
発売日:2020年7月24日
ジャンル:インディー・フォーク/オルタナティヴ・ポップ/チェンバー・ポップ/シンガーソングライター/インディー・ロック
概要
Taylor Swiftのfolkloreは、彼女のキャリアにおける大きな転換点であり、2020年代ポップ・ミュージックの文脈においても極めて重要なアルバムである。カントリー・ポップの若き語り手として登場したTaylor Swiftは、Fearless、Speak Now、Redを経て、2014年の1989で完全なポップ・スターへ移行した。その後、reputationではメディアの視線と自己防衛をテーマにしたダークなエレクトロ・ポップを展開し、Loverでは再び明るいポップとロマンティックな色彩を強めた。そうした大規模なポップ・プロダクションの流れの後に、folkloreは突然発表された。
本作は、従来のTaylor Swiftのアルバムと比べて、サウンドの質感が大きく異なる。巨大なシングル曲、スタジアム向けのサビ、派手なポップ・ビートは後景に退き、アコースティック・ギター、ピアノ、静かなドラム、柔らかなシンセ、ストリングス、淡いエレクトロニックなテクスチャーが中心となる。The NationalのAaron Dessner、Bon IverのJustin Vernon、長年の共同制作者Jack Antonoffらが関わったことで、アルバム全体はインディー・フォーク、チェンバー・ポップ、オルタナティヴ・ロックに近い空気を持つようになった。
ただし、folkloreは単なる「インディー化」や「アコースティック化」ではない。重要なのは、Taylor Swiftの核心であるストーリーテリングが、ここで新しい形を得ている点である。彼女はこれまで、自身の経験や恋愛、名声、成長を、非常に具体的なディテールを通して歌にしてきた。しかし本作では、個人的な告白の形式から一歩離れ、架空の人物、過去の記憶、複数の視点、噂、伝承、断片的な物語を用いて曲を構成している。タイトルのfolkloreが示す通り、ここでの歌は一人の自伝ではなく、人から人へ語り継がれる物語の集合として機能する。
本作の中心には、青春、喪失、記憶、裏切り、後悔、孤独、想像力、そして語りの力がある。特に「cardigan」「august」「betty」をめぐる三角関係の物語は、アルバム内で複数の視点から描かれ、Taylor Swiftのソングライターとしての構築力を示している。ひとつの出来事を誰が語るかによって意味が変わる。ある人物にとっては夏の恋でも、別の人物にとっては裏切りであり、また別の人物にとっては失敗の記憶になる。この視点の多重性が、folkloreの文学的な深みを作っている。
音楽的には、低い温度のアレンジが歌詞を引き立てている。これまでのTaylor Swift作品では、サビの爆発力やポップなフックが感情を前面に押し出すことが多かった。しかしfolkloreでは、感情は大きく叫ばれるのではなく、静かに滲み出る。ピアノの残響、ギターの反復、ドラムの抑制、声の近さが、歌詞の余韻を広げる。これにより、リスナーは楽曲を「消費する」のではなく、物語の部屋の中へ入っていくような聴き方をすることになる。
2020年という時代背景も重要である。本作は世界的なパンデミックの時期に制作・発表され、コンサートや外出、社交が制限される中で、多くのリスナーにとって内省のサウンドトラックとなった。人々が自宅で過去や関係性、失われた時間を見つめ直していた時期に、folkloreの静かな物語性は深く響いた。大規模なポップの祝祭ではなく、孤独な部屋で聴かれる歌として、このアルバムは時代の空気と強く結びついた。
日本のリスナーにとって、Taylor Swiftを明るいポップ・スターとして知っていた場合、folkloreは彼女の別の側面を知るための重要作である。ここには派手なダンス・ポップはないが、メロディ、言葉、声、物語の強度がある。英語詞の細部まで理解しなくても、音の静けさや歌声の距離感から、喪失や記憶の感情は伝わる。しかし歌詞を読み込むことで、本作の魅力はさらに深まる。folkloreは、Taylor Swiftがポップ・スターであると同時に、現代屈指の物語作家であることを決定的に示したアルバムである。
