
1. 歌詞の概要
Through Being Coolは、Devoが1981年に発表した楽曲である。4作目のスタジオ・アルバムNew Traditionalistsの冒頭を飾る曲で、シングルとしても同年9月18日にリリースされた。作詞・作曲はMark Mothersbaugh、Gerald Casale、Bob Mothersbaugh。プロデュースはDevo自身が担当している。New Traditionalistsは1981年9月16日にWarner Bros. Recordsからリリースされ、Whip Itの成功後にDevoがより暗く、より硬質な方向へ踏み込んだアルバムとして位置づけられている。
タイトルのThrough Being Coolは、もうクールでいるのは終わりだ、という意味である。
ただし、ここでのクールは少し複雑だ。
かっこいいという意味のクール。
冷静でいるという意味のクール。
流行に合わせ、斜に構え、感情を見せず、うまくやるという意味のクール。
そして、社会や周囲のくだらなさを見ても、あえて我慢して流す態度としてのクール。
Devoは、その全部に対して、もうやめた、と宣言する。
この曲は、Devo流の反クール宣言である。
だが、それは普通のパンク的な怒りとは違う。
熱血の反抗ではない。
拳を振り上げて、俺たちは本物だと叫ぶ曲でもない。
もっと変だ。
もっと皮肉っぽい。
もっと危ない冗談のように響く。
歌詞には、ninnies and twits、つまり間抜けな連中やくだらない奴らを排除するような言葉が出てくる。
頭を叩き、尻を蹴り、邪魔なものを片づけるような攻撃的なフレーズもある。
普通に読めば、かなり暴力的である。
しかしDevoの場合、これをそのまま真に受けると危ない。
彼らはいつも、スローガンや命令口調を使いながら、そのスローガン自体の気持ち悪さも同時に見せるバンドだからだ。
Through Being Coolは、クールなふりをした社会への攻撃であると同時に、集団が正義を掲げて暴力化することへのパロディにも聞こえる。
ここがDevoらしい。
サウンドは、硬く、直線的で、シンセとギターが鋭く組み合わされている。
Freedom of Choice期のダンサブルなニューウェイヴ感を残しながら、New Traditionalistsではさらに冷たく、攻撃的になっている。
曲は短い。
だが、始まった瞬間に空気を変える。
New Traditionalistsのオープニングとして、この曲は完璧だ。
Whip Itで大衆に発見されたDevoが、次に同じものを期待する世界へ向けて、もうクールぶるのは終わりだ、と叩きつける。
その言葉は、ファンへ向けた挑発でもあり、業界への皮肉でもあり、自分たち自身への宣言でもある。
2. 歌詞のバックグラウンド
Through Being Coolが収録されたNew Traditionalistsは、Devoにとって非常に重要なアルバムである。
1980年のFreedom of Choiceで、DevoはWhip Itという大ヒットを生んだ。
赤いエナジー・ドーム、奇妙な動き、シンセのリフ、皮肉な歌詞。
Devoは一気にニューウェイヴの象徴的存在になった。
しかし、大きなヒットはバンドにとって祝福であると同時に、罠でもあった。
レコード会社は、次のWhip Itを期待する。
新しいファンは、Devoをただのおもしろい変なバンドとして消費する。
映像と衣装と奇妙なユーモアだけが先に広がり、彼らのde-evolution、つまり人類は進化ではなく退化しているという思想は見落とされる。
New Traditionalistsは、その状況への反応だった。
アルバムについては、Whip Itの成功後にWarner Bros.から次のヒットを求める圧力があったこと、しかしDevoは同じ絵を繰り返し描くことを拒み、より暗く、よりアクセスしにくいアルバムを作ったことが語られている。Gerald Casaleも、同じ絵を何度も描くことは自分たちの性質ではなかったという趣旨を述べている。ウィキペディア
Through Being Coolは、その反応を最も端的に表した曲である。
つまり、これは新規ファンへの苛立ちの歌でもある。
Devoのメッセージを理解せず、表面だけをおもしろがる人々。
クールな流行としてDevoを消費する人々。
奇妙な格好のニューウェイヴ・バンドとしてだけ受け取る人々。
