
発売日:2003年6月9日
ジャンル:オルタナティヴ・ロック、アート・ロック、エレクトロニカ、ポストロック、実験的ロック
概要
RadioheadのHail to the Thiefは、2003年に発表された6作目のスタジオ・アルバムであり、バンドのキャリアにおいて、ギター・ロックとしての身体性と、Kid A、Amnesiacで深めた電子音響・不安定な構造・政治的な悪夢の感覚が再び結びついた作品である。1997年のOK Computerで、Radioheadは現代社会の疎外、テクノロジー、消費、交通、情報過多、精神的疲労を壮大なロック・アルバムとして提示した。その後、2000年のKid Aと2001年のAmnesiacでは、ギター・ロックの形式を大きく離れ、エレクトロニカ、ジャズ、アンビエント、現代音楽、断片的なヴォーカル処理へ向かった。Hail to the Thiefは、その実験を経た後に、Radioheadが再びバンド・サウンドの手触りを取り戻したアルバムである。
ただし、本作は単純なロック回帰ではない。むしろ、過去のRadioheadの要素が不安定に共存する、非常に混濁した作品である。ギターのリフ、ピアノ、電子ビート、不穏なシンセサイザー、鋭いドラム、断片的な歌詞、子ども向けの童話のような言葉、政治的な怒り、悪夢的なイメージが、14曲という比較的長い構成の中に詰め込まれている。OK Computerのような明確なアルバム構造や、Kid Aのような冷たい統一感とは異なり、Hail to the Thiefはあえて散らばり、過剰で、混乱している。その混乱自体が、2000年代初頭の世界の空気を映している。
タイトルのHail to the Thiefは、アメリカ大統領を称える曲「Hail to the Chief」をもじった言葉であり、「泥棒を讃えよ」という強い政治的皮肉を含んでいる。2000年のアメリカ大統領選挙、ジョージ・W・ブッシュ政権、9.11以後の政治状況、イラク戦争前後の不安と不信が、本作の背景にある。ただし、Radioheadはここで単純なプロテスト・アルバムを作っているわけではない。Thom Yorkeの歌詞は、直接的な政治スローガンよりも、権力、監視、恐怖、服従、嘘、子どもじみた残酷さ、悪夢のような統治のイメージを断片的に配置する。政治はニュースの中だけにあるのではなく、言葉、家庭、身体、睡眠、子どもの物語、日常の恐怖の中に浸透している。
本作の副題として各曲に括弧付きの別タイトルが付けられている点も重要である。たとえば「2 + 2 = 5」には「The Lukewarm.」、「There There」には「The Boney King of Nowhere.」といった副題がある。これは、童話、寓話、悪夢、政治的暗喩が混ざったような世界観を強めている。Radioheadはここで、現実の政治を直接描くのではなく、壊れた童話や不吉な寓話として描いている。権力は怪物になり、群衆は眠り、真実は歪み、子どもの歌のような言葉が恐怖を運ぶ。
音楽的には、バンド全員の役割が再び強く感じられる作品である。Jonny Greenwoodのギターや電子音処理は鋭く、Ed O’Brienの空間的なギターは曲の広がりを作り、Colin Greenwoodのベースは不穏な低音で楽曲の骨格を支え、Philip Selwayのドラムは生演奏と機械的なリズムの間を行き来する。Thom Yorkeの声は、怒り、恐怖、皮肉、諦め、哀れみを自在に行き来し、本作の神経質なムードを決定づけている。
Hail to the Thiefは、Radioheadの作品の中で評価が分かれやすい。OK ComputerやKid Aほどの革命性や統一感はないとされる一方で、Radioheadの多面的な要素が最も豊富に詰め込まれたアルバムとして支持されることも多い。ロック・バンドとしての力、電子音楽への関心、政治的な不安、メロディの美しさ、悪夢的な詩情が同時に存在しているからである。本作は完璧に整理されたアルバムではない。しかし、2003年という混乱した時代を、混乱したまま音にした作品として、非常に重要である。
全曲レビュー
1. 2 + 2 = 5 (The Lukewarm.)
