
1. 歌詞の概要
「Alice」は、The Sisters of Mercyが1982年に発表したデビュー・シングルであり、バンドのキャリアの始点にして、その後の方向性を明示する最初のマニフェストのような存在である。この曲では、薬物依存に堕ちていく若い女性「アリス」を主人公に据え、その無垢な名に反して、都市の退廃と精神の崩壊を描写している。
表層的には一人の女性をめぐるストーリーのように見えるが、そこには自己破壊と逃避、社会からの疎外といったテーマが重層的に編み込まれており、後のThe Sisters of Mercyが標榜する「ゴシックの美学」がすでに確立されている。
低音の効いたヴォーカル、リズムマシンのドライなビート、ギターのミニマルなリフ。このすべてが、冷たい都市の風景と登場人物の孤独を際立たせるために存在しているかのように感じられる。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Alice」は、まだアンドリュー・エルドリッチが本格的にフロントマンとしてヴォーカルに集中する前、つまりギターやドラムマシン操作も並行して行っていた初期の段階で生まれた曲である。リリース当初は自主レーベル「Merciful Release」から7インチ・シングルとして発表され、バンドにとっては初の商業的ステップとなった。
この楽曲のインスピレーションとなった「アリス」は、実在の人物であるとも、社会的な寓意であるともされる。表向きのイメージとしては、薬物に依存し、現実から逃避する女性の姿が描かれているが、それは単に一人の女性というより、時代や社会によって置き去りにされた若者の象徴とも読み取れる。
また、この曲の制作には、後にバンドを離れThe Missionを結成するウェイン・ハッセイではなく、ベン・ガンがギターを担当しており、粗削りながらも、のちの作品につながる核となるサウンドが既に形作られている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下は「Alice」の中でも印象的な冒頭部分である。引用元:Genius
Alice pressed against the wall
アリスは壁に押しつけられてSo she can see the door
扉を見つめているIn case the laughing strangers crawl and crush the petals on the floor
嘲笑う見知らぬ者たちが忍び寄り、床の花びらを踏みにじるかもしれないから
この冒頭は、まるで精神病棟の一室のような情景を描き出し、少女の不安と脅迫観念、そして現実への恐怖を象徴している。
Alice in her party dress
She thanks you kindly so
アリスはパーティードレスを着て
あなたに礼儀正しくお礼を言う
だが、その丁寧な態度の裏には、何かが壊れてしまった感情の空虚さが見え隠れする。
4. 歌詞の考察
「Alice」は、ゴシック・ロックというよりもむしろ、社会の周縁にいる者たちへのレクイエムのようである。この曲で描かれる「アリス」は、幻想的なキャラクターではなく、極めてリアルな存在だ。薬物に溺れ、精神のバランスを崩し、それでもどこか「礼儀正しく振る舞う」彼女の姿には、現代におけるアイデンティティの崩壊、そして感情の解離が投影されているように思える。
エルドリッチの歌い方も、この時点ではまだ後年のような深く抑制された低音ではないが、すでに冷ややかな観察者の視点を持っている。彼はアリスに同情するのではなく、むしろその行動の一部始終を冷静に記録しているようだ。その非共感的な語り口こそが、逆に強烈な哀しみを帯びてくる。
この曲はまた、英国ポストパンク文化における「都市の病理」としてのテーマ――孤独、精神疾患、薬物、性――を凝縮した作品とも言える。無垢な名前「Alice」が、現代社会に押しつぶされていく様は、そのまま時代のメタファーとして機能している。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Floorshow by The Sisters of Mercy
「Alice」と同時期の作品で、同様にミニマルかつ鋭利なサウンドが光る。 - Shadowplay by Joy Division
精神の崩壊と都市の荒廃を描いた、ポストパンクの代表的楽曲。 - She’s Lost Control by Joy Division
実際の発作体験をもとにした詩で、社会からの逸脱をテーマにしている点で通じる。 - Dark Entries by Bauhaus
混乱と恐怖の精神世界を描く、荒々しくも印象的な一曲。 - Release the Bats by The Birthday Party
混沌と退廃に満ちた歌詞世界と、暴力的な表現が「Alice」と共鳴する。
6. 始まりの祈り、終わりの影:The Sisters of Mercyの原点
「Alice」は、The Sisters of Mercyの歴史の中でも非常に特異な立ち位置にある。音楽的にはまだ粗削りで、エルドリッチの後年の作風ほど完成されてはいないが、その未完成性こそが魅力となっている。
この曲には、都市の深部に沈む孤独、存在の危うさ、精神的な退廃――それらすべてが集約されており、のちのゴシック文化が信仰する美学の萌芽が見て取れる。そして何より、「Alice」という名の存在が、永遠に忘れられない幻影として、聴く者の心に刻まれるのである。
現代社会においても、彼女の姿は決して過去のものではない。むしろ今こそ、都市に生きる多くのアリスたちが、静かに壁に押しつけられながら、誰にも気づかれぬまま、存在の叫びをあげているのかもしれない。
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