全曲レビュー
1. the 1
「the 1」は、アルバムの冒頭を飾る楽曲であり、folklore全体の語り口を静かに提示する。タイトルは「その人」「運命の一人」を意味し、過去にありえたかもしれない恋愛を振り返る曲である。ここで重要なのは、曲が未練を大きく嘆くのではなく、少し距離を置いた仮定法の感情として展開される点である。
音楽的には、軽いピアノの反復と穏やかなリズムが中心で、アルバムの入口として非常に柔らかい。ポップ・ソングとしての明快なメロディはあるが、アレンジは抑制されており、声が近くに感じられる。Taylor Swiftはここで、感情を劇的に爆発させるのではなく、過去の可能性を静かに眺める。
歌詞のテーマは、「もし違っていたら」という思考である。人生には、結果として実現しなかった関係や、別の未来へ向かう可能性がある。「the 1」は、そうした過去を美化しすぎず、しかし完全に否定もせずに振り返る曲である。恋が終わった後でも、その人が自分の人生において特別な可能性だったことは残る。
オープニングとして、この曲はfolkloreが過去の記憶、仮定、語り直しを扱うアルバムであることを示す。Taylor Swiftは最初から、自分自身の現在の感情だけでなく、ありえた物語、語られなかった未来へ視線を向けている。
2. cardigan
「cardigan」は、アルバムの中心的な楽曲の一つであり、folkloreの物語性を象徴する曲である。カーディガンという衣服は、温かさ、懐かしさ、誰かに見つけられること、古い記憶を象徴している。曲の語り手は、若い頃の恋愛を振り返りながら、自分が一度捨てられた存在であり、再び誰かに選ばれた存在でもあるという感覚を歌う。
音楽的には、ピアノと柔らかなビートが中心で、暗く淡い質感を持つ。サウンドは非常に抑制されているが、メロディは強く、Taylor Swiftの声の揺れが曲の感情を深める。派手なサビではなく、記憶が波のように戻ってくる構成が印象的である。
歌詞では、若さ、傷つきやすさ、裏切り、再発見の感覚が描かれる。「古いカーディガンのように、誰かのベッドの下に置かれていたが、君は私を着て、お気に入りだと言った」というイメージは非常に具体的で、物に記憶と感情を託すTaylor Swiftらしい表現である。ここでは、人間関係の価値が、誰にどう扱われるかによって変化することが示される。
「cardigan」は、「august」「betty」と関連する三角関係の一部としても読める。語り手Bettyの視点から、過去の傷と記憶が語られることで、アルバム内の物語が立体的になる。この曲は、folkloreの文学的な核の一つである。
3. the last great american dynasty
「the last great american dynasty」は、実在の人物Rebekah Harknessを題材にした物語性の強い楽曲である。Taylor Swiftはここで、アメリカ上流社会の女性の逸話を歌いながら、最終的には自分自身の立場とも重ねていく。これは単なる伝記的ソングではなく、女性が社会からどのように見られ、噂され、逸脱者として語られるかを扱った曲である。
音楽的には、比較的軽快で、アルバム序盤に明るい動きを与える。ピアノとギター、控えめなリズムが物語を進め、歌詞の細部がよく聞こえるように作られている。曲調は軽やかだが、内容には社会的な批評が含まれている。
歌詞では、Rebekah Harknessが富豪の未亡人として奇抜な行動をとり、周囲から批判や噂の対象になったことが語られる。Taylor Swiftは彼女を単なる風変わりな人物として描くのではなく、女性が自分の人生を自由に生きるとき、社会がそれを「問題」として語る構造を浮かび上がらせる。
曲の終盤で、Taylor自身がその家を買ったことが示され、過去の女性の物語と現在の彼女の物語が重なる。ここでfolkloreのタイトルが持つ「伝承」の意味が強まる。人は誰かの噂を語り、それが物語となり、次の世代へ受け継がれる。この曲は、歴史、ゴシップ、女性性、所有、自己演出を巧みに結びつけた重要曲である。