アルバム冒頭の「2 + 2 = 5」は、本作の政治的・感情的な緊張を一気に提示する楽曲である。タイトルはGeorge Orwellの小説『1984年』を連想させる表現であり、明らかな嘘を権力によって真実として受け入れさせられる状況を示している。2足す2が5であると言わされる世界では、論理や事実は権力に従属する。2000年代初頭の政治的不信を象徴するタイトルである。
音楽的には、静かなギターと不穏なヴォーカルから始まり、後半で一気に爆発する構成が特徴である。序盤の抑制された緊張は、現実を見ながら何もできない無力感のように響く。しかし曲が進むにつれて、ドラムとギターが激しく入り、Thom Yorkeの声は怒りと焦燥へ変わる。この爆発は、単なるロック的なカタルシスではなく、抑圧された現実認識が限界に達した瞬間である。
歌詞では、「遅すぎた」「何も起こっていないと思っていた」というような感覚が繰り返される。人々は危機が進行していることに気づかない、あるいは気づいていても行動しない。副題の「The Lukewarm」は、生ぬるい者、つまり熱くも冷たくもない曖昧な態度を示している。権力の嘘そのものだけでなく、それを許してしまう社会の鈍さも批判されている。
オープニングとして「2 + 2 = 5」は非常に強い。Hail to the Thiefは、最初から真実が歪められた世界へ聴き手を引き込む。ここでは悪夢が始まるのではなく、すでに悪夢の中にいたことに気づくのである。
2. Sit Down. Stand Up. (Snakes & Ladders.)
「Sit Down. Stand Up.」は、命令の反復によって構成された楽曲であり、服従、支配、群衆の操作をテーマにしている。座れ、立て。この単純な命令は、学校、軍隊、政治集会、宗教儀式、会社組織など、あらゆる制度的な場面を連想させる。人間が命令によって身体を動かされる状態が、曲全体の不気味な核になっている。
音楽的には、序盤は静かで、ピアノや電子音が不穏に配置される。曲は長く緊張を保ち、終盤に向かってビートが細かくなり、電子的な反復が激しくなる。最後の「the raindrops」という言葉の反復は、ほとんど意味を失い、リズムと音響の粒子へ変化する。言葉が情報ではなく、洗脳的な音になる瞬間である。
副題の「Snakes & Ladders」は、すごろくゲームの「蛇とはしご」を指す。上がったり落ちたりする運命のゲームであり、個人の意志よりも外部のルールに支配される構造を示す。座れ、立て、上がれ、落ちろ。人間は見えないルールに従って動かされる。
この曲は、Hail to the Thiefの政治性を音響的に表現している。Thom Yorkeはここで、支配を説明するのではなく、支配される身体の感覚を作り出す。終盤の電子ビートの洪水は、命令に従い続けた結果、個人の輪郭が崩れていくように響く。
3. Sail to the Moon. (Brush the Cobwebs Out of the Sky.)
「Sail to the Moon」は、本作の中でも最も美しく、幻想的な楽曲の一つである。Thom Yorkeが自身の子どもへ向けて書いた曲とも言われ、政治的な不安に満ちたアルバムの中で、子ども、未来、月への航海というイメージが浮かび上がる。ただし、その美しさには、祈りと不安が同時に含まれている。
音楽的には、ピアノを中心とした浮遊感のあるバラードであり、拍子やフレーズの感覚が非常に揺らいでいる。安定した地面の上を歩くのではなく、水面や空中を漂うような曲である。Radioheadのバラードの中でも、特に不安定な美しさを持つ。
歌詞では、月へ帆走するという幻想的なイメージが使われる。月は、逃避、夢、未来、届かない理想の象徴である。現実の世界が壊れ、政治が嘘に満ちているとしても、子どもたちは別の場所へ向かえるのかもしれない。しかし、その願いは確信ではなく、祈りに近い。
副題の「Brush the Cobwebs Out of the Sky」は、空から蜘蛛の巣を払うという詩的な表現である。視界を覆う古いもの、絡みついた不安、曇った未来を取り除きたいという願いがある。「Sail to the Moon」は、Hail to the Thiefの中で数少ない優しさを持つ曲だが、その優しさは非常に脆い。
