アルバムレビュー:Is This Desire by PJ Harvey

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発売日: 1998年9月28日
ジャンル: エレクトロニカ、アートロック、実験的ポップ


欲望は、囁きか、それとも祈りか——PJ Harveyが影に語りかけた音の小説集

Is This Desire?は、PJ Harveyのディスコグラフィーの中でも最も内省的で、最も実験的なアルバムである。
1995年のTo Bring You My Loveで“神話的な欲望”を描き、
1996年のDance Hall at Louse Pointでジョン・パリッシュとの即興的コラボレーションに挑戦した彼女が、
本作では電子音と囁き、静寂と断片化を用いて、“欲望”というテーマをまるで短編小説のような群像形式で描き出している。

制作期間中、Harveyは精神的に極限状態にあり、アルバムは彼女自身の“失語と回復”のプロセスを反映しているかのようでもある。
ギターは抑制され、代わりに導入されたのはミニマルな電子ビート、ピアノ、アンビエントな空気感、内なる声である。

このアルバムは、衝動的に叫ぶのではなく、耳元でそっと問いかける
“これは欲望なの?”という不確かな囁きが、全編に漂っている。


全曲レビュー:

1. Angelene

「彼女は、どこにも安住できない」——そんな運命を背負った女性の物語。
フォーク調の旋律に、薄く敷かれた電子音が不穏な気配を添える。

2. The Sky Lit Up

唐突に炸裂するノイズとリズムが、空の爆発を音にしたような瞬発力。
Harveyのヴォーカルは短く、鋭く、まるで稲妻のよう。

3. The Wind

語りかけるような詩的ナレーション。
風とともに消えた少女“アニータ”の物語は、失踪と幻想というテーマの象徴。

4. My Beautiful Leah

沈んだベースと、断片的な歌詞。
行方不明の“レア”を探すという設定は、現実と幻のあわいを彷徨う。

5. A Perfect Day Elise

アルバムのリードシングルにして、最も構造的に整った楽曲。
しかしその中身は、「完璧な日」の裏にある暴力と死。
繰り返されるビートが、淡々とした狂気を加速させる。

6. Catherine

Harveyが静かに、そして執拗に語る“キャサリン”の物語。
ピアノとミニマルなノイズに支えられた、冷たい室内劇のような楽曲。

7. Electric Light

恋愛の始まりと終わりを“電気の光”という比喩で描く内省的バラード。
声はあくまで低く、光は決して眩しくならない。

8. The Garden

宗教的なメタファーと神秘的な詩が絡み合う、最も幻想的な楽曲のひとつ。
まるで現代の黙示録的童話。

9. Joy

アルバム中、最も激しくノイジーなトラック。
タイトルの“喜び”とは裏腹に、叫びと破裂音の中で感情がひび割れる。

10. The River

死者の魂が流れる川を想起させる、静謐で不吉な音の流れ。
ギターとピアノが交互に囁きかけるように交差する。

11. No Girl So Sweet

男女の関係の暴力性と依存がテーマ。
「こんなに甘い女はいない」と言いながら、その甘さが毒であることをHarveyは知っている。

12. Is This Desire?

タイトル曲にして、全編を総括するような静かな問いかけ。
淡々と続くピアノと、執拗に繰り返される“これは欲望なの?”という呟きが、
欲望の正体を曖昧にしたまま終わっていく。


総評:

Is This Desire?は、PJ Harveyが“声を張り上げない”ことで、
むしろこれまでで最も深い声を響かせたアルバムである。

ここにあるのは感情の爆発ではない。
感情の沈殿、結晶、そして分解である。

ギターもリズムも排され、代わりに採用されたのは沈黙、間、囁き、電子のざわめき。
“歌”は物語となり、ひとつひとつのトラックが短編のように、異なる女性像を描いている。

PJ Harveyがその後、より物語性と演劇性の強い作風に進化していく原点は、すでにこのアルバムにあったのだ。


おすすめアルバム:

  • Scott Walker / Tilt
     ポップの構造を脱構築した、内向きの黙示録。
  • Portishead / Third
     感情を最小音量で叫ぶ、沈黙のトリップホップ。
  • Stina Nordenstam / And She Closed Her Eyes
     女性の囁きと記憶で綴る、北欧の静謐なアートポップ。
  • Radiohead / Amnesiac
     物語と意識の断片化を音にした、PJ Harveyの電子的影。
  • Kate Bush / The Sensual World
     囁きと文学が交錯する、女性的表現の先駆的作品。

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