
1. 歌詞の概要
「Popular」は、ニューヨークのオルタナティヴ・ロック・バンドNada Surfが1996年に発表したデビュー・シングルである。
同年のデビュー・アルバム『High/Low』に収録され、Ric Ocasekがプロデュースを担当した。『High/Low』は1996年6月18日にElektraからリリースされ、「Popular」はアルバムの3曲目に置かれている。(Apple Music)(Wikipedia)
この曲は、90年代オルタナティヴ・ロックの中でもかなり変わったヒット曲である。
普通のロック・ソングのように、ヴァースで感情を歌い、サビで爆発する。
一応、そういう構造はある。
しかし「Popular」のヴァースは、ほとんど歌ではない。
淡々としたスポークン・ワードで、十代の若者に向けた「人気者になるための助言」が読み上げられる。
デートのルール。
別れ方。
恋人の扱い方。
社交のマナー。
学校生活でうまく立ち回る方法。
その語りは、表面上は真面目なアドバイスのように聞こえる。
しかし、曲が進むにつれて、それはどんどん不気味になっていく。
なぜなら、語り手の声には感情がほとんどないからだ。
人間関係が、まるで機械的な手順のように説明される。
誰かを好きになることも、別れることも、人気者になることも、すべてマニュアルの中の項目のように扱われる。
そしてサビで、突然ロック・バンドが噴き出す。
「自分は人気者だ」と誇るようなフレーズが、歪んだギターとともに叫ばれる。
そこには勝利の感覚があるようで、同時にあからさまな空虚さがある。
この曲は、人気者になりたい十代の欲望を歌っている。
しかし、それを素直に肯定しているわけではない。
むしろ、「人気」という言葉の滑稽さ、残酷さ、そして空っぽさを、かなり鋭くからかっている。
「Popular」のヴァース部分は、1964年のティーン向けマナー本『Penny’s Guide to Teen-Age Charm and Popularity』から引用・翻案されたアドバイスを、Matthew Cawsが皮肉っぽいスポークン・ワードで読んだものとされる。(Wikipedia)
つまり、この曲の奇妙さは、最初から仕掛けられている。
ロック・バンドが、古いティーン向け自己啓発本を読み上げる。
そこに90年代オルタナティヴの歪んだギターをぶつける。
すると、半世紀近く前の「人気者になるためのルール」が、急にグロテスクに見えてくる。
学校という小さな社会。
人気者とそうでない者。
クォーターバック、チアリーダー、教師のお気に入り、車、パーティー。
そうした記号が、明るく輝くどころか、少しホラーのように見えてくる。
「Popular」は、青春の勝者を讃える曲ではない。
青春の勝者を演じることの滑稽さを、冷笑と爆音で描いた曲なのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Popular」が収録された『High/Low』は、Nada Surfのデビュー・アルバムである。
録音は1995年12月にニューヨークのElectric Lady Studiosで行われ、The CarsのRic Ocasekがプロデュースを担当した。(Wikipedia)
Ric Ocasekの起用は、このアルバムの音を考えるうえで重要である。
The Carsは、ニューウェーブの機械的なポップ感とロックのフックを結びつけたバンドだった。
Nada Surfの「Popular」にも、その冷たさとキャッチーさの同居がある。
ギターはざらついている。
ドラムはタイト。
サビは大きく、すぐ耳に残る。
しかし、ヴァースの語りは妙に無機質で、歌としての温度を避けている。
この組み合わせが、90年代らしい違和感を生む。
1996年のオルタナティヴ・ロックは、すでにメインストリームの一部になっていた。
Nirvana以降、皮肉、疎外感、ギターの歪み、学校や郊外への違和感が、ラジオやMTVで大きく流れる時代になっていた。
「Popular」は、その空気にぴったりはまった。
ただし、単なるグランジ風の怒りではない。
この曲はもっとコメディに近い。
あるいは、学校を舞台にしたブラック・ユーモアだ。
実際、ミュージック・ビデオも高校を舞台にしている。
Jesse Peretzが監督し、Bayonne High Schoolで撮影されたビデオでは、バンドメンバーが教師や警備員、フットボール・コーチの役を演じ、チアリーダーやフットボール選手が登場する。(Wikipedia)
この映像によって、「Popular」の世界はさらにわかりやすくなった。
高校。
人気者。
恋愛。
