Built to Spill(ビルト・トゥ・スピル)は、ギタリスト兼シンガーソングライターのDoug Martsch(ダグ・マーシュ)を中心に、1992年に米国アイダホ州ボイシで結成されたインディーロック・バンドである。1990年代の米国インディーロックを代表する存在の一つで、長い活動を通してメンバーを変えながら音楽を作ってきた。
大きな特徴は、親しみやすいメロディと自由に広がっていくギターである。数分で終わるポップな曲もあれば、ギターが何度も絡み合いながら10分近く続く曲もある。それでも演奏の複雑さを見せること自体が目的にはなっていない。
Perfect from Now On や Keep It Like a Secret などの作品によって、1990年代後半にはインディーロックを代表するギターバンドとして評価を確立した。派手なスター性よりも、曲とギターそのものを中心に長く活動してきたこともBuilt to Spillらしさである。
Built to Spillの背景と歴史
Doug MartschはBuilt to Spill以前に、Treepeopleというバンドで活動していた。Treepeopleを離れた後、1992年にボイシでBuilt to Spillを始める。
初期の特徴の一つは、固定されたバンドという考え方にこだわらなかったことだ。Martschを中心人物としながら、作品やツアーごとに周囲のミュージシャンが変わる構想でスタートした。
1993年にデビューアルバム Ultimate Alternative Wavers を発表。翌1994年には There’s Nothing Wrong with Love を発表し、米国のインディーロック・シーンで存在感を強めていった。
初期のBuilt to Spillには、後の作品よりも軽く素朴なギターポップの感覚がある。Martschの少し鼻にかかった高い声と、日常的でどこか頼りない感情を扱う歌詞も、この頃から大きな特徴だった。
転機となったのがWarner Bros. Recordsとの契約である。1990年代にはNirvanaの成功以降、大手レコード会社がインディーやオルタナティブ系のバンドを積極的に契約していた。Built to Spillもその流れのなかでメジャーレーベルへ進む。
しかし、音楽を分かりやすく商業化する方向には進まなかった。1997年の Perfect from Now On ではむしろ曲が長くなり、ギターの重なりも複雑になった。インディー時代以上に自由な作品をメジャーレーベルから発表したことが、Built to Spillのキャリアを特徴づけている。
1999年の Keep It Like a Secret では、その複雑なギターとポップなメロディをよりコンパクトにまとめた。「Carry the Zero」「The Plan」などが生まれ、バンドの代表作として広く知られるようになる。
2000年代以降も活動を継続し、Ancient Melodies of the Future、You in Reverse、There Is No Enemy などを発表した。2015年には Untethered Moon をリリースしている。
2020年にはDaniel Johnstonの楽曲を取り上げた Built to Spill Plays the Songs of Daniel Johnston を発表。2022年にはSub Popから When the Wind Forgets Your Name をリリースした。
長いキャリアのなかでメンバー編成は何度も変化している。それでもDoug Martschの声、メロディ、そして自由に動くギターがある限りBuilt to Spillだと分かる。その一貫性が30年以上にわたる活動を支えている。
Built to Spillの音楽スタイルと特徴
Built to Spillの中心にあるのはギターである。ただし、単純に「ギターの音が大きいバンド」という意味ではない。
Doug Martschは、一つの強いギターリフだけで曲を引っ張るより、複数のギターフレーズを重ねる方法をよく使う。一つのギターがコードを鳴らし、別のギターが細かなメロディを弾き、その後ろからさらに別の音が入ってくる。
そのため、曲を何度か聴くと最初には気づかなかったギターが聞こえてくる。特に1990年代後半の作品では、この重なりが非常に細かい。
一方、Martschのギターソロはきれいに整っているとは限らない。音を伸ばしたり、少し歪んだフレーズを何度も繰り返したりしながら、即興的に曲を広げていく。Neil Youngのギターにも通じる、技術を見せつけるより感情の流れを優先する演奏である。
これに対して歌のメロディは意外なほど親しみやすい。ギターが複雑に動いていても、Martschのボーカルには口ずさめるフレーズが多い。この「複雑なギター」と「シンプルな歌」の組み合わせがBuilt to Spillの大きな魅力だ。
歌詞では、自分自身への疑問、人間関係、記憶、音楽について考えることなどが扱われる。強い主張を一直線に伝えるより、考えている途中の言葉をそのまま残したような書き方が多い。
