発売日: 2014年8月18日
ジャンル: エレクトロニカ、アート・ポップ、実験音楽、アンビエント・ポップ、サウンド・アート
概要
『Sparks』は、イモージェン・ヒープが2014年にリリースした4作目のスタジオ・アルバムであり、“アルバム”という形式自体を問い直す実験的プロジェクト”として、音楽とテクノロジー、身体とネットワーク、記憶と創造性が交錯した野心作である。
本作は2009年の『Ellipse』以降、約5年にわたり世界各地で断続的に制作され、そのプロセスにはファンとの共同制作、フィールドレコーディング、位置情報音源、ウェアラブル楽器「Mi.Mu Gloves」の使用などが含まれる。
ヒープは本作において、単なるアーティストではなく、キュレーター／プログラマー／パフォーマー／共作者としての立場を明確にし、音楽の境界を“発表”から“共有”へとシフトさせた。
そのため、『Sparks』は単なるコレクションではなく、“音楽の未来”を問いかけるマルチメディア的アート体験”として機能する。
全曲レビュー
1. You Know Where to Find Me
ロンドンのテムズ川を擬人化したようなスケールの大きなピアノ・バラード。
「いつでも戻ってきていいよ」というリリックが、都市と人間の関係、記憶と再会の寓話を浮かび上がらせる。
アコースティックとストリングスの調和が見事。
2. Entanglement
量子物理学の“エンタングルメント（もつれ）”を恋愛のメタファーにした、官能的なトラック。
ボーカルが肌のように密着する音像で、身体と音の境界が曖昧になる瞬間が描かれる。
3. The Listening Chair
ヒープ自身の“人生を7年ごとに歌う”という構成で作られた、自己の時間的アーカイブ。
後年ライブでは章が追加されることもあり、“進化し続ける楽曲”という新しい概念を提示。
4. Cycle Song
インドのジャールカンド州でのワークショップから生まれた曲。
自転車と身体の動き、自然との共鳴をテーマに、現地のフィールド録音やパーカッションが効果的に用いられる。
5. Telemiscommunications（with deadmau5）
カナダのEDMアーティストdeadmau5との共作。
電子的でクールなトラックに乗せて、テクノロジーによる“伝わらなさ”と感情の断絶を描写する。
コラボでありながら極めてヒープ的。
6. Lifeline
ファンから送られた“生活音”を素材にして構成された楽曲。
赤ちゃんの泣き声、呼吸、自然音などが溶け合い、“他者の存在によって成立する音楽”のかたちが提示されている。
7. Neglected Space
廃墟と記憶をめぐる詩的なナンバー。
忘れ去られた場所＝“心の空白”として読み替えることもでき、記憶の考古学的掘削を音にするという挑戦作。
8. Minds Without Fear（with Vishal–Shekhar）
インドの人気作曲家ヴィシャール＝シェーカルとの共演。
異文化的スケールを感じさせながらも、心の“恐れなき場所”を共有する希望が主題。
グローバル・ポップの理想型ともいえる融合性。
9. Me the Machine
Mi.Mu Gloves（ジェスチャーで音を操るウェアラブル楽器）を用いたトラック。
人間と機械の共進化をテーマに、身体が音楽を生む瞬間そのものを再現。
科学と感情の橋渡しとなる意欲作。
10. Run-Time
健康アプリと連動して制作された“ジョギング用楽曲”。
BPM、呼吸、風景といった要素を音に変換し、音楽が“身体のリズム”を補完する装置になる可能性を示した。
11. Climb to Sakteng
ブータンの風景音を素材にした、純粋な音響詩。
鳥の声、風、足音などがコラージュされ、自然と人間の共存を祝福するような響きが広がる。
12. The Beast
ダークで不穏なビートが支配するインダストリアルなトラック。
社会やメディア、匿名性に対する恐れと怒りが表出する、本作で最も激しい“異物”のような存在。
13. Xizi She Knows
中国・杭州で録音されたフィールド音とともに展開される実験的なトラック。
都市の雑踏と古楽器の融合によって、“場所の知性”や“土地が持つ記憶”を音楽化している。
14. Propeller Seeds
ウィスパーボイスとミニマルなピアノが寄り添うラスト・トラック。
生まれたばかりの命（娘）への語りかけとして制作され、“未来に向かう種”という生命的メタファーが美しく響く。
ヒープの母性と音楽家としての祈りが結晶化した一曲。
総評
『Sparks』は、イモージェン・ヒープがこれまで培ってきた**音楽と技術、身体と環境、自己と他者のあいだを、ひとつひとつ丁寧に接続していく“実験と詩の交差点”**である。
この作品は“アルバム”という固定フォーマットに収まりきらない。
むしろ、楽曲単体が世界各地の文化や技術、記憶に根差しており、ひとつひとつが音のドキュメントであり、音の対話でもある。
その意味で『Sparks』は、インスタレーション、ソーシャルプロジェクト、フィールドワーク、身体表現、親密な私小説――
そうした多ジャンルの交差点に立つ、**21世紀ポップの最前線にして“音楽以後の音楽”**なのだ。
おすすめアルバム（5枚）
- Laurie Anderson『Big Science』
テクノロジーと語り、音響と哲学の融合。イモージェンの原点的存在。 - Björk『Biophilia』
科学と自然、音楽とアプリが融合したマルチメディア・アルバム。 - Holly Herndon『PROTO』
AIとの共作という試みによる“未来の音楽”の提示。Sparksの思想的後継。 - Annie Lennox『Songs of Mass Destruction』
感情と政治、個と社会を結ぶ女性的視点のポップ。 - Kate Bush『Aerial』
日常の些細な瞬間を壮大なサウンドに昇華する女性アーティストの代表例。
歌詞の深読みと文化的背景
『Sparks』のリリックは、従来のヒープ作品よりもさらに“身体と空間”“声と行動”のリアルな接触を描いており、
そこには母としての視点、音を生きる者としての祈り、そして他者と共にあることの根源的喜びと不安が交錯する。
「Propeller Seeds」では生まれたばかりの子への愛と未来への祈りが、「The Listening Chair」では時間と記憶の流れが、
「Me the Machine」では身体と技術の融合が、「Lifeline」では**“誰かがいる”ことそのものへの感謝と驚き**が綴られている。
そのすべてが、ヒープの音響的感受性を通じて、音楽とは“誰かと何かを結ぶ装置”であることを体現している。
『Sparks』はその名の通り、一人ひとりの心に点火する、小さくも強い火花であり続けている。
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