
発売日:2022年2月4日
ジャンル:インディー・ポップ、シンセ・ポップ、ニューウェイヴ、オルタナティヴ・ポップ、アート・ポップ
概要
Laurel Hell は、日系アメリカ人シンガーソングライターMitskiが2022年に発表した通算6作目のスタジオ・アルバムである。2018年の Be the Cowboy によってインディー・ロック/アート・ポップの領域を越えて大きな評価を獲得した彼女が、活動休止に近い時期を経て発表した作品であり、Mitskiのキャリアにおける「成功後の違和感」「表現者としての消耗」「愛と労働の境界」を鋭く描いたアルバムとして位置づけられる。
Mitskiは、初期の Lush や Retired from Sad, New Career in Business において、ピアノ、室内楽的なアレンジ、演劇的な歌唱を用いて、自己嫌悪、欲望、孤独、家族への依存をむき出しに描いた。その後、Bury Me at Makeout Creek では歪んだギターとローファイなインディー・ロックへ接近し、Puberty 2 では愛されたい欲望と自己破壊的な感情を鋭く圧縮した楽曲群を提示した。2018年の Be the Cowboy では、短く洗練されたポップ・ソングの中に、孤独、演技、自己演出、欲望を封じ込め、Mitskiは現代インディーの象徴的存在となった。
その成功の後に現れた Laurel Hell は、単なる次作ではない。ここには、音楽産業の中で「Mitski」という存在を演じ続けることへの疲労がある。愛されたいが、愛されることによって消耗する。表現したいが、表現することが仕事になると、自分の内面さえ商品化されてしまう。聴き手に届きたいが、届いた瞬間に自分の感情が他人のものになる。その矛盾が、本作全体を貫いている。
タイトルの Laurel Hell は、アメリカ南部アパラチア地域などで使われる言葉で、月桂樹やシャクナゲ類が密生し、抜け出しにくい藪を指すとされる。美しい植物に囲まれた場所でありながら、そこは迷路のようで、足を取られ、逃げられない。Mitskiのアルバム・タイトルとして非常に象徴的である。美しさ、成功、愛、芸術、承認。これらは外から見れば祝福のように見えるが、その内側に入ると身動きが取れなくなる。美しいものが檻になる。本作はまさに、その「美しい地獄」を描いている。
音楽的には、Laurel Hell はMitskiの作品の中でも特にシンセ・ポップ/ニューウェイヴ色が強い。1980年代的なシンセサイザー、ドラムマシン風のリズム、明るく滑らかなポップ・サウンドが多く用いられ、表面的には彼女の過去作よりも開放的でダンサブルに聴こえる場面がある。しかし、その明るい音像の下で歌われるのは、関係の破綻、労働としての創作、自己喪失、逃げられない契約、老い、孤独である。この明るさと暗さのねじれが、本作の最大の特徴である。
Mitskiはもともと、甘いメロディの中に鋭い痛みを忍ばせる作家である。しかし Laurel Hell では、その対比がより産業的な冷たさを帯びている。ギター・ロックの生々しい爆発ではなく、シンセ・ポップの整った表面の中に、疲労と諦念が閉じ込められている。これは、感情さえ効率よく加工され、商品として流通する時代の音楽として非常に現代的である。Mitskiはここで、ポップになることの快楽と危険を同時に引き受けている。
歌詞面では、「愛」と「仕事」がしばしば同じ構造として描かれる。愛することは労働になり、歌うことは契約になり、表現することは自分を削る行為になる。「Working for the Knife」では芸術家としての消耗が、「Love Me More」では満たされない承認欲求が、「Everyone」では集団や期待に従ってしまうことの空虚が、「Stay Soft」では傷つきやすさを保つことの苦しさが描かれる。これらは単なる恋愛の歌ではなく、現代において自己を市場や他者の視線へ差し出すことの歌である。
Laurel Hell は、Mitskiのカタログの中で評価が分かれやすい作品でもある。Bury Me at Makeout Creek や Puberty 2 のようなギターの爆発、Be the Cowboy のような短編劇的な鋭さを期待すると、本作の滑らかなシンセ・ポップはやや距離を感じさせるかもしれない。しかし、その距離こそが本作の本質でもある。Mitskiはここで、感情をむき出しに叫ぶのではなく、加工されたポップの表面に閉じ込めている。つまり、本作は「感じない」のではなく、「感じすぎるからこそ、感情を冷たい表面で覆っている」アルバムである。
