1. 歌詞の概要
「This Charming Man」は、ザ・スミスが1983年に発表したシングルであり、後にコンピレーションアルバム『Hatful of Hollow』やデビューアルバム『The Smiths』の再発盤にも収録された、バンドを象徴する名曲のひとつである。この曲は、きらびやかでどこか滑稽にも映る“魅力的な男”をめぐる短い物語を描きながら、モリッシー特有のウィット、皮肉、そしてセクシャルな曖昧さが凝縮された作品である。
歌詞の語り手は、自転車がパンクし道に迷ってしまった若い男性。そんな彼の前に、ある“魅力的な男(This Charming Man)”が車で現れ、彼を家へと誘う。ここで描かれるのは、偶然と誘惑、そしてある種の階級的・性的な駆け引きである。若者の戸惑いや好奇心、不安と期待が複雑に絡み合いながら、ほんの短い時間のなかで繰り広げられる“出会い”が、洗練された比喩を通して語られている。
一見すると軽妙なポップソングのようだが、その実、自己認識やジェンダー、欲望と抑圧をテーマにした、スミスならではの繊細で挑発的な作品である。
2. 歌詞のバックグラウンド
「This Charming Man」は、ザ・スミスがまだデビューして間もない頃に発表した楽曲であり、当初BBCのラジオ番組『John Peel Session』で披露されたことで注目を集めた。ギタリストのジョニー・マーによるカッティングの効いた華麗なギターリフと、モリッシーの浮遊するようなボーカルが融合し、スミスの世界観を世に知らしめる契機となった楽曲である。
作詞を手がけたモリッシーは、この曲について「階級的な違いによる性的緊張、ジェントリフィケーション(都市の再高級化)への皮肉、そして英国らしいウィットの表現」であると語っている。特に、主人公の“自転車が壊れて”という設定は、若さや庶民性を象徴し、そこに現れる“車を持つ男”は、上流階級や成熟した魅力を表していると読める。
また、この曲はモリッシーのセクシュアリティについても多くの憶測を呼ぶこととなった。彼自身は長年にわたり、自身の性的指向を明言しないままでありながらも、この曲のように“男性同士の関係”を仄めかす描写を巧みに歌詞に織り込んでいた。それゆえに「This Charming Man」は、性的アイデンティティや曖昧な欲望を描いたポップソングとして、LGBTQ+コミュニティの間でも広く支持されるようになった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、印象的な歌詞の一部を抜粋し、和訳とともに紹介する。
Punctured bicycle
パンクした自転車に乗ってOn a hillside desolate
寂れた丘の上を走っていたんだWill nature make a man of me yet?
自然は僕を“男”にしてくれるんだろうか?When in this charming car
この魅力的な車に乗ったときThis charming man
現れたのが、“この魅力的な男”Why pamper life’s complexities
人生の複雑さに気を使って生きるなんてWhen the leather runs smooth
スムーズなレザーシートに身を預ければ、それだけでいいじゃないか
出典:Genius – The Smiths “This Charming Man”
4. 歌詞の考察
「This Charming Man」は、詩的かつ象徴的な言葉で満ちている。冒頭の“パンクした自転車”は、語り手の未熟さ、経済的な弱さ、社会的な立場の低さを暗示している。一方で、現れる“魅力的な男”は、車を持ち、レザーのインテリアを備えた生活をしており、それが象徴するのは上流階級の余裕や、成熟した性の誘惑である。
「Will nature make a man of me yet?」という問いは、成長や“男らしさ”への葛藤を示しながらも、それが自然なプロセスとして進むものなのか、あるいは誰かの介入によって導かれるのか、という不確かさを孕んでいる。また、「leather runs smooth on the passenger seat」という描写は、官能性とラグジュアリーの象徴であり、触覚的な記憶として“魅了された瞬間”を強調している。
さらに重要なのは、この“魅力的な男”の存在が“強引で抑圧的な誘惑”として描かれていない点だ。むしろ、語り手はその状況に困惑しながらも惹かれ、彼の言葉や佇まいに揺さぶられている。つまりこの曲は、支配と服従の構図ではなく、“心の不確かさ”と“欲望の気配”を同時に描いているのだ。
ザ・スミスの音楽はしばしば、性的に曖昧な視点、社会からの疎外、アイロニカルなロマンスといったテーマを扱ってきたが、「This Charming Man」はそのすべての要素が凝縮された、極めて濃密な作品である。
※歌詞引用元:Genius
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Hand in Glove by The Smiths
スミスのデビューシングル。愛と孤独、社会との断絶をテーマにした原点のような一曲。 - William, It Was Really Nothing by The Smiths
セクシャリティと恋愛観のあいだを揺れるモリッシーらしい歌詞が魅力の小品。 - Boys Don’t Cry by The Cure
男性らしさの抑圧と感情の解放を描いた、ポストパンク的感受性にあふれる名曲。 - Age of Consent by New Order
ロマンティックな欲望と若さの衝動を、ダンサブルなビートで包んだインディー・アンセム。 -
There Is a Light That Never Goes Out by The Smiths
死や愛を極端な形で理想化した、スミス屈指の叙情的なラブソング。
6. 魅力と不安のあいだ——スミス流ロマンスの本質
「This Charming Man」は、ただのおしゃれな80年代インディー・ポップではない。ジョニー・マーのギターは軽やかに踊り、モリッシーのボーカルは甘やかに響くが、その奥に流れているのは“階級、性、未成熟なアイデンティティ”といった、実に鋭いテーマである。
魅力的な誰かに出会ったとき、自分の弱さや不確かさが露わになることがある。恋か欲望か、羨望か恐れか、そのすべてが混ざった瞬間のざらつきと輝き。それをこんなにも軽快に、ユーモラスに、そして詩的に描いた楽曲は稀である。
モリッシーのペルソナはここで、“恋に落ちること”を通して社会的立場や性別の枠を柔らかく揺らがせている。だからこそ「This Charming Man」は、40年近く経った今も、若者たちの“恋する不安”や“心のざわめき”に寄り添い続けるのである。ザ・スミスの中でも特に魅力的な、小さな物語の傑作である。
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