、退屈な日常の破壊、くだらない出来事を大げさに鳴らす場でもあった。
歌詞のテーマは、病院や身体的な出来事をめぐるコミカルな騒ぎとして聴ける。重大な病ではなく、扁桃腺というどこか間の抜けた題材を選ぶところに、彼らの反ヒロイズムがある。ロック・スター的な神話ではなく、普通の若者のだらしない日常。そのだらしなさを隠さないことが、彼らの魅力である。
この曲は、アルバム全体のバランスを考えるうえで重要である。『Let It Be』はしばしば名盤として語られるが、その名盤性は真面目な曲だけによって成立しているわけではない。くだらなさ、下品さ、馬鹿馬鹿しさがあるからこそ、The Replacementsの人間味が生まれる。「Tommy Gets His Tonsils Out」は、その馬鹿馬鹿しさを代表する曲である。
5. Androgynous
「Androgynous」は、『Let It Be』の中でも特に重要な楽曲であり、The Replacementsの優しさと先進性が最もはっきり表れた一曲である。タイトルは「両性的」「男性性と女性性の境界を越えた」という意味を持ち、ジェンダー表現や社会的な規範から自由になる人物たちを描いている。1984年のアメリカン・インディー・ロックにおいて、このテーマをこれほど素直に、温かく歌ったことは非常に意義深い。
サウンドはピアノを中心にしたシンプルなバラードである。パンク的な荒々しさはここでは後景に下がり、Westerbergの歌とメロディが前面に出る。演奏は非常に素朴で、ほとんどデモのような親密さを持つ。だが、その簡素さが歌詞の温かさを強めている。
歌詞では、DickとJaneという人物が登場し、性別や服装、社会的な見た目の枠を越えて、自分らしく存在することが肯定される。ここには、からかいや冷笑ではなく、深い優しさがある。The Replacementsは不良で、下品で、酔っぱらったバンドというイメージを持たれがちだが、この曲は彼らが社会の外側にいる人々へ向ける共感を示している。
「Androgynous」は、The Replacementsが単なる乱暴なロック・バンドではないことを証明する楽曲である。彼らは、規範にうまくなじめない人、周囲から浮いてしまう人、名前を与えられない違和感を抱える人々の側に立つ。この曲の優しさは、後のオルタナティヴ・ロックやインディー・ロックにおけるクィアな感性やアウトサイダーへの共感にもつながる重要なものだと言える。
6. Black Diamond
「Black Diamond」は、KISSの楽曲のカバーであり、アルバムの中で異彩を放っている。The ReplacementsがKISSを取り上げることは、彼らのロック観を考えるうえで重要である。パンクやカレッジ・ロックの文脈にいながら、彼らはハードロックや少年時代に聴いた大衆的なロックを嫌っていなかった。むしろ、そうした音楽への愛情を、照れと冗談を交えて表現している。
サウンドは荒々しく、原曲のハードロック的な重さを保ちながらも、The Replacementsらしいラフさが加わっている。演奏は完璧なコピーではなく、彼ら自身の酔いどれロックンロールとして鳴っている。KISSの大仰なロック・ショー的魅力が、ここでは地下バンドの雑で熱い演奏へ変換されている。
歌詞は夜の街、孤独、危うい人物像を描くものであり、The Replacementsの世界にも意外に合っている。彼らはしばしば、社会の中心から外れた人々や夜の孤独を歌ってきた。「Black Diamond」の持つ暗い輝きは、『Let It Be』の不良性ともよく響き合う。
このカバーは、アルバムの中でThe Replacementsのロックへの広い愛情を示す。彼らは高尚な趣味だけを持つインディー・バンドではない。安っぽいもの、派手なもの、子どもの頃に興奮したものも、彼らにとっては重要な音楽の一部である。その雑食性が、後のオルタナティヴ・ロックの精神にもつながっていく。
7. Unsatisfied
「Unsatisfied」は、『Let It Be』の中でも最も重要で、The Replacementsのキャリア全体を代表する名曲のひとつである。タイトルは「満たされない」という意味であり、青春の不満、人生への違和感、どうしても埋まらない空白を、非常に切実に歌っている。The Replacementsの荒々しいユーモアの奥にある痛みが、この曲ではむき出しになっている。