全曲レビュー
1. Valentine, Texas
オープニング曲「Valentine, Texas」は、アルバムを静かで不穏な空気の中に開く楽曲である。タイトルはアメリカ・テキサス州の地名を思わせるが、「Valentine」という語には恋人、愛、贈り物、ロマンティックな期待も含まれる。広大な土地の名前と愛の記号が重なることで、曲は最初から現実と幻想の境界に立っている。
音楽的には、冒頭は非常に抑制されており、Mitskiの声が低く近く響く。やがてシンセサイザーとリズムが広がり、曲は映画的なスケールを帯びる。静かな始まりから大きな音響へ開ける構成は、まるで暗い部屋から広大な砂漠へ出るような感覚を生む。しかし、その広がりは解放ではなく、むしろ孤独の拡大として響く。
歌詞では、別の自分になること、夜の中で姿を変えること、見知らぬ場所へ向かう感覚が描かれる。Mitskiの作品では、自分自身を演じること、あるいは別の姿を借りることが重要なテーマだが、本曲でも語り手は固定された自己ではなく、変身の途中にいる。アルバム全体が扱う「表現者としての自己」と「本当の自己」のズレを、冒頭から象徴している。
2. Working for the Knife
「Working for the Knife」は、本作の中心的な楽曲であり、Mitskiのキャリア全体を考えるうえでも非常に重要な曲である。タイトルは「ナイフのために働く」と訳せる。ここでのナイフは、創作を切り刻むもの、労働としての芸術、自己を傷つける産業、あるいは時間そのものの比喩として機能している。
音楽的には、重いシンセと冷たいドラム、低く抑えたヴォーカルが中心である。曲には行進のような重さがあり、華やかなポップ・ソングというより、何か避けられない場所へ歩かされているような圧迫感がある。サビでも大きな解放は訪れず、むしろ閉塞感が増していく。
歌詞では、若い頃に夢見ていた芸術家としての人生が、いつの間にか労働と消耗の連続になっていることが描かれる。創作は自由のはずだったが、今では自分を切るナイフのために働いている。これは音楽産業への批評であると同時に、自己実現が仕事化する現代社会への批評でもある。好きなことを仕事にすることが、必ずしも救いではないという苦い認識がある。
本曲は、Mitskiが自分のアーティスト像を冷静に見つめ直した楽曲である。愛されたい、表現したい、成功したい。しかし、その結果として自分が削られていく。この矛盾が、Laurel Hell 全体の核になっている。
3. Stay Soft
「Stay Soft」は、タイトル通り「柔らかいままでいて」という意味を持つ楽曲である。Mitskiの歌詞において、柔らかさは優しさや感受性であると同時に、傷つきやすさでもある。世界が硬く、暴力的で、競争的であるなら、柔らかいままでいることは非常に危険である。しかし、それを失えば人間らしさも失われる。
音楽的には、ファンクやディスコの感触を含むリズムが印象的で、アルバムの中でも比較的身体性のある曲である。ベースとシンセが滑らかに動き、踊れる要素がある。しかし、そのダンサブルな感触の裏には、不穏な緊張がある。Mitskiの声は官能的でありながら、どこか冷静で、感情を完全には解放しない。
歌詞では、傷つけられた人間が硬くなること、自分を守るために感情を閉ざすこと、しかしそれでも柔らかさを保つことの困難が描かれる。愛や欲望の中で、人は相手に触れるために柔らかくならなければならないが、その柔らかさは傷口にもなる。Mitskiはこの矛盾を、滑らかなポップ・サウンドの中で表現している。
4. Everyone
「Everyone」は、集団、期待、同調、自己喪失をテーマにした楽曲である。タイトルの「Everyone」は「みんな」を意味するが、Mitskiの文脈ではそれは安心できる共同体ではなく、個人を飲み込む圧力として響く。
音楽的には、ゆったりしたテンポと広がりのあるシンセが特徴で、どこか夢の中を歩くような感覚がある。曲は大きく盛り上がらず、同じ場所を漂う。これは、語り手が自分の意思で進んでいるというより、流れに押されているような印象を与える。
歌詞では、自分の望みではない方向へ進んでしまうこと、誰かの期待に従い続けること、そしてその結果として自分を見失うことが描かれる。「みんな」がすることに従えば安全に見えるが、その安全は空虚である。Mitskiはここで、社会的な同調と個人的な欲望の不一致を静かに描いている。