4. exile feat. Bon Iver
「exile」は、Bon IverことJustin Vernonを迎えたデュエット曲であり、アルバムの中でも最もドラマティックな楽曲の一つである。タイトルの「exile」は「亡命」「追放」「居場所を失うこと」を意味する。恋愛関係の終わりが、単なる別れではなく、かつて自分の居場所だった場所から追放される感覚として描かれる。
音楽的には、重いピアノと低く沈むヴォーカルが中心で、デュエットの構造が曲の緊張を作っている。Justin Vernonの低い声は、男性側の視点を重く提示し、Taylor Swiftの声はそれに応答するように入る。二人の声は調和するというより、すれ違いながら同じ場所にいる。
歌詞のテーマは、関係が終わった後の認識のずれである。一方は「兆候を見なかった」と感じ、もう一方は「何度もサインを出していた」と感じる。この視点の不一致が、別れの本質として描かれる。恋愛が終わるとき、両者は同じ出来事をまったく違う物語として記憶する。
「exile」は、folkloreの中でも特に演劇的な曲である。二人の登場人物が同じ舞台に立ちながら、最後まで本当には通じ合わない。これはアルバム全体のテーマである「語りの相違」を象徴している。美しいが痛みを伴う、非常に完成度の高いデュエットである。
5. my tears ricochet
「my tears ricochet」は、folkloreの中でも特に重い感情を持つ楽曲である。タイトルの「ricochet」は跳ね返ることを意味し、「私の涙が跳ね返る」という表現は、悲しみや傷が相手にも戻っていく感覚を示している。葬儀のイメージを用いながら、裏切り、喪失、決別が描かれる。
音楽的には、葬送曲のような静かな重さがある。ゆっくりとしたテンポ、残響のあるコーラス、暗いメロディが、曲全体に幽霊のような雰囲気を与える。Taylor Swiftの声は、怒りを叫ぶのではなく、冷たく、深く沈んだ場所から響く。
歌詞は、恋愛の別れとしても、ビジネス上の裏切りや過去の関係の崩壊としても読める。重要なのは、語り手が「死者」のような位置から相手を見ていることだ。関係は終わり、自分は葬られたかのように扱われている。しかし、その涙や記憶は相手に跳ね返り、完全には消えない。
この曲は、folkloreの中で最もゴシック的な感情を持つ。静かな音楽の中に、強い怒りと哀しみが埋め込まれている。Taylor Swiftのソングライティングにおける復讐性、喪失、幽霊的な語りが見事に結びついた楽曲である。
6. mirrorball
「mirrorball」は、ミラーボールを自己の比喩として用いた楽曲である。ミラーボールは、周囲の光を反射して輝く存在であり、自ら光を放つのではなく、他者の視線や期待によって輝く。Taylor Swiftはここで、エンターテイナーとしての自分、愛されるために姿を変える自分、傷つきながらも輝こうとする自分を歌っている。
音楽的には、ドリーミーなギターと柔らかな音響が特徴で、シューゲイザーやドリーム・ポップに近い質感もある。曲全体が淡く光るように作られており、タイトルのイメージと音が深く結びついている。
歌詞のテーマは、自己演出、承認欲求、脆さである。ミラーボールは美しいが、実際には割れやすい小さな鏡の集合体である。ステージ上で輝く人間も、内部には無数の割れ目を抱えている。Taylor Swiftは、その脆さを隠さずに歌う。
「mirrorball」は、ポップ・スターとしてのTaylor Swiftの自己認識を、folkloreの静かな音世界へ移し替えた曲である。派手なポップ・アンセムではなく、静かな光としてのスター性が描かれる。彼女のキャリア全体を考えるうえでも重要な楽曲である。
7. seven
「seven」は、幼少期の記憶、友情、無垢、そして家庭の不穏さを扱う楽曲である。タイトルは7歳を意味し、子どもの頃の視点から世界が語られる。folkloreの中でも、特に繊細で詩的な曲である。