サウンドは比較的シンプルだが、感情の爆発力は非常に大きい。ギターは広がりを持ち、ドラムはゆっくりと曲を支える。Westerbergのヴォーカルは、技術的に完璧ではないが、だからこそ痛切である。声はかすれ、揺れ、叫びに近づく。満たされなさを歌うためには、完璧な歌唱よりも、この不完全な声が必要だった。
歌詞では、何を得ても満たされない感覚が繰り返される。これは恋愛の不満であると同時に、人生そのものへの不満である。若者が抱える漠然とした空虚、社会に適応できない感覚、未来が見えない不安、何かを求めているのに何を求めているか分からない状態。すべてがこの一語「Unsatisfied」に凝縮されている。
この曲のすごさは、具体的な説明をほとんど必要としない点にある。誰もが感じたことのある、言葉にならない欠落を、そのまま叫びに変えている。後のオルタナティヴ・ロック、エモ、インディー・ロックにおける自己嫌悪や不満の表現は、この曲の延長線上にあると言える。「Unsatisfied」は、The Replacementsの魂そのもののような楽曲である。
8. Seen Your Video
「Seen Your Video」は、MTV時代の映像文化やロック・ビジネスに対する皮肉を込めたインストゥルメンタル中心の楽曲である。タイトルは「君のビデオを見た」という意味で、音楽そのものよりもミュージック・ビデオやイメージが重視される時代への反応として聴ける。The ReplacementsはMTV的な売り方や業界の形式に対して、強い違和感を持っていたバンドでもある。
曲はほとんど歌詞らしい歌詞を持たず、演奏が中心で進む。ギター・リフは勢いがあり、バンドは半ば冗談のようにロックンロールを鳴らす。歌詞を極端に少なくすることで、「ビデオを見た」という表面的な消費だけが残る。この構造自体が皮肉として機能している。
1980年代は、音楽が映像と強く結びつき、スターの見た目や演出が商業的成功に大きく影響するようになった時代である。The Replacementsはその流れに完全には適応しなかった。彼らは不器用で、見栄えを整えることを拒み、しばしば自分たちのチャンスを自分たちで壊した。「Seen Your Video」は、その反抗的な態度を音にした曲である。
この曲は、アルバムの中で軽い冗談のように聴こえるが、実はThe Replacementsの美学をよく示している。音楽をイメージ商品にすることへの抵抗、きれいに売られることへの拒否。その不器用な抵抗が、彼らを商業的には扱いにくい存在にしたが、同時に長く愛される理由にもなった。
9. Gary’s Got a Boner
「Gary’s Got a Boner」は、タイトルからして下品で馬鹿馬鹿しい楽曲である。The Replacementsのアルバムにおいて、このような曲が「Unsatisfied」や「Androgynous」と同じ場所にあることが重要である。彼らは深刻さだけでは耐えられず、必ず冗談や下品さでそれを壊しにかかる。この曲は、その性格を最も分かりやすく示している。
サウンドは直線的なパンク・ロックで、勢いと悪ふざけが中心にある。演奏は荒く、歌詞もほとんどジョークのようである。しかし、この曲を単なる捨て曲として片づけると、The Replacementsの本質を見誤る。彼らにとって、ロックンロールは高尚な自己表現であると同時に、くだらない衝動の解放でもある。
歌詞のテーマは、性的な衝動を露骨に茶化すものであり、思春期的な馬鹿馬鹿しさに満ちている。洗練された恋愛表現とは正反対で、あまりにも幼稚で、あまりにも直接的である。しかし、The Replacementsはその幼稚さを隠さない。若さには、繊細な孤独だけでなく、どうしようもない身体的な衝動もある。
この曲は、アルバムの品位を下げているようにも見えるが、実際には『Let It Be』を生々しい作品にしている。青春をきれいに編集すれば、「Gary’s Got a Boner」のような部分は削られる。しかしThe Replacementsは削らない。恥ずかしいものも、下品なものも、全部含めて自分たちだという態度がここにある。
10. Sixteen Blue
「Sixteen Blue」は、『Let It Be』の中でも特に繊細で美しい楽曲であり、Paul Westerbergのソングライターとしての才能が深く表れた一曲である。タイトルは「16歳の憂鬱」とも訳せるような響きを持ち、思春期の孤独、自己嫌悪、性への不安、居場所のなさを描いている。