4. Backdrifts. (Honeymoon Is Over.)
「Backdrifts」は、電子ビートと不穏なシンセサイザーを中心とした楽曲であり、Kid AやAmnesiac以降のRadioheadの電子音響への関心が強く出ている。タイトルは後ろへ流されること、逆流、退行を連想させる。副題の「Honeymoon Is Over」は、「蜜月は終わった」という意味であり、幻想や楽観の終焉を示す。
音楽的には、細かい電子リズム、うねるベース、浮遊するヴォーカルが重なり、不安定なグルーヴを作る。曲は踊れるようでいて、身体を解放するダンス・ミュージックではない。むしろ、流され、沈み、制御を失うような感覚がある。
歌詞では、後退や崩壊、逃れられない流れが描かれる。人々は前へ進んでいると思っているが、実際には背後へ流されている。政治的にも、社会的にも、個人的にも、進歩の物語は壊れ、蜜月は終わった。これは2000年代初頭の世界への強い幻滅として響く。
「Backdrifts」は、本作の中で電子音楽的な不安を担う曲である。ギター・ロックの直接的な怒りではなく、流れに飲み込まれていくような無力感が中心にある。Radioheadが電子音を、未来的な希望ではなく、現代の不安の音として使っていることがよく分かる。
5. Go to Sleep. (Little Man Being Erased.)
「Go to Sleep」は、アコースティック・ギターを中心にした比較的ロック寄りの楽曲であり、政治的な諦めと抵抗が混ざった曲である。タイトルは「眠れ」という意味で、社会を眠らせる命令、あるいは自分自身が現実から目を背けたい願望として読める。副題の「Little Man Being Erased」は、小さな人間が消されていくという不穏な表現である。
音楽的には、フォーク・ロック的な始まりから、ギターとリズムが次第に鋭さを増す。変則的な拍子感があり、曲は素朴なプロテスト・ソングにはならない。Jonny Greenwoodのギターは、曲の後半で不安定に裂けるような音を加え、現実が歪んでいく感覚を作る。
歌詞では、眠っている間に何かが起こり、誰かが消されていく状況が描かれる。これは政治的無関心への批判であり、同時に情報操作や権力による個人の抹消を示す。眠ることは安息であるはずだが、ここでは危険である。眠っている間に、世界は勝手に作り替えられる。
「Go to Sleep」は、Radioheadがフォーク的な政治歌の形式を借りながら、それを不安定な現代の悪夢へ変換した曲である。明確な答えはない。ただ、眠らされることへの恐怖がある。
6. Where I End and You Begin. (The Sky Is Falling In.)
「Where I End and You Begin」は、本作の中でも特に暗く、美しい楽曲である。タイトルは「私が終わり、あなたが始まる場所」を意味し、自己と他者の境界、愛、侵食、融合、分離の不安を扱っている。副題の「The Sky Is Falling In」は、空が崩れ落ちるという終末的なイメージであり、個人的な関係の不安が世界の崩壊と重なる。
音楽的には、Colin Greenwoodのベースが非常に重要である。不穏に反復するベースラインが曲全体を支え、その上にシンセサイザーやギター、Thom Yorkeの声が浮かぶ。曲は大きく爆発しないが、内側に強い緊張を持つ。冷たい水の中に沈んでいくような感覚がある。
歌詞では、自己と他者の境界が曖昧になる。愛することは、相手と近づくことであると同時に、自分の輪郭が侵食されることでもある。曲の後半に現れる「I will eat you alive」というような感覚は、親密さが暴力へ変わる瞬間を示している。愛と捕食、融合と破壊が重なる。
この曲は、政治的なアルバムの中で非常に個人的な不安を扱っているように見えるが、実際には本作全体のテーマと深くつながる。境界が崩れること、他者に侵入されること、空が落ちてくること。個人の身体と世界の崩壊が同じ感覚として描かれている。
