1. 歌詞の概要
「Hold Her Down」は、Toad the Wet Sprocketが1991年にリリースした3rdアルバム『fear』に収録された楽曲であり、その優しげなメロディとは裏腹に、極めてシリアスで暴力的な主題を扱った作品である。
表面的にはポップなロックナンバーのように聞こえるかもしれないが、その歌詞は性的暴力、女性蔑視、そしてそれを可能にする社会構造への鋭い批判を含んでいる。
タイトルの「Hold Her Down(彼女を押さえつけろ)」というフレーズは、あえて加害者視点の言葉を反復させることで、リスナーに強烈な不快感と問題意識を喚起させる構造になっている。
この曲は“加害そのもの”を描くのではなく、“加害がなぜ起こるのか”“それが黙認される文化とは何か”という問いを、音楽の中に封じ込めているのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Hold Her Down」は、グレン・フィリップス(Glen Phillips)が10代の頃に出会った、レイプ被害者の話を元にして書かれたとされる。
彼はこの曲で、“暴力的な行為そのもの”よりも、“それを正当化しようとする社会の目線”にこそ焦点を当てたかったと語っている。
当時、性暴力に関する公の議論は今ほど開かれておらず、男性アーティストがこうしたテーマを真正面から取り上げることは極めて異例だった。
その意味で「Hold Her Down」は、トッド・ザ・ウェット・スプロケットという“穏やかなバンド”のイメージを覆す、意志の強い社会的声明でもあった。
演奏面でも、アグレッシブなギターリフと重いリズムが、この曲のテーマの不穏さを増幅しており、アルバム『fear』全体に流れる「日常に潜む痛みと不条理」という主題を象徴する1曲となっている。

3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、「Hold Her Down」の印象的なフレーズを英語と日本語訳で紹介する。
“They think she’s the one who should be ashamed”
「彼らは、恥じるべきは彼女のほうだと思っている」
“They think it’s her fault / And they hold her down”
「彼女のせいだと決めつけて / 彼らは彼女を押さえつける」
“Don’t they know she’s the one who’s been used?”
「彼らは気づいていないのか? 本当に利用されたのは彼女なのに」
“She feels dirt, she feels shame / Doesn’t want to show her face again”
「彼女は汚れているように感じ、恥ずかしく思い / 二度と顔を出したくないと思っている」
“And they hold her down”
「それでも彼らは彼女を押さえつけ続ける」
歌詞全文はこちらで確認可能:
Toad the Wet Sprocket – Hold Her Down Lyrics | Genius
4. 歌詞の考察
「Hold Her Down」は、あえて“加害者の語り”を模倣することで、聴き手の倫理的感覚を刺激する構成になっている。
たとえば「彼女のせいだと思っている」「彼女が恥じるべきだとされる」といったフレーズは、現実社会で性的暴力の被害者がしばしば直面する「被害者非難(victim blaming)」を、痛烈に批判している。
重要なのは、この曲が暴力を直接的に描いてショックを与えようとしているわけではないという点だ。
むしろ、暴力が「制度」や「文化」や「無関心」によって維持され、再生産されることに目を向けている。
これは、性暴力を「個人的な事件」ではなく、「社会構造の問題」として描いている、非常に先進的な視点だといえる。
また、「彼女が顔を見せたくないと思っている」ことや、「汚れているように感じている」という描写は、加害そのものよりも、被害後に彼女が背負わされる“心の負担”をリアルに浮き彫りにしている。
その静かで重たい感情の描写が、むしろ叫びよりも深く心に突き刺さる。
このような内容を、爽やかなコード進行やキャッチーなリフの中に仕込んでいる点も、Toad the Wet Sprocketらしい“穏やかな反逆”といえる。
表面的には明るいサウンドであっても、その内側に強烈な怒りと問題提起を抱えているという構造が、このバンドの本質的な魅力でもある。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Luka by Suzanne Vega
虐待を示唆する視点から描かれた1980年代の名曲。静かな語り口に深い痛みが宿る。 - Me and a Gun by Tori Amos
自身の性的暴行体験をアカペラで告白した衝撃作。女性視点のリアルな告発。 - Jeremy by Pearl Jam
学校社会の暴力と無関心をテーマにした、社会的意義のあるオルタナティヴ・ロック。 -
Not Ready to Make Nice by The Chicks
発言に対するバッシングを受けた経験から、言論とジェンダーへの圧力を描いた強烈な曲。 -
Family Portrait by Pink
家庭内での痛みや分断を描いた、等身大の叫び。構造的な問題への視点が共通する。
6. “その沈黙は、社会がつくる”
「Hold Her Down」は、性暴力という極めて個人的でセンシティブなテーマを、被害の構造と加害の社会性という視点から描いた、極めて異色かつ重要な楽曲である。
それは“加害の瞬間”を描いているのではなく、“その後も続く沈黙と誤解”という構造的暴力を告発している。
この曲の中で叫んでいるのは被害者ではない。
むしろ、被害者は“声を失ったまま”描かれている。
その沈黙こそが、社会によって与えられた重圧であり、構造的加害そのものなのだ。
「Hold Her Down」は、穏やかなサウンドに乗せて、社会が押しつけた“黙れ”という命令に、静かに、しかし確かに抗う歌である。
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