
発売日:2022年11月4日
ジャンル:ヒップホップ、トラップ、R&B、コンテンポラリー・ラップ
- 概要
- 全曲レビュー
- 1. Rich Flex
- 2. Major Distribution
- 3. On BS
- 4. BackOutsideBoyz
- 5. Privileged Rappers
- 6. Spin Bout U
- 7. Hours in Silence
- 8. Treacherous Twins
- 9. Circo Loco
- 10. Pussy & Millions (feat. Travis Scott)
- 11. Broke Boys
- 12. Middle of the Ocean
- 13. Jumbotron Shit Poppin
- 14. More M’s
- 15. 3AM on Glenwood
- 16. I Guess It’s Fuck Me
- 総評
- おすすめアルバム
概要
『Her Loss』は、Drakeと21 Savageの連名によるコラボレーション・アルバムであり、2020年代前半のメインストリーム・ヒップホップを象徴する一作として位置づけられる。タイトルだけを見ると失恋や女性関係を主題にした軽い言葉遊びのようにも映るが、実際の内容はそれ以上に複雑で、男性的な虚勢、成功の誇示、対人不信、欲望、冷笑、そして時折の内省が入り混じる作品になっている。
Drakeにとっては『Honestly, Nevermind』でハウス/クラブ寄りの方向へ大きく振れた直後の作品であり、21 Savageにとっては寡黙で冷徹な語り口を武器に、現代トラップの中で独自の位置を築いた時期の重要作でもある。その両者が真正面から組んだことで、本作は単なる話題性の高い共作にとどまらず、2020年代ヒップホップの中心にいる二人が、それぞれの長所と弱点をぶつけ合ったアルバムとして成立している。
Drakeはキャリアを通じて、ラップと歌の境界を曖昧にしながら、成功者の孤独や未練、都市生活の疲労感、女性関係の複雑さをポップ・ソングへ変換してきた。一方の21 Savageは、無駄を削ぎ落としたフロー、静かな暴力性、乾いたユーモアによって、アトランタ以後のトラップを代表する存在となった。
この二人の組み合わせが面白いのは、どちらもクールで距離を取った語り口を持ちながら、その“冷たさ”の質が異なることだ。Drakeの冷たさはしばしば傷つきやすさや承認欲求の裏返しであり、21 Savageの冷たさは経験と観察から来る鈍い刃物のようなものだ。『Her Loss』では、その差がたびたび浮き彫りになり、曲によっては見事な相乗効果を生み、曲によっては妙な緊張感として残る。そこが本作の大きな聴きどころである。
本作の音楽性は、基本的にはトラップを中心にしながらも、DrakeらしいメロウなR&B感覚やポップなフック、時にソウルやダンス寄りの感触を差し込む構造になっている。『If You’re Reading This It’s Too Late』のような攻撃性や、『More Life』のようなグローバルな雑食性、『Take Care』のような感情の深掘りとはまた違い、『Her Loss』は男同士の会話、見栄、競争、愚痴、女の話、金の話が延々と続く夜のようなアルバムだ。
それゆえに、コンセプト・アルバムとしての強固な統一感よりも、雰囲気と化学反応によって聴かせるタイプの作品と言える。
歌詞面では、タイトル通り女性との関係が頻繁に現れるが、その描き方はかなり攻撃的かつ軽薄で、しばしば批判も受けた。実際、本作には女性をトロフィーのように扱う視線、別れや優位性を競技のように語る場面、成功と性を不可分に結びつける態度が目立つ。
しかし、それを単なる“有害な男らしさのアルバム”とだけ片づけると見落とすものもある。なぜならこの作品の多くの瞬間では、そうした強気な振る舞いの背後に、不信、空虚、優位でい続けなければ崩れてしまう不安が露出しているからだ。Drakeはもともと強がりと弱さを同時に抱える作家であり、21 Savageもまた、暴力や成功を語りながら、そこに冷えた現実感を持ち込む。そのため『Her Loss』は、表面的にはマッチョで快楽的なのに、どこか空っぽで疲れた感じがつねにつきまとう。
