発売日: 1968年7月10日
ジャンル: バロック・ポップ、ヴォーカル・ポップ、ソフトロック
空を舞う孤独なダンサー——夢想と現実の狭間で揺れるポップの詩人
『Aerial Ballet』は、アメリカのシンガーソングライターHarry Nilssonが1968年に発表した3枚目のスタジオ・アルバムであり、
彼の叙情性とアレンジ力が開花した最初の名作として高く評価される作品である。
アルバム・タイトルはNilssonの祖父が実際に空中曲芸師(エアリアル・バレエ)だったことに由来し、
彼のルーツと空への憧れ、そして現実からの逃避と夢想が重なる象徴的な命名である。
また、のちにThree Dog Nightがカバーしてヒットさせた「One」や、映画『ミッドナイト・カウボーイ』に起用されて世界的に知られるようになった「Everybody’s Talkin’」を収録しており、
Nilssonのソングライターとしての評価が一気に高まったターニング・ポイントでもある。
全曲レビュー
1. Daddy’s Song
父に捨てられた少年の記憶をポップに描いた楽曲。
軽快なピアノとマーチ風のアレンジとは裏腹に、“明るく歌う哀しみ”というNilssonの核心的手法が表れている。
2. Good Old Desk
“良き古い机”を擬人化し、日常の中にある静かな救いを描いた曲。
オフィス家具に心を預けるこの視点は、無機物に宿る感情への信仰とさえ言える。
3. Don’t Leave Me
強い情感を込めたラヴソング。
ストリングスとヴォーカルがゆっくりと高揚し、Nilssonの声の表現力の幅を実感できる楽曲。
4. Mr. Richland’s Favorite Song
タイトルの皮肉とメロディの切なさが絶妙に噛み合う物語的楽曲。
「誰かのために書いたのに、誰も覚えてくれない歌」という自己言及的なメタ視点が心に残る。
5. Little Cowboy
30秒ほどの短いインタールード。
牧歌的なメロディが、まるで夢の入り口のように作用する。
6. Together
明るく軽快なポップナンバー。
歌詞のシンプルな反復と陽気なリズムに、ナイーブなロマンティシズムがにじむ。
7. Everybody’s Talkin’
Fred Neilのカバーながら、Nilssonの代表作となった世界的ヒット曲。
“誰もが何かを喋っているが、僕には聞こえない”というテーマが、無関心と孤独の時代感を捉えた。
アコースティックの爽やかさとNilssonの淡々とした歌唱が、逃避としての夢想を見事に体現する。
8. I Said Goodbye to Me
自己否定と孤独を題材にした異色のトラック。
「自分に別れを告げた」という詩的な発想が、内面劇のような構成を形づくっている。
9. Little Cowboy (Reprise)
前曲のリプライズ。
童話的なムードでアルバムの物語性を高める。
10. Mr. Tinker
ユーモラスなキャラクターを題材にしたコミカルな楽曲。
だがその裏には、奇人としてしか生きられなかった人間の哀しさが見え隠れする。
11. One
Three Dog Nightによるカバーで有名になったが、オリジナルはこのNilssonのヴァージョン。
冒頭の“ビー”音(電話の話し中音)から始まる構成が象徴的で、“孤独こそが最も孤独な数”という名言を生んだ。
Nilssonの詩人性が最もシンプルな形で発露した一曲。
12. The Wailing of the Willow
オーケストラとエフェクトを駆使したドラマチックな展開。
“柳の木の嘆き”という比喩に、抑えきれない感情の奔流が託されている。
13. Bath
ラストを飾る不思議な曲。
入浴という日常的行為をテーマにしつつ、癒しと再生のメタファーが漂う。
総評
『Aerial Ballet』は、Harry Nilssonというアーティストがただのポップ・ソングライターではなく、詩人であり、演出家であり、孤独な哲学者でもあることを明示したアルバムである。
夢見心地のアレンジの中に、社会との不協和、自己喪失、孤独へのまなざしが織り込まれており、空を舞いながらも決して地上の現実を見失わない音楽がここにはある。
彼の音楽には、誰もが耳に心地よいメロディの裏に、“優しさの顔をした痛み”が確かに潜んでいる。
それがこのアルバムの真の魅力であり、Nilssonが同時代のどのポップ職人とも一線を画す理由なのだ。
おすすめアルバム
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Paul Simon – Bookends
メロディと詩の繊細な融合、都市の孤独と夢を描いた点で共鳴。 -
Randy Newman – 12 Songs
皮肉と情感が同居する歌世界。Nilssonと精神性を共有するソングライター。 -
The Beatles – The White Album
多様なスタイルと内省的なモチーフの同居という意味での兄弟作。 -
Scott Walker – Scott 3
バロック・ポップの装いと文学的歌詞による深層心理の描写。 -
Van Dyke Parks – Discover America
アメリカ文化への愛と皮肉をポップに描いた、知的で独自な作品。
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