7. We Suck Young Blood. (Your Time Is Up.)
「We Suck Young Blood」は、本作の中でも最も不気味で、グロテスクな楽曲である。タイトルは「私たちは若い血を吸う」という意味で、吸血鬼的な搾取、若者文化の消費、資本主義の捕食性を連想させる。副題の「Your Time Is Up」は、「あなたの時間は終わった」という冷酷な宣告である。
音楽的には、遅いピアノ、手拍子、コーラスが不気味に配置され、葬送行進や悪夢の劇場のような雰囲気を作る。途中で突然テンポが上がる瞬間があるが、それは解放ではなく、むしろ狂気の発作のように響く。曲全体が異様に遅く、聴き手を不快な空間へ引きずり込む。
歌詞では、若い血を求める存在が語られる。これは音楽業界やメディアが若さを消費する構造としても読めるし、政治権力や資本が若い世代から未来を吸い取る比喩としても読める。Radiohead自身も、若いオルタナティヴ・ロックのアイコンとして消費されることへの嫌悪を持っていた。本曲には、その自己批評的な側面も感じられる。
「We Suck Young Blood」は、聴きやすい曲ではない。しかし、Hail to the Thiefの中で非常に重要である。ここでは権力や消費文化が、吸血鬼のような怪物として描かれる。社会は若さを讃えながら、その血を吸う。
8. The Gloaming. (Softly Open Our Mouths in the Cold.)
「The Gloaming」は、夕暮れや薄明を意味する言葉をタイトルに持つ楽曲であり、本作の中でも最も電子的で、抽象的な曲の一つである。薄明とは、昼でも夜でもない中間の時間であり、不安、移行、視界の曖昧さを象徴する。副題の「Softly Open Our Mouths in the Cold」は、寒さの中で静かに口を開くという、不気味で身体的なイメージを持つ。
音楽的には、硬質な電子ビート、反復するシンセサイザー、断片的なヴォーカルが中心である。曲はロック・バンド的な展開を避け、機械的で閉じた空間を作る。リズムは非常に冷たく、まるで人間の身体が機械の中へ取り込まれていくように響く。
歌詞では、何かが忍び寄っている感覚、世界が暗くなっていく感覚が描かれる。The gloamingは完全な夜ではないが、すでに光は失われつつある。これは政治的な暗黒の到来、あるいは個人的な精神の沈降として読める。重要なのは、それが突然ではなく、静かに、少しずつ進行することだ。
「The Gloaming」は、Hail to the Thiefの中で悪夢の中心部のような曲である。派手な怒りではなく、冷たい支配の感覚がある。人々は寒さの中で口を開くが、そこから言葉は出ない。出るのは息とノイズだけである。
9. There There. (The Boney King of Nowhere.)
「There There」は、本作を代表する楽曲であり、Radioheadの2000年代の重要曲の一つである。タイトルの「There there」は、誰かを慰めるときの言葉であり、「大丈夫」となだめるような響きを持つ。しかし曲の内容は、まったく安心できない。副題の「The Boney King of Nowhere」は、どこにもない国の骨の王という、童話的で死の匂いを持つイメージである。
音楽的には、複数のパーカッションが積み重なり、儀式的なリズムが作られる。ギターは徐々に厚みを増し、曲は中盤から後半にかけて大きく開いていく。Radioheadのロック・バンドとしての力と、Kid A以降の不穏な音響感覚が見事に融合した楽曲である。
歌詞では、誘惑、錯覚、罠が描かれる。「ただそこにあるからといって、本当にそこにあるとは限らない」というような感覚が中心にある。現実だと思っているものが幻かもしれない。信じたいものが罠かもしれない。この疑いは、本作全体の政治的な不信ともつながる。
「There There」は、Radioheadの中でも特に寓話的な曲である。森の中へ入っていくようなリズム、死の王、慰めの言葉、幻への警告。すべてが童話の形をとりながら、非常に現代的な不安を表している。本作の中心曲といえる。
