発売日: 1988年3月7日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、ポストパンク、アートロック
概要
『House Tornado』は、アメリカのオルタナティヴ・ロック・バンドThrowing Musesが1988年にリリースしたセカンド・アルバムであり、前作で提示された情緒の不安定さと衝動的リズムの美学をさらに鋭利に研ぎ澄ませた作品である。
本作では、クリスティン・ハーシュの歪んだ内面世界がさらに深く掘り下げられ、より攻撃的かつねじれた楽曲構造を伴ってリスナーに迫ってくる。
一方で、ターニャ・ドネリーの楽曲も数曲収録されており、幻想的なメロディと対照的な存在感を放っている。
UKでは4AD、アメリカではSireからのリリースという体制となり、音楽性はインディーからメジャーへ移行する段階の、緊張と試行錯誤の痕跡も刻まれている。
『House Tornado』とは、まさに“家の中を吹き荒れる竜巻”であり、日常の構造が崩壊する瞬間をリアルタイムで記録したような音の連続体なのだ。
全曲レビュー
1. Colder
抑えたテンポと張りつめた緊張感で幕を開ける一曲。
タイトル通り、感情が冷え切る瞬間を音で描くような、内省的で切迫した構成。
2. Mexican Women
複雑なリズムとひねくれたメロディ。
暴力的な家庭と抑圧されたジェンダーを象徴するようなリリックが、鮮烈な印象を残す。
3. The River
ターニャ・ドネリー作の曲で、流れるようなメロディと浮遊感が特徴。
ハーシュの緊張感との対比が、このバンドの多層性を強く印象づける。
4. Juno
神話的なタイトルを冠しつつ、内容はきわめて私的。
育児、孤独、破壊願望といった複雑な感情が交錯する、バンドの代表的トラックのひとつ。
5. Marriage Tree
繊細なギターのアルペジオとともに、家族と関係性の崩壊を詩的に描く。
“結婚”が安定ではなく葛藤の源であることを鋭く突きつける一曲。
6. Run Letter
短く、鋭く、歪んだ感情の結晶。
言葉にしきれない“逃げたい”という衝動がそのまま鳴り続ける。
7. Saving Grace
一転して美しい旋律が流れるバラード調。
だが、その優しさの裏には“救いがない世界での小さな灯火”としての切実さが漂っている。
8. Drive
最もロック色の強いトラック。
ギターリフとドラムが前に出たアグレッシブな構成は、ライブでの映えも抜群。
衝動と暴走がそのまま音になっている。
9. Downtown
夜の都市と孤独を描いた、モノローグのような1曲。
不穏でありながら静かな力を持つ、ハーシュの歌詞世界の深さが際立つ。
10. Giant
アルバムのクライマックスにふさわしい、狂気と悲哀の交錯する名曲。
“巨大”という言葉に込められた恐怖と自我の拡張感覚が、不安定な構成と完璧に呼応する。
総評
『House Tornado』は、Throwing Musesが“インディーの期待の星”から“自分たちの地獄を鳴らす存在”へと移行した決定的作品である。
その音はメロディックでありながら常に不安定で、歌詞は明晰でありながら理解を拒む。
それはまるで、自分の感情を客観的に見つめながらも制御できない人間のようだ。
クリスティン・ハーシュの作家性はここで爆発的に開花し、彼女自身が“自己”と“身体”と“声”のあいだを切り裂いていくさまが、音楽として記録されている。
ターニャ・ドネリーとの緊張と調和も本作で極点を迎え、やがてのちの袂別へとつながる。
タイトルの“ハウス・トルネード”とは、自己と関係性の物語に吹き荒れる感情の嵐であり、それを鳴らすことでしか癒されない魂たちの叫びなのだ。
おすすめアルバム
- Kristin Hersh / Hips and Makers
ハーシュのソロ初作。静かだが衝撃的な自己開示の集積。 - The Breeders / Safari EP
ターニャ・ドネリーが脱退後に参加したプロジェクト。ポップと毒の美しい均衡。 - Sonic Youth / Sister
不協和音と個の解体を通じて自己表現するロックとして共振。 - Liz Phair / Exile in Guyville
女性の視点で90年代オルタナを切り裂いた先鋭的アルバム。 -
Lush / Spooky
女性ボーカル+浮遊感+ひねりのある構成という点で、ドネリー側の要素と共鳴。
制作の裏側と文化的背景
1980年代後半のインディーシーンにおいて、女性アーティストが精神疾患や家庭問題、ジェンダーアイデンティティをここまで直接的に音楽化する例は稀であった。
Throwing Musesはそれを“自然に”やってのけた。
そしてこの『House Tornado』では、スタジオの技術的向上と同時に、彼女たち自身が“創作のための破壊”を選び始めていた。
本作は、その後のフェミニズム・ロックや内面系SSWの系譜における分岐点であり、精神的暴風の記録である。
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