※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
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2001年のthe strokes『Is This It』は、2000年代ロックの始まりを告げた一枚として語られることが多い。ニューヨークの若い5人組、細身の服、革ジャン、乱れた髪、短い曲、乾いたギター、Julian Casablancasの気だるい声。「The Modern Age」「Last Nite」「Someday」「Hard to Explain」。どの曲も極端に複雑ではなく、むしろ驚くほど削ぎ落とされている。それでも日本の洋楽ロックファンにとって、このアルバムは単なる“ロックンロール回帰”ではなかった。90年代のオルタナティブ以後、巨大化したロックから一度距離を取り、ギター二本とリズム隊だけで新しい世代のスタイルを作り直したように聞こえたからだ。今回はAlex、Sophie、Naomiの3人が、ギターの絡み、Julianの声、ニューヨークというイメージ、日本の雑誌文化やバンド文化との相性から、『Is This It』がなぜ特別だったのかを考える。
※本記事は、TuneSightに登場する架空のライターによる創作対談です。
- 『Is This It』は本当に「ロックを救った」アルバムだったのか
- 日本の2000年代ロックファンには、なぜこんなに「新しく」見えたのか
- 二本のギターはなぜこんなにシンプルなのに真似しにくいのか
- Julian Casablancasの声はなぜ「下手そう」に聞こえて、実際には曲を支配しているのか
- 「Last Nite」はなぜあれほど単純なのに、2000年代の象徴になったのか
- 「Someday」はなぜ日本のギターポップ好きに特に刺さったのか
- 「Hard to Explain」はThe Strokesの本質を一番よく表しているのか
- ニューヨークという都市イメージは、どこまで日本の人気に関係したのか
- The Strokesはなぜ「スターなのにDIY」に見えたのか
- 日本の軽音/ライブハウス文化にとって何が大きかったのか
- 「シンプル」は本当にThe Strokesの本質なのか
- 『Room on Fire』では、なぜ同じことを続けても強かったのか
- Arctic MonkeysやFranz Ferdinandとの違いは何だったのか
- 『Is This It』はなぜ今聴いても「2001年の資料」にならないのか
- 日本での2000年代洋楽ブームの中で、The Strokesは何を象徴していたのか
- 最高傑作はやはり『Is This It』なのか
- 初心者に一曲だけなら何を選ぶか
- 『Is This It』は日本のロックファンに何を許したのか
- 対談を終えて
- 関連レビュー
『Is This It』は本当に「ロックを救った」アルバムだったのか
“ロックを救った”という言い方は、今聞くとかなり大げさなんですよ。2001年にロックが死んでいたわけではないし、RadioheadもFoo FightersもQueens of the Stone Ageもいた。でも『Is This It』が特別だったのは、「ロックはまだ新しく見える」と思わせたことだと思う。しかも新しい機材や新しいジャンルを発明したわけじゃない。ギター二本、ベース、ドラム、ヴォーカルという古い形式を、演奏の密度と見せ方だけで急に現代へ戻した。
だから“救った”というより、“ロックの見え方をリセットした”に近いわね。90年代後半には、ロックがかなり大きく、重く、あるいはコンセプチュアルになっていた。その中でThe Strokesは曲が短く、ステージも装飾的ではなく、服も一見すると無造作。巨大なロックを作るのではなく、「バンドってこれだけでいい」と言ったように見えた。
音響的にも同じです。『Is This It』はレンジを広く見せる作品ではなく、むしろ狭い。ドラムも巨大ではないし、ギターも低域を埋め尽くさない。Julianの声もクリアなリード・ヴォーカルとして前へ出すより、少し歪ませてバンドの中へ置く。その制限がアルバムの人格になっています。
しかも削っているのにスカスカには聞こえないんですよ。Nick ValensiとAlbert Hammond Jr.のギターが別々の線を弾いて、Fab MorettiのドラムとNikolai Fraitureのベースが隙間を埋める。音を増やすんじゃなく、役割を重ねないことで厚くしている。そこがギターバンド好きには衝撃だったと思います。