ヒップホップ史的に見れば、本作は“コラボ・アルバム”の系譜にも連なる。Jay-ZとKanye Westの『Watch the Throne』やFutureとDrakeの『What a Time to Be Alive』のように、二人のスターが互いのブランドと個性を持ち寄って時代性を刻むタイプの作品だ。ただし『Her Loss』はそれらよりももう少しラフで、豪華な記念碑というより、スタジオでのノリと相性の良さをそのまま勢いで作品化したような感触がある。そこが長所でもあり、欠点でもある。
完成度の高いコンセプト・アルバムというより、二人が同じ空間にいること自体の面白さを聴く作品なのである。
結果として『Her Loss』は、Drakeの最高傑作でも、21 Savageの決定版でもないかもしれない。しかし、2020年代前半の主流ヒップホップがどんな空気をまとっていたか、どんな男性性を演じ、どんな不安を隠し、どんなサウンドを快楽としていたかを知るうえでは、非常に重要な一枚である。
派手で、意地が悪く、時に笑えて、時にうんざりし、しかし確実に耳に残る。『Her Loss』は、そういう矛盾ごと時代を映している。
全曲レビュー
1. Rich Flex
アルバムのオープニングにして最大の話題曲のひとつ。冒頭からDrakeと21 Savageの温度差がむしろ魅力になっており、会話のように始まって、そのままトラックの中で二人の関係性が立ち上がる。
“21, can you do something for me?”というフレーズは、ミーム化されるほど強いフックになったが、単なるネタ以上に、ここには本作全体の構造が凝縮されている。つまりDrakeが場を作り、21 Savageがそこに鋭い刃を差し込むという役割分担である。
サウンドは現代トラップの王道を踏まえつつ、余白があり、ラップの存在感が強い。歌詞は誇示と遊びに満ちているが、その軽薄さを二人の掛け合いがうまく推進力へ変えている。アルバム導入として非常に機能的で、“この二人が一緒にいると何が起こるか”を一曲で理解させる。
2. Major Distribution
ここではタイトル通り、流通規模、影響力、権力そのものが主題になっている。Drakeは自身の巨大なポップ影響力を当然のように扱い、21 Savageはそれをより冷たい現実感の中へ置き直す。
トラックには重心の低い余裕があり、二人とも無理にテンションを上げず、すでに勝者である前提でラップしている。この“勝っている人間の退屈さ”が曲の空気を支えているのが面白い。
本作にはたびたび成功の誇示が出てくるが、この曲では特に、成功が喜びというよりもはや環境そのものとして扱われている点が印象的だ。
3. On BS
タイトルが示すように、ここでは挑発と虚勢が前面に出る。だが、Drakeと21 Savageのアプローチは異なる。Drakeは相手を見下しつつ、自分が常に観察されていることへの苛立ちもにじませる。21 Savageはもっと短く、乾いていて、威圧的だ。
ビートは不穏で、アルバム全体の中でもかなり“悪い”ムードが濃い。ここでの二人は親密なコラボ相手というより、同じ部屋にいる二種類の危険な自尊心のように聞こえる。
聴き心地は良いが、性格はかなり悪い。そこが本作らしい。
4. BackOutsideBoyz
Drake色がやや強い曲で、タイトルからして“外に戻ってきた男たち”という自己演出が前面にある。ここでの彼は、再び街へ、夜へ、競争へ戻る存在として自分を演じている。
サウンドにはトラップの硬さがありつつ、フロウは滑らかで、耳馴染みの良さがある。Drakeはこうした曲で、脅しとポップ性を同居させるのが非常にうまい。
一方で、21 Savage的な冷たさが少し引くことで、Drakeの“キャラクター性”が目立つ曲でもある。アルバムの中では、彼のスター性が強く出るポイントだ。
5. Privileged Rappers
タイトルがすべてを言っているような曲で、成功したラッパーとしての特権意識を、隠すどころかむしろ遊びとして前面に出している。こうした態度は反感も買いやすいが、本作ではそれが一種の正直さにも聞こえる。
Drakeは自分の矛盾や嫌味を、きれいに処理せずそのままポップにしてしまうが、この曲はその典型。21 Savageもまた、上昇後の視点から冷静に状況を眺めている。
ここには謙虚さはほぼないが、その代わり、ヒップホップが資本と自己神話をどう扱うかが非常にわかりやすく表れている。
6. Spin Bout U
アルバム前半で少し温度を変える重要曲。R&B寄りの滑らかさが強く、Drakeのメロディ・センスが前面に出る。21 Savageもここではいつもより柔らかく、曲全体が“夜の会話”として機能する。
