
イントロダクション:退廃のグラムから、静謐なアートポップへ
Japan(ジャパン)は、1970年代後半から1980年代初頭にかけて活動したイギリスのニューウェーブ/アートポップ・バンドである。中心人物は、ボーカル/ギター/キーボードのDavid Sylvian(デヴィッド・シルヴィアン)。メンバーには、弟でドラマーのSteve Jansen(スティーヴ・ジャンセン)、フレットレスベースで独自の音を築いたMick Karn(ミック・カーン)、キーボードのRichard Barbieri(リチャード・バルビエリ)、ギターのRob Dean(ロブ・ディーン)がいた。
Japanの歩みは、短く、急激で、非常に美しい。初期はDavid BowieやMarc Bolanの影響を受けたグラムロック的なバンドとして始まり、やがてRoxy Music、Kraftwerk、Brian Eno、ヨーロッパ的なデカダンス、東洋的な音色、電子音楽、ファンク、アンビエントを吸収しながら、独自のアートポップへ変貌していった。Pitchforkは、Japanが初期のBowie/Bolan的なグラム色から、Quiet Lifeで洗練されたシンセポップへ移行していったことを指摘している。(pitchfork.com)
Japanというバンド名は、日本文化への直接的な表現というより、当初は仮の名前として選ばれたものだった。しかし皮肉にも、彼らの音楽はのちに“異国性”“様式美”“抑制された美意識”と結びついて語られるようになる。彼らの作品には、ロンドンの曇った空、ヨーロッパ映画の影、東洋的な間、そして冷たい都市のネオンが同時にある。
Quiet Life、Gentlemen Take Polaroids、Tin Drumといった作品群は、ニューロマンティック、シンセポップ、アートポップ、ポストパンクの狭間に立つ重要作である。Japanは、派手なヒットを連発したバンドではない。だが、彼らが残した音の美学は、Duran Duran、Talk Talk、The Blue Nile、Roxy Music以降の洗練されたポップ、さらにはDavid Sylvianのソロ作品、Richard BarbieriのPorcupine Treeでの活動にまで長い影を落としている。
Japanは、ロックが「激しさ」ではなく「余白」「冷たさ」「曖昧さ」「美意識」で語られる可能性を押し広げたバンドである。彼らは、アートポップを夜の鏡のように磨き上げた。
バンドの背景と歴史
Japanは、1974年に南ロンドンのCatfordで結成された。中心となったのは、David Sylvian、Steve Jansen、Mick Karnの学校時代からの友人関係である。その後、Richard BarbieriとRob Deanが加わり、バンドとしての形が整っていった。バンドは当初グラムロックやファンクロックの影響を受けており、1978年にAdolescent SexとObscure Alternativesを発表した。
しかし、初期のJapanはイギリス本国では必ずしも高い評価を得られなかった。むしろ日本やヨーロッパで先に注目された部分も大きい。彼らの中性的なルックス、化粧、細身のファッション、退廃的な雰囲気は、当時のロック・シーンでは異質だった。だが、その異質さこそが後のニューロマンティックの美学と重なることになる。
1979年のQuiet Lifeで、Japanは大きな転換を迎える。グラムロック的な荒さは後退し、シンセサイザー、フレットレスベース、抑制されたボーカル、空間的なアレンジが前面に出た。Pitchforkは、Quiet Lifeについて、初期の棘のある音から、ドローン的なシンセ、サックス、複雑なリズム、そしてSylvianの抑制された歌唱を中心とする官能的な音へ移行した作品だと評している。(pitchfork.com)
1980年にはVirgin Recordsへ移籍し、Gentlemen Take Polaroidsを発表。音楽はさらに洗練され、映画的で静謐な方向へ進む。そして1981年のTin Drumで、Japanは独自の頂点に到達した。中国音楽や東洋的な音階への関心、ミニマルなリズム、鋭く跳ねるベース、冷たいシンセが組み合わさり、唯一無二のアートポップが完成する。
