イントロダクション
深夜の控室で鳴らしたギターが共鳴し、三つのハミングがゆっくり重なる。
ジュリアン・ベイカー、フィービー・ブリジャーズ、ルーシー・ダカス。
それぞれがソロで観客の孤独に寄り添ってきたシンガーたちは、2018 年に“boygenius”という名の連帯を選び、ギターポップとフォーク、グランジの破片を束ねて“少しだけ前を向くための詩”を編んできた。
バックグラウンドと歴史
三人の出会いは、米インディー・シーンで頻繁に行われていたジョイント・ツアーだった。
楽屋で交わしたコード進行のメモがそのまま曲となり、2018 年のEP『boygenius』が誕生。
牧歌的なハーモニーの裏に失恋、信仰、家族といった私的テーマを忍ばせる手つきが高く評価され、EP だけで全米主要フェスのブッキングが舞い込む。
長らくソロ活動を優先していたが、2023 年3 月、待望のフルアルバム『the record』をリリース。
疾走感あふれる“$20”、合唱必至の“Not Strong Enough”などがチャートを賑わせ、2024 年グラミー賞では主要部門を含む6 部門にノミネートされた。
さらに同年10 月には4曲入りEP『the rest』を投下し、ワールド・ツアー中に書き上げた“後日談”を提示。
「完成形にしがみつかず、一度火がついた創作を最後まで燃やし尽くしたい」。
そう語った三人は2024 年2 月、グラミー直前のインタビューで“しばらく充電期間に入る”とひとまずの休止を宣言している。
音楽スタイルと特徴
boygenius のサウンドは“三方向からのアプローチ”が絶妙に絡む。
- ジュリアンの緊張感あるギターアルペジオ
- ルーシーの豊かな中低域ボーカルと語り口
- フィービーのウィスパーとパンチライン
リズムは最小限のドラムとベースで呼吸を確保し、サビでドリームポップ的広がりを付与。
コードはフォークの平易さを保ちつつ、ブリッジでⅣmを差し込むなど、甘さのあとにわずかな苦味を残す構造が多い。
歌詞は3人それぞれの筆致がまざり合い、他者への優しさと自己批判が同じ行を共有するため、紙面で読んでも立体的に響く。
代表曲の解説
ジュリアンが刻むザラついたギターリフを合図に曲が走り、フィービーが“20ドル札・スクラッチカード・点火装置”というイメージを畳み掛ける。
サビでルーシーのハイトーンが加わり、無計画な逃避行の高揚と不安が同時に爆発する。
Emily I’m Sorry
フィービーの弾き語りで始まり、ベースが脈を打つとルーシーが2声目を重ねる。
謝罪の言葉が輪唱のように広がり、ジュリアンのギターがフェードインする瞬間、相手との距離感が可視化される。
Not Strong Enough
三人全員がリードを分担し、〈私はあなたを守れない〉と吐露しつつ観客へシンガロングを促すアンチ・アンセム。
ライブではラストの2小節が延々ループされ、会場が巨大なコーラス隊に変貌する。
Voyager
EP『the rest』のハイライト。
アコギとストリングスが夜明け前の空を描き、〈帰る場所を持たない旅人でも星は等しく輝く〉と静かに結論づける。
boygenius が“その先”へ向かう覚悟を示した一曲と言える。
リリースごとの進化
年 | タイトル | 概要 |
---|---|---|
2018 | boygenius (EP) | 全6曲。三人の出会いの勢いを真空パック。フォーク色が濃い |
2023 | the record (Album) | ブリットポップ〜グランジまで飲み込み、バンド編成のダイナミクスを獲得 |
2023 | the rest (EP) | ツアー中に書かれた“夜のノート”。室内楽的静けさと宇宙的広がりが共存 |
影響を受けた音楽と文化
ブリッジーズが愛するBright Eyes、ベイカーが敬愛するManchester Orchestra、ダカスのルーツであるCarole King。
さらにPixiesのダイナミクス、Simon & Garfunkelのハーモニーを3人なりに解体・再構築。
文学的にはメアリー・オリヴァーやレイモンド・カーヴァーの短編から、日常に潜む焦燥と救いの温度を学んでいる。
影響とシーンへの波及
boygenius の成功以降、USインディーでは“複数のソロSSWが合議制で作るバンド”という形態が増加。
Snail Mail × Lindsey Jordan らが共同EPを計画するなど、横のつながりが活発化した。
また、彼女たちがツアーに保健師とセラピストを帯同させたことで、ミュージシャンのメンタルケアを公共の話題に押し上げた。
オリジナル要素
- 詩の交換日記
制作前に互いの未完成詩をランダムに交換し、相手のテキストを踏まえて楽曲化するワークフローを採用。 - “3色照明”ライティング
ジュリアン(青)、フィービー(赤)、ルーシー(黄)のキーカラーでステージを三分割し、楽曲の進行に合わせて色比率を変化。 - ZINEスタイル歌詞カード
手書きメモとポラロイドを切り貼りし、アルバム1枚ごとに16ページの“ZINE歌詞集”を制作。ライブ会場限定で配布し完売が常。
まとめ
boygenius の音楽は、三本の孤独な街灯がクロスした瞬間に生まれる淡い光のようだ。
それぞれが抱える影は消えないが、重なり合う場所には確かな温もりがある。
「傷は生きづらさの証明であり、同時に物語を結ぶ糸」。
束の間の活動休止を経て、彼女たちが次に紡ぐ章には、どんな痛みと希望が織り込まれるのか――静かに呼吸を整え、再集結の光を待ちたい。
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