内容は恋愛や関係性の駆け引きだが、本作全体にある粗い男らしさに比べると、ここでは少しだけ親密さの演出が強い。ただし完全なラブソングではなく、欲望と不信が同時に残ったままの親密さであるところがいかにもこのアルバムらしい。
聴きやすく、フックも強く、本作の流れを単調にしない佳曲である。
7. Hours in Silence
アルバム中でもっとも長く、もっともDrake的な曲のひとつ。タイトルの“沈黙の時間”が示す通り、ここでは関係がすでに壊れかけている、あるいは何も言えない状態の重さが主題になる。
Drakeはこの種の長尺曲で、愚痴、未練、自意識、自己正当化を延々と混ぜ合わせるのが得意だが、この曲でもそれがよく出ている。21 Savageの存在は比較的控えめで、全体としてはDrakeの夜更けの長電話的な作品だ。
テンポの遅さと長さによって、感情の整理の悪さそのものが作品の魅力になっている。うまく終われない関係は、曲もきれいには終わらないという感覚が見事に表れている。
8. Treacherous Twins
タイトルからして共犯関係を思わせる曲。ここではDrakeと21 Savageの“二人組”としての魅力がかなり意識的に演出されている。
サウンドは比較的軽やかで、前曲の重さを抜く役割もある。ただし、そこで描かれるのは無邪気な友情ではなく、成功、女、秘密、危険を共有する男同士の閉じた世界だ。
本作全体にはこの種の“男性共同体のナルシシズム”がかなり強いが、この曲はそれを最もはっきり見せる。良くも悪くも、二人でいること自体をブランド化した曲と言える。
9. Circo Loco
Daft Punk/Giorgio Moroder系統の要素を引用しつつ、Drake流の嫌味な余裕と軽薄さを乗せた曲。音の華やかさに対して、ラップの内容はかなり刺々しく、その落差が面白い。
この曲では、ポップカルチャーの大きな記号を取り込みながらも、それを祝祭ではなく競争や皮肉のムードへ変えている。Drakeはこういうとき、本当に“嫌な奴”としての魅力がある。
本作の中でも話題性が高く、同時に、Drakeのポップ感覚と毒気が最もわかりやすく同居した曲のひとつである。
10. Pussy & Millions (feat. Travis Scott)
タイトル通りかなり露骨な価値観が前面に出る曲で、性と金がほとんど等価交換のように扱われている。批判の的にもなりやすいタイプの曲だが、その一方で2020年代メインストリーム・ラップの俗悪さを非常に正確に記録してもいる。
Travis Scottの参加によって音像には妖しい浮遊感が加わり、単なる下品さだけでは終わらない。むしろ、快楽が大きくなればなるほど空虚さも増すような感触がある。そこがこの曲の妙な魅力だ。
11. Broke Boys
ここでは再び攻撃性が前に出る。タイトルからして露骨に格差意識を含んでおり、成功者から見た“持たざる者”への侮蔑が込められている。
もちろんヒップホップにおいて成功と貧困の対比は昔から重要な主題だが、この曲ではそれがかなりストレートに嫌味として機能している。
聴いていて気分の良い曲ではないかもしれないが、それが本作の正直さでもある。つまり『Her Loss』は、成功後のヒップホップが持つ残酷さを隠そうとしないアルバムなのだ。
12. Middle of the Ocean
Drake単独色の強い長めの曲で、本作の中ではかなり“アルバムの深部”にあたる。ここでは彼の自意識、恨み、観察眼、疲労感がまとまって現れ、ラップの密度も高い。
タイトルの“海の真ん中”という感覚には、孤立と豪奢さが同時にある。誰にも届かない場所にいながら、世界の中心にいるというDrake特有の矛盾がよく出ている。
後半にこういう曲を置くことで、本作がただの悪ふざけ集ではなく、Drakeという大きくなりすぎた個人の独白でもあることがはっきりする。
13. Jumbotron Shit Poppin
再び軽薄で派手なノリに戻る曲。タイトルからしてミーム的で、スタジアム感、見世物感が強い。
ここではリリックの深さより、フレーズの勢いと態度が重要で、まさに現代の拡散時代向けのラップ曲として機能している。
それでも、ただ軽いだけではなく、巨大化した自己演出そのものを楽しむ曲として聞けるのが面白い。
14. More M’s
金の話がさらに前景化した曲で、タイトルからして“もっとM(ミリオン)を”という欲望が露骨だ。
Drakeと21 Savageはどちらもここで、成功を達成点ではなく、数が増え続けるゲームとして扱っている。終わりなき加算としての資本。この感覚はかなり現代的だ。
ビートは重く、フロウもタイトで、贅沢そのものより、終わらない競争の空気が強い。
