※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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suedeの最高傑作を一枚選ぶとき、1994年の『Dog Man Star』と1996年の『Coming Up』は、単なる一位と二位ではない。Bernard Butler在籍期の最後を刻んだ『Dog Man Star』は、暗い都市、孤独、欲望、巨大なギターとオーケストレーションを抱え込んだ作品。一方、Richard Oakes加入後の『Coming Up』は、「Trash」「Beautiful Ones」「Saturday Night」などを軸に、Suedeの美学を鮮烈なポップへ変換した。この二枚の違いはギタリスト交代だけではなく、Brett Andersonが描いてきた世界を、バンドがどんなサイズの音楽として提示するかという問題でもある。今回はSophie、Alex、Davidの3人が、耽美とポップという二つの極からSuedeのベストアルバムを考える。
『Dog Man Star』は「暗いSuede」だけでは説明できない
『Dog Man Star』を耽美的とか退廃的と呼ぶのは間違いではないけれど、それだけだとアルバムの奇妙さをかなり取り逃がすと思います。1994年のブリットポップが英国らしい日常や共同体をポップへ変換していく時期に、Suedeは「Introducing the Band」から妙に閉鎖された世界へ潜っていく。「We Are the Pigs」の映像も含めて、祝祭的な英国像とはほとんど逆方向です。しかもBrett Andersonの歌詞は都市を描いているのに、その都市へ帰属している安心感がない。ロンドンがホームというより、欲望と孤独を増幅する巨大な舞台装置になっているんです。
僕はそこをBernard Butlerのギターから感じます。デビュー作にも華麗なプレイは多かったけれど、『Dog Man Star』ではギターが「ギターらしい仕事」を拒否し始めるんですよ。「We Are the Pigs」では巨大なコードが曲を押す一方、「The Wild Ones」では歌の周囲に細い装飾を置き、「The Asphalt World」になると長い曲の構造そのものを動かしていく。全部同じ人が弾いているのに、統一されたギターサウンドを作ろうとしていない。その不均衡さがアルバムの不安定さと直結しています。
ただ、Butlerのギターだけを特殊なものとして切り離すと、少しロック史から浮かせすぎる気もします。彼には明らかに昔のギタリストが持っていた「一曲の中で音色も役割も変えていい」という感覚がある。70年代のロックでは、ギターが伴奏、オブリガート、ノイズ、ソロを一曲の中で横断することは珍しくなかった。Butlerが面白いのは、それを90年代の細身で神経質なSuedeの音楽へ持ち込んだことです。だから古典的なギターヒーローとは違うのに、ギターという楽器への野心はかなり古典的なんですよ。
それがBrettの声とぶつかることで、さらに過剰になるんでしょうね。「The Wild Ones」なんて曲だけ取り出せば非常に美しいバラードなのに、歌い方は完全には落ち着かない。母音を引き伸ばし、高いところで声を震わせるから、幸福なロマンティシズムではなく、失われることを最初から知っているような響きになる。『Dog Man Star』の「耽美」は装飾が豪華だからではなく、美しいものがいつ崩れるか分からない状態をずっと保っていることだと思います。
しかもバンド内部の緊張まで作品神話として語られがちだけど、そこは慎重に分けたいですね。制作中にButlerと他のメンバーとの関係が悪化し、彼がアルバム完成前に脱退したのは事実として重要です。でも「メンバーが仲悪かったから音も緊張している」で全部説明すると、実際のアレンジを聴かなくなる。あの緊張感は、ギターを何層も重ねながら隙間も作るという、かなり具体的な音楽上の選択から生まれていると思います。
そして最後に「Still Life」が来る。あそこまで行くと、通常のロックバンドのスケールを意図的に越えようとしているのが分かります。アルバムが進むにつれて世界が大きくなるのに、主人公の孤独はむしろ深くなる。その逆比例が『Dog Man Star』の設計として非常に強い。名曲を集めたというより、最後まで行って初めて大きさが分かるタイプのアルバムです。
Bernard Butlerのギターは本当にSuedeの核心だったのか
ここは『Coming Up』との比較で避けられないですね。僕自身はButlerのギターが好きだから、『Dog Man Star』を選びたくなる。でも「ButlerがいないSuedeは本物ではない」という議論には賛成できません。デビュー作と『Dog Man Star』ではBrettとButlerの二つの強い個性が引っ張り合うこと自体が音楽になっていたけれど、それはSuedeが取り得る一つの形だった。Richard Oakes加入後に、その関係を再現しようとしなかったのは正しかったと思います。