皮肉なことに、バンドは商業的に上昇し始めた時期に解散へ向かう。1982年、Japanは活動を終えた。オフィシャル・チャートの記録では、Tin Drumは1982年1月時点で英国アルバム・チャート最高12位を記録している。(officialcharts.com) 彼らは成功の入口に立ちながら、自ら幕を下ろしたバンドだった。
1989年から1991年には、Sylvian、Jansen、Karn、BarbieriがRain Tree Crow名義で再集結したが、これはJapanの単純な再結成ではなく、より即興的でアンビエントなプロジェクトだった。Japanというバンドの物語は、短いが、その余韻は非常に長い。
音楽スタイルと魅力:沈黙までデザインされたポップ
Japanの音楽スタイルは、グラムロック、ニューウェーブ、アートロック、シンセポップ、ファンク、アンビエント、エスノ・ポップを横断している。しかし彼らの本質は、ジャンルの融合よりも「音の配置」にある。Japanの楽曲では、何を鳴らすかだけでなく、何を鳴らさないかが重要である。
David Sylvianの声は、低く、冷たく、演劇的だ。初期にはBowie的なクセやグラムロック的な挑発があったが、やがて感情を抑えた語りのような歌唱へ変化していく。その声は、熱く訴えるよりも、遠くから眺める。泣き叫ぶのではなく、感情が凍りつく瞬間を歌う。そこにJapan特有の美しさがある。
Mick Karnのフレットレスベースは、Japanの音楽を決定づけた最重要要素のひとつである。彼のベースは、低音で支えるだけではない。まるで蛇のようにうねり、メロディのように歌い、曲の中で異物のような存在感を放つ。The GuardianはKarnについて、1980年代英国音楽において最も高く評価されたベーシストの一人であり、繊細で知的な演奏家だったと追悼している。(theguardian.com)
Richard Barbieriのシンセサイザーは、曲に空気と影を与える。派手なリードではなく、背景に冷たい霧を作るような音色が多い。Steve Jansenのドラムは、ロック的な直線性よりも、ジャズやファンクの影響を感じさせるしなやかさがある。Rob Deanのギターは初期のグラム/ロック色を支えつつ、バンドが電子的・ミニマルな方向へ進むにつれて、その役割を終えていった。
Japanの音楽は、派手に踊らせるシンセポップではない。むしろ、身体よりも視線を動かす音楽である。ガラス越しに都市を見るような冷たさ。夜のホテルのロビーに流れるような孤独。古いポラロイド写真に残る、説明できない距離感。Japanは、そうした感情をポップミュージックの中に持ち込んだ。
代表曲の解説
Quiet Life
Quiet Lifeは、Japanの転換点を象徴する楽曲である。初期のグラムロック的な熱は抑えられ、シンセサイザーとフレットレスベースが作る冷たいグルーヴが前面に出ている。タイトルは「静かな生活」を意味するが、曲には静けさというより、都市生活の空虚さがある。
この曲の魅力は、抑制された高揚感にある。サビはキャッチーだが、決して明るく開放的ではない。どこか閉じていて、人工的で、孤独だ。PitchforkはQuiet Lifeを、Japanが成熟した美しさへ向かう道筋を示した作品として位置づけている。(pitchfork.com)
Quiet Lifeは、ニューロマンティックの先駆としても重要である。化粧、スタイル、都市的な倦怠、電子音の冷たさ。これらが、後の1980年代ポップの美学を先取りしていた。
Life in Tokyo
Life in Tokyoは、Giorgio Moroderとのコラボレーションによって生まれた楽曲である。ディスコ、電子音楽、ニューウェーブが交差するこの曲は、Japanがロックバンドからより電子的なアートポップへ進むうえで重要な一曲だった。
この曲の“Tokyo”は、実際の東京というより、未来的で人工的な都市の象徴である。ネオン、速度、孤独、欲望、機械的なリズム。Moroderのプロダクションは、Japanの耽美的な感覚をダンスフロアへ近づけた。