15. 3AM on Glenwood
21 Savageが中心となる本作屈指の名曲。Drakeの“AM/PM”シリーズ的な文脈を受け継ぎつつ、21 Savageの内省と街の空気が非常に生々しく出ている。
ここでは虚勢が少し引き、過去、仲間、家族、裏切り、環境に対する冷静な視線が残る。21 Savageのラップは感情的に叫ばないぶん、かえって深く刺さる。
アルバム全体が軽薄さや強がりを多く含むからこそ、この曲の重みは大きい。21 Savageが単なる冷たいラッパーではなく、静かな深さを持つ作家であることがよくわかる。
16. I Guess It’s Fuck Me
ラストを飾るこの曲は、Drake単独のかなり率直な終幕である。タイトルからして投げやりで、自嘲と被害者意識が混ざったような感情が露骨だ。
Drakeはこうした曲で、強気な顔の裏にある孤独や不信を一気に出す。そのため、本作の前半から中盤までに積み上げられてきた虚勢や攻撃性が、最後に少し崩れる。
これはとてもDrakeらしい終わり方だ。つまり、どれだけ金や女や優位性を語っても、最後に残るのは誰も本当には信用できない夜の独白である。この締めによって『Her Loss』は、ただの男くさい騒ぎの記録ではなく、Drake的な空虚さを持った作品として閉じる。
総評
『Her Loss』は、快作であり、同時にかなり厄介な作品でもある。音の強さ、フックの鋭さ、二人の相性の良さ、会話としての楽しさはたしかにある。一方で、歌詞の価値観はしばしば幼稚で攻撃的で、女性観の古さや成功者の嫌味もかなり露骨だ。
だが、その不快さや軽薄さまで含めて、このアルバムは非常に“今っぽい”。つまり本作は、2020年代前半の主流ヒップホップが抱えていた快楽、傲慢さ、不安、そして空洞を、そのまま高いクオリティで鳴らしているのである。
Drakeと21 Savageの組み合わせは予想以上に機能している。Drakeは21 Savageの無駄のなさによって過剰な感情を引き締められ、21 SavageはDrakeのポップ性とスター性によってより広いムードの中に置かれる。
その結果、本作は二人のどちらかに完全に寄りすぎず、“Drakeの夜”と“21 Savageの冷たさ”が同時に存在する空間になっている。これがこの作品最大の魅力だろう。
もちろん、アルバムとして完璧かと言えばそうではない。テーマの深まりは限定的で、同じ話題が繰り返される瞬間も多いし、女性や金に関する言葉は浅薄さが目立つ。しかし、それでも曲単位の強さと二人の相互作用によって、最後まで引っ張る力がある。
『Her Loss』は、考え抜かれた名盤というより、勢い、相性、時代性によって成立した強い作品である。
Drakeの代表作を挙げるなら『Take Care』や『Nothing Was the Same』の方が先に来るかもしれないし、21 Savageを深く知るなら『i am > i was』の方が個人の輪郭は明確だろう。だが、『Her Loss』にはそれらにはない面白さがある。
それは、二人のスターが同じ部屋に入り、互いの強みと醜さを隠さず、そのまま時代の空気にしてしまったところだ。
だからこのアルバムは、好感の持てる作品ではなくても、非常に記憶に残る。快楽的で、意地が悪く、空虚で、しかし妙に耳に残る。
『Her Loss』とは、そういう矛盾ごと2022年のメインストリーム・ラップを封じ込めたアルバムである。
おすすめアルバム
- Drake – If You’re Reading This It’s Too Late
より攻撃的で引き締まったDrakeを聴くなら最適。『Her Loss』の硬質な側面とつながる。
– 21 Savage – i am > i was
21 Savageの内省と作家性がより明確に出た代表作。『Her Loss』で気になった人には必須。
– Drake & Future – What a Time to Be Alive
Drakeのコラボ作として比較価値が高い。二人の化学反応という点で『Her Loss』の前史にあたる。
– Metro Boomin – Heroes & Villains
同時代のトラップ/メインストリーム・ラップの空気を知るうえで好相性。
– Future – DS2
冷たさ、享楽、空虚、成功後のトラップ美学という意味で、『Her Loss』の背景理解に非常に有効。



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