
発売日: 2021年9月24日
ジャンル: インディーフォーク、アートポップ、バロックフォーク
映画を観て、祈るように歌う——“初心のまなざし”が紡いだ二人の心象風景
Sufjan StevensとAngelo De Augustine、
二人の繊細なソングライターがコラボレートして生まれた本作A Beginner’s Mindは、
映画鑑賞を起点とした“瞑想的な音楽的対話”として構想された作品である。
レコーディングはニューヨーク州の山間にあるキャビンで行われ、
そこで彼らは毎晩異なる映画を観て、その印象や主題、感情を翌日に音にしていった。
この“日記のような制作法”は、アルバム全体に親密さと精神性を宿らせている。
“ビギナーズ・マインド(初心の心)”とは禅の概念であり、
固定観念を捨て、純粋に世界を見る態度のこと。
本作は、まさにあらゆる視点や価値観をいったん解体し、もう一度やさしく組み直すような作品なのだ。
全曲レビュー:
1. Reach Out
美しいアルペジオとハーモニーが重なるオープニング。
『ウィングス・オブ・デザイア』をモチーフに、孤独な魂同士の呼びかけが繊細に描かれる。
2. Lady Macbeth in Chains
『マクベス夫人』を参照しながら、
権力と罪、そして自由への希求をテーマにしたアートフォーク。
バロック的コード進行が内的葛藤を映し出す。
3. Back to Oz
『オズの魔法使い』からインスパイアされた、ノスタルジーと現実逃避の交錯。
SufjanのポップセンスとAngeloの夢見心地が溶け合う軽快なナンバー。
4. The Pillar of Souls
ホラー映画『ヘルレイザーIII』を題材に、死と霊性を描く異色曲。
ミニマルな音像と囁くようなヴォーカルが、静かな恐怖と祈りを織り成す。
5. You Give Death a Bad Name
タイトルはBon Joviの曲への言及も感じさせつつ、
死というテーマをユーモアと寓意を交えて歌う、複雑で遊び心ある一曲。
6. Beginner’s Mind
アルバムのタイトル曲にして、テーマの核心。
「I’m learning to live with it」——
知識や経験の重みを手放し、未熟であることを肯定する優しい賛歌。
7. Olympus
神話的イメージと映画的ビジョンが融合した、宗教と芸術を巡る瞑想的トラック。
響き合う二人の声が、まるで風景の中に消えていくよう。
8. Murder and Crime
『シャイニング』をモチーフに、暴力と人間の内面を見つめる小品。
静かなギターと断片的な詩句が、心の迷宮を映す。
9. (This Is) The Thing
愛と誤解、境界の曖昧さを描くローファイ・バラード。
個人的な記憶と映画の情景が溶け合う。
10. It’s Your Own Body and Mind
“選択と自己”を巡る哲学的ポップ。
穏やかなリズムと透明なコーラスが、肯定的な再出発を感じさせる。
11. Lost in the World
『サイレント・ランニング』に影響を受けた楽曲。
宇宙的孤独と環境意識が、美しく静かに綴られる。
12. Fictional California
『ブリング・イット・オン』などの軽い映画をテーマにした、
明るく皮肉なフェイク・カリフォルニア讃歌。
幻想の背後にある虚構性がにじみ出る。
13. Cimmerian Shade
闇の民“キンメリア人”という神話的存在を題材に、
深淵と孤立、忘却を描くダークで幻想的な終盤の一曲。
14. Lacrimae
ラテン語で“涙”を意味するタイトル。
宗教的な旋律とリリックが、終末と赦し、そして再生を静かに指し示す。
総評:
A Beginner’s Mindは、Sufjan StevensとAngelo De Augustineが“映画”という他者の視点を通して、
もう一度自分自身の心と世界を見つめ直した静かなカタルシスの記録である。
ここには大仰なドラマも、露悪的な感情もない。
あるのは、“見ること・聴くこと・感じること”そのものへの信頼と、
それを音楽という小さな器で丁寧にすくい取ろうとする姿勢だ。
アルバムの全体に流れるのは、“まだ私たちは知らない”“わからないことを受け入れる”という祈りにも似た態度。
それは現代の混沌において、とても希少で、美しい態度なのかもしれない。
おすすめアルバム:
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Iron & Wine / The Shepherd’s Dog
夢と現実、静けさと混沌のはざまで揺れるモダン・フォークの名作。 -
Elliott Smith / Either/Or
内省とメロディが重なる、“小さな声の深い世界”。 -
Joanna Newsom / Have One on Me
物語性と音楽的実験を共存させた文学的フォーク。 -
Angelo De Augustine / Tomb
本作以前に示された、静謐で詩的な彼のソロ傑作。 -
Sufjan Stevens / Carrie & Lowell
“個人の死”を見つめた先に“世界との対話”が始まる原点。
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