Pitchforkも、Quiet Life期のJapanがGiorgio MoroderとのLife in Tokyoを通じて電子的な方向へ進んだことに触れている。(pitchfork.com) この曲は、Japanが「ロックバンド」という枠を超え始めた瞬間である。
Gentlemen Take Polaroids
Gentlemen Take Polaroidsは、Japanの洗練されたアートポップ美学を象徴する曲である。タイトルからして映画的で、どこか退廃的だ。紳士たちがポラロイドを撮る。そのイメージには、記録、視線、距離、欲望、そして時間の停止がある。
曲はゆったりと進み、シンセとベースが空間を広げる。Sylvianの声は、物語を語るようでありながら、真意を明かさない。ここでのJapanは、ポップソングを短編映画のように扱っている。
この曲には、Roxy Music以降のヨーロッパ的な洒脱さがある。しかしJapanの場合、そこにさらに冷たさと不透明さが加わる。彼らは感情を直接伝えるのではなく、感情が残した痕跡を見せる。
Nightporter
Nightporterは、Japanの中でも特に美しく、静かな楽曲である。Erik Satieを思わせるピアノ、低く漂うボーカル、夜のホテルを思わせる空気。まるで、誰もいない廊下に響く足音のような曲だ。
この曲の魅力は、ほとんど動かないことにある。大きな展開や劇的なサビではなく、同じ場所に留まり続けることで、深い孤独を作り出す。Sylvianの声は、感情を抑えれば抑えるほど、逆に痛みを帯びる。
Nightporterは、Japanがポップバンドでありながら、アンビエントや現代音楽にも接近していたことを示す曲である。派手なヒット曲ではないが、彼らの美学を最も純粋に表した作品のひとつである。
Visions of China
Visions of Chinaは、Tin Drum期のJapanを象徴する楽曲である。リズムは鋭く、ベースは跳ね、シンセは東洋的な響きをまとっている。タイトル通り、中国的なイメージが使われているが、それは写実的な民族音楽ではなく、Japanが想像した異国のヴィジョンである。
この曲には、ポップソングとしての明快さと、実験的な音の配置が同居している。リズムは踊れるが、単純なダンスミュージックではない。音が隙間だらけで、そこに緊張感がある。
Visions of Chinaは、Japanが西洋のロック/ポップの文法から離れ、異なる音階やリズム感覚を使って独自の世界を作ろうとした代表例である。
Ghosts
Ghostsは、Japan最大の代表曲であり、最も異様なヒット曲でもある。ミニマルなシンセ、ほとんど空白のようなリズム、Sylvianの低い声。通常のポップヒットに必要とされる派手なサビや明快なビートはほとんどない。それにもかかわらず、この曲はイギリスで大きな成功を収めた。
この曲の“幽霊”は、超自然的な存在というより、過去の記憶、後悔、不安、消えない感情の比喩に聞こえる。音数が少ないからこそ、ひとつひとつの音が重い。沈黙まで曲の一部になっている。
Pitchforkは、Japanが後のVirgin期に成功し、特にGhostsが注目されたことに触れている。(pitchfork.com) Ghostsは、実験性とポップチャートが奇跡的に交わった瞬間であり、Japanというバンドの到達点である。
Canton
Cantonは、Tin Drumの中でも特にインストゥルメンタル的な美しさが際立つ楽曲である。東洋的な旋律、ミニマルなリズム、Karnのベース、Barbieriのシンセが絡み合い、歌詞なしでも強いイメージを作る。
この曲は、Japanが言葉に頼らずに風景を描けるバンドだったことを示している。音そのものが、異国の都市、静かな儀式、古い絵巻のような空間を立ち上げる。Tin Drumというアルバムが持つ独自性を象徴する一曲である。
アルバムごとの進化
Adolescent Sex