日本の2000年代ロックファンには、なぜこんなに「新しく」見えたのか
日本でThe Strokesが特別だった理由の一つは、音と同じくらい“姿”が強かったことだと思う。2000年代初頭の洋楽誌やファッション誌で、あの5人が並んだ写真は本当に強い。細身のデニム、革ジャン、コンバース、古着っぽいTシャツ。衣装というほど作り込んでいないのに、全員が同じ世界にいる。
しかも真似できそうなんですよね。Queenみたいな衣装を再現するには覚悟がいるけど(笑)、The Strokesなら古着屋に行けば近づける。ギターも同じで、ものすごいラックシステムが必要なわけじゃない。曲もコピーできそうに聞こえる。その“参加可能性”は日本の若いバンド好きにかなり大きかったと思う。
音源もそうですね。派手なサブベースや巨大な空間処理がなく、比較的小さなスピーカーでも曲の骨格が伝わる。CDプレイヤー、MD、初期のデジタル音源で聴いても、ギターの左右の動きと声の質感が残る。聴取環境を選びにくい音なんです。
そして日本の洋楽ファンにとって、ニューヨークという都市イメージも大きかったでしょう。マンチェスターやシアトルとはまた違う、夜、地下鉄、バー、小さなクラブ、ダウンタウン。The Strokesの音楽はそのイメージと簡単に結びついた。実際のニューヨーク生活を知らなくても、“都会の若者の退屈と格好よさ”として受け取れた。
Oasisみたいな大合唱でも、Nirvanaみたいな爆発でもない。もっと「狭い部屋で友達とバンドやって、そのまま街へ出る」感じがある。日本のライブハウス文化にはかなり近い感覚だったと思います。
二本のギターはなぜこんなにシンプルなのに真似しにくいのか
『Is This It』のギターって、譜面だけ見れば簡単なことが多いんです。でも二人のパートを一緒に弾くと急に難しい。Nick ValensiとAlbert Hammond Jr.は、同じコードを二人で鳴らして壁を作るんじゃなく、片方がコード、もう片方が単音、あるいは両方が違うボイシングで同じ和声を作る。だから一人で弾くと曲の半分しか出てこない。
周波数の分担もきれいです。一方が中域を支え、もう一方が高域で短いフレーズを入れる。しかも両方とも音を厚くしすぎない。歪みも極端ではないので、二本が混ざっても輪郭が残る。
それってThe Strokesの人間関係の見え方にも似ているわね。誰か一人が“ギター・ヒーロー”ではない。5人全員が少し距離を取っていて、でもバンドとしてはまとまっている。
「The Modern Age」が分かりやすいですよ。ギターが細かく動いているのに、派手なソロはない。「Someday」もコードだけ取ればすごく単純。でもギターのストロークと短い合いの手、ベースの動きが合わさって初めてあの軽さになる。音数を増やさずにアレンジを作る教科書です。
それが日本のギターバンドに強く影響した理由でしょうね。二本ギター編成で“二人とも大きく鳴らす”以外の方法がある。特に小さなライブハウスでは、その考え方は非常に実用的です。
Julian Casablancasの声はなぜ「下手そう」に聞こえて、実際には曲を支配しているのか
Julianの声って、最初に聴くと“ちゃんと歌おうとしていない”ように聞こえるでしょう。少し潰れていて、感情を大きく動かさず、語尾も投げる。でも、その気だるさがバンドのキャラクターを決めている。
音響処理も重要です。ヴォーカルを高解像度で録って息遣いまで見せるのではなく、少し帯域を狭めたような質感にしている。そのため声が古いラジオや小さなアンプから出ているように聞こえる。人格が近いのに、録音上は少し遠いんです。
でもメロディはちゃんと強いんですよ。「Someday」なんて、ギターを全部取ってJulianだけ歌っても曲が残る。彼のすごさは、感情を大きく表現しないのにサビでちゃんと上がること。声量じゃなく、メロディの輪郭で曲を持たせる。
日本のインディー系の聴き手には、その“頑張って歌わない”感じも新鮮だったと思う。90年代のロック・ヴォーカルには、叫ぶ、歌い上げる、強烈な個性を押し出すという方向も多かった。その後にJulianの無気力な声が来ると、別の男性性に見える。強く見せなくてもフロントマンになれる。
