
発売日:1998年9月22日
ジャンル:オルタナティヴ・ロック、ポスト・ハードコア、シューゲイザー
概要
Humの3作目にして最終作(※2020年の『Inlet』発表以前の文脈において)となる『Downward Is Heavenward』は、1990年代後半のオルタナティヴ・ロックの中でも特異な存在感を放つ作品である。前作『You’d Prefer an Astronaut』(1995年)で一定の商業的成功を収めた後、本作ではその路線を踏襲しつつも、より複雑で内省的、かつ重厚な音響世界へと深化している。
本作の特徴は、シューゲイザー由来の轟音ギターと、ポスト・ハードコア的なダイナミクス、そして数学的とも言える構築性の融合にある。単なる「ラウド&クワイエット」の対比にとどまらず、リズムや構造の面でも緻密な設計がなされており、当時のメインストリーム・オルタナティヴとは一線を画す完成度を誇る。
タイトル『Downward Is Heavenward(下降は天上へと通じる)』が示唆するように、本作は「落下」「重力」「内面への沈潜」といったモチーフを軸に、人間存在の矛盾や超越への欲求を描いている。Matt Talbottのリリックは依然として宇宙的イメージを多用しながらも、より個人的で内省的な領域へと踏み込んでおり、抽象性と感情のバランスが洗練されている。
本作は商業的には前作ほどの成功を収めなかったが、その音楽的野心と完成度の高さから、後のオルタナティヴ・ロック、ポスト・メタル、さらにはエモ/ポスト・ロックの分野において再評価が進んだ。特にDeftonesやThrice、Cloakroomといったバンドに対する影響が指摘されることが多く、現在では「隠れた名盤」として確固たる地位を築いている。
全曲レビュー
1. Isle of the Cheetah
アルバムの幕開けを飾る本曲は、柔らかなクリーントーンのギターと穏やかなメロディから始まり、徐々に厚みを増していく構成を持つ。リリックでは、隔絶された場所や内面的な逃避が示唆され、「チーターの島」という非現実的なイメージが象徴的に用いられる。アルバム全体の叙情性と空間性を提示する導入部である。
2. Comin’ Home
よりダイナミックな展開を持つ楽曲で、歪んだギターリフとタイトなリズムが印象的。「帰還」というテーマは単純な安らぎではなく、むしろ葛藤や不安を伴うものとして描かれている。サビにおけるメロディの開放感が、抑圧された感情の噴出として機能する。
3. If You Are to Bloom
不規則なリズムと重厚なリフが特徴の楽曲で、本作の中でも特に構造的な複雑さが際立つ。「開花」というポジティヴなイメージとは対照的に、音像は暗く重く、成長や変化の痛みを表現している。ポスト・ハードコア的な緊張感が強い一曲。
4. Songs of Farewell and Departure
タイトル通り、別れと旅立ちをテーマにした楽曲。比較的ストレートな構成ながら、ギターのレイヤーによって奥行きのあるサウンドが構築されている。リリックは抽象的でありながら、喪失感や移行の感覚を明確に伝える。
5. Apollo
宇宙的モチーフを象徴する楽曲で、Humの美学が最も顕著に表れている一曲。重力と無重力の対比を思わせるダイナミクスが特徴であり、音の密度と空間の広がりが交錯する。タイトルの「アポロ」は人類の宇宙進出を想起させ、未知への憧れと不安を同時に描く。
6. The Scientists
ミッドテンポで進行する楽曲で、やや実験的なアプローチが見られる。科学者というモチーフを通じて、理性と感情の対立、あるいは人間の知の限界が示唆される。リフの反復と微妙な変化が、知的な緊張感を生み出している。
7. The Same Place
本作中でも特にメロディアスな楽曲であり、感情的な側面が前面に出ている。「同じ場所」というタイトルは停滞や循環を示唆し、変化できない状況へのもどかしさが表現される。ギターの響きは柔らかくも切実である。
8. Flame Throwser
攻撃的なリフと強烈なダイナミクスが特徴の楽曲で、アルバム中でも最もエネルギッシュなトラックの一つ。タイトルの「火炎放射器」は破壊や浄化の象徴として機能し、抑圧された感情の爆発を描く。ポスト・ハードコア的な激しさが際立つ。
9. Afternoon with the Axolotls
穏やかで浮遊感のあるサウンドが特徴の楽曲で、アルバムの中で一種の「静」の役割を担う。アホロートルという再生能力を持つ生物のイメージが、変化や再生のテーマと結びつく。音響的にもアンビエントな要素が強い。
10. Green to Me
ノイジーなギターとキャッチーなメロディが融合した楽曲で、比較的親しみやすい構成を持つ。「緑」という色彩的イメージが、自然や新たな視点を象徴している。アルバム後半におけるアクセントとして機能する。
11. Dreamboat
アルバムの終盤に位置する、叙情的かつ内省的な楽曲。タイトルのロマンティックな響きとは裏腹に、リリックは曖昧で不安定な感情を描く。音の広がりが、夢と現実の境界を曖昧にする。
12. Ms. Lazarus
アルバムの締めくくりとなる楽曲であり、最も長尺かつドラマティックな構成を持つ。「ラザロ」というモチーフは復活や再生を象徴し、本作全体のテーマを総括する役割を果たす。静と動のコントラストが極めて鮮明で、最後に向かって音響が解放されていく様は圧巻である。
総評
『Downward Is Heavenward』は、Humが到達した音楽的成熟の頂点を示す作品であり、1990年代オルタナティヴ・ロックの枠組みを大きく拡張した重要作である。轟音ギターと繊細なメロディ、複雑なリズム構造、そして哲学的なリリックが高度に統合されており、単なるジャンル作品を超えた芸術性を備えている。
本作における「重さ」は単なる音量や歪みではなく、構造やテーマにおける重層性として現れている。楽曲はしばしば予測不可能な展開を見せるが、それらは緻密に設計されており、聴き手に持続的な緊張と没入感をもたらす。この点において、本作は後のポスト・メタルやマス・ロック的アプローチの先駆とも言える。
また、リリックにおける宇宙的・科学的モチーフと個人的感情の融合は、Hum独自の世界観を形成しており、抽象性と具体性のバランスが極めて高いレベルで保たれている。これは後続の多くのバンドに影響を与えた重要な要素である。
重厚な音響と複雑な構造を持つ音楽、そして内省的かつ宇宙的なテーマに関心を持つリスナーにとって、本作は必聴の一枚である。
おすすめアルバム
- Failure – Fantastic Planet (1996)
宇宙的コンセプトとオルタナティヴ・ロックの融合という点で共通性が高い。
– Deftones – White Pony (2000)
ヘヴィネスと空間的サウンドの融合において、Humの影響を感じさせる代表作。
– Shiner – The Egg (2001)
ポスト・ハードコア的構築性とメロディのバランスが近似する作品。
– Cloakroom – Further Out (2015)
スロウで重厚なサウンドと宇宙的テーマを継承した現代的作品。
– Nothing – Guilty of Everything (2014)
シューゲイザーとオルタナティヴの融合という文脈で重要な一枚。



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