サウンドは穏やかで、メロディは非常に切ない。ギターの響きは柔らかく、バンドは過度に荒れず、歌の感情を丁寧に支える。Westerbergの声は、ここでは乱暴さよりも傷つきやすさが前面に出ている。彼は若者の痛みを外から観察するのではなく、まるで自分自身の古傷を歌うように表現する。
歌詞では、16歳という年齢の不安定さが描かれる。子どもでも大人でもなく、自分の身体や欲望、社会の視線に戸惑う時期である。自分が何者なのか分からず、周囲にも理解されず、ただぼんやりと憂鬱を抱える。この曲は、その感情を非常に優しく扱っている。The Replacementsの乱暴なイメージからは想像しにくいほど、ここには深い共感がある。
「Sixteen Blue」は、「Androgynous」と並んで、The Replacementsがアウトサイダーや不安定な若者に向けた優しさを持っていたことを示す曲である。彼らは不器用で下品だが、同時に、社会にうまくなじめない人の痛みに非常に敏感だった。この曲の静かな美しさは、アルバム後半の大きな山場である。
11. Answering Machine
ラスト曲「Answering Machine」は、『Let It Be』を締めくくるにふさわしい、孤独とコミュニケーションの失敗を描いた名曲である。タイトルは「留守番電話」を意味し、相手に声を届けようとしても、直接つながることができない状況を象徴している。1980年代の具体的なテクノロジーを題材にしながら、テーマは非常に普遍的である。
サウンドは荒く、ほとんど一人で鳴らしているような切迫感がある。ギターは鋭く、ヴォーカルはむき出しで、曲全体に孤立した空気が漂う。バンドの大きなアンサンブルで盛り上げるのではなく、最後に一人の声が機械に向かって叫んでいるような感覚が残る。
歌詞では、電話をかけても相手に直接届かず、留守番電話に向かって言葉を残す虚しさが描かれる。コミュニケーションの手段はあるのに、本当に伝えたいことは伝わらない。この感覚は、現代のメッセージアプリやSNSにも通じる。技術は発達しても、孤独は消えない。むしろ、つながれないことがよりはっきり見えてしまう。
「Answering Machine」は、アルバム全体の終着点として非常に強い。『Let It Be』は、若さ、欲望、下品な冗談、ジェンダーへの優しさ、不満、孤独を描いてきた。そして最後に残るのは、誰かへ声を届けたいのに届かないという感覚である。The Replacementsの本質は、この不器用な通信にある。うまく言えない。ふざけてしまう。怒鳴ってしまう。それでも誰かに届いてほしい。その願いが、この曲に集約されている。
総評
『Let It Be』は、The Replacementsの代表作であると同時に、1980年代アメリカン・インディー・ロックを語るうえで欠かせないアルバムである。パンクの衝動を出発点にしながら、Paul Westerbergのソングライティングはここで大きく成熟し、青春の不安、孤独、欲望、優しさ、馬鹿馬鹿しさを一枚のアルバムに詰め込んだ。完成度の高い作品でありながら、決してきれいに整えられてはいない。その未整理さこそが、本作の生命である。
アルバムの魅力は、曲ごとの振れ幅にある。「I Will Dare」や「Favorite Thing」ではメロディアスなギター・ロックとしての才能が示され、「We’re Comin’ Out」や「Tommy Gets His Tonsils Out」では初期パンクの荒々しさが残る。「Androgynous」ではジェンダーの境界を越える人々への温かなまなざしがあり、「Unsatisfied」では若者の根源的な満たされなさが叫ばれる。「Gary’s Got a Boner」のような下品な冗談の後に、「Sixteen Blue」の繊細な思春期の痛みが現れる。この並び自体が、The Replacementsというバンドの本質である。
Paul Westerbergのソングライティングは、本作で飛躍的に深まっている。彼は文学的に難解な言葉を並べるのではなく、日常的で不器用な言葉によって、言いようのない感情をすくい上げる。「Unsatisfied」のような曲では、ほとんど一語で人生の空白を表現してしまう。「Answering Machine」では、留守番電話という身近な題材を通じて、誰にも届かない孤独を描く。彼の歌詞は、普通の若者の生活に近い場所から、非常に深い感情を引き出す。