しかもステージでもそんなに愛想よく振る舞わない。それがまた“クール”に見えた。日本では、熱く煽るロックとは別の格好よさとして受け入れられたんでしょうね。
「Last Nite」はなぜあれほど単純なのに、2000年代の象徴になったのか
「Last Nite」は本当に不思議ですよ。リズムもコードもロックンロールの歴史から切り離せないし、ギターの感じも新発明とは言えない。でもThe Strokesがやると2001年の曲に聞こえる。これはアレンジの圧縮がうまいからだと思います。
ドラムが非常に乾いていますね。残響を大きくせず、スネアも短い。その上でギターが左右から小さく刻み、ヴォーカルも中央に巨大には置かれない。全部が同じサイズで鳴っている。その“平面性”が逆に新しかった。
映像やファッションまで含めるとさらに象徴的だった。スタジオで演奏しているだけのような見せ方、バンドメンバーの無造作な立ち姿、過度に演出しない画面。それが音楽と一致していた。“これが新しいロックです”と大声で宣言しないのに、見た瞬間分かる。
日本でコピーされた曲としても強かったと思います。ギター初心者でも手を出せるし、バンドで合わせると意外と難しい。だから軽音部やライブハウスで演奏して、The Strokesのアンサンブルの難しさに気づく(笑)。
それって長く残る曲の条件かもしれない。聴くだけなら簡単、やってみると奥がある。
「Someday」はなぜ日本のギターポップ好きに特に刺さったのか
私は日本での『Is This It』人気を考えるなら「Someday」がかなり重要だと思う。The Strokesの曲の中でも特にメロディが甘く、少し懐かしい。タイトル通り、現在を生きながらすでに過去を振り返っているような感じがある。
ギターも明るいんですよね。ジャングリーというほどではないけど、歪みを抑えてコードを軽く鳴らす。The Smithsやギターポップが好きな人にも入りやすい。一方でリズムはちゃんとThe Strokesで、少し後ろへ引っかかる。
音響的にも、この曲はアルバムの中でかなり開いています。声の加工はあるけれど、メロディの輪郭がよく見える。ギターのレイヤーも厚すぎず、ノスタルジックな感覚が前に出る。
日本の2000年代ロックファンって、激しい曲だけを求めていたわけじゃないでしょう。UKロック、ギターポップ、ネオアコ、インディーを横断して聴く人にとって、「Someday」はかなり理想的な接点だった。格好いいけど感傷的。都会的だけど人懐っこい。
しかも後から聴くと、本当に2000年代初頭の記憶そのものみたいになっている。若い時に聴いた人にはタイトル以上に“Someday”になってしまった曲ですね。
「Hard to Explain」はThe Strokesの本質を一番よく表しているのか
私は『Is This It』で一番重要なのは「Hard to Explain」だと思います。理由はドラムの扱いです。かなり機械的な反復感があって、生バンドなのにドラムマシン的に聞こえる。ギターも短いパターンを反復するので、ロックと電子的なグリッドの中間にいる。
あの曲、ギター・バンドなのに“ループ”なんですよね。コード進行をドラマティックに動かすより、同じパターンの中でヴォーカルと細かいパートが変化する。後のインディー・ダンスやポストパンク・リバイバルにつながる感覚もある。
タイトル通り、歌詞も少し距離がある。感情を正面から説明するのではなく、うまく言葉にできない状態をそのまま曲にする。その曖昧さがThe Strokesらしい。
『Is This It』全体がそうなんです。大きなクライマックスを作らず、同じ温度の中で小さな変化を起こす。「Hard to Explain」はその設計が最もよく聞こえる。
日本のバンド好きがこの曲を聴いて、「ギター・ロックでもループ感を作れる」と気づいた影響は大きかったと思う。後のArctic Monkeysにもつながる発想ですよね。
ニューヨークという都市イメージは、どこまで日本の人気に関係したのか
The Strokesを日本で考える時、ニューヨークという都市ブランドはかなり大きいと思う。もちろん音楽が先だけれど、“ニューヨークの若いバンド”という言葉だけで、ある種の格好よさが付いてくる時代だった。
でも彼らの場合、その都市イメージと音が合っていたんですよね。広い景色じゃなく、狭いバー、地下、夜の道路、古いアパートみたいな感じ。ギターの音も広がらないから、音楽自体が都市の小さい空間に聞こえる。
