1. 歌詞の概要
「Hands Across the Sea(ハンズ・アクロス・ザ・シー)」は、Modern Englishが1984年にリリースしたサード・アルバム『Ricochet Days』に収録された楽曲であり、前作『After the Snow』で確立したメロディアスかつドリーミーなニューウェイヴ・サウンドをさらに推し進めた作品である。
タイトルにある「Hands Across the Sea」は直訳すれば「海を越えた手と手」。つまりこれは、遠く離れた場所にいる者同士のつながりや連帯、あるいは長距離恋愛や国境を越えた感情の交錯をテーマにした楽曲と解釈できる。
歌詞はきわめて抽象的で象徴的。明確なストーリーラインは存在せず、断片的なイメージと言葉の流れのなかで、**不安定な距離感と、それでもなお続こうとする“感情の橋”**が描かれる。現実感が薄く、夢のように浮遊するその描写は、バンド特有の幻想的な世界観を見事に体現している。
2. 歌詞のバックグラウンド
Modern Englishは、デビュー作『Mesh & Lace』(1981)でJoy DivisionやBauhausを彷彿とさせるポストパンクの陰鬱なサウンドを鳴らしていたが、セカンド・アルバム『After the Snow』(1982)では大きく舵を切り、よりメロディアスで陽性なシンセポップ寄りのサウンドに移行。シングル「I Melt with You」の大ヒットにより国際的な注目を集めた。
その勢いを受けてリリースされた『Ricochet Days』では、さらに洗練されたサウンドと抽象性の高いリリック、より空間的なアレンジが特徴となっている。なかでも「Hands Across the Sea」は、“隔たりと繋がり”というテーマを音と詩の両面から追求した、アルバムのハイライト的存在である。
この曲の歌詞においては、“物理的な海”というよりも、“心理的な距離”が主題として浮かび上がる。人間関係における断絶と希求、そして理解し合おうとする試みに対する希望と不安。それは国境や文化を越えたつながりを希求する1980年代のポストモダン的感性とも共鳴している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
(引用元:Genius Lyrics)
Voices scream / Nothing seems real’s been taken from me
声が叫ぶ 現実に見えたものが すべて僕から奪われていく
Feelings run / Along a wall between you and me
感情は走っていく 君と僕のあいだの壁に沿って
Hands across the sea / Carrying you, carrying me
海を越えて差し出される手 君を運び 僕を運ぶ
Far away / You’re so far away from me
君はとても遠くにいる——僕から、遠く離れている
ここで印象的なのは、“声”“壁”“海”といった象徴的な単語である。これらはすべて、距離、隔たり、断絶を示す言葉でありながら、“hands”——つまりつながろうとする意志が曲の中心に据えられている。これは、孤独な時代における**“届くかわからなくても、手を差し出す”という行為の意味**を問う詩である。
また、“Far away”というフレーズの反復は、物理的距離だけではなく、心の遠さ、理解の難しさを強調している。その上で“carrying you, carrying me(君を運び、僕をも運ぶ)”と続けることによって、離れていてもお互いに影響し合っているというテーマが美しく浮かび上がってくる。
4. 歌詞の考察
「Hands Across the Sea」は、Modern Englishの音楽性と詩性が最もバランスよく共存した楽曲のひとつである。
その歌詞は明確なメッセージを語らない。
むしろ、断片、比喩、感覚のズレを積み重ねることで、聴き手の内面に余白を与え、そこにそれぞれの“物語”を投影させる余地を残している。
この曲における「海」は単なる距離の象徴ではない。他者と自分とのあいだにある“理解できなさ”を含んでいる。人と人が完全にわかり合うことはできない。だが、それでも手を差し出すという行為にこそ価値がある——それがこの曲の根底にある思想だ。
また、曲調は一見シンプルなギター・リフとシンセに支えられた軽快なポップであるが、その裏には感情の揺れ、言葉にできない空白、そして時折覗く諦念が混ざっている。Modern Englishはここで、音楽というメディウムを通して、言葉の限界と、沈黙の力すら表現しようとしているのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- More Than This by Roxy Music
恋愛と現実の間にある空虚を、優雅に歌い上げた美しい終末のラブソング。 - Don’t Change by INXS
変化する世界の中で、自分の核を守る姿勢を力強く歌ったニューウェイヴ・アンセム。 - So In Love by Orchestral Manoeuvres in the Dark
抽象的な愛とその距離感をクールに描いた、1980年代的美意識の極地。 - Reap the Wild Wind by Ultravox
儚くも勇敢な旅の始まりを描いた、エモーショナルなシンセ・ポップの傑作。 -
Love Will Tear Us Apart by Joy Division
理解しあえない者同士の愛が崩壊していくさまを描いた、永遠のゴシック・バラード。
6. 手を差し出すという“希望の儀式”
「Hands Across the Sea」は、Modern Englishが1980年代に提示した、
“不確かで断片的な世界において、なお他者とつながろうとする意志”を讃える楽曲である。
それは戦争や政治的分断だけではなく、恋人同士、家族、友人、そして自分自身との間にも存在する“距離”についての歌なのかもしれない。
言葉で埋まらない溝がある。時間が壊す絆もある。
それでもなお、手を差し出す——この曲が伝えているのは、そんな静かな勇気である。
音楽が国境や言語を越えて届くように。
人の心も、海の向こうの誰かへ届いてほしい。
その願いが、この曲には静かに、しかし力強く流れている。
それは希望のように微かで、
祈りのように真摯で、
そしてきっと、今もどこかで繋がれている——あの“海を越える手”のように。
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