フットボール。
チアリーダー。
教師の言葉。
アメリカの青春映画に出てくるような記号が、すべて少しずつ歪んで見える。
曲はMTVでも大きく広がり、BillboardのModern Rock Tracksでは11位を記録した。『High/Low』自体もBillboard 200で63位に入っている。(Wikipedia)
しかし、その成功はバンドにとって少し厄介なものにもなった。
「Popular」は、あまりにも強いキャラクターを持った曲だった。
スポークン・ワード、皮肉なサビ、高校文化のパロディ。
一度聴けば忘れにくい。
しかし、そのぶんNada Surfというバンド全体のイメージを固定してしまう危険もあった。
Matthew Cawsは後年、「Popular」への注目が落ち着いた後、人々が自分たちを落ちぶれたように見たと語っている。また、ライブで演奏しても演奏しなくても誰かが不満を持つ、といった趣旨のコメントも残している。(Wikipedia)
これは、ヒット曲の宿命でもある。
「Popular」は、Nada Surfを世に出した曲である。
同時に、彼らを「一発屋」的なイメージに閉じ込めた曲でもある。
しかし、曲そのものを聴くと、今でもかなりよくできている。
単なるノベルティ・ソングではない。
十代の社会、人気という名の競争、マニュアル化された恋愛、そして自己演出の空虚さを、非常に巧みに風刺している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞の権利に配慮し、ここでは短い範囲に限って引用する。
歌詞全文は、公式配信サービスや権利処理された歌詞掲載サービスで確認するのが望ましい。
I’m popular
和訳すると、次のようになる。
僕は人気者だ
このフレーズは、曲のサビの中心である。
とても単純な言葉だ。
しかし、繰り返されるほどに奇妙に聞こえてくる。
本当に人気がある人は、ここまで「自分は人気者だ」と言う必要があるのか。
この言葉は、自信なのか。
それとも、自信がないからこその自己暗示なのか。
「Popular」の面白さは、この曖昧さにある。
サビの語り手は、クラスのトップで、クォーターバックで、車を持ち、チアリーダーの恋人がいる。
いかにも学校社会の勝者である。
しかし、その言葉は妙に張りぼてっぽい。
学校の人気者という記号を、全部チェックリストのように並べているだけに聞こえる。
もうひとつ、短く引用する。
I’m head of the class
和訳すると、
僕はクラスのトップだ
となる。
この一節も、ただの自慢に見える。
だが、曲全体の皮肉の中では、むしろ滑稽に響く。
頭がいい。
スポーツもできる。
母親にも「いい男」と言われる。
恋人もいる。
教師にも気に入られている。
完璧なように見えるが、あまりにも記号的で、人間味がない。
「Popular」は、その記号の集合体としての人気者像を笑っている。
さらに、ヴァース部分に出てくる「teenage guide to popularity」という発想も重要だ。
teenage guide to popularity
和訳すると、
十代のための人気者ガイド
となる。
人気とは、ガイドで学ぶものなのか。
人間関係は、ルール通りに進めるものなのか。
恋愛も、別れも、自己演出も、マニュアル化できるものなのか。
この問いが、曲全体にある。
歌詞引用については、著作権保護のため最小限にとどめた。ヴァースのもとになった素材については、1964年の『Penny’s Guide to Teen-Age Charm and Popularity』が参照元として広く説明されている。(Wikipedia)
4. 歌詞の考察
「Popular」は、十代の社会をかなり冷たく観察した曲である。
学校という場所は、勉強する場所であると同時に、小さな階級社会でもある。
人気者がいて、そうでない者がいる。
目立つ者と、見えない者がいる。
スポーツができる者、かわいい恋人がいる者、パーティーに呼ばれる者、教師に気に入られる者。
そうしたステータスが、子どもたちの心に大きくのしかかる。
「Popular」は、その構造を笑い飛ばしている。
しかし、笑い飛ばすことで、その残酷さも浮かび上がらせている。
曲のヴァースでは、人気者になるための助言が淡々と読み上げられる。
その内容は、今聴くとかなり奇妙だ。
恋愛をどう管理するか。
相手とどう別れるか。
どうすれば自分の価値を保てるか。
それらが、まるで家庭科やマナー講座のように語られる。
ここで笑えるのは、声の温度と内容のズレである。
人間関係について話しているのに、まるで商品説明のように聞こえる。