本曲は、音楽産業やファンの期待に従うことへの不安としても読める。周囲が望むMitski像を演じれば、支持は得られるかもしれない。しかし、その中で本人はどこへ行くのか。この問いが曲全体に漂っている。
5. Heat Lightning
「Heat Lightning」は、夏の夜に遠くで光る稲妻を意味するタイトルを持つ。音は聞こえず、光だけが空に走る現象であり、遠い不安、予感、眠れない夜の感覚を象徴している。本曲は、アルバムの中でも特に静かで内省的な楽曲である。
音楽的には、ゆったりとしたピアノとシンセの響きが中心で、Mitskiの声は低く抑えられている。曲は穏やかに聴こえるが、その奥には疲労と諦めがある。リズムは強く主張せず、夜の時間がゆっくり過ぎるように進む。
歌詞では、眠れない夜、制御できない思考、そして最終的に何かへ身を委ねる感覚が描かれる。Mitskiの楽曲では、抵抗することと諦めることがしばしば同時に存在する。本曲でも、語り手は何かと戦うのをやめ、流れに身を任せる。それは救いであると同時に、敗北でもある。
「Heat Lightning」は、Laurel Hell の中で、外側の仕事や関係から一度離れ、内面の疲れを静かに見つめる曲である。遠くで光る稲妻のように、不安は消えないが、すぐには届かない。その距離感が美しい。
6. The Only Heartbreaker
「The Only Heartbreaker」は、本作の中でも特にポップで、シングルとしての明快さを持つ楽曲である。1980年代シンセ・ポップを思わせる明るいサウンドが特徴だが、歌詞では関係の中で常に自分だけが傷つける側になってしまうという苦い感情が描かれる。
音楽的には、軽快なビート、輝くシンセ、キャッチーなサビが印象的で、アルバムの中でも最も開放的に聴こえる。しかし、その明るさは歌詞の自己責任感と強く対比される。Mitskiの声は美しく伸びるが、そこには罪悪感がある。
歌詞では、相手が優しく、正しく、自分だけが間違っているように感じる関係が描かれる。語り手は、自分が唯一の破壊者であり、唯一のハートブレイカーだと考える。しかし、この自己認識には不均衡もある。関係が壊れる責任をすべて自分が背負うことで、逆に関係の複雑さが見えなくなる。
この曲の魅力は、非常にポップでありながら、感情の構造が単純ではない点にある。明るいサウンドは、罪悪感を隠すための装飾のようにも響く。Mitskiはここで、ポップ・ソングの快楽を使って、自己非難のループを描いている。
7. Love Me More
「Love Me More」は、Mitskiの作品全体に通じる承認欲求と孤独が、非常に直接的に表れた楽曲である。タイトルは「もっと愛して」という意味で、言葉だけを見るとシンプルなラヴソングのようだが、曲の中ではその願いが底なしの渇望として響く。
音楽的には、シンセ・ポップとして非常に完成度が高く、リズムは推進力を持ち、サビは大きく広がる。だが、その高揚感は幸福ではなく、空白を埋めようとする必死さとして聴こえる。Mitskiのヴォーカルは、感情を爆発させるというより、切実な願望を整ったポップの形に押し込めている。
歌詞では、自分自身の中にある空虚を、他者からの愛によって埋めようとする感覚が描かれる。しかし、どれだけ愛されても、その空虚は完全には満たされない。だから「もっと」と求め続ける。これは恋愛の歌であると同時に、ファンからの承認、社会からの評価、成功への依存の歌でもある。
本曲は、Laurel Hell の中でも特にMitskiのポップ化と内面の暗さが強く結びついた楽曲である。明るく踊れる曲でありながら、その中心には、愛されても足りないという深い孤独がある。
8. There’s Nothing Left for You
「There’s Nothing Left for You」は、タイトルからして非常に冷たく、終わりの感覚が強い楽曲である。「あなたに残されたものは何もない」という言葉は、関係の終了、自己の空洞、あるいは表現者として差し出せるものが尽きた状態を示している。
音楽的には、静かに始まり、徐々に感情の濃度を増していく。Mitskiの声は抑制されており、曲全体には諦めに近い空気がある。ここでは派手なシンセ・ポップではなく、よりバラード的で、内面に沈む構成が取られている。
歌詞では、誰かへ与えるものがもう残っていないことが語られる。それは恋人への言葉としても、聴き手への言葉としても、音楽産業への言葉としても読める。Mitskiの作品では、自己を他者へ差し出すことがしばしば愛の形として描かれるが、本曲ではその差し出す自己が尽きてしまっている。