Butlerは伴奏者というより、もう一人の作曲家として存在感が大きすぎるんです。「Animal Nitrate」でもそうでしたが、Brettのメロディを支えるだけでなく、ギター側にも別の旋律がある。『Dog Man Star』ではそれがさらに極端になって、歌とギターがどちらも主役になろうとする。そのため曲が自然に横へ広がっていく。「The Asphalt World」があれほど長くても持つのは、歌の物語だけでなくギターにも時間軸があるからでしょう。
ただ、それは同時に『Dog Man Star』が万人にとってSuedeの最良の入口ではない理由でもありますよね。曲がBrettの歌だけに集中させてくれない。ギター、ストリングス、ドラマティックな構成が次々に視線を奪う。その過剰さこそ魅力だけれど、『Coming Up』を聴いた後だと、Suedeにはもっと単純な方法で人を興奮させる能力もあったと分かるんです。
Oakesはそこを理解していたと思います。17歳で加入したギタリストにButlerの後任という役割を背負わせるだけでも無茶なのに、『Coming Up』ではコピーへ逃げなかった。「Trash」のギターは、Butlerのように曲と別のドラマを作るというより、曲のフックそのものへ入り込んでいる。ギターを減らしたわけではなく、ギターの野心をポップソングの内部へ圧縮した感じです。
その「圧縮」は大事ですね。ロックでは複雑な方が高度だと思われがちだけれど、短い曲の中で記憶に残るパートを作るのも別の技術です。『Coming Up』ではSimon Gilbertのドラムも含め、演奏が曲の輪郭を明確にする方向へ揃っている。『Dog Man Star』のように各パートが外へ膨張しない。その結果、Brettのメロディが一度聴いただけで前へ出てくる。
だからButlerの脱退を「才能を失った事件」とだけ考えると、『Coming Up』で起きたことが理解できないんですよ。確かに一つの巨大な才能は抜けた。でも、その空白によってSuedeは自分たちの中心が何なのかを再定義せざるを得なくなった。そして答えの一つが、Brettの声、歌詞、旋律をもっと直接的なポップへ変換することだった。
『Coming Up』のポップさは妥協だったのか
『Coming Up』について最も雑な説明は、「暗くて芸術的だった『Dog Man Star』の反動で売れるアルバムを作った」というものだと思います。確かに「Trash」から始まる流れは圧倒的に即効性がある。でも歌詞を見ると、Suedeが急に健全なポップバンドになったわけではない。「Beautiful Ones」に出てくる人物たちも、ドラッグ、退屈、若さ、性的な曖昧さを抱えていて、初期Suedeの住人と地続きです。変わったのは世界ではなく、その世界に照明を当てる方法なんですよ。
音楽的にも「簡単になった」とは思わないですね。「Trash」はものすごくキャッチーだけど、ギターの細かいフレーズを追うとかなり忙しい。ただ、それを複雑に聞かせない。『Dog Man Star』ではアレンジの複雑さ自体が感情の大きさとして聞こえたのに、『Coming Up』では全部がコーラスへ向かって機能する。プレイヤー目線では、これはこれでかなり厳しい設計です。
しかもNeil Codlingが加わってキーボードがバンドの色として強くなったことも大きい。ギターだけで空間を埋める必要がなくなり、シンセや鍵盤が明るい輪郭を作れる。「Filmstar」などはかなりグラマラスで硬いロックですが、アルバム全体では鍵盤が入ることで色彩が増えている。『Dog Man Star』の壮大さが深さを作る方向だったとすれば、『Coming Up』は横に色を並べていく感じがあります。
そして1996年というタイミングも無視できません。ブリットポップが巨大な大衆文化になった後で、Suedeが初期のアウトサイダー性をそのまま演じても、おそらく嘘っぽくなったでしょう。彼らはそこで大衆性を拒否するのではなく、自分たちなりの華やかさへ変換した。「Beautiful Ones」はまさにそうで、観客全体が歌える曲なのに、そこで描かれる若者像は整然とした英国社会から少し外れている。
僕が面白いと思うのは、『Coming Up』のギターがライブで強いことです。複雑な音響を再現しなくても、リフやフレーズの形だけで曲が立つ。「She」なんてかなり攻撃的だし、アルバムを単なるヒット曲集にしない役割を果たしている。明るいレコードという印象があるけれど、実際にはかなり刺々しい音も入っています。