音楽的には、アコースティックな響きと柔らかなメロディが中心で、声は非常に軽く、空気の中に浮かぶように響く。曲全体には、記憶の中の風景を遠くから見ているような感覚がある。明るい童謡ではなく、失われた子ども時代への静かな祈りに近い。
歌詞では、幼い語り手が友人に向けて「一緒に逃げよう」と語りかけるような場面が描かれる。そこには、子どもの無邪気さと、大人の世界の暴力や不安が同時に存在する。家庭内の問題を完全には理解できない子どもが、それでも友人を救おうとする姿が胸を打つ。
「seven」は、記憶がどのように美化され、同時に痛みを残すかを示している。子どもの頃の声は消えたように見えても、歌の中で再び戻ってくる。この曲は、folkloreの中でも最も文学的な短編小説に近い楽曲である。
8. august
「august」は、アルバム内の三角関係の一部を構成する重要曲であり、夏の終わり、片思い、一時的な恋の記憶を描く。語り手は、相手にとって自分が本命ではなかったことをどこかで理解しながらも、その夏の瞬間を忘れられない。タイトルの8月は、夏のピークであると同時に、終わりの始まりでもある。
音楽的には、アルバムの中でも開放感があり、ギターとリズムが少しずつ広がっていく。メロディは美しく、サビには風が吹き抜けるような感覚がある。しかしその明るさの中には、すでに失われることが決まっている恋の切なさがある。
歌詞のテーマは、所有できなかった愛、短い季節の記憶、後から振り返る痛みである。語り手は相手を完全には責めないが、自分が「夏の間だけの存在」だったことを理解している。この曖昧な立場が、曲に深い哀しみを与えている。
「august」は、Taylor Swiftのメロディ作家としての力が非常に強く表れた曲である。個人的な感情を普遍的な季節感に変える能力があり、日本のリスナーにも夏の終わりの切なさとして伝わりやすい。folkloreの中でも特に人気が高い理由が明確に分かる楽曲である。
9. this is me trying
「this is me trying」は、失敗、自己嫌悪、回復への努力をテーマにした楽曲である。タイトルは「これが、私なりに努力している姿だ」という意味を持ち、完全な成功ではなく、不完全な試みそのものを肯定する曲である。
音楽的には、ゆったりとしたテンポと広がりのある音響が特徴で、歌声には疲労と誠実さがある。サウンドは静かだが、感情の密度は高い。大きな解決へ向かうのではなく、立ち上がろうとする途中の状態がそのまま音になっている。
歌詞では、過去の失敗、才能へのプレッシャー、依存、自己破壊、謝罪できない苦しさが描かれる。重要なのは、語り手が完璧に変わったわけではないことだ。ただ、それでも努力している。傷つけた人に対して、あるいは自分自身に対して、これが今できる精一杯だと差し出す。
この曲は、folkloreの中でも非常に現代的な感情を持つ。自己改善や回復が簡単な物語として語られることが多い中で、Taylor Swiftは「努力している途中」の不完全さを歌う。その誠実さが、この曲の強さである。
10. illicit affairs
「illicit affairs」は、許されない関係、秘密の恋、隠された欲望を扱う楽曲である。タイトルの「illicit」は不正な、禁じられたという意味を持ち、恋愛が社会的・倫理的に問題を抱えた形で進むことを示している。
音楽的には、アコースティック・ギターを中心にした静かな曲であり、語り口は非常に親密である。サウンドが控えめだからこそ、歌詞の細部が鋭く響く。派手な不倫ドラマではなく、秘密の関係が人を少しずつ壊していく過程が描かれる。
歌詞のテーマは、秘密の恋の高揚と、その後に残る空虚である。隠れて会うこと、香水を消すこと、誰にも言えない時間を持つこと。Taylor Swiftは具体的なディテールを用いて、関係のスリルと痛みを描く。最初は特別に感じられたものが、次第に自分を小さくする構造へ変わっていく。
この曲は、folkloreにおける大人の関係の暗さを担っている。若い恋の記憶を描く「august」や「betty」とは異なり、ここでは秘密の関係が持つ現実的な疲弊が表れる。静かながら非常に鋭い楽曲である。
11. invisible string