そうした状況に対して、Devoはもうクールでいるのはやめたと言う。
このクールでいるのをやめるという言葉には、二重の意味がある。
ひとつは、流行に合わせるのをやめるという意味。
もうひとつは、冷静なふりをして我慢するのをやめるという意味。
Devoは、もともと怒っているバンドだった。
だが、その怒りは普通のロック的な叫びではなく、制服、ロボット的動き、シンセサイザー、風刺映像、Booji Boyといった奇妙な形式に変換されていた。
Through Being Coolでは、その怒りが少し直接的になる。
ただし、直接的になったように見えて、やはり完全にはまっすぐではない。
ミュージックビデオもそのことを示している。
公式ビデオでは、Devo自身は限定的な役割にとどまり、DevoのAction Vestを着た子どもたちのチームが、傲慢で無知な人々をspudguns、つまりジャガイモ銃のようなもので攻撃する構成になっている。ビデオの監督はGerald Casale、プロデューサーはChuck Statlerである。
この映像は、かなりDevo的だ。
子どもたちが正義の部隊のように動く。
しかし、その姿はかわいくもあり、不気味でもある。
彼らは悪い大人たちを懲らしめるヒーローにも見える。
同時に、小さなファシスト部隊のようにも見える。
Devoは、ここでも単純な善悪を作らない。
クールでいるのをやめる。
くだらない連中を排除する。
邪魔者を叩く。
その言葉は、反抗のスローガンにも聞こえる。
だが、集団的な暴力のスローガンにも聞こえる。
この危うさを、Devoは意図的に使っている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
歌詞全文は権利保護のため掲載しない。ここでは、楽曲の主題を示す短い部分のみ引用する。歌詞はSpotifyなどの配信サービス上でも確認できる。Spotify
We’re through being cool
和訳:
俺たちはもう
クールでいるのをやめた
この一節が、曲の核である。
短い。
強い。
そして、かなり皮肉だ。
クールでいることは、普通なら良いことに見える。
かっこよくいる。
落ち着いている。
流行を分かっている。
感情に振り回されない。
だが、Devoにとってそのクールさは、思考停止にも見える。
間違ったものを見ても、まあいいかと流す。
くだらない流行にも、距離を取ったふりで乗る。
本当は怒っているのに、斜に構えて黙る。
自分の不快感を、スタイルで隠す。
Devoは、それをやめると言う。
ただし、この宣言は純粋な解放ではない。
このあとに続く攻撃的な言葉によって、曲は一気に危険な領域へ入る。
クールでいるのをやめることは、怒りを解放することでもある。
だが、その怒りは正義なのか。
それとも、別の形の退化なのか。
この曖昧さが、Through Being Coolの鋭さである。
引用部分の著作権は作詞・作曲者および権利者に帰属する。ここでの引用は批評・解説を目的とした最小限の使用である。
4. 歌詞の考察
Through Being Coolの歌詞は、スローガンのようにできている。
もうクールでいるのは終わり。
間抜けや愚か者を排除する。
頭を叩く。
尻を蹴る。
邪魔者に思い知らせる。
小さな町なら、若い異星人のような連中が現れて宣言する。
大きな場所なら、地下に派閥がある。
言葉だけを追うと、これは奇妙な反乱の歌である。
しかし、Devoはその反乱をヒーロー的には描かない。
むしろ、反乱の言葉そのものを少し気持ち悪く見せる。
ここが重要だ。
普通のロックでは、抑圧された若者が立ち上がる構図は、基本的に肯定的に描かれる。
古い世代を壊せ。
退屈な社会を打ち破れ。
自分の声を取り戻せ。
Through Being Coolにも、そのエネルギーはある。
だが、Devoはそのエネルギーの中にある暴力性も同時に見せている。
クールでいるのをやめた集団は、何を始めるのか。
本当に社会をよくするのか。
それとも、別の排除や攻撃に向かうのか。
この曲は、その境界をわざと曖昧にしている。
だから、歌詞に出てくるeliminateやbang some headsのような攻撃的な言葉は、単なるカタルシスではない。
聴き手は、拳を上げたくなる。
でも、同時に少しぞっとする。
Devoが作っているのは、反抗の快楽と集団暴力の不気味さが同時にある音楽である。
この構造は、彼らのde-evolution思想と深く関係している。