ポップになったことで失ったものはありますよ。『The Asphalt World』のように、一曲の内部でどこまで遠くへ行けるかという冒険は減った。ただし代わりに、一つの旋律をどこまで強くできるかという方向へ集中した。妥協というより、評価基準を変えたアルバムと考えた方が正確でしょう。
「Trash」と「Beautiful Ones」はSuedeを単純化したのか
『Coming Up』が不利になる理由の一つは、代表曲があまりに分かりやすいことだと思います。「Trash」も「Beautiful Ones」もイントロから曲の性格が見えるし、サビが強烈だから、深く分析する必要がないように感じてしまう。でも良いリフを一つ作って、それを歌の邪魔にならない位置へ置くのは簡単じゃない。「Trash」にはButler期のような危険な膨張はないけれど、無駄のなさではこちらが上です。
「Trash」は歌詞も重要です。Brettはアウトサイダーを遠くから観察しているのではなく、「僕たち」という感覚で歌う。それがSuedeのファンと非常に強く結びついたんだと思います。初期にも周縁的な人物はたくさん登場したけれど、『Coming Up』では彼らが暗い部屋から外へ出て、ポップスターとして自分たちを祝っているように見える。その変化はかなり大きいです。
僕は「Beautiful Ones」の方が巧妙だと思いますね。音楽だけなら祝祭的なのに、歌詞に並ぶ生活はかなり危うい。つまり曲調と題材が完全には一致していない。そのズレがあるから、単純な青春賛歌にならないんです。古いグラムロックにも、派手な表面の下に孤独や人工性がある曲は多かったけれど、Suedeはそれを90年代の都市生活へ置き換えている。
そこはギターも同じで、明るく聞こえるけれど、完全に丸くはないんです。Oakesの音には細いエッジが残っていて、コードをただ豪快に鳴らしているわけではない。だからOasis型の大きなコードストロークとは感触が違うし、ポップになっても初期Suedeとの連続性がある。僕はOakesを「Butlerより簡単なことをした人」と評価するのはかなり不公平だと思います。
それに「Saturday Night」まで聴けば、『Coming Up』のポップ性にも陰影があることが分かります。大きな週末のアンセムになり得る曲なのに、描かれている幸福は非常に日常的で、どこか壊れやすい。『Dog Man Star』なら同じ感情をもっと劇的な孤独として描いたかもしれない。それを普通の土曜日の夜まで降ろしてきたことが、『Coming Up』の成熟なんです。
だから『Coming Up』はSuedeを単純化したというより、翻訳したんでしょう。初期から持っていた欲望、孤独、都市、若さという材料を、もっと共有可能なポップの言語へ翻訳した。その翻訳で失われた曖昧さもあるけれど、獲得した普遍性もかなり大きいと思います。
『Dog Man Star』の弱点は、その過剰さそのものではないか
ここまで『Dog Man Star』を褒めてきましたが、最高傑作を決めるなら欠点も見ないといけない。僕はあのアルバムの過剰さが常に成功しているとは思いません。作品全体に巨大な感情を要求されるので、聴き手側にもかなり集中力が必要になる。「The Asphalt World」から「Still Life」へ向かう終盤は圧倒的だけれど、気軽に一曲ずつ取り出せるタイプではない。それを芸術性の証明として無条件に評価するのは違うでしょう。
分かります。ただ僕は、その不便さをかなり買ってしまうんですよ。『Dog Man Star』には「ここまでやらなくてもいい」という瞬間が何度もある。でもロックアルバムで僕が惹かれるのは、合理的な判断を越えてしまった部分なんです。「The Asphalt World」なんて、もっと短くまとめれば曲としては効率的になるかもしれない。でも、あの曲が途中から自分の重量に耐えながら進む感じは、短くしたら消えてしまう。
私は二人の中間ですね。過剰であること自体には意味がある。ただ、『Dog Man Star』をSuedeの本質と定義してしまうと、その後のバンドが全部「失われた何かの代用品」に見えてしまう危険があるんです。Suedeはもともと「The Drowners」の時点から非常にキャッチーなバンドでもあった。だから『Coming Up』のポップ性は突然の変節ではなく、初期からあった一面を前面化したとも言える。
それは重要ですね。デビュー作『Suede』を間に置くと二枚の関係が変わって見える。『Dog Man Star』は一作目の華やかさを暗く巨大な方向へ伸ばした作品で、『Coming Up』は別の枝、つまり即効性のあるメロディとグラム的な快楽を伸ばした作品とも考えられる。そうすると「Butler期対Oakes期」という単純な対立ではなくなる。
