発売日: 2007年5月8日
ジャンル: バロック・ポップ、ドリームポップ、ネオアコースティック、ソフトロック
『God Save The Clientele』は、The Clienteleが2007年にリリースした4作目のスタジオ・アルバムであり、バンドのサウンドが大きく拡張された“陽だまりのロンドン・ポップ”とも言える作品である。
タイトルは英国国歌「God Save the Queen」のパロディでありながら、そこにはユーモアとともに、ロンドン郊外の詩人たちによる美学への自負と祈りが込められている。
本作の特徴は、彼らにとって初の“アメリカ録音”という制作背景にある。
ナッシュビルのBeauchamp Recording Studioで録音され、プロデュースにはLambchopのMark Neversを迎えたことで、南部的な温かみや柔らかな空気感が注入されている。
これにより、過去作で支配的だった霧が少し晴れ、陽光が差し込むような音像が広がっている。
それでも、The Clienteleの本質は変わらない。
街路樹の揺れ、バスの窓、午後4時の影、そういった日常の何気ない断片に宿る詩情を、Alasdair MacLeanの囁くような声と、流麗なギターがそっと掬い取っていく。
音が明るくなったからといって、彼らが“幸福”にたどり着いたわけではない。
むしろここでは、“幸福”の予感と、それがすぐに過ぎ去ってしまうことの切なさが、丁寧に描かれている。
全曲レビュー
1. Here Comes the Phantom
アルバムの幕開けを飾る軽快なナンバー。
ストリングスやハープシコードが織り成すバロック・ポップ的な装飾が施されつつも、幽霊（phantom）という言葉が暗示するように、不穏な気配も共存する。
「幸福の影」とでも言うべき感触が魅力。
2. I Hope I Know You
柔らかいメロディに包まれた、告白のような楽曲。
“あなたを本当に知っていると願っている”という言葉に、不確かさと親密さが共存する。
コード進行が心地よく、ギターのトーンが絶妙に甘い。
3. Isn’t Life Strange?
70年代ソフトロックを彷彿とさせる流れるようなサウンド。
人生の不思議さと、それを肯定するような諦観が漂う。
陽光のように包み込むアレンジがアルバム中でも異彩を放っている。
4. The Dance of the Hours
ワルツのような揺れを持った、時間と記憶をめぐる楽曲。
「時の踊り」というタイトルが象徴するように、時間の経過がメランコリックに描かれる。
5. From Brighton Beach to Santa Monica
地名を通じて空間と時間の旅を描く、ロードムービー的な感覚のある一曲。
イギリスからアメリカへという地理的モチーフも、アルバムの録音背景とリンクする。
6. Winter on Victoria Street
ロンドンの特定の通りを舞台にした、The Clienteleらしい風景詩。
冬の街角と孤独な心象が重なり、まるで映画のワンシーンのように浮かび上がる。
7. The Queen of Seville
ややスペイン調のメロディが異国情緒を醸し出す幻想的なナンバー。
どこか現実離れした女性像と、それを追い求める語り手の視線が交錯する。
8. These Days Nothing but Sunshine
陽だまりの中で、逆説的に“光しかないこと”の違和感や不安を描く。
タイトルに反して、音像には微妙な影が差し込んでいる。
9. Somebody Changed
変わってしまった“誰か”をめぐる記憶の断片。
ギターの揺らぎとマクレーンのささやく声が、静かな痛みを包み込むように響く。
10. No Dreams Last Night
夢のない夜というタイトルが示すように、喪失と静寂の中にたたずむ楽曲。
無音に近いミニマリズムが、逆に感情の深さを引き立てている。
11. Carnival on 7th Street
祭のような彩りと、終わりの予感が同居する軽快なナンバー。
トランペットや弦が軽やかに絡む中に、少しだけ滲む哀愁が絶妙。
12. Bookshop Casanova
言葉遊び的なタイトルと、都会的なラブストーリーを綴る軽妙な一曲。
文学的でありながらユーモラスな筆致が、The Clienteleの知的な一面を強調する。
13. The Garden at Night
夜の庭で感じる静寂と気配。
目に見えないものを音楽で捉える、Clienteleらしい感覚が光る終曲である。
総評
『God Save The Clientele』は、The Clienteleが自身のスタイルを保ちつつ、より広がりのある音世界へと一歩踏み出した作品である。
南部ナッシュビルの温かい空気と、バロック的なストリングスや鍵盤の導入により、これまでの霧に包まれた音像は“曇り空の向こうの光”へと変貌した。
だが、その変化は決して表層的なものではない。
本質的には、日常の中に潜む詩情や、見過ごされる瞬間の美しさをすくい取るという彼らのスタンスは、むしろより深く、豊かに表現されている。
本作は、The Clienteleというバンドの“成熟”を静かに宣言するアルバムである。
それは大きな声ではなく、午後の陽だまりの中で、誰かにそっと語りかけるような、穏やかで優しい声明なのだ。
おすすめアルバム
- The Zombies / Begin Here
バロック的コード進行とメロディアスなポップセンスが共鳴。 - High Llamas / Hawaii
ストリングスとハープシコードを大胆に取り入れた都会派バロック・ポップ。 - Belle and Sebastian / Dear Catastrophe Waitress
軽妙さとメランコリーの交錯。都会的リリシズムの精神が重なる。 - Lambchop / Nixon
本作のプロデューサーMark Neversの代表作。室内楽的アレンジと静謐さが共通。 - The Ladybug Transistor / Beverley Atonale
60年代ポップとネオアコの交差点を歩む良作。郊外の夢想感が近い。
ビジュアルとアートワーク
ジャケットに描かれたのは、花に囲まれた幻想的な風景とエレガントなロゴ。
これまでの灰色がかった世界から少し色味を取り戻したような、アルバムの音楽的変化を示唆するようなデザインである。
花々と古典的なタイポグラフィは、英国ポップとアメリカーナのハイブリッドとしての本作を象徴しており、
まるで“誰かの記憶の中の庭園”を覗き見るような感覚を抱かせる。
音楽と同様に、装丁もまた詩的で、愛おしい夢の断片である。
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