イントロダクション
スマートフォンのボイスメモで切り取った日常の断片を、汗ばむフロアのビートへと溶かし込む。
FRED AGAIN..(本名フレッド・ジョン・フィリップ・ギブソン)は、そんな手つきで2020年代のダンス・ミュージックを塗り替えてきた。
「Actual Life」シリーズやブライアン・イーノとの共作、さらにはボイラールーム史上最多の同時視聴を記録した2022年のDJセット――。
映像と記憶、テクノロジーとエモーションをクロスフェードさせる彼の音楽は、ロックやヒップホップのリスナーまでも巻き込み、ネット以後の“共有体験”をアップデートし続けている。
アーティストの背景と歴史
1993年、ロンドン南部に生まれたフレッドは少年期から教会音楽とUKガラージを並行して吸収した。
15歳でブライアン・イーノと出会い、コーラス練習の録音を手伝ったことがきっかけで師弟関係を築く。
作曲家としての頭角は意外にもポップ畑で現れ、2019年にはエド・シーラン「Take Me Back to London」でBRIT賞ソングライター・オブ・ザ・イヤーを受賞。
だが翌年のパンデミックでツアーもセッションも中断されると、彼は自宅スタジオで個人的な“音のタイムカプセル”を作り始める。
散歩中の環境音、友人の留守電、クラブ閉鎖を嘆く声――それらをサンプルし、呼吸のようにビートを刻む新プロジェクト「Actual Life」が誕生したのだ。
音楽スタイルと影響
FRED AGAIN..のトラックには、UKガラージの軽やかなシャッフル、ハウスの4つ打ち、グライムの低重心ベースが縦横に走る。
しかし最大の特徴は“親密さ”である。テクスチャはLo‑fi寄り、サンプルはワンテイクのまま。
素材のラフさを残すことで、田舎のパブで交わされる片言の会話も、世界的フェスのメインステージに直結する。
影響源としてしばしば言及されるのは、Burialの陰影、Jamie xxのコラージュ感覚、James Blakeのハーモニー解体術。
そこへ教会音楽で培ったコーラルな和声と、イーノ仕込みのアンビエント的間合いが溶け、泣き笑いのカタルシスが生まれる。
代表曲の解説
Marea (we’ve lost dancing)
パンデミック下で失われた“踊る場所”への鎮魂歌。
ローレン・ロゼワードの語りが反復するたび、厚みを増すシンセパッドとサイドチェイン・キックが胸を締め付ける。
最後のドロップで鳴る歓声は、実際に閉店したクラブで録った残響とのことだ。
Delilah (pull me out of this)
ポスト・レイヴ的ブリープと福音的ゴスペルが交差する。一瞬の“吸い込み”ブレイクから、エモーショナルなピアノリフが解放される構成は見事。
歌詞はVoice Note由来の独白で、ラフミックス感がかえって切実さを増幅させる。
Rumble(with Skrillex & Flowdan)
グライムMC Flowdanの重低域ボイスと、Skrillexのブロークン・リズム、Fredのガラージ感覚が三つ巴で絡む2023年のアンセム。
BPM140周辺ながらダブステップともジャングルともつかない“歪な疾走”が癖になる。
adore u
サンプリングしたサム・セルヤ(The Blessed Madonna)の愛の告白を、夕焼けのようなシンセコードで包むバラード。
Boiler Roomでも大合唱が起こり、ライブ録音の歓声をそのままマスタリングに残している。
アルバムごとの進化
『Actual Life (Apr 14 – Dec 17 2020)』
自宅録音のドキュメント。雨音やWhatsAppの通知音さえビートと化し、宅録だからこその近さを提示した。
『Actual Life 2 (Feb 2 – Oct 15 2021)』
クラブ再開への期待と喪失が交錯。ベースは太く、ドロップは深く。感情の起伏をそのまま波形化したような作品だ。
『Actual Life 3 (Jan 1 – Sep 9 2022)』
ツアー再開後の高揚を反映し、フィールドレコーディングも各都市で収集。多言語のサンプルが交ざり、グローバルなパッチワークとなった。
『ten days』 (2024)
10日間で作曲・公開・映像化を同時進行する“リアルタイム・アルバム”。
日付ごとにトラック名が付され、SNSで共有される制作過程までも作品の一部として提示した。
短編映画のように章立てされたMV群は、音楽と生活を地続きにする彼の哲学を可視化している。
影響を受けたアーティストと音楽
- ブライアン・イーノとの共作『Secret Life』で学んだミニマリズム。
- バース出身のダブステップ・レジェンドSkreamから受け継いだベースの弾力。
- Frank OceanやSZAなどUSオルタナR&Bの内省的リリック。
それらがLondonクラブカルチャーの土壌で発酵し、FRED AGAIN..独自のメランコリックな多幸感を生んでいる。
影響を与えたアーティストと音楽
「日記的サンプリング」という手法は、UK新世代のOvermonoやUSハイパーポップ勢にも波及。
また、ライブ配信を曲作りの一部とするスタイルは、プロデューサー/DJ達のマーケティング戦略を根底から変えた。
ポップスシーンではPinkPantheressがTikTok上で“声の切り貼り”を行い、FRED AGAIN..のメソッドをポップフォーマットへ転用している。
オリジナル要素
- Boiler Roomロンドン(2022)
観客がステージへ雪崩れ込むカオスを即興でミックスに組み込む“ライブ編集”を披露し、新時代の集団体験を提示。 - パーソナル・サンプリング
友人や家族の留守電、空港アナウンス、ファンのDM。プライベートな素材をあえて生の質感で残し、“あなたの物語でもある”と聴き手に訴えかける。 - STEM教育との連携
子ども向けワークショップで“身の回りの音を集めて一曲作る”プログラムを実施。制作アプリも無償公開し、クリエイティビティの民主化を推進している。
まとめ
FRED AGAIN..は、ハードウェアの進化よりも“人の営み”にマイクを向けることで、ダンス・ミュージックを再人間化した。
クラブが閉ざされた夜も、スマホのスピーカーから漏れる生活音をビートに変え、明滅する光のように希望を映し出す。
彼の作品を再生するたび、私たちは“今この瞬間”を祝祭に変換する魔法を思い出すのだ。
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