1978年のAdolescent Sexは、Japanのデビューアルバムである。ここでの彼らは、後の静謐なアートポップとはかなり違う。グラムロック、ファンク、ハードロック、David BowieやNew York Dolls的な影響が強く、若さゆえの過剰さが前面に出ている。
このアルバムは、後のJapanのイメージから見ると未完成に感じられるかもしれない。しかし、そこにはすでに自己演出への強い意識がある。音楽だけでなく、見た目、姿勢、雰囲気まで含めてバンドを作ろうとする感覚だ。
David Sylvian自身は後年、初期作に対して批判的だったとされる。Pitchforkの記事でも、Sylvianが最初の2作を十分なものとは見なしていなかったことが紹介されている。(pitchfork.com) だが、この未完成な時期があったからこそ、後の急激な変化が際立つ。
Obscure Alternatives
同じく1978年に発表されたObscure Alternativesは、初期のグラム/ファンク路線を残しながらも、より暗く、実験的な方向へ進んだ作品である。タイトル通り、彼らが“別の選択肢”を探し始めていたことが感じられる。
このアルバムでは、まだロックバンドとしての形が強い。しかし、曲によっては後のJapanにつながる冷たさや空間性が見え隠れする。初期の混乱と、未来の美学が同居した過渡期の作品だ。
Japanはここで、自分たちが単なるグラムロックの後継者では終われないことを感じていたのだろう。音はまだ荒いが、視線はすでに別の場所を向いている。
Quiet Life
1979年のQuiet Lifeは、Japanの真の出発点ともいえる作品である。シンセサイザー、フレットレスベース、抑制されたボーカル、洗練されたアレンジによって、バンドは一気に成熟した。
Pitchforkは、Quiet LifeをJapanの成熟した美しさ、後期作品、そしてSylvianのソロキャリアを予告する作品として評価している。(pitchfork.com) このアルバムでは、KraftwerkやRoxy Music、Brian Enoからの影響が、バンド独自の美学へ変換されている。
Quiet Lifeは、ニューロマンティックの先駆としても重要だ。Duran DuranやSpandau Balletが大衆的な成功を収める前に、Japanはすでに中性的なヴィジュアル、シンセの冷たさ、都会的な退廃を結びつけていた。
Gentlemen Take Polaroids
1980年のGentlemen Take Polaroidsは、Japanの音楽がさらに映画的になったアルバムである。Virgin移籍後の作品であり、サウンドはより広く、より深く、より陰影に富んでいる。
この作品では、曲の尺も長くなり、ポップソングでありながら、ゆったりとした空間を持つ。Gentlemen Take PolaroidsやNightporterは、まるでヨーロッパのアート映画のワンシーンのようだ。情熱を直接見せるのではなく、画面の端に残す。
ここでのJapanは、ロックバンドというより、音響とイメージを設計する集団になっている。Mick Karnのベース、Barbieriのシンセ、Jansenのドラム、Sylvianの声が、ひとつの冷たい建築物のように組み合わさる。
Tin Drum
1981年のTin Drumは、Japanの最高傑作として語られることが多いアルバムである。ここで彼らは、アートポップ、シンセポップ、東洋的な音階、ミニマルなリズム、ファンク的なベースラインを、非常に独自の形で融合した。
Ghosts、Visions of China、Canton、Still Life in Mobile Homesなど、どの曲にも他のバンドでは代替できない音がある。アルバム全体は、冷たく、硬質で、同時に官能的だ。東洋的な意匠を扱っているため、現代の視点ではオリエンタリズムとして慎重に見直す必要もあるが、それでも音楽的な独創性は非常に高い。
オフィシャル・チャートでは、Tin Drumは英国アルバム・チャートで最高12位を記録している。(officialcharts.com) これは、Japanが最も実験的な作品で商業的にも成功し始めたことを示す。