10. I Will. (No Man’s Land.)
「I Will」は、非常に短く、静かで、しかし強い楽曲である。タイトルは「私はそうする」という意志の表明であり、副題の「No Man’s Land」は戦場の無人地帯、誰のものでもない場所を示す。子どもや無力な人々への暴力を暗示する歌詞は、本作の中でも特に痛切である。
音楽的には、声とギターを中心にした非常に簡素な構成である。Thom Yorkeのヴォーカルが重なり、祈りや子守唄のように響く。しかし、その静けさは安心ではなく、深い恐怖を含む。音数が少ないからこそ、言葉の重みが強く伝わる。
歌詞では、誰かを守るという意志が語られる。戦争や爆撃、権力の暴力の中で、弱い者を守りたいという願いがある。しかし、その願いは非常に小さく、無力に響く。No Man’s Landという副題は、誰にも守られない場所、国家や権力の都合で見捨てられた場所を示している。
「I Will」は、Hail to the Thiefの中で最も静かな反戦歌の一つとして聴くことができる。大きなスローガンではなく、小さな声で「守る」と言う。その小ささが、かえって強い倫理性を持っている。
11. A Punchup at a Wedding. (No No No No No No No No.)
「A Punchup at a Wedding」は、タイトル通り、結婚式での殴り合いという滑稽で不穏な場面を描く楽曲である。結婚式は祝福と秩序の場であるはずだが、そこに暴力が入り込む。これは、社会的な儀式の裏側にある怒りや不和を示す。副題の「No No No No No No No No」は、拒絶や否定の反復である。
音楽的には、ピアノを中心にしたグルーヴがあり、Radioheadとしては比較的軽快に聴こえる曲である。だが、その軽快さは祝祭的というより、皮肉っぽい。リズムには少しファンク的な感覚もあり、曲は不満を抱えながら揺れる。
歌詞では、誰かへの怒り、場を台無しにする人物への苛立ちが描かれる。これは個人的な人間関係の歌としても読めるが、政治的な文脈では、祝福されるべき公共の場を権力や愚かな振る舞いが破壊する比喩にもなる。結婚式という共同体の儀式は、社会そのものの縮図である。
「A Punchup at a Wedding」は、本作の中で少しユーモラスな表情を持つが、その奥には深い怒りがある。Radioheadはここで、政治的な破壊を日常的な小さな乱闘として描く。大きな戦争も、小さな醜い争いも、同じ人間の愚かさから生まれる。
12. Myxomatosis. (Judge, Jury & Executioner.)
「Myxomatosis」は、ウサギに感染する病気である粘液腫症をタイトルにした楽曲であり、本作の中でも特に異様で、攻撃的な曲である。副題の「Judge, Jury & Executioner」は、裁判官、陪審、処刑人を一人で兼ねる存在を示し、権力の暴走を強く連想させる。
音楽的には、歪んだシンセ・ベースのようなリフが中心となり、非常に不安定で圧迫感のあるグルーヴを作る。ギター・ロックでも、純粋な電子音楽でもない、奇妙な機械的ロックである。Thom Yorkeの声は歪んだリズムの上で神経質に跳ね、曲全体に病的な感覚を与える。
歌詞では、自分の言葉や存在が歪められ、消費され、病気のように扱われる感覚が描かれる。Myxomatosisという病名は、個人や社会が感染し、変形し、弱っていくイメージを持つ。権力は裁き、判決を下し、処刑する。個人はその中で逃げ場を失う。
この曲は、Radioheadの中でも非常に鋭い社会的不安を持つ楽曲である。病気、裁き、処刑、メディアによる歪曲、権力の一元化。これらのテーマが、強烈なリズムと歪んだ音によって一体化している。