この曲は、アルバムの後半において、華やかなポップの裏側にある消耗を露出させる役割を持つ。与え続けること、歌い続けること、演じ続けること。その果てに残る空白が、静かに示されている。
9. Should’ve Been Me
「Should’ve Been Me」は、Mitskiらしい嫉妬、後悔、自己投影が詰め込まれた楽曲である。タイトルは「それは私であるべきだった」という意味で、失われた関係や相手の新しい恋人に対する感情を想起させる。
音楽的には、軽快なリズムと明るいシンセが印象的で、ダンス・ポップ的な要素もある。曲調は非常に親しみやすいが、歌詞では後悔と未練が渦巻いている。この明るい音と苦い感情の対比は、本作の特徴をよく表している。
歌詞では、相手が別の誰かといることに対して、自分こそがその場所にいるべきだったという思いが描かれる。しかし、その感情は単純な恋愛の嫉妬に留まらない。自分が相手に与えられなかったものを、別の誰かが与えている。その事実によって、自分の欠落が浮き彫りになる。
Mitskiはここで、嫉妬を醜い感情として隠すのではなく、非常にポップな形で提示している。踊れる曲の中で、語り手は自分が選ばれなかった現実を繰り返し見つめる。明るく苦い、Mitskiらしい名曲である。
10. I Guess
「I Guess」は、アルバム終盤の中でも特に静かで、諦めを含んだ楽曲である。タイトルの「I guess」は、「たぶん」「そうなのかもしれない」といった曖昧な受け入れの言葉である。強い断言ではなく、疲れた後にこぼれる小さな承認のように響く。
音楽的には、非常に抑制されたアレンジで、Mitskiの声が静かに中心に置かれる。大きな展開はなく、曲は淡々と進む。これは感情がないからではなく、感情が燃え尽きた後の状態を表しているように聴こえる。
歌詞では、関係の終わり、感謝、諦め、そして自分が相手によって形作られていたことへの認識が描かれる。愛が終わった後、人は相手を完全に切り離せるわけではない。相手がいなくなっても、その人によって作られた自分は残る。本曲は、その複雑な余韻を非常に静かに表現している。
「I Guess」は、アルバムの中で大きな感情の爆発を避け、別れの後に残る空気を丁寧に描く曲である。その控えめな美しさが、終盤の重要な支点になっている。
11. That’s Our Lamp
ラストを飾る「That’s Our Lamp」は、本作の終曲として、非常に象徴的な楽曲である。タイトルは「それが私たちのランプ」という意味で、恋人同士が共有していた生活の小さな物、部屋の記憶、関係の痕跡を示している。壮大な別れではなく、日常の小さな照明が、関係の終わりを照らす。
音楽的には、明るくダンサブルなリズムとシンセが用いられており、終曲でありながら表面的には軽快である。しかし、歌詞では関係の破綻が描かれている。この明るい音と失恋の記憶の対比が、Laurel Hell の締めくくりとして非常に効果的である。
歌詞では、語り手が相手の愛がすでに冷めていることを感じ取りながら、二人で共有したランプの光を思い出す。ランプは小さな生活の象徴であり、愛の記念碑ではない。しかし、だからこそ痛みがある。大きな言葉よりも、部屋の中にあった小さな物の方が、終わった関係を強く思い出させる。
本曲は、アルバムを絶望で閉じるのではなく、奇妙な明るさの中で閉じる。踊れる音の中で、関係は終わっている。光はあるが、それは救いの光ではなく、終わった部屋を照らすランプである。Laurel Hell の美しく苦い終幕である。
総評
Laurel Hell は、Mitskiが成功後の自己像、音楽産業との関係、愛と労働の重なり、そして消耗しきった感情をシンセ・ポップの形で描いた重要作である。過去作のようなギター・ロックの生々しい爆発は控えめで、音像はより滑らかで、明るく、1980年代的なポップの質感を持つ。しかし、その明るい表面の下には、非常に深い疲労と諦念がある。
本作の中心的なテーマは、「愛されることの地獄」である。Mitskiの歌には昔から、愛されたい、見てほしい、必要とされたいという欲望があった。しかし Laurel Hell では、その欲望が叶った後の問題が描かれる。愛されることは、必ずしも救いではない。見られることは、消費されることでもある。求められることは、自分を差し出し続けることでもある。「Working for the Knife」や「Love Me More」は、その矛盾を非常に鋭く表現している。