人間は進歩しているように見える。
だが、少し条件がそろえば、すぐに集団で誰かを排除したがる。
正義の言葉を使って、暴力を正当化する。
クールさを捨てた瞬間、別の愚かさへ落ちる。
Through Being Coolは、そのことを風刺しているようにも聞こえる。
つまり、この曲はクールな連中への攻撃であると同時に、反クールを掲げる自分たちの危うさも笑っている。
この自己矛盾こそDevoである。
彼らはいつも、自分たちを安全な正義の側に置かない。
人類は退化していると言いながら、自分たちもその退化した人類の一部として振る舞う。
変な衣装を着て、ロボットのように演奏し、スローガンを叫び、同時にそのスローガンのばかばかしさも見せる。
Through Being Coolでは、その方法が非常に攻撃的に出ている。
サウンド面でも、この曲はNew Traditionalistsの入り口として強烈だ。
前作Freedom of Choiceでは、Whip ItやGirl U Wantのように、シンセとギターのバランスを取りながら、よりダンサブルでポップなDevoが完成されていた。
New Traditionalistsでは、そのポップさを保ちながら、音色が少し暗く、硬くなる。
Through Being Coolのリズムはタイトで、余計な情緒が少ない。
ギターはファンク的に切り刻まれ、シンセは鋭い線を描く。
ボーカルは、歌い上げるというより、指令を出すように響く。
この命令口調が曲の世界観を作っている。
Devoの音楽におけるボーカルは、しばしば人間の感情を直接表現するものではなく、スローガンを発する装置のように機能する。
Through Being Coolでは、その傾向が特に強い。
歌は感情的なのに、どこか機械的。
怒っているのに、プログラムされたようでもある。
その奇妙なズレが、曲に冷たい迫力を与える。
また、この曲にはスパッド、つまりジャガイモというDevo独自の言葉の感覚も絡んでいる。
Devoはファンや人間一般をspud、spudboyと呼ぶことがあり、それはどこか不格好で、地中から掘り出されるような人間像を連想させる。
Through Being Coolのビデオで使われるspudgunsも、その文脈にある。
ジャガイモ銃で攻撃する子どもたち。
ばかばかしい。
だが、妙に不穏である。
本物の銃ではない。
しかし、攻撃の構図はある。
遊びのようで、軍隊ごっこのようでもある。
Devoは、この子どもっぽさと暴力性の重なりをよく分かっている。
退化とは、必ずしも野蛮な大人になることではない。
幼児的な衝動のまま、テクノロジーや組織を持ってしまうことでもある。
Through Being Coolの子ども部隊は、その象徴のようだ。
5. この曲が好きな人におすすめの曲 5曲
- Freedom of Choice by Devo
選択の自由というきれいな言葉を皮肉る、Devoの代表的な風刺ソングである。Through Being Coolがクールさと集団的反抗を疑う曲なら、Freedom of Choiceは自由そのものの空洞を疑う曲だ。どちらも、ポップなニューウェイヴの形で社会のスローガンを解体している。
New Traditionalists収録の名曲。明るく美しいメロディで世界の美しさを歌いながら、最後にそれが誰にとっての美しさなのかを反転させる。Through Being Coolの攻撃的な皮肉に対して、こちらは甘く苦い反転の皮肉で聴かせる。
- Jerkin’ Back ’N’ Forth by Devo
New Traditionalists収録曲で、シーケンサーやシンセの機械的な質感が強く出ている。Through Being Coolと同じアルバムの冷たい未来感を味わえる曲だ。身体が前後に動かされるようなリズムが、Devoの人間機械化の感覚をよく表している。
Freedom of Choice収録の名曲で、Devoの退化思想とポップなメロディが美しく結びついた曲である。Through Being Coolよりもメロディアスだが、人間と機械、自由と制御の境界が揺れる感覚は共通している。
Devoとは違う英国ニューウェイヴの名曲だが、社会が個人に計画を押しつける構造を皮肉る点で相性がいい。Through Being Coolのスローガン的な攻撃性に対して、こちらはよりひねくれたポップの形で管理社会を笑っている。