13. Scatterbrain. (As Dead as Leaves.)
「Scatterbrain」は、散漫な頭、混乱した精神を意味するタイトルを持つ楽曲であり、本作終盤で非常に美しいメランコリーをもたらす。副題の「As Dead as Leaves」は、枯葉のように死んでいるというイメージであり、秋、衰退、精神的疲労を連想させる。
音楽的には、柔らかいギターと繊細なリズムが中心で、曲は穏やかに揺れる。前曲「Myxomatosis」の異様な圧力から一転し、ここでは崩れた精神の後に残る静かな疲労が描かれる。Thom Yorkeの声は非常に儚く、風に散るように響く。
歌詞では、思考がまとまらず、散らばっていく状態が描かれる。情報、恐怖、政治、感情、日常の不安が重なり、人は集中できなくなる。Scatterbrainとは、単なる個人的な性格ではなく、現代社会そのものが人間の思考を散らしてしまう状態とも読める。
「Scatterbrain」は、Hail to the Thiefの中で最も美しい曲の一つである。Radioheadはここで、怒りや恐怖の後に訪れる精神の疲れを、非常に繊細な音で表現している。枯葉のように死んでいるという副題が、曲の儚さを深めている。
14. A Wolf at the Door. (It Girl. Rag Doll.)
アルバム最後を飾る「A Wolf at the Door」は、本作を締めくくるにふさわしい、非常に不穏で、言葉の密度が高い楽曲である。タイトルの「狼が扉の前にいる」は、危険がすぐそこまで迫っていることを示す童話的な表現である。副題の「It Girl. Rag Doll.」は、消費される女性像、操り人形、無力化された身体を連想させる。
音楽的には、ワルツのような揺れを持つリズムと、暗いコード進行が特徴である。Thom Yorkeのヴォーカルは、歌というより早口の語りに近く、次々と不吉なイメージを吐き出す。曲は悪夢のような童話として進み、最後まで安心できる場所を与えない。
歌詞では、恐喝、暴力、家庭的な不安、社会的な圧力、メディア的な言葉、童話的な怪物が混ざり合う。狼は外部の敵であると同時に、すでに家の中へ入りかけている恐怖でもある。扉は守りの境界だが、その境界は非常に薄い。
「A Wolf at the Door」は、Hail to the Thief全体の悪夢を凝縮した終曲である。権力、嘘、吸血、病気、戦争、混乱、眠り、童話。それらすべてが最後に狼として扉の前に立つ。アルバムは救済ではなく、脅威がすぐそばにあるという認識で終わる。
総評
Hail to the Thiefは、Radioheadのディスコグラフィの中で、非常に重要でありながら、評価が分かれやすいアルバムである。OK Computerのような明確な時代の記念碑性、Kid Aのような革新的な統一感、In Rainbowsのような美しい均整はない。しかし本作には、Radioheadの複数の側面が最も混濁した形で詰め込まれている。ギター・ロック、電子音楽、政治的不安、童話的な悪夢、個人的な恐怖、メロディの美しさ、ノイズの暴力性が一枚の中で衝突している。
本作の最大の特徴は、混乱を混乱のまま提示している点である。14曲という構成はやや長く、曲調も多様で、アルバムとしての流れは必ずしも滑らかではない。だが、それは欠点であると同時に、本作の本質でもある。2003年の世界は、整理された物語として理解できるものではなかった。9.11以後の恐怖、戦争、政治不信、メディアの混乱、監視社会、情報過多。そのすべてが同時に押し寄せる時代に、Radioheadは整ったコンセプトではなく、断片的な悪夢の連続として反応した。
音楽的には、RadioheadがKid A以降に獲得した電子的な語彙を、再びバンド演奏と接続している点が重要である。「2 + 2 = 5」「There There」「Go to Sleep」ではギター・バンドとしての力が戻っている一方、「Backdrifts」「The Gloaming」「Myxomatosis」では電子的な不安が前面に出る。「Sail to the Moon」「I Will」「Scatterbrain」では、美しいバラードとしてのRadioheadも健在である。つまり本作は、1990年代のRadioheadと2000年代のRadioheadが不安定に同居する作品である。
