アルバムレビュー：Downward Is Heavenward by HUM

アルバムレビュー

2025.05.22

発売日: 1998年1月27日
ジャンル: オルタナティブロック、スペースロック、シューゲイザー、ポストグランジ

概要
全曲レビュー
総評
おすすめアルバム
歌詞の深読みと文化的背景

概要

『Downward Is Heavenward』は、イリノイ州出身のオルタナティブ・ロックバンドHUMが1998年にリリースした4作目のスタジオ・アルバムであり、“轟音の美”と“宇宙的ロマン”を高次で融合させた彼らの最高傑作にして、90年代スペースロックの最終回答ともいえる作品である。

前作『You’d Prefer an Astronaut』（1995）でメジャーシーンに一躍注目されたHUMは、本作において商業的成功よりも芸術的完成度を徹底的に追求。
結果として、天体の運行のように壮大で、海底の静けさのように深く、美しく、重く、儚いサウンドスケープを築き上げた。

アルバムタイトル『Downward Is Heavenward（下へ向かうことは天へ向かうこと）』は、矛盾を内包した逆説的命題であり、終始一貫して“崩壊の中の恍惚”“没入することでの解放”をテーマにした哲学的コンセプトが流れている。

商業的には成功しなかったが、後年に評価が高まり、ポストメタル、シューゲイザー、ドリームポップの分野にまで影響を与えた“静かなるモンスター”のような一作である。

全曲レビュー

1. Isle of the Cheetah

9分超えの長尺で始まる異例のオープニング。
“チーターの島”という幻想的なタイトルが示すように、夢の中に沈むようなギターの海が広がる。
最初の一音から、重力が変わるような没入感。

2. Comin’ Home

轟音と旋律が絶妙に絡み合う、HUMの中でも屈指のアンセミックな楽曲。
“帰還”というテーマが、過去と現在、現実と幻覚の交錯を音で表現する。

3. If You Are to Bloom

浮遊感あるリフとダウナーなリズムの中に、わずかな希望のようなサビが咲く。
“もし君が咲くなら”という願いが、重苦しい空気の中で光を差し込ませる。

4. Ms. Lazarus

復活を象徴するラザロの名を冠した静かなバラード。
歪みを抑えたギターと囁くようなボーカルが、死と再生の間にある緩やかな瞬間を描き出す。

5. Afternoon with the Axolotls

本作で最もサイケデリックかつポストロック的なトラック。
アホロートル（ウーパールーパー）という生物をモチーフに、“変化しない生”を音でなぞるような奇妙な時間感覚が支配する。

6. Green to Me

HUMの中では比較的キャッチーな部類に入る佳曲。
“Green”という色彩が意味する未熟さ、純粋さ、自然の象徴が、人間関係や感情の揺れに置き換えられている。

7. Dreamboat

バンド史上でも異色な“愛の歌”として機能するロマンチックなナンバー。
タイトルが示す通り、“夢の船”で誰かと逃避するような叙情性が濃い。

8. The Inuit Promise

北極圏の民＝イヌイットの“約束”という神話的スケールのタイトル。
文化、自然、歴史、記憶といった重層的なモチーフが、重低音の海に沈むように展開される。

9. Apollo

“宇宙”そのものを名に冠した荘厳な楽曲。
アポロ計画の影響を受けたリリックと、無限遠点に届きそうなギターサウンド。
浮遊と下降を同時に感じさせる傑作。

10. The Scientists

アルバムの締めくくりにふさわしい、哲学的な問いを投げかける楽曲。
“科学者たち”＝知性の象徴が、世界を解明しようとするも、なお理解できない“感情と存在”の不可解さを描く。

総評

『Downward Is Heavenward』は、音楽が“風景”ではなく“空間そのもの”になる瞬間を記録したアルバムであり、HUMというバンドの静かなる到達点である。
それは商業的成功とは無縁だったが、“失速”ではなく“自由落下による浮上”という逆説的運動によって、“落ちることでしか辿り着けない場所”をリスナーに提示する。

轟音はここでは暴力ではなく、抱擁であり、波であり、重力そのものである。
歌詞は散文詩のように響き、科学的な言語と情緒が共存する希有なポストグランジの詩学を形成している。

時間をかけて評価されてきたこの作品は、“美しさとは重さに宿る”という哲学を静かに証明し続けている。