発売日: 1992年12月14日
ジャンル: グランジ、オルタナティヴ・ロック、ノイズ・ポップ、パンク
“無意識の断片”としてのNirvana——混沌と純粋が交差する、歪なインタールード集
『Incesticide』は、Nirvanaが1992年にリリースしたコンピレーション・アルバムであり、デビュー作以前から『Nevermind』の間を埋めるように録音されたBサイド、ラジオ・セッション、未発表曲などを収録した、混沌と直感の集積である。
タイトルの「Incesticide(近親殺虫剤)」は、“内側で繁殖したものを壊す”というような、自己破壊的かつユーモラスな造語であり、アルバムそのものがNirvanaというバンドの無意識下を覗き込む“音の走り書き”のような性格を持っている。
Kurt Cobain自身がアートワークも手がけ、ライナーノーツにはフェミニズムやLGBTへの支持も表明されており、彼の“破壊と共感”という相反する精神性が音とビジュアル両面から滲み出ている。
全曲レビュー
1. Dive
爆発的なベースリフで幕を開ける一曲。「来いよ、潜れよ」と誘うような言葉は、Nirvanaの混濁した美学の入口としてふさわしい。
2. Sliver
祖父母の家に預けられた子どもの視点で描かれる、不穏なノスタルジーとユーモアの混在。 キャッチーさと不快感の絶妙な配合。
3. Stain
ゴリゴリとしたギターと反復するボーカルが不安を煽る。社会的疎外感と怒りが直線的にぶつけられたような短編パンク。
4. Been a Son(BBCセッション)
「彼女は息子だったほうがよかった」——性別への期待と家族の偏見を主題にした、痛切でパワーポップ的な佳曲。
5. Turnaround(Devoカバー)
Devoのニューウェイヴ曲を、ローファイな熱狂で解体・再構築。 NirvanaのDIY精神が際立つアレンジ。
6. Molly’s Lips(The Vaselinesカバー)
グランジとギターポップの奇妙な融合。CobainのVaselines愛がそのまま音になった、ユルくてラフなカバー。
7. Son of a Gun(The Vaselinesカバー)
こちらもVaselinesの原曲。ポップな旋律をノイズで包み込み、ユーモアと不穏がせめぎ合う。
8. (New Wave) Polly
『Nevermind』収録「Polly」のエレクトリック・バージョン。オリジナルの冷たさに、さらに皮肉と暴力性が上乗せされている。
9. Beeswax
初期のデモ的パンク・ナンバー。不条理な歌詞とギターの暴走が、完全に感情のまま鳴らされている。
10. Downer
『Bleach』のアウトテイク。政治不信と自己否定が絡む、90年代グランジの気分を凝縮したような一曲。
11. Mexican Seafood
ノイジーで退廃的なサウンド。下品さすら漂う歌詞も含めて、完全に脱構築されたポップ・ソングのように響く。
12. Hairspray Queen
カオスの極み。Kurtが奇声とファルセットを駆使し、音の狂気と笑いがせめぎ合う異色作。
13. Aero Zeppelin
ツェッペリンの名を借りたアイロニカルなタイトルに反して、ハードロック調のリフが展開する中期Nirvanaの実験性を示す曲。
14. Big Long Now
スローで鬱屈としたサウンド。水中で溺れるような重さと曖昧さが、音そのものに宿っている。
15. Aneurysm
本作の締めにして最大のカルト・クラシック。「Love you so much it makes me sick」というリリックが象徴的な、愛と破壊の境界線。
総評
『Incesticide』は、Nirvanaというバンドが“成功の光の裏側”で育んでいた、ラフで歪んだ衝動の記録である。
ここには洗練も調和もない。
だがそれゆえに、このアルバムはNirvanaの“本音”——つまり、作られたイメージや商業的パッケージングを解体したところにある、裸の表現衝動——を覗き見ることのできる稀有な作品となっている。
これは未完成な作品集ではなく、“未加工のKurt Cobain”が詰まった記録であり、Nirvanaという存在を構成していた狂気、ユーモア、憤り、優しさのすべてが混在する“崩れたモザイク画”のようなアルバムなのだ。
おすすめアルバム
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Bleach / Nirvana
プリミティヴなノイズ・グランジの出発点。『Incesticide』との親和性が高い。 -
Goo / Sonic Youth
ノイズとポップの境界線を揺さぶるオルタナの金字塔。Cobainにも影響大。 -
Pod / The Breeders
粗削りなローファイ美学とフェミニンな皮肉が共鳴する、同時代の傑作。 -
Your Arsenal / Morrissey
政治性、暴力性、ポップ性の狭間を歌う90年代初期の異形作。 -
Spanking Machine / Babes in Toyland
ミネアポリス発の怒れるノイズ・フェミニズム。『Incesticide』の激しさと通じる。
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