恋愛の痛みや恥ずかしさが、手順書に変換されている。
このズレが、サビで爆発する。
ヴァースの冷たい語りから一転して、サビではバンドが大きく鳴る。
「自分は人気者だ」と叫ぶ。
だが、その叫びは誇らしさというより、少し狂気に近い。
人気者であることを、自分に言い聞かせているようにも聞こえる。
あるいは、人気者という役を必死に演じているようにも聞こえる。
この曲の本当の怖さは、誰も本当に自由ではないところにある。
人気者でない人は、人気者になりたい。
人気者である人は、人気者であり続けなければならない。
どちらも、学校の評価システムに縛られている。
「Popular」は、そのシステムをパロディにしている。
サウンド面でも、この皮肉はよく表現されている。
ヴァースの語りは、ほとんど感情を消している。
サビのギターは、そこにたまったストレスを一気にぶちまける。
その落差が、思春期の不自然さに近い。
外では冷静なふりをする。
でも内側では、承認欲求や不安が爆発している。
その二重構造が、曲の構成そのものに入っている。
また、「Popular」は、90年代のオルタナティヴ・ロックにおける「皮肉」の使い方をよく示している。
この時代の多くの曲は、直接的なメッセージよりも、ねじれた視点を好んだ。
何かを本気で言いながら、本気ではないようにも見せる。
笑っているようで、実はかなり怒っている。
ふざけているようで、かなり深刻なことを扱っている。
「Popular」もまさにそうだ。
表面上はコミカルだ。
高校の人気者をからかう曲として、すぐに楽しめる。
しかし、その奥には、十代の不安、恋愛のマニュアル化、自己価値を他人の評価で測ることへの批判がある。
そして、それは今でも古びていない。
現在では、学校の人気だけでなく、SNS上の人気が巨大な意味を持つ。
フォロワー数、いいね、見られ方、ブランディング。
90年代の「人気者になるためのガイド」は、今なら「SNSで好かれるためのガイド」に置き換えられるかもしれない。
そう考えると、「Popular」はむしろ今の時代にもよく刺さる。
人は人気を欲しがる。
そして人気を得るために、振る舞いを調整する。
自分を演出する。
他人の反応を計算する。
この曲が笑っていたものは、消えたどころか、もっと広がっている。
「Popular」は、十代の学校文化を使って、社会全体の承認欲求を描いているとも言える。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Treehouse by Nada Surf
『High/Low』収録曲で、「Popular」の次のシングルとしてリリースされた楽曲である。(Wikipedia)
「Popular」のような強烈な風刺性は少し薄いが、Nada Surfのメロディセンスと90年代オルタナのギター感覚を味わえる曲である。バンドを「Popular」だけで判断したくない人には、まずこの曲を聴くと良い。
- The Plan by Nada Surf
『High/Low』の2曲目に収録された楽曲である。(Apple Music)
「Popular」の直前に置かれた曲で、アルバム全体のざらついたギター・ポップ感をつかむのに向いている。サビの皮肉な爆発とは違い、よりバンドらしい疾走感がある。
- Buddy Holly by Weezer
90年代オルタナティヴ・ロックにおける高校的なユーモア、ギーク感、パワー・ポップのフックを味わえる曲である。
「Popular」の学校文化への皮肉が好きなら、Weezerのこの曲の、少し不器用で愛嬌のあるロック感も合う。Nada Surfが人気者を笑うなら、Weezerは人気者になれない側の奇妙な自己肯定を鳴らしているようにも聴ける。
- Lump by The Presidents of the United States of America
90年代オルタナティヴの中でも、ユーモアとギターのキャッチーさが強い曲である。
「Popular」のように、深刻になりすぎずに妙な世界観で押し切るタイプのヒット曲が好きな人に合う。短く、奇妙で、耳に残る。90年代のラジオが持っていた雑多な楽しさを感じられる。
- Loser by Beck
「Popular」と同じく、90年代のオルタナティヴ・ヒットにおける皮肉と自己演出の名曲である。
Beckの「Loser」が負け犬を自称する曲なら、「Popular」は人気者を自称する曲だ。対照的なタイトルだが、どちらも本気の自己紹介というより、社会的なラベルをずらして遊ぶ曲として響き合う。
6. 人気者という役を笑い飛ばす90年代オルタナの風刺劇
