発売日: 2019年10月25日
ジャンル: インディーポップ、オルタナティヴR&B、ベッドルームポップ、クィア・ポップ
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概要
『Cheap Queen』は、King Princess(本名:Mikaela Straus)が2019年に発表したデビュー・フルアルバムであり、自己探求、クィア・アイデンティティ、親密な関係性といったテーマを、繊細かつ大胆なポップソングとして結晶化させた作品である。
King Princessは、マーク・ロンソン率いるZelig Recordsからの注目デビューを経て、シングル「1950」で一躍脚光を浴びたNYブルックリン出身のアーティスト。本作『Cheap Queen』は、そのブレイク後に発表された初の長編作品であり、セルフプロデュースを軸に、ポップ、R&B、オルタナロックを柔軡に行き来する独自の音楽性を提示している。
アルバムタイトルの「Cheap Queen(安っぽい女王)」は、LGBTQ+コミュニティにおける“チープさの中にある誇り”を逆説的に称える表現であり、King Princess自身が抱える脆さや不安をユーモアとクールさで包み込む象徴的なコンセプトとなっている。
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全曲レビュー
1. Tough on Myself
恋愛中の自己破壊的な思考と、その自己分析をクールに描く。ソウルフルなボーカルにローファイな質感が混ざり、内省とビートが共鳴する。
2. Useless Phrases
失恋の空気感を極限まで削ぎ落としたミニマルR&B。タイトルの“無意味な言葉たち”が、関係の終焉における沈黙の重みを引き立てる。
3. Cheap Queen
表題曲。自分の“安っぽさ”を逆手に取って誇る、アンセム的ナンバー。緩やかなテンポと囁くようなヴォーカルが、弱さの美学を体現している。
4. Ain’t Together
付き合っていないふたりの曖昧な関係性を描いた、アルバム随一のポップソング。軽快なリズムと切ない歌詞のギャップが心地よく、ラジオでも人気を集めた。
5. Do You Wanna See Me Crying?
40秒にも満たない短編。ジャズ的コード進行の中で、タイトルの問いが深く突き刺さる。まるで感情の断片をそのまま録音したような即興性がある。
6. Homegirl
クィア・ラブソングとして非常に人気の高いトラック。友情と恋愛の境界が曖昧なふたりを描き、トラップ風ビートとR&Bメロディが融合。
7. Prophet
“あなたは私の神様みたい”という宗教的比喩をラブソングに転化。声の柔らかさとビートの鋭さが交差し、愛の狂信性をスリリングに描写する。
8. Isabel’s Moment (feat. Tobias Jesso Jr.)
本作中もっとも美しいバラード。ピアノとストリングス、そして2人の穏やかな声が、ひとつの記憶をゆっくりと浮かび上がらせる。
9. Trust Nobody
信じることの難しさと、それでも誰かを求める感情を描く。重低音のビートと浮遊感のあるメロディが、感情の揺らぎを見事に体現。
10. Watching My Phone
スマートフォン越しの関係性をテーマにしたポップチューン。既読、既視感、既視夢。現代的な恋愛の孤独を巧みに切り取っている。
11. You Destroyed My Heart
短くも痛烈なタイトル通り、破壊された感情を淡々と歌う。ボーカルは極限まで感情を抑えたトーンで、逆に傷が鮮やかに浮かび上がる。
12. Hit the Back
“バックから抱かれる”という直接的な表現をタイトルに冠した、性的にも感情的にもパワーダイナミクスを扱うクィア・ポップの傑作。ステージではアンセムとして定番。
13. If You Think It’s Love
アルバムのクロージングを飾る、ゆったりとしたテンポのバラード。恋愛における自己欺瞞と、それでも愛にすがろうとする姿を静かに映す。
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総評
『Cheap Queen』は、King Princessの“自己肯定の揺らぎ”をそのまま記録したような作品である。
ポップでありながらセンチメンタル、クィアでありながら普遍的、ユーモラスでありながらどこか痛々しい——このアルバムには、感情の二面性と複雑さが詩的かつ親密に描かれている。
King Princessは、自身のクィア・アイデンティティを誇張することなく自然に織り交ぜることで、LGBTQ+の聴き手はもちろん、あらゆる“愛に迷う人々”の共感を獲得してきた。
『Cheap Queen』は、そうした“揺らぎ”や“曖昧さ”を否定せず、そのままの形で歌い上げることがいかに力強く、優しいことなのかを証明した作品なのである。
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おすすめアルバム(5枚)
- Clairo『Immunity』
同時代のクィア系シンガーソングライターによる内省的ポップ。 - Frank Ocean『Blonde』
ジャンルレスな構成と静かな感情表現の妙がKing Princessと共通。 - Phoebe Bridgers『Punisher』
繊細で皮肉な歌詞、ミニマルな音像、現代の孤独感が響き合う。 - MUNA『Saves the World』
クィアな視点から語られる友情と成長の物語。ポップ性と誠実さが同居。 - Troye Sivan『Bloom』
性的解放とラブソングの結びつきにおいて、King Princessと並び称される存在。
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歌詞の深読みと文化的背景
『Cheap Queen』のリリックは、ミレニアル以降の恋愛観、ジェンダーの多様性、SNS時代の人間関係といった要素を下地に描かれており、その表現は極めて私的でありながら同時に集合的でもある。
“Hit the Back”では、性的な力関係を遊び心と誇りで語り、“Ain’t Together”では曖昧な関係性に潜む感情のねじれを、ライトなサウンドで包み込む。
King Princessの歌は、ジェンダーに関係なく、誰もが経験する“曖昧さ”や“未完成な愛”に光を当てる。そして、その不完全さにこそ、美しさとリアリティが宿るのだ。
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