リヴァーブを抑えた音響もそうです。巨大な空間を作らず、壁が近い。音が遠くへ飛ばないので、クラブやリハーサル室のような圧縮感がある。都市の密度を音で作っている。
日本の若者にとって、そのニューヨークは現実の都市というより“インディー・ロックの理想都市”だったのかもしれない。古着、レコード、夜、友達、バンド。生活と音楽が近い。Oasisのマンチェスターとは別の青春像よね。
Oasisが「ここから世界へ行く」なら、The Strokesは「この街の中だけで十分格好いい」。その小ささが2000年代には新鮮だったと思います。
The Strokesはなぜ「スターなのにDIY」に見えたのか
The Strokesには面白い矛盾があって、実際にはメンバーの背景も含め、単純な貧しい地下バンドの物語ではない。でも見え方としてはDIY的だった。小さなクラブ、簡素な服、短い曲、無造作な録音感。その“作り込まれていないように見える美学”が強かった。
ただ、音はかなり作り込まれていますね。ギターの帯域、ドラムの乾き方、ヴォーカルの質感。自然に録ったらこうなった、という感じではない。粗く聞こえるように細かく設計されている。
それがギタリストにはすぐ分かるんです。二本のギターをあれだけ分離させて、でも一つのバンドにするのは結構難しい。ラフに見えるけど、アレンジはすごく緻密。
ファッションも同じ。適当に着たように見えて、結果として全員のシルエットが一つの美学になっている。The Strokesって、“努力していないように見せる努力”が非常に上手かった。
その自然さの演出が、2000年代のインディー文化に大きな影響を与えたのでしょうね。技術を見せるより、完成された雰囲気を見せる。
日本の軽音/ライブハウス文化にとって何が大きかったのか
これは本当に大きいと思います。The Strokesは「バンドを始める」という行為を再び軽くした。超絶技巧も特殊な機材もいらないように見える。ギター二人、ベース、ドラム、歌。それで曲が作れる。日本の軽音部や大学サークル、ライブハウス文化にとってはものすごく重要です。
しかも服まで含めて、バンドをやること自体が一つのスタイルになる。音楽を聴くだけでなく、自分もギターを持ち、古着を着て、小さな会場に立つ。The Strokesはファンを観客で終わらせず、参加者にしやすかった。
録音面でも宅録との相性がいいですね。巨大なオーケストレーションを再現しなくていい。各楽器の役割を整理すれば、小規模な録音でもThe Strokes的な緊張感を作れる。もちろん本人たちのバランスは簡単には再現できませんが。
だから影響が音そのもの以上に、“バンドの作り方”へ出たと思うんです。二本ギターの役割、短い曲、余計なソロを入れない、リズムをタイトにする。2000年代の日本のギターロックにもかなり広く浸透した感覚ですよ。
「シンプル」は本当にThe Strokesの本質なのか
『Is This It』を“シンプルなロック”と呼ぶことがありますが、私は半分しか正しくないと思います。音数は少ない。でも各パートの関係はかなり複雑です。ギター二本、ベース、ドラム、声が、それぞれ少し違うリズムを持っている。
そうなんですよ。The Ramonesみたいに全員で同じコードを突っ走るシンプルさとは違う。The Strokesは一人ひとりが簡単なことをしているけど、それを重ねると複雑になる。だからコピーすると意外とグルーヴが合わない。
見た目にも同じ構造がある。全員“普通の服”だけど、5人並ぶとものすごく完成されている。一人ずつは簡単、全体は精密。バンドそのものがアルバムのアレンジみたいなのよね。
だから長く聴いても飽きにくい。表面にはすぐ入れるけれど、細部にはまだ発見がある。単純さではなく、情報を整理した結果の簡潔さなんです。
『Room on Fire』では、なぜ同じことを続けても強かったのか
2ndの『Room on Fire』は、1stからそこまで大きく変わらないんですよね。でもそれでも「Reptilia」「12:51」「Under Control」みたいな曲がある。普通なら“また同じ音”で飽きられそうなのに、曲が強いから成立する。
音響的にはさらにタイトになっています。1stのラフさを少し整理し、ギターの役割をもっと明確にした。特に「Reptilia」はギター・アンサンブルがかなり機械的で、リズムの強度が高い。
