1. 歌詞の概要
「Appointments」は、Julien Bakerの2ndアルバム『Turn Out the Lights』(2017年)の先行シングルとして発表された楽曲で、彼女の作家性と音楽性がさらに深化したことを決定づける、繊細かつ圧倒的な一曲です。タイトルの“Appointments(通院や診療の予約)”が示すとおり、この曲ではメンタルヘルスと治療、そしてそこに伴う自己との向き合いが中心テーマとなっています。しかしそれは単なる病状の記録ではなく、自身の存在価値、他者との関係性、そして“救済を望むことの罪悪感”といった深い感情の層を丁寧に描いています。
歌詞全体は語り手の独白のように進行し、自分が「どれだけ治療を受けても良くならない」と感じている不安や、愛する人に“心の重荷になりたくない”という罪悪感が赤裸々に綴られます。それでもなお、誰かに理解されたい、誰かと関係を持ちたいという、捨てきれない希望が静かに息づいています。
そして終盤で何度も繰り返される「Maybe it’s all gonna turn out alright(もしかしたら、すべてうまくいくかもしれない)」というフレーズは、自己欺瞞にも祈りにも聞こえる不思議な響きを持ち、聴き手の心に長く残る余韻を残します。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Appointments」は、Julien Bakerが2作目のアルバム『Turn Out the Lights』で到達した、“痛みの共有”という主題の象徴ともいえる楽曲です。彼女自身、インタビューでこの曲について、「自分が周囲にどれだけ負担をかけていると感じていても、それでも関係性を築こうとすることは悪ではない」と語っています。つまり、この曲は自己否定と自己受容のはざまで揺れる感情の記録であり、同時に他者との関わりのなかで自己を見出そうとする“もがき”の歌なのです。
音楽的にもこの曲は、彼女がそれまで得意としてきた“ミニマルなギター弾き語り”の枠を超え、ピアノ、ストリングス、ボーカルの重層的なアレンジが加えられています。それによって、感情の高まりがよりダイナミックに、より立体的に表現されるようになりました。
プロデュースはJulien自身が手がけており、過度な装飾を避けながらも、心理的な起伏に寄り添う繊細なサウンド構成が光ります。まさに「Appointments」は、Julien Bakerの音楽が“自分のための内省”から“他者とつながるための表現”へと変化していく転換点でもあるのです。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に「Appointments」の印象的な歌詞の一部を抜粋し、日本語訳を添えて紹介します。
I’m staying in tonight
I won’t stop you from leaving
今夜は家にいるよ
あなたが出ていくのを止めはしない
I know that I’ve been nothing short of a disaster
自分がどれだけ“災い”のような存在だったか分かってる
And the time I spent
Replacing pictures in frames
Was a waste of time
額縁の中の写真を取り替えることに費やした時間
そんなの全部、無駄だったんだ
And I’ll do whatever you want
I’ll do whatever you want
あなたの望むことなら何でもするよ
何でも——ただ、あなたがいなくならないなら
But I don’t know if I can be with you anymore
でももう、あなたと一緒にいられるか分からない
Maybe it’s all gonna turn out alright
And I know that it’s not
But I have to believe that it is
たぶん、すべてうまくいくのかもしれない
そんなはずないって分かってる
でもそう信じなきゃ、どうにもならないんだ
歌詞引用元: Genius – Appointments
4. 歌詞の考察
「Appointments」は、Julien Bakerの作品の中でも、もっとも“心の声”に近い一曲です。彼女はここで、自らの不安定さ、他者への依存、そして“救われたいと思うこと”への自己嫌悪をすべて隠さずに吐露しています。その正直さはリスナーにとっても時に苦しく、しかし驚くほど真実味を帯びています。
たとえば冒頭の「I know that I’ve been nothing short of a disaster」という一節は、精神的に不安定な自分が誰かの人生に与える影響を、まるで“災害”のように捉えていることを示します。そしてそれを自覚しながらも、「それでも私はあなたとつながりたい」という願いが曲全体を貫いているのです。
特に終盤で繰り返される「Maybe it’s all gonna turn out alright」というフレーズは、まるで呪文のようです。それは希望であり、欺瞞であり、祈りであり、自己暗示でもあります。“本当はうまくいかないと分かっている”というリアルな認識がありながらも、それでも「そう信じたい」と願う——そこに人間の脆さと強さが共存しているのです。
また、「appointments」という言葉が示唆するのは、定期的に続く治療や通院生活という現実であり、そのルーティンが日常となっている人間の孤独です。それは“癒えることが約束されない”戦いを続ける人の生活を象徴しています。
歌詞引用元: Genius – Appointments
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Shadowboxing by Julien Baker
「Appointments」と同じく、内面の葛藤と救済をテーマにした楽曲。より音響的に洗練された構成も魅力。 - Funeral by Phoebe Bridgers
“誰かの死”を通して自己の存在を問い直すバラード。静かで鋭い言葉選びが「Appointments」と共鳴する。 - Night Shift by Lucy Dacus
別れと再生を大胆に描いたロックバラードで、自己肯定と喪失の二面性を持つ視点がJulienと通じ合う。 - Me and My Dog by boygenius
Julien、Phoebe、Lucyの3人によるコラボ作。絶望の中に救いを見出そうとする姿勢が凝縮された一曲。
6. 誠実な絶望の先にある共感
「Appointments」は、Julien Bakerというアーティストが「自分の苦しみ」を語るだけでなく、それを“他者の物語”として開いていく過程を象徴する作品です。彼女はここで、「助けて」と声を上げることの難しさを語りながらも、それでも声を上げることを選びます。だからこそこの曲は、聴く者にとっても“声にならなかった感情”を代弁してくれるような、深い共鳴を呼ぶのです。
また、この曲が持つ力は、絶望のなかにある希望ではなく、「絶望を語ること自体が、すでに希望の行為である」という逆説にあります。何かがよくなる保証がなくても、それを言葉にすることで、他者との接点が生まれる——「Appointments」はそのような“沈黙を破る勇気”を音楽で示してくれる、稀有な作品です。
Julien Bakerはこの曲で、「痛みは弱さではなく、共有することで力になりうる」という真実を、誰よりも静かに、そして力強く証明してみせました。
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