「invisible string」は、運命的なつながりをテーマにした曲であり、アルバムの中では比較的明るく、穏やかな幸福感を持つ。タイトルの「見えない糸」は、離れた出来事や人々が、後から見ると一本の糸でつながっていたように感じられることを示している。
音楽的には、軽やかなギターの反復が印象的で、曲全体に透明感がある。ビートは控えめで、声は自然に流れる。過度にロマンティックに盛り上げるのではなく、静かな確信として幸福が描かれる。
歌詞では、過去の偶然や失敗、別の恋愛、場所、記憶が、最終的に現在の関係へつながっていたように語られる。ここで重要なのは、人生の苦い経験すらも、後から見ると意味を持ちうるという視点である。過去の傷が完全に消えるわけではないが、それらが今の幸福へ至る糸の一部として再解釈される。
「invisible string」は、folkloreの中で希望を担う曲である。アルバム全体には喪失や後悔が多いが、この曲では時間が敵ではなく、つながりを作るものとして描かれる。非常に美しいラブソングであり、Taylor Swiftの成熟した幸福観が表れている。
12. mad woman
「mad woman」は、怒る女性が社会からどのように「狂った女」として扱われるかをテーマにした楽曲である。Taylor Swiftはここで、女性の怒り、名誉毀損、権力関係、ガスライティングの構造を静かに、しかし鋭く歌う。
音楽的には、暗く抑制されたピアノと緊張感のあるメロディが中心である。怒りを爆発させるロック曲ではなく、冷たく燃えるような曲である。感情が抑えられているからこそ、歌詞の毒が強く響く。
歌詞のテーマは、女性が怒ると「ヒステリック」「狂っている」と見なされる社会構造である。誰かを傷つけ、追い詰めた側は、自分の責任を隠すために、怒った女性の方を異常者として扱う。Taylor Swiftはその構造を見抜き、怒りを正当な反応として提示する。
「mad woman」は、folkloreの中で最も明確にフェミニズム的な批評性を持つ曲の一つである。声高なスローガンではなく、物語と比喩を通じて権力の不均衡を描く。静かなアルバムの中にある鋭い刃のような楽曲である。
13. epiphany
「epiphany」は、啓示、突然の気づき、精神的な瞬間を意味するタイトルを持つ楽曲である。戦争の記憶と医療現場のイメージを重ね、死やトラウマに直面する人々を静かに描く。folkloreの中でも特に厳粛な曲である。
音楽的には、アンビエントに近い淡い音響と、浮遊するようなメロディが特徴である。リズムはほとんど前面に出ず、声と音が霧のように広がる。これは物語を劇的に進める曲ではなく、静止した時間の中で祈るような楽曲である。
歌詞では、戦場で傷つく兵士と、現代の病院で働く医療従事者の姿が重ねられる。言葉にできない経験、眠れない夜、見てしまったものの記憶が中心にある。Taylor Swiftはここで、個人的恋愛から離れ、より広い人間の苦痛へ視線を向ける。
「epiphany」は、2020年という時代背景と強く響き合う曲でもある。医療現場の緊張や死への近さが、多くの人にとって現実的だった時期に、この曲の静かな祈りは重い意味を持った。アルバム内で非常に重要な精神的な休止点である。
14. betty
「betty」は、アルバム内の三角関係を別の視点から描く楽曲であり、語り手JamesがBettyへ謝罪しようとする曲である。カントリーやフォークに近い素朴な構成を持ち、Taylor Swiftの初期のストーリーテリングを思わせる一方、視点の扱いは非常に成熟している。
音楽的には、アコースティック・ギターとハーモニカが印象的で、アルバムの中でも比較的明るく、語りものとしての性格が強い。曲は若者の謝罪の歌として進み、聴き手はJamesの未熟さと誠実さの両方を感じることになる。
歌詞のテーマは、過ち、謝罪、若さの未熟さである。Jamesは自分がBettyを傷つけたことを理解しているが、その謝罪は完全に成熟したものではない。言い訳や自己中心性も残る。この不完全さがリアルであり、Taylor Swiftは登場人物を完全な加害者にも完全な善人にも描かない。