歌詞面では、Thom Yorkeの政治的な怒りと寓話的な想像力が結びついている。タイトルからして政治的な皮肉を含むが、曲ごとの歌詞は直接的な批判だけではない。狼、骨の王、若い血を吸う存在、病気、眠り、月への航海、蛇とはしご、扉の前の怪物。これらのイメージは、政治的現実を童話や悪夢として変換している。現代の権力は、もはや新聞の見出しだけではなく、子どもの物語の怪物のように日常へ侵入している。
本作の弱点は、過剰さである。曲数が多く、アルバムの焦点が散る部分もある。Thom Yorke自身も後年、曲順や収録曲数について別の可能性を示唆したことがあるほど、本作には編集しきれなかった豊富さがある。しかし、その過剰さはRadioheadの迷いでもあり、時代のノイズでもある。完璧に削ぎ落とされた作品ではないからこそ、当時の不安が生々しく残っている。
日本のリスナーにとってHail to the Thiefは、Radioheadの代表作群をつなぐ重要な作品として聴く価値が高い。OK ComputerからKid Aへ進み、その後In Rainbowsへ至る流れの中で、本作は一つの混沌とした交差点である。ギター・ロックのRadioheadが好きなリスナーにも、電子音響のRadioheadが好きなリスナーにも、それぞれ引っかかる要素がある。ただし、アルバム全体は明るく開かれているわけではなく、不安と怒りと疲労に満ちている。
総合的に見て、Hail to the ThiefはRadioheadが2000年代初頭の政治的・精神的な悪夢に正面から反応したアルバムである。整理された名盤というより、時代の混乱を抱え込んだ巨大な断片集である。嘘が真実にされ、人々が眠らされ、若い血が吸われ、狼が扉の前に立つ。Radioheadはその世界を、怒りだけでなく、美しさ、恐怖、童話、電子音、ギターの爆発によって描いた。本作は、混乱した時代のための、混乱した傑作である。
おすすめアルバム
1. Radiohead – OK Computer(1997年)
Radioheadの代表作であり、現代社会の疎外、テクノロジー、消費、情報過多への不安を壮大なギター・ロックとして描いたアルバムである。Hail to the Thiefの政治的・社会的な不安の前史として不可欠な作品である。
2. Radiohead – Kid A(2000年)
Radioheadがギター・ロックの枠を大きく離れ、エレクトロニカ、アンビエント、ジャズ、断片的な歌を導入した革新的作品である。Hail to the Thiefの電子的な側面や、冷たい悪夢の感覚を理解するために重要である。
3. Radiohead – Amnesiac(2001年)
Kid Aと同時期の録音をもとにした作品であり、より不穏で、ジャズ的で、断片的な質感を持つ。Hail to the Thiefの暗い寓話性や、電子音とバンド演奏の不安定な関係を理解するために有効である。
4. Radiohead – In Rainbows(2007年)
Hail to the Thief後に発表された作品であり、Radioheadがバンド・サウンド、電子音、メロディ、リズムをよりしなやかに統合したアルバムである。本作の混乱が、どのように整理され、美しい均衡へ向かったかを確認できる。
5. Thom Yorke – The Eraser(2006年)
Thom Yorkeのソロ・デビュー作であり、電子ビート、政治的不安、孤独、環境的・社会的な危機意識が凝縮された作品である。Hail to the Thiefの電子的・政治的な側面を、より個人的でミニマルな形で発展させた関連作として聴く価値がある。

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