
1. 歌詞の概要
「Genesis」は、カナダのアーティスト**Grimes(グライムス)が2012年にリリースしたアルバム『Visions』からの代表的シングルであり、彼女をインディー・ポップ/エレクトロニカの最前線に押し上げた作品である。曲のタイトルである“Genesis(創世記)”は、聖書の冒頭にある天地創造の物語を想起させるが、ここでは文字通りの宗教的意味ではなく、“感情や関係の誕生=新しい世界の始まり”**として解釈される。
「Genesis」の歌詞は全体的に抽象的で、多くを暗示や詩的なイメージに委ねている。だがその背後には、恋愛における始まりの瞬間――無垢さと陶酔、予感と高揚感が確かに描かれている。Grimes特有のハイトーンで浮遊感のあるヴォーカルが、恋の芽生えの“神話的な瞬間”を神秘的に包み込み、エレクトロニック・ポップでありながら極めて個人的かつ精神的なラブソングとして機能している。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Genesis」は、『Visions』のセッション中、GrimesがガレージバンドとMIDIキーボードのみを使いながら、精神的にも物理的にも隔離された状態で制作した楽曲である。彼女自身が“超常的な状態にあった”と語るように、この時期のGrimesは音楽を自己拡張的な芸術表現として徹底的に追求しており、その集大成がこの曲だった。
この楽曲は、北米の音楽シーンでGrimesを一躍有名にし、PitchforkやNMEなど多くのメディアから絶賛を受けた。特にそのシンセサイザー主導のメロディ、ビートの繊細な構造、そしてイノセントでありながら超現実的なヴォーカルは、当時のエレクトロニカとは一線を画していた。
また、ミュージックビデオでは、暗黒的かつ未来的なヴィジュアルの中でGrimes自身と“剣を持つ女性”が登場し、フェミニズム的象徴性、パワーと純粋性の二面性が鮮やかに提示されている。これにより、「Genesis」は単なるラブソングではなく、“新たな自我の誕生”を描いた象徴的な作品として多面的に受け止められるようになった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics – Grimes “Genesis”
My heart will never feel
Will never see
Will never know
私の心は感じることも、見ることも、知ることもないでしょう
You love me
You love me
あなたは私を愛してる
愛してるのよね
この最初のセクションでは、**感情がまだ“目覚める前の静寂”**が描かれている。愛されているはずなのに、それが確かなものとして“見えない”不安と葛藤。恋愛の最初期によくある、“確信を持てないけれど、何かが始まりつつある”あの感覚である。
My heart will never feel
Will never see
Will never know
でも私の心は、感じることも、見ることも、知ることもないの
この繰り返しは、一見ネガティブに聞こえるが、むしろ**“未完成な心”への優しさ**のようにも聞こえる。ここにあるのは、冷たさではなく、まだ確定していない自分自身をそっと見守る視線だ。
Because you make me feel
Like I’m a child again
だってあなたが
私を子どもに戻してくれるから
この一節は、この曲の核心に触れている。恋に落ちるという体験が、自己の再生や無垢な感情の復活をもたらすこと。まさに“創世記(Genesis)”というタイトルにふさわしい、新しい感情の芽生えと再生の瞬間がここにある。
4. 歌詞の考察
「Genesis」は、明確なストーリーラインやメッセージを持たないように見えて、実は人間の感情の原初的な構造に迫る、極めてコンセプチュアルな作品である。とくに重要なのは、恋愛の高揚感や喜びよりも、それを感じる直前の**“不確かさと曖昧さ”に焦点を当てている**点だ。
愛は確かなものではない、でもそれを感じた“かもしれない”その瞬間が、人生においてどれほど貴重か。Grimesはこの曲で、曖昧さを否定せず、むしろ肯定することで、新しい自我や感情が生まれる瞬間の“ゆらぎ”を美しく描いている。
また、「Genesis」という語には、宗教的・神話的な響きもある。神が天地を創造したように、恋をすることは自分の中にまったく新しい世界を生むこと。その新世界では、過去のトラウマや防衛本能は一時的に無効化され、まっさらな“子どものような自分”が再び現れる。
サウンドの面でも、繊細で無重力的なシンセサイザーのレイヤーは、現実と夢の境界をあいまいにし、心の中の創世記(Genesis)を音で描き出している。まるで宇宙のなかにぽつんと浮かぶ小さな心が、初めて“愛”に触れる、その美しい始まりの瞬間なのだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “Oblivion” by Grimes
性的トラウマと回復をポップに描いた名曲。『Visions』からのもう一つの象徴作。 - “Lights” by Ellie Goulding
感情の起伏と内なる光を描いたエレクトロポップ。透明感あるヴォーカルが共通。 - “Hide and Seek” by Imogen Heap
エレクトロニカと声の融合による、感情の極致を描いた現代クラシック的楽曲。 - “Avant Gardener” by Courtney Barnett
日常の中にある不安と再生を語りで描く、現代的な内面の歌。 - “Two Weeks” by FKA twigs
愛と身体性、パワーと脆さを同時に提示する、フェミニズム的R&Bの傑作。
6. 新しい“私”が生まれる音──恋という創世記のファンタジー
「Genesis」は、単なる恋愛の歌ではない。それは恋という現象を通して、まったく新しい自分を見出す瞬間を、音と詩によって描いた“感情の創世記”である。そこには、恋の甘さや情熱よりも、何かが芽吹く前の神秘的な静けさが支配しており、聴き手はその“予感”の中に飲み込まれる。
Grimesの声は、人間の内面に存在する無垢な部分、まだ名前のついていない感情をそっとすくい上げる。だからこそこの曲は、懐かしいのに新しい、優しいのに力強い──そんな矛盾を抱えたまま、美しい輪郭を持ち続けている。
「Genesis」は、自分の中にもうひとつの世界が生まれる、その瞬間の音楽である。恋の始まりは、宇宙の始まりと同じくらい神秘的なのだ。
コメント