発売日: 2023年10月13日
ジャンル: エクスペリメンタルポップ、アヴァンソウル、ドリームポップ
概要
『I Killed Your Dog』は、ブルックリン拠点のアーティスト、L’Rain（Taja Cheek）が2023年にリリースしたサードアルバムであり、
愛と破壊、変容のプロセスを大胆かつ繊細に描き出す作品である。
前作『Fatigue』で精神的疲弊と再生をテーマに扱った彼女は、今作ではさらに深く、
“愛すること”と”愛を終わらせること”の間に潜む暴力性、優しさ、悲しみを探求している。
アルバムタイトル「I Killed Your Dog」には、信頼や絆を壊すことの象徴としての意味が込められており、
その挑発的なタイトルに反して、サウンドは驚くほど多層的で繊細な構成となっている。
エクスペリメンタルポップ、ソウル、アンビエント、ドリームポップ、ポストパンク的な要素が絶妙に交錯し、
ジャンルを超えた表現によって、L’Rainは自身のスタイルをさらに深化・拡張した。
このアルバムは、Pitchfork、NME、The Guardianなど各メディアからも高い評価を受け、
2020年代の最も革新的なインディー作品の一つとして位置づけられている。
全曲レビュー
1. Our Funeral
静かな鐘の音と、重層的なコーラスで始まるイントロ。
葬送のようなムードが、アルバム全体の儚くも激しいテーマを予感させる。
2. Pet Rock
チルなビートとリヴァーブたっぷりのギターが心地よい。
依存対象を”ペットロック”に喩え、孤独と愛着の危うさを繊細に描く。
3. New Year’s Unresolution
新年の抱負ならぬ「非・抱負」をテーマにした曲。
電子音とソフトなベースラインが、希望と諦めの間で揺れる感情を表現している。
4. I Hate My Best Friends
タイトルからして衝撃的なこの曲は、友情における裏切りと自己嫌悪を冷静に見つめる。
ダークでねじれたサウンドと、ほのかなポップネスが交錯する。
5. Sometimes
夢見るようなメロディが印象的なドリームポップナンバー。
「時々だけど、本当に愛してる」という、揺らぐ愛情のリアリティを巧みに描いている。
6. 5 to 8 Hours a Day (WWwaG)
実験的なビートと変則的なリズムが支配するトラック。
労働と生活、自己と他者の境界が曖昧になる現代的な疲弊感を捉えている。
7. Suck Teeth II
前作『Fatigue』に続く”歯吸い音”シリーズの続編。
小さな怒りと抵抗の象徴が、今作ではより洗練された形で昇華されている。
8. I Killed Your Dog
アルバムの核となるタイトル曲。
“愛”を終わらせる決意を、暴力的なメタファー（犬を殺す）に託しながら、
サウンドは逆に極めて静かで、痛みと美しさが奇跡的に同居する。
9. Clumsy
甘酸っぱいポップソングの皮をかぶった、痛みの讃歌。
「不器用にしか愛せなかった自分」を肯定する、優しいメッセージが込められている。
10. r(EMOTE)
細切れのサンプルと微かなビートが交錯する、極めてエクスペリメンタルなインタールード。
感情（emotion）とリモート（remote）の二重性をテーマにしている。
11. KNEAD
静かに波打つシンセと、吐息のようなボーカルが絡む。
「必要とされたい」という渇望と、それを押し殺す痛みがにじみ出る。
12. Sometimes (Reprise)
「Sometimes」のモチーフをリプライズ。
さらに抽象度を高め、夢と現実の境界を曖昧にしていく。
13. New Year’s Resolution
“非・抱負”だった3曲目に呼応する形で、今度は”新しい決意”を静かに描く。
希望と不安を同時に抱えた、複雑なエンディング。
総評
『I Killed Your Dog』は、L’Rainというアーティストが持つ「壊すこと」と「愛すること」への深い洞察を、
これ以上ないほど鮮やかに、しかも痛ましく美しく結晶化させた作品である。
サウンド面では、ソウル、ドリームポップ、エレクトロニカ、ポストパンク的エッジが混ざり合い、
各トラックがまるで感情の断片のように浮かんでは消えていく。
歌詞は時に鋭く、時に詩的で、愛、喪失、自己嫌悪、再生といったテーマを直接的にも、比喩的にも巧みに表現している。
アルバムを通して、リスナーは自らの内側に潜む矛盾──「愛したいが壊してしまう」「許したいが怒りが残る」──に向き合うことを促される。
この作品は、ポップソングの形式に対する挑戦であると同時に、
2020年代の感情のリアリティを鋭く切り取った、静かで衝撃的な記録でもある。
『I Killed Your Dog』は、痛みも愛も、悲しみも希望も、そのまま抱きしめることの困難さと尊さを、
音楽というかたちでそっと伝えてくれるのだ。
おすすめアルバム（5枚）
- Yves Tumor『Heaven to a Tortured Mind』
ポップと実験性のバランス、そしてエモーションの激しさが響き合う。 - Tirzah『Devotion』
ミニマルな構成と親密な感情表現が、L’Rainのアプローチと重なる。 - Solange『When I Get Home』
ジャンルを越境しながら、ブラックアイデンティティと個人の精神世界を繊細に描く。 - FKA twigs『Caprisongs』
個人的な痛みと自由なサウンド探求を融合させた先鋭的なポップ作品。 - Julia Holter『Have You in My Wilderness』
ドリーミーでありながら緻密な音作りと、複雑な感情の表現力が共通している。
制作の裏側（Behind the Scenes）
『I Killed Your Dog』の制作にあたって、Taja Cheekは「愛することとは破壊を伴う行為でもある」というアイデアを出発点に据えた。
録音には、自宅スタジオとNYの複数のスタジオを併用し、アナログ機材とデジタル技術を巧みに組み合わせることで、
生々しさと夢幻性が共存するサウンドスケープを作り上げた。
また、フィールドレコーディング、身近な環境音、アドリブ的な演奏を積極的に取り入れることで、
“完璧ではない”リアルな感情の断片を、音楽として封じ込めたのである。
この制作プロセスそのものが、L’Rainの”愛と破壊”というテーマと強く呼応している。
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