アルバムレビュー:I Inside the Old Year Dying by PJ Harvey

Spotifyジャケット画像

発売日: 2023年7月7日
ジャンル: エクスペリメンタル・フォーク、アートロック、詩的アンビエント


“詩”と“音”が溶け合う場所——PJ Harveyが辿り着いた夢と民話の境界線

I Inside the Old Year Dyingは、PJ Harveyが10年ぶりに発表したスタジオ・アルバムであり、
同時に彼女の音楽人生においてもっとも詩的で、もっとも脱構築された作品である。

2016年のThe Hope Six Demolition Projectでは現実世界を記録する“報道者”であったHarveyは、
本作で再び自身の内側へ、そして言葉と時間のない場所へと潜っていく
タイトルの“古い年の中で私は内にいる”という句の通り、この作品は時間の感覚さえあいまいな夢のような世界で進行する。

本作の歌詞は、彼女が発表した詩集『Orlam(オーラム)』の世界観と連動しており、
ウェスト・カントリー(イングランド南西部)の田舎言葉、聖書、自然、死と再生の神話が音と言葉の中に溶け合う。

プロデュースは長年のパートナーJohn ParishFloodが担当。
極限までそぎ落とされた音数、囁くような歌声、時に電子的な質感を交えたミニマリズムが、
Harveyの“語り”に圧倒的な集中力を与えている。


全曲レビュー:

1. Prayer at the Gate

鐘のような音とハーヴィーの囁きで幕を開ける、祈りのようなオープニング。
現実と幻想の境界でさまよう“門の祈り”は、アルバム全体の導入として機能する。

2. Autumn Term

学校生活の記憶が、夢のようにぼやけた形で描かれる。
甘さと不安が交差し、過ぎ去った時間の感触だけが残る。

3. Lwonesome Tonight

エルヴィス・プレスリー”の曲名を彷彿とさせつつ、孤独というよりも“存在のぼやけ”を歌う。
声が音の間を漂い、聴き手を眠りと覚醒の狭間に置く。

4. Seem an I

“私のような誰か”“誰かのような私”というアイデンティティの揺らぎをテーマにした1曲。
声の加工が象徴的で、自我が融解していくような感覚を伴う。

5. The Nether-edge

“あの世の縁”というタイトルが示す通り、死と再生のイメージが濃厚に漂う。
呪文のようなヴォーカルの繰り返しが、儀式的な雰囲気を演出。

6. I Inside the Old I Dying

本作のタイトル曲。
“I(私)”と“Old I(古い私)”の対話としての楽曲であり、脱皮と変容が主題。
アコースティックギターの静かな反復が、淡い霧の中を歩くような錯覚を生む。

7. All Souls

死者を悼むような、しかしどこか明るさを残した短い歌。
“すべての魂”という普遍的な存在へのまなざしが、美しい余韻を残す。

8. A Child’s Question, August

シングルとして先行公開された楽曲。
子どもの素朴な問いを通して、世界の複雑さと愛の不確かさを詠う。
メロディは優しく、詩は深い。

9. I Inside the Old Year Dying

再び登場するタイトル曲のバリエーション。
こちらはよりスピリチュアルで、浮遊感のあるアレンジが印象的。
同じ言葉が別の響きを持つことで、“夢の反復”が体感される。

10. August

季節の終わりを告げる静謐なトラック。
8月=死と転換の象徴として、時間の流れが淡く刻まれる。

11. A Child’s Question, July

“August”に続くように配置された曲だが、こちらはより幼く、希望を帯びた響き。
愛、記憶、そして語られなかった言葉をめぐる、ささやかな詩のよう。

12. A Noiseless Noise

ノイズのないノイズ——矛盾の中に感情が渦巻く。
“静けさの中にある轟音”を表すかのように、音楽は消え入りそうでいて、どこまでも雄弁。
アルバムを締めくくるにふさわしい“終わらない終わり”。


総評:

I Inside the Old Year Dyingは、PJ Harveyが音楽と詩と身体を超えて“語り手”としての絶対領域に達した作品である。

このアルバムには、メッセージの直接性も、メロディの明快さもほとんどない。
だがその代わりにあるのは、語られる言葉が“どこから来たのか”、その源泉を聴き手に感じさせる力である。

Harveyはここで“私”という存在すら曖昧にし、土地、記憶、死者、過去の言葉たちに身体を貸すようにして歌っている
それはもはや“音楽”というよりも、“儀式”“詩の霊媒”のようなものかもしれない。


おすすめアルバム:

  • Aldous Harding / Designer
     謎めいた語りと歌が交差する、現代の民話的アートポップ。
  • Kate Bush / The Dreaming
     言葉、音、夢が混ざり合う前衛ポップの原点。
  • Nick Cave / Ghosteen
     死者の魂を語り継ぐような詩的音楽の極地。
  • Joanna Newsom / Divers
     時間と記憶をめぐる寓話的フォーク絵巻。
  • PJ Harvey / White Chalk
     本作の前身ともいえる、“声”と“語り”の脱構築が始まった作品。

コメント

タイトルとURLをコピーしました