しかし、この頂点の直後にバンドは解散へ向かう。Tin Drumは、到達点であると同時に、終止符でもある。だからこそ、このアルバムには異様な完成度と緊張感がある。
Oil on Canvas
1983年に発表されたOil on Canvasは、Japanのライブ・アルバムであり、解散後にリリースされた作品である。ライブ録音にスタジオ処理を加えた構成で、単なる実況盤というより、Japanというバンドの美学をもう一度額縁に収めたような作品である。
タイトルの「キャンバスの油彩」が示す通り、このアルバムには絵画的な感覚がある。ライブの熱狂をそのまま記録するのではなく、音を一枚の作品として再構成する。ここにもJapanらしい距離感がある。
Oil on Canvasは、バンドの終幕を美しく演出する作品だった。彼らは叫んで終わったのではない。静かに、様式的に、余韻を残して去ったのである。
Rain Tree Crow
1991年のRain Tree Crowは、Japanのメンバー4人が再び集まって制作した作品である。ただし、名義はJapanではなくRain Tree Crowだった。これは重要である。彼らは過去のバンドを再現するのではなく、別の形で音楽を作ろうとした。
この作品は、より即興的で、アンビエントで、ジャズや民族音楽の要素も含んでいる。Japanの延長線上にありながら、ポップソングの構造からはさらに遠ざかっている。Sylvianのソロ作品にも通じる内省的な空気が強い。
Rain Tree Crowは、Japanというバンドがもし別の未来を歩んでいたら、どうなっていたかを示すような作品である。解散後の亡霊ではなく、未完の可能性の断片だ。
影響を受けたアーティストと音楽
Japanの音楽には、David Bowie、Roxy Music、Brian Eno、Kraftwerk、Marc Bolan、Giorgio Moroder、ファンク、ジャズ、ヨーロッパ映画音楽、東洋音楽への関心など、さまざまな要素がある。
初期にはBowieとBolanの影響が濃く、衣装やメイク、歌唱にもその痕跡がある。しかしQuiet Life以降、彼らはRoxy Music的な洗練、Kraftwerk的な電子音、Eno的な空間美学を吸収し、より独自の世界へ進んだ。Pitchforkも、JapanがKraftwerk、Roxy Music、Brian Enoへの関心を強めながら成長していったことを説明している。(pitchfork.com)
また、Mick Karnの演奏にはジャズや中近東的な旋律感も感じられる。彼のベースは、ロックの低音楽器というより、異国の弦楽器のように響く瞬間がある。これがJapanの音楽に、独特の不安定さと官能性を与えていた。
影響を与えた音楽シーン
Japanが後の音楽シーンに与えた影響は非常に大きい。彼らはニューロマンティックの先駆とされることが多いが、実際にはその枠だけに収まらない。
Duran Duran、Spandau Ballet、Visageなどのニューロマンティック勢は、Japanが示した中性的なヴィジュアル、シンセの洗練、アート志向のポップから多くを受け取ったと考えられる。だがJapanの音楽は、より冷たく、より内省的で、より実験的だった。
また、Talk TalkやThe Blue Nileのように、ポップの中で沈黙や余白を重視する後続アーティストにも、JapanとDavid Sylvianの影は感じられる。Sylvianのソロ作品は、アートポップからアンビエント、ジャズ、実験音楽へ進み、Ryuichi SakamotoやRobert Frippらとのコラボレーションを通じて、さらに影響を広げた。PitchforkはSylvianのソロ作品について、Japan時代から続く孤独と実験性が、より自由な形で発展したものとして紹介している。(pitchfork.com)
Richard Barbieriは後にPorcupine Treeで重要な役割を果たし、Steve Jansenもソロやコラボレーションで独自の活動を続けた。Mick KarnもDalis Car、ソロ作品、Peter MurphyやKate Bush、Gary Numanとの仕事などを通じて、実験的な音楽家として評価された。Pitchforkの訃報記事でも、KarnがJapan以外にPeter Murphy、Kate Bush、Gary Numanらと仕事をしたことが紹介されている。(pitchfork.com)
