Grimes Oblivion(2012)楽曲解説

1. 歌詞の概要

「Oblivion」は、カナダ出身のアーティスト**Grimesグライムス)**が2012年にリリースしたアルバム『Visions』の中でも特に高い評価を受けた楽曲であり、彼女の音楽的、そして思想的な転機を象徴する一曲である。この曲は、性的暴力のトラウマと、その経験にどう向き合い、力に変えていくかという極めてパーソナルかつ切実なテーマを、電子音楽と夢幻的なボーカルによって表現したものである。

タイトルの“Oblivion(忘却)”は、一見すると夢の中のような脱力した言葉にも思えるが、実際には**現実の中で生き延びるために必要な“自己保存的忘却”**を意味している。Grimesはこの曲を通して、自身が経験した暴力の後に感じた不安や孤独、そしてそこからどう自己を再構築していったかを、直接的な怒りではなく、美しさと軽やかさをまとったサウンドで語るという独自の表現に到達している。

2. 歌詞のバックグラウンド

Grimes(本名:クレア・ブーシェ)は、大学で神学やロシア文学を学んだバックグラウンドを持ち、自主制作による音楽活動を続けながら2012年に『Visions』で国際的ブレイクを果たした。「Oblivion」はそのアルバムに収録された楽曲であり、自身が過去に経験した性的暴力を、アートとして昇華するために書かれたものと本人が明言している。

この楽曲の特異な点は、深刻なテーマを扱いながらも、ポップでキュートなサウンドとヴォーカルで包み込んでいることである。これはGrimesが意図的に選んだ手法であり、被害の記憶を“怒り”や“復讐”として表現するのではなく、自己の主導権を取り戻す行為としてのポップソングに変換している。

また、ミュージックビデオでは、アメリカン・フットボールの試合やモトクロスといった男性優位な空間の中に彼女自身が登場し、“男たちの領域”を自分の視点で再構築するフェミニズム的パフォーマンスを実践している。これは単なるサバイバルではなく、視点を奪い返すことによる再定義=再生であり、「Oblivion」が単なるトラウマの記録ではなく、主張と再誕のポップアンセムであることを示している。

3. 歌詞の抜粋と和訳

引用元:Genius Lyrics – Grimes “Oblivion”

I never walk about after dark
It’s my point of view

暗くなってからは決して外を歩かない
それが私の視点

‘Cause someone could break your neck
Coming up behind you, always coming
And you’d never have a clue

誰かが後ろから襲ってくるかもしれない
そして君は、きっと気づきもしないだろう

冒頭から、日常に潜む不安と恐怖が静かに描かれる。この“気づかれないままに襲われる”という構図は、性的暴力の被害者がしばしば経験する現実であり、Grimesはそれを抑制された語り口と繊細な視点で表現している。

And now another clue
I would ask
If you could help me out

そしてまた別の手がかりが見える
私は尋ねたい
あなたが助けてくれるなら、って

このフレーズは、孤独の中にある希望や、誰かへの助けを求める小さな声を象徴している。直接的な“叫び”ではなく、静かで遠慮がちだが切実な思いがこもっている。

See you on a dark night
See you on a dark night

暗い夜に、君とまた会えるだろう
そのとき、また君と会える

リフレインされるこのフレーズは、一種の再生の約束であり、「Oblivion(忘却)」というタイトルに反して、記憶を超えた新たな自分との邂逅を予感させる希望の一節でもある。

4. 歌詞の考察

「Oblivion」は、トラウマをテーマにしたポップソングとして極めて異例の立ち位置を持つ楽曲である。通常、こうしたテーマはシリアスで重厚なサウンドで表現されがちだが、Grimesはその逆を行く。エレクトロニックで軽やか、透明感のあるビートと囁くようなボーカルで、“恐怖”をポップ化する。これによって、彼女は被害者の視点を“語り”から“表現”へと変化させることに成功している。

この曲が示すのは、単なる回復ではない。むしろ、「私はこの記憶を持ちながら、なお自分で在り続ける」という強い意志と自己決定権の回復だ。それは感情を無理にポジティブにするのではなく、曖昧で不安定な心のありようをそのまま肯定する姿勢にもつながっている。

また、「暗い夜に君と会う」というリフレインが意味するのは、恐怖の中にいる自分自身との対話でもあるかもしれない。忘却とは、記憶を消すことではなく、その重みを背負ったまま軽やかに生きていく技術であり、Grimesはこの曲でそれを見事に体現している。

5. この曲が好きな人におすすめの曲

  • “Hide and Seek” by Imogen Heap
    ボーカルとテクノロジーの融合によって心の痛みを詩的に描くエレクトロニカの名曲。

  • “Nightmusic” by Grimes ft. Majical Cloudz
    同じく『Visions』収録。幻想的なサウンドと官能性が交錯する夜の歌。

  • Genesis” by Grimes
    「Oblivion」の兄弟曲とも言える楽曲。神話的で自由な自己創造のイメージを描く。

  • “When I’m Small” by Phantogram
    女性視点の不安と自己肯定が交差する、ドリーミーなエレクトロポップ。

  • “Flesh Without Blood” by Grimes
    後の作品『Art Angels』収録。より攻撃的かつポップに自己を再定義した代表曲。

6. “軽さ”に託された回復──ポップが救済の器になるとき

「Oblivion」は、電子音楽の枠を超えた現代のフェミニズム的ポップの傑作である。Grimesはこの曲で、痛みと恐怖の記憶を“エンターテインメント”として処理するのではなく、個人の再生と主張の場としてのポップの可能性を切り開いた。

彼女の声は、強く叫ぶことはない。しかしその静けさが、逆に聴き手の心に深く染み渡る。音が軽やかであるからこそ、重いテーマを受け止める余白が生まれる。そしてその余白こそが、痛みを抱えた者にとっての居場所となる。

「Oblivion」は、恐怖をポップに変換することで、自己を取り戻すための儀式であり、希望を再発見する静かな革命のうたである。

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