「betty」は、「cardigan」「august」と組み合わせることで大きな意味を持つ。一つの恋愛の出来事が、三人の登場人物それぞれに異なる傷を残す。この複数視点の構造が、folkloreを単なる個人的な恋愛アルバム以上のものにしている。
15. peace
「peace」は、愛する相手に完全な平穏を与えられないことへの不安を歌った楽曲である。Taylor Swiftの立場を考えると、名声、メディア、過去の騒動、自分自身の複雑さが、相手の人生へ影を落とすかもしれないという恐れが込められている。
音楽的には、非常にミニマルで、ベースの反復と抑えた音の配置が中心である。曲は大きく展開せず、語り手の内面を淡々と進む。派手なラブソングではなく、愛の現実的な重さを見つめる曲である。
歌詞のテーマは、愛と不安の共存である。語り手は相手に多くのものを与えられるかもしれないが、「平穏」だけは保証できない。これは非常に成熟した愛の認識である。愛することは、幸福だけを約束することではない。自分の抱える嵐を相手にも見せることになる。
「peace」は、folkloreの中でも最も静かで、最も大人びたラブソングの一つである。恋愛を運命的な輝きとして描く「invisible string」と対になり、ここでは愛の現実的な責任と不安が描かれる。非常に深い楽曲である。
16. hoax
「hoax」は、標準版の終曲として、アルバムを暗く静かな場所へ閉じる楽曲である。タイトルは「でっち上げ」「偽り」「欺瞞」を意味し、信じていたものが嘘だったかもしれないという深い傷を示している。
音楽的には、ピアノを中心にした非常に静かな曲である。装飾は少なく、Taylor Swiftの声と和声の暗さが前面に出る。アルバムの最後に大きな解放を置くのではなく、解決しきれない痛みを残すところが、本作の余韻を強めている。
歌詞のテーマは、裏切り、依存、失われた信頼である。語り手は傷つけられながらも、その関係から完全には離れられない。愛と痛み、真実と嘘が絡み合い、何が救いで何が破壊なのか分からなくなる。これはfolklore全体の複雑な感情を締めくくるにふさわしい。
「hoax」は、明確な結論を与えない曲である。アルバムは希望だけでも、絶望だけでも終わらない。物語は語られたが、すべてが解決したわけではない。この未解決感が、folkloreの文学的な余韻を作っている。
17. the lakes
「the lakes」は、デラックス版に収録された楽曲であり、アルバム全体の美学を補完する重要曲である。タイトルは英国の湖水地方を連想させ、詩人たちの隠遁、自然、創作、名声からの逃避をテーマにしている。
音楽的には、ストリングスと柔らかなメロディが印象的で、アルバムの中でも特にロマンティックで文学的な質感が強い。曲は静かに広がり、現代の騒がしい世界から離れて、自然と詩の場所へ向かうように進む。
歌詞のテーマは、名声からの逃避、創作への憧れ、詩人としての自己像である。Taylor Swiftはここで、SNSやメディアの騒音から離れ、言葉と自然の中で生きたいという願いを歌う。しかしその願いは完全な逃避ではなく、創作を続けるための避難所を求めるものとして響く。
「the lakes」は、folkloreの締めくくりとして非常に美しい曲である。アルバム全体が噂、記憶、物語、失われた関係を扱ってきた後、この曲では語り手自身が物語の外へ出ようとする。湖水地方という場所は、現実の地名であると同時に、詩的な隠れ家として機能している。
総評
folkloreは、Taylor Swiftのキャリアにおいて最も重要な転換点の一つであり、彼女がポップ・スターとしての規模を保ちながら、インディー・フォーク/オルタナティヴ・ポップの静かな表現へ深く踏み込んだ作品である。派手なシングルや大規模なポップ演出ではなく、言葉、声、物語、余白によって聴き手を引き込むアルバムである。
本作の最大の特徴は、ストーリーテリングの成熟である。Taylor Swiftは以前から非常に優れた物語作家だったが、folkloreでは自伝的な直接性を少し離れ、架空の人物、歴史上の人物、複数の視点、伝聞、記憶、仮定法を使って曲を構築している。これにより、彼女の歌は一人称の告白から、より広い物語世界へ広がった。