他アーティストとの比較:Japanのユニークさ
Japanは、Roxy Music、David Bowie、Duran Duran、Talk Talk、Kraftwerk、Ultravoxなどと比較されることが多い。だが、彼らには独自の立ち位置がある。
Roxy Musicと比べると、Japanはより冷たく、より内向的である。Roxy Musicが洗練された欲望と洒脱さを持つバンドだとすれば、Japanは欲望の後に残る空白を鳴らしたバンドだ。
David Bowieと比べると、JapanはBowie的な変身願望を持ちながら、より集団的な音の建築へ向かった。SylvianはBowieから大きな影響を受けたが、後期Japanではむしろ感情を抑制し、冷たい仮面の奥に沈める方向へ進んだ。
Duran Duranと比べると、Japanはより実験的で、より暗い。Duran DuranがJapanの美学をより大衆的で華やかな形に展開したバンドだとすれば、Japanはその前にあった密室の青写真のような存在である。
Talk Talkと比べると、Japanはよりヴィジュアル的で、より人工的な美学を持つ。一方で、後期Talk Talkが沈黙と音響の深みへ進む道には、JapanやSylvianのアートポップ的な余白感と響き合うものがある。
Kraftwerkと比べると、Japanは電子音を機械的な未来像ではなく、官能的で退廃的な都市感覚へ変換した。機械の冷たさと人間の孤独。その接点がJapanの音楽である。
ライブとヴィジュアルの魅力
Japanのライブは、一般的なロックバンドの熱狂とは異なる魅力を持っていた。彼らは観客を煽り倒すタイプではない。むしろ、ステージ上にひとつの静謐な空間を作り出す。衣装、髪型、メイク、照明、佇まい。そのすべてが音楽と同じ美学で統一されていた。
彼らのヴィジュアルは、ニューロマンティックに大きな影響を与えた。中性的なメイク、細身のシルエット、東洋的な意匠、退廃的な表情。これは単なるファッションではなく、音楽の一部だった。Japanにおいて、見た目は音と切り離せない。
Mick Karnのステージ上での存在感も大きい。身体をくねらせるようにベースを弾く姿は、通常のロックベーシストとはまったく違っていた。彼のベースは音だけでなく、動きとしても異様な美しさを持っていた。
Japanのライブは、爆発よりも凝視の音楽である。観客は拳を振り上げるというより、彼らの作り出す異世界を見つめる。そこに、Japanならではの美学がある。
日本との関係とオリエンタリズム
Japanというバンド名、Tin Drum期の東洋的な音階やイメージ、Visions of ChinaやCantonといった曲名は、東アジアへの関心を示している。ただし、それは現代の視点から見ると、オリエンタリズムとして慎重に捉える必要もある。
彼らの東洋的イメージは、正確な文化研究というより、西洋のアートポップが想像した“異国”である。美しく、人工的で、時に幻想的だが、必ずしも現実のアジアそのものではない。その点を踏まえたうえで聴くと、Japanの音楽は、1980年代初頭のヨーロッパ的な異国趣味と電子音楽が交差した作品として見えてくる。
一方で、David Sylvianは後に坂本龍一と深く関わり、Forbidden Coloursなどで重要なコラボレーションを行った。Japanの段階での東洋趣味は未熟さも含むが、その後のSylvianの活動では、より対話的で深い形へ変化していく。
Japanという名前は、結果として彼らの音楽に不思議な影を与えた。国名を名乗るイギリスのバンドが、東洋的なイメージを借りながら、ヨーロッパ的な孤独を鳴らす。そのずれが、彼らの独特な存在感を作っている。
解散後のメンバー活動