音楽的には、パンク、パワーポップ、ガレージ・ロック、フォークロック、ハードロックの要素が混ざっている。The Replacementsはジャンルを意識的に横断するというより、自分たちが好きな音楽を無造作に鳴らしているように見える。しかし、その無造作さの中に、後のオルタナティヴ・ロックの精神がある。高尚なものと低俗なもの、真剣なものと冗談、美しいメロディと雑な演奏を分けない。その態度は、Nirvana、The Lemonheads、Goo Goo Dolls、Soul Asylum、Wilco、Green Day、The Gaslight Anthemなど、後の多くのバンドに通じる。
『Let It Be』は、パンクが大人になりかけた瞬間のアルバムでもある。初期パンクの怒りや速度だけでは表現しきれない感情が、本作にはある。孤独、性への戸惑い、自分の居場所のなさ、周囲と違うことへの不安、何者にもなれない苛立ち。これらは、単純な反抗の言葉では足りない。The Replacementsは、それを時に美しく、時に下品に、時に冗談のように、時に叫びとして鳴らした。
また、本作は「不完全さ」を肯定するアルバムでもある。演奏は完璧ではなく、歌も時に荒れ、曲順も美しく整いすぎていない。だが、その不完全さが、聴き手にとって非常に人間的に響く。完璧なロック・スターではなく、失敗し、酔い、ふざけ、傷つき、誰かに電話してもつながらないような人間たちがここにはいる。The Replacementsが長く愛されるのは、彼らが勝者の音楽ではなく、うまく生きられない人々の音楽を鳴らしたからである。
日本のリスナーにとって本作は、80年代アメリカン・インディーから90年代オルタナティヴへの流れを理解するうえで非常に重要である。R.E.M.の知的で曖昧な美しさ、Hüsker Düの激しさ、The Replacementsの不器用な人間味。この三者を並べると、後のアメリカン・オルタナティヴ・ロックの大きな流れが見えてくる。『Let It Be』はその中でも、最も親密で、最もだらしなく、最も胸に刺さる作品のひとつである。
総じて『Let It Be』は、青春の恥ずかしさと美しさを、何も取り繕わずに鳴らしたアルバムである。立派なことを言えない若者たちが、冗談とノイズとメロディの中で、実はとても大切なことを歌っている。満たされないこと、うまく伝えられないこと、自分らしくあること、間違っていても誰かに届きたいこと。『Let It Be』は、そうした不完全な感情をロックンロールにした、永遠に若く、永遠に不器用な名盤である。
おすすめアルバム
1. The Replacements『Tim』
『Let It Be』の次作であり、メジャー移籍後の代表作。より整理されたサウンドになりながらも、Paul Westerbergのソングライティングはさらに磨かれている。「Bastards of Young」「Here Comes a Regular」など、若者の孤独と失望を描く名曲が収録されており、『Let It Be』の成熟版として聴くことができる。
2. Hüsker Dü『Zen Arcade』
同じミネアポリス周辺の重要バンドによる1984年の大作。The Replacementsよりも激しく、ハードコア・パンクから出発しながら、メロディと内省を拡張している。『Let It Be』と並べることで、80年代アメリカン・インディーがパンク以後にどれほど豊かな表現へ向かったかが分かる。
3. R.E.M.『Murmur』
1980年代カレッジ・ロックを代表する名盤。The Replacementsよりも神秘的で知的な雰囲気を持つが、メインストリームとは異なる場所からアメリカン・ロックを更新した点で共通する。『Let It Be』の荒々しい人間味に対して、こちらは曖昧な詩情とギターの響きが魅力である。
4. The Lemonheads『It’s a Shame About Ray』
The Replacementsの影響を受けた90年代オルタナティヴ/パワーポップの代表作。短くメロディアスな曲、だらしなさと甘さが同居する雰囲気、傷ついた若者の感覚が『Let It Be』と強く響き合う。より軽やかでポップだが、不完全な魅力という点で関連性が高い。
5. Soul Asylum『Hang Time』
同じミネアポリス出身のバンドによる、80年代後半のオルタナティヴ・ロック作品。The Replacementsと同様に、パンクの荒さとメロディアスなロックを結びつけている。後のメインストリーム成功以前の勢いがあり、『Let It Be』以降のアメリカン・ギター・ロックの流れを理解するうえで重要である。

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