音楽的には、シンセ・ポップへの接近が大きな特徴である。「The Only Heartbreaker」「Love Me More」「Should’ve Been Me」「That’s Our Lamp」などでは、ダンサブルで明るいサウンドが使われる。しかし、Mitskiはそのサウンドを単なるポップ化として使っているわけではない。むしろ、感情が商品として流通する現代の構造を、そのまま音にしている。整ったポップの表面に、疲れた心が閉じ込められている。
歌詞の面では、恋愛の歌とキャリアの歌が重なっている点が重要である。相手にもっと愛してほしいという願いは、聴き手や社会にもっと認めてほしいという願いにも聴こえる。関係の中で自分だけが壊しているという罪悪感は、アーティストとして期待に応えられない不安にも重なる。Mitskiは私的な恋愛を歌いながら、同時に職業としての自己表現の苦しさを歌っている。
本作には、過去作に比べて感情の爆発が少ないと感じられる場面もある。しかし、それは表現力の後退ではなく、表現の方法が変わった結果である。Puberty 2 や Bury Me at Makeout Creek では、感情はギターや叫びとして噴出した。Laurel Hell では、感情はシンセの表面に閉じ込められ、冷たく加工され、踊れる形に整えられる。その抑制こそが、アルバムの痛みを作っている。
タイトルの Laurel Hell は、このアルバムを理解するうえで非常に重要である。美しい植物の茂みは、外から見れば魅力的だが、中に入ると抜け出せない。Mitskiにとって、音楽、愛、成功、承認はすべてそのようなものとして描かれる。望んでいたものが、手に入った瞬間に迷路になる。美しさが地獄になる。この感覚は、現代の表現者だけでなく、仕事や人間関係の中で自分を演じ続ける多くの人に通じる。
日本のリスナーにとって Laurel Hell は、Mitskiの中でも比較的ポップに聴きやすい作品である一方、歌詞を読み込むほど重いアルバムである。シンセ・ポップやニューウェイヴ的な音が好きなリスナーには入口になりやすいが、その奥には非常に苦い自己認識がある。明るい曲調に安心していると、歌詞の鋭さに突然切り込まれる。その感覚こそがMitskiらしい。
総じて Laurel Hell は、Mitskiが「愛されること」「働くこと」「歌うこと」の矛盾を、美しく冷たいシンセ・ポップの中に閉じ込めたアルバムである。これは幸福な成功作ではない。むしろ、成功後の閉塞を描いた作品である。だが、その閉塞をポップ・ソングとして提示することで、Mitskiは自分の地獄をただの苦しみではなく、聴き手が共有できる音楽へ変えている。美しく、滑らかで、深く疲れた、現代的なアート・ポップ作品である。
おすすめアルバム
1. Mitski – Be the Cowboy
Laurel Hell の前作にあたり、Mitskiのポップ・ソングライティングが高い完成度で示された代表作である。短い楽曲の中に孤独、演技、欲望、自己演出が凝縮されており、「Nobody」や「Washing Machine Heart」などの代表曲を含む。本作のポップ化の前提として重要である。
2. Mitski – Puberty 2
Mitskiの評価を大きく高めた作品であり、孤独、自己嫌悪、愛への渇望、アイデンティティの痛みが、インディー・ロックとシンセの要素を交えながら表現されている。Laurel Hell よりも生々しく、感情の爆発が強いアルバムである。
3. Mitski – Bury Me at Makeout Creek
ギター・ロック色が強く、Mitskiの荒々しい感情表現が前面に出た作品である。Laurel Hell の冷たいシンセ・ポップとは対照的に、歪んだギターとローファイな爆発力によって、孤独と欲望がより直接的に表現されている。
4. St. Vincent – Masseduction
シンセ・ポップ、アート・ポップ、自己演出、欲望、名声の疲労を扱った作品であり、Laurel Hell と強い親和性を持つ。ポップな表面の下に、アーティストとしての自己商品化や感情の消耗が潜んでいる点で比較しやすい。
5. Kate Bush – Hounds of Love
ポップ性と実験性、声による演劇、女性の内面の物語化を高い次元で融合した名盤である。Mitskiのように、個人的な感情を単なる告白ではなく、構築されたポップの形式へ変換するアーティストの重要な先例として聴くことができる。

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