Japan解散後、David Sylvianはソロ・アーティストとして、より内省的で実験的な方向へ進んだ。Brilliant Trees、Gone to Earth、Secrets of the Beehiveなどの作品では、ポップ、アンビエント、ジャズ、現代音楽が混ざり合い、Japan時代以上に静かな孤独が深まっていく。Pitchforkは、Sylvianの初期ソロ作品について、曖昧で強い孤独、重厚なバリトン、Ryuichi SakamotoやRobert Frippらとの緻密なアレンジが特徴だと評している。(pitchfork.com)
Mick Karnは、Dalis Carやソロ作品で独自のベース表現を追求した。2011年、彼はがんのため52歳で亡くなった。The Guardianは、KarnがJapanのベーシストとして名声を得た後も、生涯にわたり冒険的な音楽を作り続けたと追悼している。(theguardian.com)
Richard Barbieriは、のちにPorcupine Treeのメンバーとしてプログレッシブ・ロック/アンビエント領域で評価を得た。Steve Jansenも、ソロ作品やSylvianとの協働を通じて、繊細で空間的な音楽を作り続けた。
Japanは解散して終わったバンドではない。むしろ、解散後に各メンバーが別々の方向へ進むことで、バンドの美学は拡散し、さらに深まった。
Japanが現代に残したもの
Japanが現代の音楽に残したものは、単なるシンセポップの音色ではない。それは、ポップミュージックにおける「抑制」の美学である。
多くのポップソングは、感情を分かりやすく広げる。Japanは逆だった。感情を隠し、冷やし、距離を置くことで、かえって強い余韻を生んだ。彼らの音楽では、沈黙が歌い、隙間が語る。
また、彼らはファッション、音、映像的イメージを統合したバンドでもあった。ニューロマンティックと呼ばれる動きが商業的に広がる前に、Japanはすでにアンドロジナスな美意識、電子音、アート映画的な空気を結びつけていた。
Ghostsのような曲がヒットしたことも重要である。あれほど静かで、構造的に異様で、実験的な曲がポップチャートに届いた。これは、1980年代初頭という時代の特殊さでもあり、Japanの特異性でもある。
彼らの音楽は、今聴いても古びきっていない。むしろ、過剰な情報と音に満ちた現代において、Japanの余白と冷たさは新鮮に響く。音を詰め込まないこと。自分を説明しすぎないこと。美しく距離を取ること。その美学は、今なお有効である。
まとめ:Japanは、ポップを静かな芸術へ変えたバンドである
Japanは、1970年代後半のグラムロック的な出発点から、1980年代初頭のアートポップ/ニューロマンティックの先駆者へと急速に変貌したバンドである。Adolescent SexとObscure Alternativesで未完成な glam/funk ロックを鳴らし、Quiet Lifeで洗練されたシンセポップへ転換し、Gentlemen Take Polaroidsで映画的な静寂を獲得し、Tin Drumで唯一無二の東洋的アートポップへ到達した。
彼らの音楽は、熱狂よりも冷却、直接性よりも暗示、感情の爆発よりも感情の余韻を大切にした。David Sylvianの低く抑えた声、Mick Karnのうねるフレットレスベース、Richard Barbieriの冷たいシンセ、Steve Jansenのしなやかなドラム。それらが一体となり、Japanだけの音響世界を作った。
Japanは、短い活動期間で終わった。しかし、その短さが彼らの美しさを強めている。長く続いて変化を鈍らせる前に、最も鋭い形で完成し、静かに消えた。彼らの音楽は、まるでポラロイド写真のようだ。時間が止まり、色が少し褪せ、しかしそこにしかない空気が残る。
アートポップとニューロマンティックの歴史において、Japanは単なる先駆者ではない。彼らは、ポップがどれほど静かで、曖昧で、美しく、そして孤独になれるかを示したバンドである。Their quiet life was never truly quiet. その静けさの中には、今も深いざわめきが残っている。

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