発売日: 2002年9月17日（US）
ジャンル: インディー・ロック、オルタナティヴ・ロック、ドリーム・ポップ
概要
『Let Go』は、Nada Surfが2002年に発表した3枚目のスタジオ・アルバムであり、彼らのキャリアを再定義し、90年代の“Popularのバンド”というイメージを完全に払拭した出世作である。
1996年のメジャーデビュー作『High/Low』で一世を風靡しつつも、1998年の『The Proximity Effect』ではレーベルと衝突し、自主リリースに至った彼ら。
その試練を経てたどり着いた『Let Go』は、音楽的にも精神的にも“すべてを手放し、解き放つ”というテーマを掲げる、静かな革命のような作品である。
美しいメロディと、メランコリックで誠実な歌詞。
控えめでいて芯の強いヴォーカルと、バンド全体のナチュラルなアンサンブル。
本作では、過剰な演出やノイズを削ぎ落とし、むしろ“日常のきらめき”を丁寧にすくい取るような音楽が鳴っている。
このアルバムによって、Nada Surfは“ヒット曲の呪縛”から解放され、“インディー・ロックの良心”として静かな尊敬を集めるバンドへと進化した。
全曲レビュー
1. Blizzard of ’77
冒頭を飾るミニマルで優しいアコースティック・ナンバー。
77年の大雪をモチーフにした回想的リリックが、過去の痛みと美しさを静かに掘り起こす。
2. The Way You Wear Your Head
前曲から一転、軽快なギターリフが炸裂するポップ・チューン。
恋の高揚感と“観察する愛”がテーマの、心地よい疾走感。
3. Fruit Fly
切ないメロディが印象的なバラード。
“コバエ”というタイトルが示すように、儚い命や記憶の断片が詩的に描かれる。
4. Blonde on Blonde
Bob Dylanのアルバム名を冠したタイトルだが、内容はまったくの私的世界。
深夜のリスニング体験、音楽と孤独の関係を描いた珠玉の1曲。
5. Inside of Love
本作でもっとも広く知られたバラード。
“愛の外側”にいる感覚を淡々と描きながら、その誠実さと透明感で聴き手の心を打つ。
Nada Surf流の“非モテのアンセム”とも言える。
6. Hi-Speed Soul
タイトル通り、高速で駆け抜けるような衝動を描いたパワーポップナンバー。
ストレートな構成と開放的なコーラスが気持ちいい。
7. No Quick Fix
内省的なロックナンバー。
“すぐに効く治療法などない”というメッセージが、現代的な疲労感とともに響く。
8. Killian’s Red
夜と酒をテーマにした、ややダークで静かな1曲。
自己破壊とロマンチシズムが混在する、詩的な小品。
9. Là Pour Ça
フランス語タイトルのインストゥルメンタル。
わずか1分半の小さな音楽の断片が、アルバムに美しい呼吸を与える。
10. Happy Kid
“幸せそうに見える子”というテーマで描かれる、社会とのズレと内面の乖離。
明るいメロディとのギャップが印象的。
11. Treading Water
“水の上を歩いている”という比喩で描かれる、静かに苦しむ人間の姿。
このアルバムの核心に近い感触を持つ。
12. Let Go
タイトル曲。
アルバムのテーマである“手放す”ことが、人生哲学的なニュアンスで展開される。
穏やかだが、強い決意が込められた曲。
13. Paper Boats
再び登場する静かな終曲。
『The Proximity Effect』にも登場したが、ここではより洗練された形で再録されており、アルバムの余韻を深く残す。
総評
『Let Go』は、Nada Surfというバンドが“自分たちの場所”を音楽の中で見つけた作品である。
派手さはない。だが、その静けさの中にある誠実さ、細部に宿る感情の美しさ、メロディの奥ゆかしさが、聴くたびに心に染みてくる。
Matthew Cawsのボーカルは叫ばない。
むしろ寄り添い、語りかけ、共に沈黙するような距離感を保つ。
その態度は、90年代的な怒りや2000年代初頭の過剰な自己主張とは対照的で、“耳を傾ける価値のある音楽”とは何かを静かに教えてくれる。
2000年代のインディー・ロックにおいて、『Let Go』が与えた影響は決して小さくない。
それは爆発的なインパクトではなく、“ひとりの聴き手の人生に寄り添う”という地道で美しい革命だった。
おすすめアルバム（5枚）
- Death Cab for Cutie / Transatlanticism
似たトーンで描かれる静かな叙情性。『Let Go』との相性は抜群。 - Stars / Set Yourself on Fire
恋と孤独、夜とメロディの交差点で響くカナダ産インディーポップの傑作。 - Keane / Hopes and Fears
ピアノ中心だが、誠実さとポップネスの同居という点で通じる。 - Travis / The Man Who
イギリス的な抑制の美学と、情感の強さがNada Surfと共鳴。 -
Guster / Keep It Together
同時代におけるアメリカン・インディーの良心。穏やかな音の重なりが心地よい。
制作の裏側（Behind the Scenes）
『Let Go』は、前作に続き自主レーベルBarsuk Recordsからリリースされたが、制作面では以前よりも多彩なエンジニアやスタジオを用いて、丁寧な音作りが施された。
録音はNYとロサンゼルスで行われ、ギターのトーン、ドラムの響き、ヴォーカルの距離感まで徹底してナチュラルな空気を目指した。
また、楽曲の多くがツアー中やホテルで書かれたものであり、その旅の中で生まれた断片的な感情や景色が、アルバム全体の“余白の美学”として結晶している。
『Let Go』は、ただのサード・アルバムではない。
Nada Surfにとっては、音楽人生の“第2章”のはじまりを告げる、もっとも重要な1枚だったのだ。
コメント