Martschの歌声にも独特の頼りなさがある。堂々としたロック・ボーカルではなく、少し細く不安定に聞こえる。その声が巨大なギターの間に置かれることで、Built to Spill独特の親密さが生まれている。
Built to Spillの代表曲
「Car」
1994年の There’s Nothing Wrong with Love に収録された初期の代表曲である。
アコースティックギターを軸にした親しみやすい曲で、後の長大なギター曲とはかなり印象が違う。Martschの少し頼りない歌声と、若さや日常を思わせる歌詞が自然に結びついている。
Built to Spillが複雑なギターだけのバンドではなく、もともと優れたポップソングを書けるバンドだったことがよく分かる。
「Randy Described Eternity」
Perfect from Now On の冒頭を飾る曲である。静かなギターから始まり、徐々に演奏が巨大になっていく。
歌詞では途方もない時間の長さを想像するような場面が登場する。日常的な恋愛を扱った初期作品から、より抽象的で大きな題材へ進んだことが分かる曲だ。
何本ものギターが重なりながら曲の景色を変えていくため、Perfect from Now On 以降のBuilt to Spillを理解する入口にもなる。
「The Plan」
1999年の Keep It Like a Secret に収録されている。複雑な演奏とポップな曲作りがバランスよくまとまった代表曲である。
ギターは細かく動いているが、曲そのものは比較的コンパクトだ。静かな部分と歪んだギターが広がる部分を行き来しながら、無理なく展開していく。
Built to Spillが長いギター演奏をしなくても、独特の音を作れることが分かる。
「Carry the Zero」
Built to Spillを代表する一曲で、Keep It Like a Secret に収録されている。
前半では歌とメロディを中心に進むが、後半になるとギターが主役になる。同じようなコード進行を保ちながら複数のギターが重なり、少しずつ音が大きくなっていく。
重要なのは、ギターソロが歌と切り離された見せ場になっていないことだ。言葉で表していた感情を、後半ではギターが引き継ぐように聞こえる。Built to Spillのギターバンドとしての魅力が特によく分かる曲である。
「Goin’ Against Your Mind」
2006年の You in Reverse を代表する長編曲である。一定のリズムを繰り返しながら、ギターが次々と形を変えていく。
10分近い曲だが、単純なジャムにはならない。繰り返しのなかで音の強さやギターフレーズが変化するため、少しずつ景色が移動していくように聞こえる。
スタジオで細かく音を重ねるBuilt to Spillと、ライブで自由に演奏を広げるBuilt to Spill。その両方が結びついた曲である。
アルバムごとに見るBuilt to Spillの進化
There’s Nothing Wrong with Love(1994年)
初期Built to Spillを代表する作品である。「In the Morning」「Car」「Distopian Dream Girl」などを収録している。
後年に比べると曲は短く、ギターポップとしての親しみやすさが強い。歪んだギターを使っていても、中心にあるのはメロディだ。
歌詞には若さや恋愛、日常生活についての感情が目立つ。大げさなドラマにするのではなく、少し気まずかったり、考えすぎたりする瞬間をそのまま歌にしている。
1990年代の米国インディーロックらしい素朴さと、Martsch独自のメロディ感覚が自然にまとまった作品である。
Perfect from Now On(1997年)
Built to Spillの音楽が大きく変化した作品である。
前作の短いギターポップから離れ、曲が長くなった。途中でテンポや音量が変化し、一曲のなかに複数の場面が入るようになる。
特に重要なのがギターの重ね方だ。一つのリフを中心にするのではなく、異なるギターパートを何層も録音している。それぞれの音が独立して動きながら、全体では大きな一つの流れを作る。
歌詞も恋愛や日常だけでなく、時間や存在について考えるような内容が増えた。メジャーレーベル移籍後の作品でありながら、むしろ以前より実験的になった点でもBuilt to Spillらしいアルバムである。
Keep It Like a Secret(1999年)
Perfect from Now On で広げた音を、より短く分かりやすい曲へまとめた作品である。
「The Plan」「Center of the Universe」「Carry the Zero」など、Built to Spillの代表曲が多く収録されている。ギターは相変わらず複雑だが、一曲ごとの輪郭がはっきりしている。
特に「Carry the Zero」では、歌のメロディから長いギターの展開へ自然につながっていく。ポップソングとしての親しみやすさと、自由なギター演奏の両方を失っていない。
