発売日: 1983年11月14日
ジャンル: ニュー・ウェイヴ、ロック、グラム・ポップ
概要
『Beauty Stab』は、ABCが1983年に発表したセカンド・アルバムであり、前作『The Lexicon of Love』の華麗なシンフォニック・ポップから一転して、ギター主導のラフで政治色を帯びた作品へと舵を切った問題作である。
トレヴァー・ホーンの手を離れ、セルフ・プロデュースに近い形で制作されたこのアルバムは、当時の音楽業界やファンの期待を大きく裏切るものであった。
サウンド面では、オーケストラやシンセの重厚な装飾をそぎ落とし、ギターリフとロック的エネルギーを前面に押し出している。
ABCはこの作品を通じて、商業主義や権力構造、戦争といった社会的テーマに切り込み、自らのイメージを根本から再構築しようと試みた。
しかし、この劇的な方向転換はリスナーや批評家に歓迎されず、イギリス・チャートでの順位は最高12位と、前作の圧倒的な成功に比べると明らかに失速した。
それでも、後年においては『Beauty Stab』の実験性や誠実な挑戦が再評価されるようになり、「商業ポップからの脱皮を図った稀有な作品」としての地位を徐々に確立しつつある。
当時のイギリスではサッチャリズムに対する批判意識が若者文化の中に高まりつつあり、このアルバムはそのような背景とも呼応している。
結果的にABCは、音楽的アイデンティティの模索と時代への応答という、困難かつ挑戦的な選択をこの一枚に託したのだ。
全曲レビュー
1. That Was Then but This Is Now
皮肉なタイトルが象徴する通り、前作との決別を高らかに宣言する一曲。
タイトなギターと重厚なビートが、“これまでのABC”を打ち壊すかのように響き渡る。
2. Love’s a Dangerous Language
恋愛の比喩として「言語」を用いるABCらしい知的な楽曲。
だがサウンドは知的というよりも生々しく、アグレッシブなギターがその危険性を象徴する。
3. If I Ever Thought You’d Be Lonely
前作に近いメロディアスな構成を持ちながら、より冷たく孤独な響きを持つバラード。
「もし君が孤独になると思っていたなら…」という後悔の感情が淡々と語られる。
4. The Power of Persuasion
説得力というテーマを通して、メディアや政治のプロパガンダを批判する一曲。
重心の低いベースとパーカッシブなドラムが、説得の「重圧」を音で表現している。
5. Beauty Stab
タイトル曲にふさわしく、本作の主題を凝縮したような攻撃的なロック・ナンバー。
“美の刃”という逆説的なタイトルが、虚飾と暴力の共存を象徴している。
6. By Default by Design
“デフォルト(初期設定)”と“設計された意図”という言葉遊びが光る哲学的な一曲。
人間関係に潜む構造的な問題を、冷徹な視点から描いている。
7. Hey Citizen!
政治的メッセージが最も露骨な一曲。
“市民よ!”という呼びかけは、権威への反抗と社会参加の呼び水となっている。
8. King Money
マネー至上主義の風刺を鋭く描いた楽曲。
グラム・ロック風の派手な演奏が、逆説的に資本主義の過剰を皮肉る。
9. Bite the Hand
支配者に従属することへの不満が噴き出すパンク的な怒りの曲。
“餌をくれる手を噛め”という言葉が、痛烈な反抗のスローガンとなる。
10. Unzip
表面的なものを「脱がせる(Unzip)」というメタファーが使われ、真実の追求がテーマ。
ギターの切れ味とボーカルの切迫感が印象的。
11. S.O.S.
助けを求める内的叫び。短くも緊張感のある楽曲で、アルバム後半のクライマックスに位置する。
12. United Kingdom
国名そのものをタイトルに掲げ、英国社会への疑問をぶつける壮大なラストトラック。
分断と統一、伝統と近代化といった複雑なテーマを詩的に、かつ批評的に綴る。
総評
『Beauty Stab』は、ABCというバンドの「勇気」が最も強く表れた作品である。
華やかで完成されたデビュー作の後に、敢えて荒削りで政治的な音楽へと突入した姿勢は、単なるスタイル変更を超えて「自己解体と再構築」とも呼べる覚悟だったのだ。
ギターを前面に出したアレンジや、メッセージ性の強い歌詞は、多くのリスナーに戸惑いを与えた。
しかし、ポップスという枠組みの中で社会批評を行うという試みは、後の90年代ブリットポップやポスト・ブリットポップ勢にも先駆け的な役割を果たしたと言える。
本作は“心地よさ”よりも“違和感”を与える。だがその違和感こそが、音楽における真の変化と可能性を呼び込む原動力なのである。
今聴き直してみると、その硬質な音像と批評的な視線はむしろ現代的であり、再評価に値する作品だと強く感じられる。
『Beauty Stab』は、ABCが自らの美学に“刃”を突き立てた瞬間の記録なのかもしれない。
おすすめアルバム(5枚)
- Japan – Tin Drum (1981)
東洋趣味と政治性が混ざったポスト・ロック的な展開がABCの変化と重なる。 - David Bowie – Scary Monsters (1980)
ポップとアートの狭間で揺れる姿勢が、ABCの試みに通じる。 - XTC – Black Sea (1980)
社会性とギター主体のサウンドが共鳴するポスト・パンク的傑作。 -
Talking Heads – Remain in Light (1980)
社会批評とダンサブルなリズムが融合した知的ロックの代表格。 -
The Style Council – Our Favourite Shop (1985)
ポリティカルなテーマを洗練された音で表現した例としてABCとの比較に適する。
歌詞の深読みと文化的背景
本作では恋愛の甘さを捨て、政治や社会への意識が前面に出る。
“King Money”では拝金主義、“United Kingdom”ではナショナル・アイデンティティがテーマとなり、イギリスの1980年代初頭の不安定な社会状況—特にサッチャー政権下の経済格差や階級闘争—が強く反映されている。
“Hey Citizen!”のような曲は、パンク・ムーブメントの名残を感じさせ、都市生活者の疎外感を代弁しているかのようだ。
“Bite the Hand”では、支配者への反逆を通じて、人間の自由意志と自立性が問われる。
アルバム全体が、ABCというポップ・バンドが「美しいだけでは語れない現実」にどう向き合うかという試行錯誤の記録とも言える。
タイトル『Beauty Stab』に込められたように、美の裏には必ず痛みがあるという真実が、歌詞と音に深く刻み込まれているのだ。
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