「Popular」は、Nada Surfのキャリアにとって祝福でもあり、呪いでもあった曲である。
この曲のおかげで、彼らは一気に知られた。
MTVで流れ、ラジオで流れ、90年代オルタナティヴの記憶に残る一曲になった。
しかし同時に、この曲があまりにも強いせいで、Nada Surfはしばしば「Popularのバンド」として見られるようになった。
これは少し皮肉だ。
人気というものを笑った曲が、バンドを人気の罠に閉じ込めたのだから。
だが、その皮肉も含めて、「Popular」は今でも面白い。
この曲は、十代の人気者文化を笑う。
クラスのトップ。
クォーターバック。
チアリーダーの恋人。
自分の車。
教師のお気に入り。
母親に褒められる自分。
それらは、アメリカの高校文化の中でわかりやすい成功の記号である。
しかしNada Surfは、それを誇らしく描かない。
むしろ、あまりにも記号的に並べることで、空っぽにしてしまう。
人気者とは何か。
その答えが、チェックリストのように出てくる。
すると、人気者という存在そのものが急に馬鹿馬鹿しく見える。
この曲のサビは、本来なら勝利宣言のような言葉でできている。
しかし、演奏が荒々しく、歌い方も少し過剰なため、それは勝利ではなく演技に聞こえる。
人気者を演じること。
その演技に自分でも飲み込まれていくこと。
「Popular」は、その気持ち悪さをよく捉えている。
ヴァースのスポークン・ワードも重要だ。
昔のティーン向けアドバイス本の言葉を読み上げることで、曲は時代を二重にしている。
1960年代の「人気者になる方法」が、1990年代のオルタナティヴ・ロックの中で蘇る。
すると、それはただ古くさいだけではなく、今も続いている構造のように見えてくる。
時代は変わっても、若者に「こう振る舞えば好かれる」と教える文化は残る。
魅力的であること。
空気を読むこと。
異性とうまく付き合うこと。
自分を価値ある存在に見せること。
「Popular」は、そのマニュアル社会を笑っている。
そして、その笑いは完全に優しいものではない。
この曲には、少し意地悪な楽しさがある。
人気者を笑う快感。
学校のヒエラルキーを外から見て、全部くだらないと言う快感。
でも同時に、そのくだらなさの中に自分も巻き込まれていたことを思い出す苦さもある。
誰だって、人気がまったく気にならなかったわけではない。
学校でどう見られるか。
誰に好かれるか。
誰から選ばれるか。
それは多くの人にとって、かなり切実な問題だった。
だから「Popular」は、ただ人気者をからかうだけの曲ではない。
人気という価値に振り回されたすべての人を、少し苦笑いさせる曲なのだ。
音楽的にも、この曲はよくできている。
ヴァースの冷たい語り。
サビのギターの爆発。
その落差が、曲の風刺を支える。
もし全編が歌だったら、ここまで奇妙にはならなかった。
もし全編が語りだったら、ロックとしてのカタルシスはなかった。
両方があるから、曲は笑えて、同時に気持ちいい。
Ric Ocasekのプロデュースも、曲の輪郭をはっきりさせている。
余計な装飾は少なく、ギター・バンドとしての直線的な力がある。
その中でスポークン・ワードの奇妙さがより浮き上がる。
「Popular」は、ノベルティ・ソングとして消費される危険を持っていた。
しかし、それだけでは終わらなかった。
なぜなら、曲の風刺がかなり正確だったからだ。
人気者になりたい。
でも、人気者というもの自体が馬鹿馬鹿しい。
馬鹿馬鹿しいとわかっていても、やっぱり気になる。
この矛盾は、今も続いている。
SNS時代の「Popular」を想像すると、この曲はさらに鋭くなる。
今ならクォーターバックやチアリーダーだけではない。
フォロワー数、再生回数、いいね、拡散、プロフィール、ブランド、見た目。
人気の指標はもっと細かく、もっと可視化されている。
その意味で、「Popular」は1996年の高校文化の曲でありながら、現代の承認欲求の曲としても聴ける。
自分は人気者だ。
そう言いたい人。
そう見せたい人。
そう見られたい人。
そう見られないことに怯える人。
この曲は、その全員を少しずつ笑っている。
そして、その笑いの中には、自分自身への笑いもある。
「Popular」は、青春の空虚さをロックの爆音で茶化した曲である。
同時に、人気という言葉の中にある暴力を、ポップな形で暴いた曲でもある。
だから、今聴いても古びない。
サビが鳴る。
「僕は人気者だ」と叫ぶ。
その言葉は、かっこよくもあり、情けなくもあり、笑えるほど空っぽでもある。
その空っぽさこそが、この曲の魅力なのだ。

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