6. もうクールではいられない、Devo流の攻撃的ニューウェイヴ宣言
Through Being Coolは、Devoの曲の中でも特に宣言性の強い曲である。
アルバムの1曲目として、この曲は扉を蹴破るように始まる。
Whip Itで大衆的な認知を得たDevoが、その次に何をするのか。
もっとキャッチーな曲を書くのか。
もっと分かりやすい変なバンドになるのか。
それとも、レコード会社や新しいファンの期待に合わせるのか。
答えは、Through Being Coolだった。
もうクールでいるのは終わり。
この言葉は、バンド自身の姿勢を示している。
Devoは、流行として消費されることに我慢ならなかったのだろう。
自分たちの奇妙さが、ただのファッションやギャグとして受け取られることに苛立っていたのだろう。
しかし、彼らはそれを普通の怒りとして出さなかった。
子ども部隊。
ジャガイモ銃。
Action Vest。
スローガン。
機械的なリズム。
冷たいシンセ。
暴力的でばかばかしい歌詞。
こうした要素を組み合わせて、怒りそのものを奇妙なコントのように見せた。
ここがDevoのすごさである。
彼らは真面目なことを、ふざけた形でやる。
そして、ふざけているように見えるほど、実は真面目さが怖くなる。
Through Being Coolは、まさにそういう曲だ。
聴いていると、楽しい。
ビートは鋭く、サビは強い。
一緒に叫びたくなる。
だが、歌詞を考えると、少し気持ち悪い。
誰が誰を排除するのか。
何をもってninnies and twitsと呼ぶのか。
クールでいるのをやめた人々は、どこへ向かうのか。
その反抗は自由なのか、それとも別の規律なのか。
この不安が、曲の奥にある。
Devoは、ただの反体制ではない。
反体制の中にある危うさも見ている。
人間は、どんな立場にいても退化する。
権力側だけが愚かなのではない。
反抗する側もまた、スローガンに酔い、集団化し、攻撃的になる。
Through Being Coolは、その滑稽で恐ろしい瞬間を、ニューウェイヴのポップ・ソングにしている。
この曲が今も響くのは、クールという言葉が今の時代にも強いからだ。
クールであること。
流行を分かっていること。
感情的になりすぎないこと。
皮肉っぽく距離を取ること。
正しく見えるポーズを取ること。
現代でも、人はさまざまな形でクールであろうとする。
だが、そのクールさは、ときに無関心の言い訳になる。
怒るべき場面で、冷笑だけして終わる。
本気になることを恥ずかしがる。
何かを信じる人をださいと言う。
自分は分かっている側だと安全な位置にいる。
Devoは、そういう態度に対して、もうやめたと言う。
ただし、Devoはその先にきれいな答えを用意しない。
クールでいるのをやめた先にも、危険はある。
怒りは人を動かすが、怒りは人を退化させることもある。
集団のスローガンは勇気を与えるが、排除も生む。
Through Being Coolは、その両方を鳴らしている。
だから、この曲は単なる元気な反抗ソングではない。
もっとねじれている。
もっとDevoらしい。
New Traditionalistsというアルバム・タイトルも、この曲と深く響き合う。
新しい伝統主義者。
矛盾した言葉である。
Through Being Coolも、反クールを掲げながら、それ自体が新しい制服、新しい規律、新しい集団行動になっているように見える。
Devoは、この矛盾を自覚的に演じている。
彼らは常に、批判対象を外側に置くだけではなく、自分たちの姿の中にも取り込む。
だから、Devoのパフォーマンスはいつも不安定だ。
これは警告なのか。
冗談なのか。
自己批判なのか。
プロパガンダのパロディなのか。
本当にそう思っているのか。
全部である。
Through Being Cool by Devoは、Whip It後のDevoが、自分たちをクールな流行として消費する世界へ叩きつけた、攻撃的で皮肉なニューウェイヴ宣言である。
硬いビート。
冷たいシンセ。
不穏なスローガン。
子どもじみた暴力。
反抗と管理の境界線。
それらが混ざり合い、曲は3分少しで走り抜ける。
もうクールではいられない。
その言葉は、解放にも聞こえる。
脅しにも聞こえる。
そして、Devoが見ていた人類退化の笑えない冗談にも聞こえる。



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