1. 歌詞の概要
「Alphabet」は、イギリス・サウスロンドン出身のポストパンク・バンド、Shameが2020年に発表したシングルであり、セカンド・アルバム『Drunk Tank Pink』(2021年)の幕開けを飾るトラックである。この曲は、彼らの初期衝動的なサウンドにより精緻な構造と焦燥感が加わった進化形として位置づけられ、リリース当時、バンドの新たなフェーズの始まりを告げる決定打となった。
「Alphabet」というタイトルは、言語、記号、そして表現の構造そのものを暗示しているように見えるが、歌詞の中ではむしろその“構造の不完全さ”や“意味の崩壊”が前面に押し出されている。言葉があふれ、情報が過剰になり、自分自身の輪郭すら曖昧になっていく——そうした現代的な混乱をテーマにしたこの楽曲は、パンデミックや社会の分断を背景に制作されたことも相まって、不安定な現代における「存在不安」を強烈にあぶり出している。
2. 歌詞のバックグラウンド
ShameのフロントマンであるCharlie Steenは、この「Alphabet」について「情報過多によって麻痺していく人間の感覚」や「意味の曖昧さ」を描こうとしたと語っている。前作『Songs of Praise』のツアーを終えた彼らは、数年にわたる長期的なツアー生活の末に、喪失感や孤立感、アイデンティティの崩壊に直面した。『Drunk Tank Pink』は、その精神状態から立ち上がろうとする試みであり、「Alphabet」はその最初の覚醒を示す一曲なのである。
この曲は、ニューヨークの名プロデューサー、James Ford(Arctic Monkeys、Foals、Florence + the Machineなどで知られる)の手によってプロデュースされ、よりシャープで歪んだギターサウンドと複雑なリズムセクションが際立っている。特に、ノンストップで突き進むドラムの疾走感と、言葉を連打するようなヴォーカルが楽曲全体に緊張感をもたらしている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Are you waiting
To feel good?
「気分が良くなるのを
待っているのか?」
Are you praying
Like you should?
「祈っているのか?
“そうするべき”だって思って」
You’re in deep
You’re in deep
You’re in deep
「お前は深く沈んでる」
「どんどん深くなっていく」
That’s your answer
「それが、お前の答えなんだよ」
歌詞引用元:Genius – Shame “Alphabet”
4. 歌詞の考察
「Alphabet」の歌詞には、命令口調のような問いかけが連続して登場する。誰かに強制されるような、あるいは内なる声に責められるようなフレーズの数々は、不安と焦燥のエスカレーションを感じさせる。そしてこの問いは、明確な答えを求めているのではなく、むしろ“答えがない”ことを暴き出すように響くのだ。
「Are you waiting to feel good?」という冒頭の問いかけには、人間の快楽主義や、幸福への強迫的な渇望がにじむ。「祈っているのか?」「深みにハマっていないか?」という続くフレーズは、現代人が感じる精神的な閉塞を端的に表している。
この歌詞は、まるで暴走する情報社会の縮図のようでもある。文字(Alphabet)が意味を失い、ただの記号として浮遊する。そこには、コミュニケーションが飽和し、内容が空疎化していく現代のリアリティが映し出されている。Charlie Steenのボーカルは、その緊張感を最大限に高める役割を果たしており、リスナーを問い詰めるような勢いで言葉を叩きつけてくる。
また、「That’s your answer.」という終盤の決め台詞には、皮肉と絶望、そしてかすかな自嘲が入り混じっている。この言葉が示すのは、“お前が感じている混乱こそが、お前の答えだ”という冷酷な真実であり、意味を追い求める行為そのものへの懐疑である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- John L by black midi
音の洪水と語りのようなボーカルが混然一体となる実験的ロック。知性と狂気が交差する傑作。 - Scratchcard Lanyard by Dry Cleaning
日常のディテールと自意識を、棒読みで語るように展開する独特の語感が「Alphabet」と共鳴する。 - Reptilia by The Strokes
同様に突進するギターと焦燥感を纏ったヴォーカルが特徴的な、モダンガレージの名曲。 -
Talk Show Host by Radiohead
疎外感と自己否定の中でうごめくような音と詞世界が「Alphabet」と重なる内省的な一曲。 -
Desire Lines by Deerhunter
静と動、構造と崩壊の美学を探るような音の旅が楽しめる、浮遊感とノイズが交差する一曲。
6. 疾走する自己崩壊の美学
「Alphabet」は、Shameが“ただ怒っているだけの若者”ではなく、内面を見つめる力と詩的な知性を持ったバンドであることを明確に示した転換点である。この曲は、アルファベット——つまり言葉の最小単位——を使いながらも、その言葉が意味を成さなくなる瞬間を描いている。
Shameの世界観はここで、自己を問い詰め、崩壊し、それでもそこに意味を探そうとする姿勢へとシフトしている。構造の中にひびが入り、そのひびから新しい声が聞こえてくる——それが「Alphabet」であり、次作『Drunk Tank Pink』の方向性を象徴的に示した一曲であった。
混乱、言葉の空転、そして意味の崩壊。それらすべてを抱えながら、なお言葉を紡ぎ、叫ぶことの切実さがこの曲には込められている。ポストパンクという形式を借りつつ、彼らは新たな「精神の地図」を描こうとしているのだ。
コメント