ただ、ここで同じ方法を続けたからこそ、その後の変化が必要になったとも言える。もしずっと『Is This It』型のアルバムだけを作っていたら、The Strokesは2000年代初頭の象徴としては残っても、長いキャリアを持つバンドにはなりにくかったかもしれない。
そうですね。でも日本のファンにとっては、最初の二枚の“あのThe Strokes”が特別なんだと思う。変化する前にスタイルを完成させた。その完成度が後のバンドへの基準になった。
Arctic MonkeysやFranz Ferdinandとの違いは何だったのか
2000年代UK/USロックをまとめて聴いていた日本のファンにとって、The Strokes、Franz Ferdinand、Arctic Monkeysは同じ棚に並ぶことも多かった。でも実際にはかなり違う。
The Strokesは一番“引いている”と思います。Franz Ferdinandはダンスさせる意識がもっと強いし、Arctic Monkeysは歌詞とドラムの情報量が多い。The Strokesは、曲を盛り上げるより一定の温度を保つ。そこが独特です。
リズムでも違います。Franz Ferdinandはカッティングと四つ打ち的な身体性、Arctic Monkeysは細かなドラムと急速な展開。The Strokesはもっと反復的で、グルーヴを大きく動かさない。変化を抑えることでクールさを作る。
人物像もそうね。Arctic MonkeysのAlex Turnerは後に大きくキャラクターを変えるけれど、初期The StrokesのJulianは“無気力な都市の青年”という一つの像をかなり早く完成させた。その完成度が2000年代の若いファンにとって強烈だった。
だからThe Strokesって、後続に一番コピーされやすく、一番コピーすると偽物っぽくなるんですよ(笑)。音が簡単に聞こえるぶん、雰囲気まで真似すると露骨に出る。
『Is This It』はなぜ今聴いても「2001年の資料」にならないのか
最大の理由は、当時の最新テクノロジーへ依存していないことですね。極端なシンセ・プリセットやデジタル・エフェクトがない。だから制作年を示す音響記号が比較的少ない。
ギターもそうです。ヴィンテージな音に聞こえるけど、完全な60年代回帰ではない。歪み量やアレンジが2000年代的にタイトだから、古いのか新しいのか分からない。この時間の曖昧さが強い。
ファッションも何度も戻ってくるでしょう。細身のデニム、レザージャケット、古着、スニーカー。流行から消えても、また若い世代が発見できる程度にシンプル。だから写真まで古典として機能する。
そしてストリーミングでは「Someday」「Last Nite」「Hard to Explain」が一曲単位で再発見できる。アルバム文化を知らない若い人でも入口がある。そこから一枚通して聴くと、全体の統一感に気づく。
つまり『Is This It』は“当時新しかった音”ではなく、“何度でも新しく見せられる最小構成”を作ったんだと思います。
日本での2000年代洋楽ブームの中で、The Strokesは何を象徴していたのか
日本の2000年代洋楽ファンにとってThe Strokesは、“新しいバンドをリアルタイムで発見する楽しさ”の象徴でもあったと思う。90年代の巨大バンドを後追いするのではなく、自分たちの時代の新しい古典が今まさに出ている感覚。
それは大きいですね。NirvanaやOasisはすでに歴史だった若いファンでも、The Strokesなら同時代で追える。新作を待ち、雑誌を読み、来日を期待する。自分の世代のバンドだという所有感がある。
しかも音楽が過去のロックへ接続しているので、そこからVelvet Underground、Television、Ramonesなどへ遡れる。新しい音楽を聴いていたはずが、そのままロック史の入り口になる。
日本の洋楽ファンにとって、それは理想的だったと思う。現代の格好いいバンドを好きになったら、過去のニューヨーク・パンクやインディーまでつながる。The Strokesは“古典への入口になれる新世代”だった。
最高傑作はやはり『Is This It』なのか
僕は『Is This It』です。後のアルバムにも好きな曲は多いけれど、この一枚はバンドのアイデアと曲の質が完全に一致している。「余計なものを足さない」というルールが全曲で効いていて、それでも同じ曲には聞こえない。ギター・バンドとしての完成度が異常です。
