1. 歌詞の概要
「I’ll See You When We’re Both Not So Emotional(僕らがもう少し冷静になったら、また会おう)」は、American Footballが1999年に発表したセルフタイトルのデビューアルバム『American Football(LP1)』に収録された楽曲であり、その長いタイトルが示すとおり、一瞬の感情に流されずに向き合いたいという願いと、その裏にある不安定な関係性の輪郭を描いた非常に繊細な作品である。
この曲は、別れの決定的な瞬間や衝突のクライマックスではなく、その“直前”の曖昧で、でもどうしようもなく気まずく、言葉にできないまま感情だけが膨れ上がるような局面を切り取っている。つまり、愛や友情が崩れる前にどこかで距離を置こうとする、その“痛みの予感”こそがこの曲の中心なのだ。
歌詞には激しい怒りも泣き叫びもなく、ただ少しの皮肉と自己防衛、そして抑えきれない感情の震えが浮かび上がってくる。まさに、「感情を持て余す」こと自体がテーマになっているような、そんな名曲である。
2. 歌詞のバックグラウンド
American Footballは、エモというジャンルにおいて孤高の存在感を放つバンドであり、1999年のデビュー時点で既に「儚さ」「不在」「時間の流れ」といった、感情よりもその“余韻”を重視する作風を確立していた。
「I’ll See You When We’re Both Not So Emotional」は、そんな彼らのスタイルを象徴する1曲であり、Mike Kinsellaの歌声はいつも通り淡々としていながら、どこか押し殺したような切なさを帯びている。また、特徴的なクリーントーンのギターアルペジオと不均等なリズム構成が、聴き手に「感情のバランスを崩したまま浮遊している」ような感覚を与えてくる。
この楽曲は、恋愛だけでなく、人間関係すべてに通じる“不器用さ”と“感情の持て余し方”を、極限まで抽象化しながらもリアルに描き出している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、「I’ll See You When We’re Both Not So Emotional」の印象的な歌詞の一部を英語と日本語で紹介する。
If you’re so good at remembering
そんなに記憶力がいいならMaybe I should be more forgetful
僕はもっと忘れるように努めたほうがいいかもねI’ll see you when we’re both not so emotional
お互い少し冷静になれたら、また会おう
出典: Genius Lyrics – I’ll See You When We’re Both Not So Emotional by American Football
4. 歌詞の考察
この楽曲は、語られる内容こそシンプルだが、その裏には非常に複雑で矛盾した感情が渦巻いている。たとえば「僕はもっと忘れるべきかもしれない」という一節には、相手の記憶力を非難する皮肉と、それを認めざるを得ない自己嫌悪が同居している。ここにあるのは、単なるすれ違いではなく、心が剥き出しになった関係において、これ以上感情をぶつけ合うと“何かが壊れてしまう”という予感だ。
「また会おう、冷静になったら」という言葉は、希望のようでいて、その実、別れの言い訳でもある。おそらく冷静になる頃には、もう二人の関係は元には戻らない。だからこの言葉は、ある種の“感情の先延ばし”であり、“自分を守るための防波堤”なのだ。
そして何よりこの曲は、「感情的になること」を否定しているわけではなく、それを受け入れつつも、“自分の中に収めきれない”という状況を静かに描いている。その不器用さこそが、人間らしさであり、この曲が深く心に刺さる理由でもある。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Two Promises by Owen(Mike Kinsellaのソロプロジェクト)
関係の中にある言葉にならない気まずさと後悔が主題となった名曲。 - In Circles by Sunny Day Real Estate
感情と抽象が交錯する、90年代エモの先駆的楽曲。 - King Park by La Dispute
感情の暴発と後悔を叙情詩的に描いたポスト・ハードコアの傑作。 - A Lack of Color by Death Cab for Cutie
喪失感と感情の距離を淡々と描く、静かで深いラブソング。 -
Glass Danse by The Faint
関係の崩壊と感情の不協和を、エレクトロパンク的アプローチで描いた楽曲。
6. 感情の“行き場のなさ”をそのまま封じ込めた詩
「I’ll See You When We’re Both Not So Emotional」は、American Footballが得意とする“何も起きないことの美しさ”を極限まで研ぎ澄ませた一曲である。ここにはドラマティックな展開も、わかりやすい結論も存在しない。ただ、感情をぶつけるには遅すぎて、黙って離れるには惜しい――そんな“はざまの感情”だけが残されている。
だからこの曲は、恋人同士だけでなく、友人、家族、かつて親しかった誰かとの関係にも重ねられる。そして、その静かな共鳴が、リスナー自身の記憶を静かに掘り起こしてくる。音楽は時に、言葉にできなかった気持ちを代弁してくれるものだが、この曲はむしろ、「言葉にならなかったもの」の“まま”で、そっと寄り添ってくる。
American Footballは、この曲で「感情の処理が追いつかない瞬間」に音を与えた。だからこそ、この曲は今も聴き継がれ、静かに人の心に棲み続けている。感情の余白こそが、この楽曲の最も豊かな響きなのである。
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