Built to Spillを初めて聴く場合にも、バンドの特徴をつかみやすいアルバムである。
Ancient Melodies of the Future(2001年)
前2作で大きく広げたギターサウンドから、少し落ち着いた方向へ進んだ作品である。
曲は比較的コンパクトで、巨大なギターの壁を作る場面も以前ほど多くない。その代わり、メロディや歌の雰囲気が前に出ている。
大きな変化を見せる作品というより、Perfect from Now On と Keep It Like a Secret で確立した方法を別のバランスで鳴らしたアルバムと考えると分かりやすい。
You in Reverse(2006年)
Built to Spillのライブバンドとしての魅力が強く出た作品である。
代表曲「Goin’ Against Your Mind」は長い反復を使いながら、ギターが自由に動き続ける。「Conventional Wisdom」でもギター演奏が大きな役割を持つ。
1990年代後半の作品では、スタジオで複数のギターを細かく重ねる方法が重要だった。それに対してこの作品では、バンドが一緒に演奏している感覚が強い。
長いキャリアを持つバンドでありながら、ギターを使ってまだ別の見せ方ができることを示した作品である。
When the Wind Forgets Your Name(2022年)
Sub Popから発表されたアルバムで、Doug Martschが新しいリズム隊と制作した作品である。
長年活動してきたバンドだが、過去の代表作をそのまま再現しようとはしていない。サイケデリックな広がりや細かなギターの重なりを使いながら、比較的軽やかな曲も収録されている。
一方でMartschの高い歌声と、メロディの周囲を自由に動くギターは変わらない。メンバーが入れ替わってもBuilt to Spillの核がどこにあるのかが分かる作品だ。
Built to Spillが影響を受けた音楽
Built to Spillのギターを考えるうえで、Neil Youngとの共通点は分かりやすい。特にCrazy Horseとの演奏に見られる、長いギターソロを感情の流れとして使う方法は、Doug Martschの演奏にも通じる。
一方、1980年代から1990年代にかけての米国インディーロックとのつながりも強い。Dinosaur Jr.のように歪んだギターを大きく鳴らしながらメロディを大切にする音楽や、Pavement周辺の力を抜いた歌い方とは共通する部分がある。
ただし、Built to Spillはこれらをそのまま組み合わせたバンドではない。Martschの場合、複数のギターを会話させるように配置することが特徴だ。ノイズの強さよりも、それぞれのフレーズがどう重なるかを重視している。
さらにポップなメロディへの強い関心があるため、長く複雑な演奏でも歌の部分が埋もれにくい。このバランスがBuilt to Spill独自の音につながった。
Built to Spillが後のインディーロックに与えた影響
Built to Spillは、1990年代以降の米国インディーロックにおけるギターの使い方を考えるうえで重要なバンドである。
特に大きいのは、ギターポップと長い演奏を自然に共存させたことだ。覚えやすい歌を書きながら、必要なら曲の後半を長いギター演奏に使う。それでもハードロックのような技巧中心の音楽にはならない。
Modest Mouseなど同時代の米国北西部周辺のインディーロックとも関係が深く、後のギターバンドからも敬意を集めてきた。Built to Spillが示したのは、インディーロックでもギターを大きく、複雑に、自由に使えるということだった。
また、メジャーレーベルと長く関係を持ちながら、音楽そのものを大きく商業化しなかった点も特徴である。1990年代のオルタナティブ・ロックが巨大産業になった時期にも、Built to Spillは派手なイメージ作りよりアルバムとライブを中心に活動した。
その姿勢も含めて、後のインディーロックにとって一つのモデルとなったバンドである。
まとめ
Built to Spillの最大の特徴は、Doug Martschの親しみやすいメロディと、自由に広がっていくギターを同じ曲のなかで成立させたことにある。複数のギターが細かなフレーズを重ね、ときには歌が終わった後まで演奏が続く。それでも曲の中心には常にメロディが残っている。
初期の There’s Nothing Wrong with Love では素朴なギターポップを鳴らし、Perfect from Now On では長く複雑な曲へ進んだ。Keep It Like a Secret ではその両方を結びつけ、Built to Spillらしい形を完成させている。
技巧を誇示するギターバンドでも、短いポップソングだけを作るバンドでもない。その中間でギターの可能性を広げ続けたことが、Built to Spillを1990年代以降の米国インディーロックを代表する存在の一つにしている。


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