実際、僕が『Dog Man Star』を上に置く最大の理由はButlerの存在そのものではなく、バンドが制御不能になる寸前まで行っていることなんです。四人の個性とEd Bullerのプロダクション、さらにストリングスを含むアレンジが、一枚の中で完全には整理されていない。その危うさが作品の魅力になっている。完成度という言葉を「整っている」という意味で使うなら、むしろ『Coming Up』の方が完成度は高いかもしれない。
そう考えると面白いですね。『Dog Man Star』は不完全さまで含めた傑作で、『Coming Up』は自分が何をするレコードなのかを非常によく理解した傑作。どちらを上に置くかは、最終的に「アルバムに何を求めるか」という問題へ近づいてきます。
耽美とポップは本当に対立しているのか
そもそも今回の「耽美かポップか」という二択自体を少し疑いたくなります。Suedeの耽美性は、難解であることから生まれているわけではない。Brettのメロディは『Dog Man Star』でもかなり強いし、「The Wild Ones」は別のアレンジなら巨大なポップソングとして成立するはずです。逆に『Coming Up』のポップは明るい表面を持ちながら、人物描写には退廃が残っている。二枚は反対というより、同じ材料の配合が違うんですよ。
「The Wild Ones」と「Saturday Night」を並べると分かりやすいですね。どちらも非常に強いメロディを持ったラブソングとして聴けるけれど、前者は感情を遠い場所へ持ち上げ、後者は日常へ降ろす。片方には失われたものを追うような巨大さがあり、もう片方には目の前の時間を大切にする親密さがある。作曲家としてのBrettを見るなら、この距離の違いを両方書けたことが大きい。
ギターでも同じです。Butlerはメロディに対して別の声をぶつけることが多く、Oakesはメロディの輪郭を強くする方向へ行く。でもどちらもBrettの曲を中心に考えている点は変わらない。『Dog Man Star』ではギターが歌へ抵抗することでドラマが生まれ、『Coming Up』ではギターが歌と一緒にフックを作ることで高揚が生まれる。方法は逆でも、Suedeの歌をどう最大化するかという目的は共通しています。
ファッションや視覚面でも完全な断絶ではないんです。初期のSuedeが提示した性的な曖昧さやグラム的な人工性は、『Coming Up』期にも消えていない。ただし、以前のような薄暗い謎としてではなく、もっと鮮やかなスター性へ変わっている。ブリットポップの中心へ近づきながら、いわゆる普通の「男たちのロックバンド」にはならなかったことは大きいと思います。
そこはSuedeが70年代のグラムロックから受け継いだものとも比較できます。グラムは派手なポップと人工的な退廃を同時に成立させられた文化だった。だからSuedeにとって耽美とポップは、本来それほど遠いものではないんでしょう。『Dog Man Star』は前者を極端にし、『Coming Up』は後者を極端にした。それでも根にある演劇性は同じです。
そう考えると、二枚のどちらかを「本物のSuede」と決める必要はなくなりますね。むしろ両方があることで、このバンドが単なるButlerのギターバンドでも、Brettのポッププロジェクトでもなかったと分かる。メンバー構成が変わっても、Suede特有の誇張された感情をどうロックソングへ入れるかという問題は残り続けたんです。
最高傑作なら『Dog Man Star』、最強のSuedeなら『Coming Up』?
僕が一枚だけ残すなら『Dog Man Star』です。「We Are the Pigs」「The Wild Ones」「The Asphalt World」「Still Life」と、同じアルバムの中でギターがここまで違う役割を持つ作品はなかなかない。しかも統一感を音色の統一ではなく、感情の温度で作っている。聴きやすさでは『Coming Up』に負けるけれど、聴くたびにまだ処理し切れていない部分が残るという意味で、僕にはこちらが上です。
私はかなり迷うけれど、アルバムとしての最高傑作ならやはり『Dog Man Star』です。ただし「Suedeとは何か」を誰かに一枚で見せるなら『Coming Up』を選ぶ可能性がある。『Dog Man Star』はSuedeが最も深く潜った作品だけれど、『Coming Up』はSuedeがどれほど大きく、華やかで、同時に奇妙なポップバンドになれるかを示した。「Trash」から「Saturday Night」までの振幅は、単純な商業路線では説明できません。
僕は少し逆で、『Coming Up』をベストにしてもいいと思っています。理由は、バンドが大きなメンバー交代を経験した後、自分たちの強みを再設計して、一枚のレコードとしてほとんど迷いなく提示したからです。ロック史では、苦悩や崩壊が刻まれた作品の方が芸術的に上だと評価されやすい。でも明快さを獲得することだって創造的な飛躍です。『Coming Up』にはその飛躍がある。