私も『Is This It』。音響的な統一感が強いですね。狭い周波数、乾いたドラム、少し加工された声、左右に分かれるギター。その限られたルールの中で「Someday」「Hard to Explain」「New York City Cops」のように違う運動を作る。制約が創造性になっています。
私も1stを選ぶけれど、理由は文化的な意味も含みます。このアルバムは曲だけではなく、“2000年代の新しいロックバンドはどう見えるべきか”まで一度に提示した。音、ジャケット、服、写真、態度が全部つながっていた。作品とバンド像を分けられない強さがあります。
そして後続が大量に出たせいで、一時期The Strokesそのものが普通に聞こえた。でも今戻ると、オリジナルのバランスが一番いい。影響が大きすぎて本人たちの凄さが見えにくくなったタイプですね。
初心者に一曲だけなら何を選ぶか
私は「Someday」。日本のギターロック好きにとって、The Strokesの格好よさと切なさの両方が分かる。無気力そうなのにメロディは甘い。その矛盾が一番入りやすい。
僕は「Hard to Explain」。二本ギター、反復、Julianの声、リズムの機械っぽさ。The Strokesが単なるロックンロール回帰ではなく、2000年代のバンドだったことがよく分かる。
私は「The Modern Age」。アルバム冒頭近くで、ギター、声、ドラムの距離感が一気に見える。最小限の材料だけで、なぜこんなに推進力が出るのかを聴きやすいです。
「Last Nite」を誰も選ばないのが少し意地悪ね(笑)。
有名すぎるから避けたくなるだけで、当然すごい曲です(笑)。
『Is This It』は日本のロックファンに何を許したのか
僕は、“頑張りすぎないギター・バンドでも格好よくなれる”という許可だったと思います。ギターを速く弾かなくてもいい、巨大な音を作らなくてもいい、ソロを入れなくてもいい。二本のギターがそれぞれ小さな役割を持てば、十分に個性的になれる。日本でバンドを始めた人にとって、この影響はかなり大きい。
私は“狭い音が弱いとは限らない”ということですね。高音質化が進んでも、すべての周波数を使う必要はない。ドラムを巨大にしなくても、ヴォーカルをクリアにしなくても、作品の世界は作れる。制限そのものを音響美学にできる。
私は、“普通の若者に見えることをスター性へ変えた”ことだと思う。派手な衣装も大げさな政治的宣言もなく、友達5人が並んでいるだけ。それなのに、写真を見れば誰でもThe Strokesだと分かる。日本の2000年代ロックファンはそこに、自分たちから遠すぎない新しいスター像を見たんじゃないかな。
そして一番大きいのは、聴いた人に「バンドやろう」と思わせたことかもしれない。『Is This It』は鑑賞する名盤である前に、ギターを持たせる名盤だった。
その意味では、2000年代のロックを変えたのはサウンドだけではなく、制作への距離だったんでしょうね。
“これなら自分たちにも始められる。でも、やってみるとこの5人ほど格好よくはならない”。その絶妙な距離が、ずっと憧れを残したんだと思う。
対談を終えて
『Is This It』が日本の2000年代ロックファンにとって特別だったのは、ロックの歴史を刷新するほど新奇な技術を持っていたからではない。むしろ、すでに存在していたギター、ベース、ドラム、短いポップ・ソングという材料から、余計なものを削ることで新しい世代のバンド像を作ったことが大きかった。Nick ValensiとAlbert Hammond Jr.は二本のギターを壁ではなく細い線として絡ませ、Nikolai FraitureとFab Morettiはその隙間を動かし、Julian Casablancasは歪んだ気だるい声で、ロックスターらしく歌い上げないフロントマン像を成立させた。そこへニューヨーク、古着、レザージャケット、小さなクラブという視覚的な物語が重なり、日本の洋楽誌、ライブハウス、軽音文化と強く結びついた。『Is This It』が残した最大のものは、“昔のロックを復活させたこと”ではない。ロックは巨大でなくても、技巧的でなくても、たった5人の役割を正確に配置するだけで再び現在形になれる。その感覚を2000年代の日本の若いロックファンに実感させたからこそ、この一枚は単なるニューヨーク・ロック・リバイバルの記念碑ではなく、自分たちの世代の始まりとして記憶されたのである。

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