音楽的には、Aaron Dessnerの関与が大きい。The Nationalにも通じる陰影のあるコード感、繊細なギター、控えめなリズム、室内楽的な音の配置が、Taylor Swiftのメロディと言葉を支えている。Jack Antonoffのポップな感覚も随所に残り、アルバムはインディー寄りでありながら、決して閉じた作品にはならない。静かだが、メロディの強さは明確である。
歌詞面では、青春の痛み、女性への社会的視線、名声の重さ、関係の終わり、謝罪、怒り、創作への逃避が描かれる。「cardigan」「august」「betty」による三角関係の構造は、アルバム内の物語性を象徴する。さらに「the last great american dynasty」では歴史とゴシップ、「mad woman」では女性の怒り、「epiphany」では戦争と医療現場、「peace」では愛の現実的な不安が扱われる。主題の幅は広いが、全体は静かな語りのトーンで統一されている。
folkloreは、Taylor Swiftが大規模なポップ・スターでありながら、同時に非常に繊細なソングライターであることを証明したアルバムである。これまで彼女を商業ポップの文脈でしか見ていなかったリスナーにも、彼女の作詞能力と物語構築力を強く印象づけた。特に日本のリスナーにとっては、派手な洋楽ポップとは異なる、静かで文学的な英語圏ポップの魅力を感じやすい作品である。
本作は、孤独な時間に向いている。夜、雨の日、移動中、過去を思い出す時間、誰かとの関係を考える時間に、このアルバムは深く響く。大きな音で感情を押し出すのではなく、静かに隣に座るような作品である。だからこそ、聴く人の記憶や経験が曲の中へ入り込みやすい。
folkloreは、Taylor Swiftの「物語を歌にする力」が最も洗練された形で表れたアルバムの一つである。個人的な告白、架空の人物、歴史的逸話、噂、記憶、詩的な逃避が絡み合い、一枚の伝承集のように構成されている。ポップ・スターが内省的な作家へ変身した作品ではなく、もともと持っていた作家性が、最も適した音響を得た作品である。静かで、深く、長く聴き継がれるべき名盤である。
おすすめアルバム
1. Taylor Swift『evermore』
2020年発表の姉妹作。folkloreの音楽性と物語性をさらに広げ、より多彩な人物像や関係性を描いたアルバムである。インディー・フォーク、チェンバー・ポップ、カントリー的な要素が自然に混ざり、folkloreを気に入ったリスナーには最も直接的につながる作品である。
2. Taylor Swift『Red』
2012年発表の重要作。カントリー、ポップ、ロック、フォークを横断し、Taylor Swiftの作詞家としての成長を強く示したアルバムである。folkloreの物語性や感情の細かい描写の前段階として聴くと、彼女のソングライティングの進化がよく分かる。
3. The National『Sleep Well Beast』
Aaron Dessnerが所属するThe Nationalの2017年作。陰影のあるインディー・ロック、ミニマルなリズム、成熟した歌詞世界が特徴である。folkloreの音響的な背景や、内省的で静かなオルタナティヴ・ポップの質感を理解するうえで関連性が高い。
4. Bon Iver『For Emma, Forever Ago』
2007年発表のインディー・フォーク名盤。孤独、冬、喪失、親密な録音の質感が強く刻まれた作品であり、folkloreの静かな孤独や「exile」でのJustin Vernonの存在感に惹かれるリスナーに適している。小さな音の中に深い感情を宿す作品である。
5. Joni Mitchell『Blue』
1971年発表のシンガーソングライター史における名盤。恋愛、孤独、旅、自己分析を極めて繊細な言葉とメロディで描いた作品である。Taylor Swiftの作詞家としての系譜を考えるうえで重要であり、folkloreの内省的な語りと深く響き合う。

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