ただ、『Coming Up』が強すぎるからこそ、その後に同じ方向を続ける難しさも見えるんですよね。ポップソングとして完成度を上げれば上げるほど、次は何を足すのかという問題が出てくる。『Dog Man Star』には最初から行き止まりに近い感じがあるけれど、その行き止まり自体が魅力になっている。最高傑作という概念には、そういう「二度と作れない感じ」が有利なのかもしれません。
それなら僕が『Coming Up』を推すのは、再現不能性より再発明を評価しているからでしょうね。Butlerを失った時点で、以前と同じSuedeを続けることはできなかった。それでもRichard OakesとNeil Codlingを含む編成で別の黄金期を作った。その成功まで含めてアルバムを評価すると、単なる曲の比較以上の重みがあります。
結局、『Dog Man Star』はSuedeが最も「深かった」作品で、『Coming Up』は最も「広かった」作品と言えるかもしれない。前者は一人で沈み込むように聴くほど細部が増え、後者は大勢で歌えるほど曲の強さが増す。普通ならどちらか一方を選んだ時点でバンドの性格が決まりそうなのに、Suedeは両方を代表作として持っている。それ自体が、この比較が終わらない理由でしょう。
初心者向け、過小評価作、そして一曲だけ選ぶなら
初心者向けなら私は迷わず『Coming Up』です。「Trash」「Filmstar」「Lazy」「By the Sea」「Beautiful Ones」「Saturday Night」と、Suedeの異なる表情が非常に入りやすい形で並んでいる。そこから初期の性的で荒々しいSuedeへ行くことも、『Dog Man Star』の暗い世界へ行くこともできる。一曲だけなら「The Wild Ones」を選びます。Brettのメロディ、Butlerのギター、巨大さと脆さの同居という、このバンドの核が最も美しい形で出ていると思うからです。
一曲なら僕は「The Asphalt World」。初心者向けという条件を完全に無視していますけどね。ただ、Butler期のSuedeがどこまで普通のギターロックから離れられたかを一曲で聴くならこれです。ギターが歌を装飾するのではなく、曲の時間そのものを拡張していく。アルバムなら最高傑作は『Dog Man Star』、初心者には『Coming Up』。この二つは分けて考えた方がいいと思います。
僕は一曲だけなら「Trash」を取ります。Suedeの深さを全部説明する曲ではないけれど、優れたバンドが自分たちの個性を失わずに巨大なポップソングを作った例として非常に強い。あの曲を単純だと言うなら、その単純さを成立させることの難しさを過小評価していると思います。そしてベストアルバムは僅差で『Coming Up』。僕は今回は、危うさより再発明の成功を評価します。
過小評価された一枚なら、二択の外へ出て『Suede』も忘れたくないですね。デビュー作には「So Young」「Animal Nitrate」「The Drowners」と、後の二枚へ分岐する前のエネルギーがある。『Dog Man Star』ほど巨大ではなく、『Coming Up』ほど洗練されてもいないけれど、その未整理な状態がいい。二大傑作を比較するほど、一作目が単なる助走ではなかったことも見えてきます。
さらに後期まで含めれば、Suedeはこの二枚の亡霊だけを追ってきたバンドでもありません。ただ、基準として『Dog Man Star』と『Coming Up』が残り続けるのは分かる。前者は「どこまでSuede独自の世界へ行けるか」、後者は「その世界をどこまで多くの人と共有できるか」の極限だからです。その二つの軸を同時に持ったことが、彼らを単なる90年代のブリットポップ・バンドに収めにくくしています。
対談を終えて
『Dog Man Star』と『Coming Up』のどちらがSuedeのベストアルバムなのかという問いは、完成度の単純比較では決着しない。『Dog Man Star』ではBrett Andersonの歌とBernard Butlerのギターが互いに譲らず、ストリングスや長尺の構成まで巻き込みながら、バンドそのものが壊れそうな規模へ音楽を拡張した。『Coming Up』はその危うさを失った代わりに、Richard OakesとNeil Codlingを含む新しい編成で、同じ欲望、孤独、人工性を共有可能なポップへ翻訳した。耽美からポップへの転向というより、Suedeに最初から存在した二つの性質が、それぞれ別のアルバムで極端な完成を見たと考えた方が近い。作品世界の深さと再現不能な緊張なら『Dog Man Star』、楽曲の強さとバンド再発明の鮮やかさなら『Coming Up』。最高傑作を前者とする定説には十分な理由があるが、Suedeというバンドの底力を最も明快に証明したのは、後者だったという逆転も成立する。

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